『若きウェルテルの悩み』
1774年に発表されたドイツ語小説。画期的ゲーム小説『ピルグリム・プログレス』出版から約100年後である。
ウェルテルは恋愛小説の指南書に必ず登場するほど有名で、たいていの図書館に英訳本が収蔵されている。だからマチルダは安心してリクエストした。
ミス・トランチブルは頬を紅潮させながら借りてきてくれた。
マチルダ「2回読んじゃった。よくわからなくて」
アン「マチルダでもわからないほど難しかったの?」
マチルダ「犯罪実録系のサスペンスなら何冊か読んだことあるんだけど、自殺した狂人の手記っていうのにはあんまり耐性なくて。
ずっと気持ち悪い描写が続いて、後味もひどいの。こういうのは一回きりだと却って印象にのこっちゃうから」
アン「ん?恋愛小説じゃなかったっけ」
マチルダ「世間ではこういうのを恋愛って呼ぶみたいだよ」
アン「ドイツ人は凝り性らしいからなあ。で、ストーリーみたいなものはあるわけ?」
マチルダ「ウェルテルというのが主人公。二十代半ばの男性。
実家を離れて公使館の役人見習いとして赴任してくるんだけど、故郷の親友へ日記のような手紙を数日おきに送りつけるの。
この親友が実在するかは不明。すべて主人公の妄想かもしれない」
アン「怖いな。300年近く前のサイコスリラーかよ」
マチルダ「赴任先で知り合った友人、アルベルト。彼にはロッテという婚約者がいて、この二人はウェルテルになにかと世話をやいてくれる。とくにロッテは花嫁修業の優等生だったから、童貞のウェルテルをたちまちメロメロにさせちゃうの」
アン「童貞なんだ。ウェルテルは」
マチルダ「たぶん。あたしは、兄のマイケルを見てきたから雰囲気でそう感じるの。
ウェルテルは朝から晩までオナニーしてるはずなんだけど、手紙では一切そこに触れること無く、上品ぶった報告だけするの。男同士なのに。
恋愛小説って言われてるだけに、そこが現実味乏しいのは不思議なんだけどね」
アン「そうだよな。そこを隠してちゃ、恋愛衝動が生まれるはずないからな」
マチルダ「手紙は最初のうちからロッテの観察日記みたいなものなんだけど、これがひたすら気持ち悪いの。
そのうち、アルベルトとロッテは正式に結婚するんだけど、その知らせがウェルテルには送られてこなかった。あの二人もう一緒に暮らしてるよ、と町の噂で聞いてからは一段と狂気をこじらせていくわ。
外では朴訥な仮面を被りつづけていたと思うんだけど、手紙には呪詛と憎悪がのたうちまわるの」
アン「よくそんなの2回も読んだな。投げ捨てたくならなかった?」
マチルダ「図書館の本よ。大切に扱います。それに、どう着地させるのやらって気になるじゃない。
ちなみに、つまらない本を読み抜けるテクニックなんだけど、退屈な部分はどんどんとばして、とにかくゴールまで走りきるの。そのあと2周目で補完するのよ。じっくり1回だけ読むより、ずっと精神的にも楽よ」
アン「へえ。今度ためしてみる。で、ウェルテルはどうなっちゃうの」
マチルダ「自殺を決意して、くどくどと遺書をつくるのね。こんなのロッテに読ませないでよって涙目になっちゃうくらい、独りよがりの絶頂よ。
そして、下男に命じてアルベルトからピストルを借りさせてくるの。旅行に出るときは護身用に貸してもらうって約束を、知り合った頃にしておいたのね。
その夜、自分を射つ。
銃声が轟いたけど、付近住民は気付かず。翌朝になって発見され、まだピクピク動いてたみたい。アルベルトとロッテ夫妻が駆けつけた時も死にきってなくて、正午近くにようやく絶命。牧師は祈禱を拒んだわ」
アン「そりゃ自殺だからな。聖書で禁じられた行為だ」
マチルダ「おしまい」
アン「ひでえ。最低だ。よくこんな小説書けるな。悪魔の仕業か」
マチルダ「ウェルテルはたっぷり苦しんだわけだし、作者だって死後200年以上も羞恥プレイさせられてるわけだから、ある意味、因果応報よね。世間ではこういうのを恋愛って呼ぶみたいだよ」
アン「わからねえ……思てたんと違う。違いすぎる。いったい、恋愛って何なんだ」
マチルダ「ダイアナとギルバートは順調なの?まさかウェルテルと同じことはしないと思うから、そのうち本人たちから教えてもらえばいいと思うわ。
古典は所詮、ひとつの参考例でしかないものだから。あたしもあんまり引きずりたくないし」
アン「おれも忘れよう。いや、うっかり読んじまうと大変だから、作者の名前だけ忘れないようにしておきたいな」
マチルダ「ヨハン・ヴォルフガング。でもドイツではありふれた名前みたいなのよね。
ちなみに、同じ作者のファウストってお芝居ならテレビで見たことあるわ。けっこう面白かった気がするんだけど、あれもそういえばヒロインがとことん虐め抜かれて不幸になるの。作者のヨハン氏は、絶望的なまでに恋愛が苦手なのかもしれない」
アン「わからねえ……指南書つくる連中てのは、中身をちゃんと読んでるのか?」