マリラ・カスバートの運転するミニは、海岸沿いのスペンサー邸へと向かった。
マリラ「ひとつ気になってたんだけどね。あんたの名前は、Anなのかい? Annでも、Anneでもなく。
女の子の名前にしちゃ、ずいぶんと飾り気が無いねえ」
アン「2文字でじゅうぶんですよ。長い単語は、覚えきれなくて」
マリラ「あんた、まさか文盲なの?本を読んだことは?」
アン「英語ならわかりますよ。でもあんまり得意じゃないです。学校へ行ったこと、ないので」
マリラ「……ああ、そうかい」
海に面した道路はアスファルトで舗装されていたが、穴だらけだった。ガードレールも損傷が激しく、マリラはとても慎重な運転をした。
この地区はホワイトサンズといって、大きなホテルを中心に、アルバリーよりずっと裕福な人たちの住む邸宅が並んでいる。8月になるとアンクル・サムの国などから避暑客が泊まりに来て、海水浴場やゴルフクラブが賑わうのだそうだ。
その一角にあるスペンサー家は、代々カスバート家にとって政治的な相談窓口だった。
揉め事が起き、現場だけで解決が難しいようであれば、こういった地主さんに仲裁を依頼する。見返りとして地主さんは国政選挙などあるたび配下の諸衆に「この人へ投票せよ」と指図ができる。
古今東西、世界中のどこにでもみられる共生関係だ。
さて、今日はマリラがアンの処遇についてマダム・スペンサーへ助言を求めたのだった。
マシュウがやっぱり断りきれずに里子を引き受けて連れ帰ってしまった。返品するなら一日でも早いに越したことはない。後腐れなく、スパッと鉈を振るってくださいまし、と。
マダム・スペンサーは、夫が夜な夜なインターネットで幼女の動画を蒐めていることを知っていたし、春先頃にマシュウが来て男同士でずいぶん盛り上がっていたなあと記憶していた。マリラからの経過報告もこまめに聞かされていたので、やっぱりそうなっちゃったのねという態度で別段驚きもせず、冷静に契約書を見せてもらって、熟読する。
マダムS「マリラ。このシェパード商会というところ、そんなに阿漕でもないみたいよ。少なくとも書面上は。
最長2年先まで回収と交換に応じますって明記されているし、長期入院を伴うほどの虐待など極端な事態が生じない限りはペナルティも行使しないと謳っているもの。今ここから電話で問い合わせてみてもよろしくてよ?」
マリラ「本当ですかマダム。でも、不思議ですわ。そんな甘い条件で採算がとれるんでしょうか。なにか裏があるように思えて不安なんですけど」
マダムS「特殊法人で非営利企業みたいよ。孤児院や矯正施設でくすぶっている少年少女へ可能性を与えて、個別の案件ごとに儲けをとるより成約件数を安定させることで政府から補助金をもらえるというカラクリなのかも。
営利企業の契約書だと、免責事項だけがやたらと多いものなの。いかなる場合も弊社は責任をとりません、て類のね。シェパードの契約書にはそんな鬱陶しさが無いわ。カラッとしてる。
特殊なケースだけを専門に扱うエキスパートのようにも見えるわよね」
アンは黙って聞いていた。内心笑いをこらえていた。
おばさんたち、わかっちゃねえな。
タダより高いものなんてこの世に存在しないんだよ。アメリカ大陸の先住民たちは、あんたらと同じくらい、お人好しだった。だから滅ぼされたんだ。シェパードがよく言ってたよ。
電話で問い合わせしてみるといい。あいつの口にかかったら、何分でメロメロにされてしまうやらだ。ヒャッハア。
そこへ、不意の来客。
マダム・ブリュエットという老婆が、ずけずけと上がりこんできた。
マリラは恐縮している。
アンも、礼儀正しく挨拶する。
どこにでもいる、おしゃべり好きのばあさんらしい。マダム・スペンサーは尋ねられるままに、カスバート家の災難について語って聞かせる。
すると老婆、身を乗り出してアンを眺め回し、2年も余裕があって、カスバート家でさせる仕事が無いというなら、うちへ譲ってくれないかと言う。
マダムB「ヘレンの面倒を見させてたメイドが、辞めちゃったばかりなんだよ。
あの子も7歳になったから、暴れると手がつけられなくてね。かといって男をつけるわけにゃいかないし。
娘。何歳だい?
11か。うん、いいんじゃないかね。ヘレンのお友達になってもらえないかしら。しっかり働いたぶん、たらふく食わせてあげられるよ。
いいよね?マリラ・カスバート」