高学年クラスには、ミス・ステイシーの教育方針になじめない者もいた。
「やりたいことを、とことん極めよ」いきなりそんなことを言われてもなあ、という感じである。
しかし、かれらは少数派だった。
めきめきと能力を伸ばし、眼をぎらつかせて時間に追われるようになっていく同級生からまったく相手にされなくなっていくと、焦りにかられだす。
そのうち勇気を出して、わたしは何に向いているんでしょうかとミス・ステイシーへ相談しに行く者も出てきた。
ミス・ステイシーは抜かりなく少数派の動きも観察していたので、たとえばあるチームがメンバーを増やしたがっていて、この子をそこへ送りこむと発展しそうだなと思えば紹介した。
だが、対人関係の構築をとりわけ苦手とする者も多い。
そんな子は、混ぜちゃダメだ。ひとりで黙々とできる課題を与えるべきである。
ちなみにここで、絵画や音楽を薦めてくる先生がいたら、要注意だと警告しておこう。
なぜかって?
わからないあなたも教育者失格だぞ。
ミス・ステイシーは、そんな相談をする生徒に、バッグからよく工具を取り出して与えた。
たとえば使い古されたラチェット。ずしりと重い。
「これをカバンの底に入れて、毎日持ち歩きなさい。苦にならなくなってきたら、もっと重いアイテムに替えてあげる。とりあえず体力だよ」そうミス・ステイシーは言う。
半信半疑で生徒は従う。
春先になると、7ポンドもあるスレッジを悠々と振り回す者も現れた。
彼女たちはたとえ変質者に襲われてもこれで撃退してみせるという自信があるから、顔つきまで凜々しくなっている。そんな想像をくゆらせるようになってくると本格的な護身術だって学びたくなるし、もっともっと体力をつけたくなるさ。
「いろんな工具を集めてログハウスを自作してみたい」と言い出す子もいれば、「カヌーを作ってセント・ローレンス湾をひとめぐりするんだ」なんてのも。
10歳頃まで夢を持たずに生きてきた子は、その先も、孤独を好むものだ。
絵画や音楽に熱中できる素質があれば、とっくにやってる。
それをいまさら、金儲けだの、有名になれるだのといったスノビズムをちらつかせながら訳知り顔のオトナが薦めてきたら、バールでもドリルビットでも手近にあるものなんでも使って撃退してやれって話だよ。
始末したあと、同じ道具で棺や十字架を作ってやるのも一興じゃないかね。
夏を迎える頃になると、工芸に目覚める者が育ち始めた。
その子は毎日、椅子をつくるが、なかなか満足できないらしい。
家族からも、そんなに要らないと迷惑がられるので、先生に相談する。
売ってみようか、ということになる。
ミス・ステイシーは、町に住む友達にインターネットでの販売を委託し、実費と手数料を差し引いた純利益の50%を制作者に現金で支払うという契約を交わした。
自分の作品が売れて、お金に換わり、見知らぬ使用者からの感想がもらえる。子供にとってこのインパクトは大きい。
ちなみに制作者のプロフィールは隠されており、コメント欄では勝手に「片田舎のおじいちゃんが道楽で椅子づくりを愉しんでいる」というストーリーが生まれて盛り上がっているようだ。
子供相手だと知れば居丈高に振る舞う輩も湧いて出ようし、奉仕精神で買ってあげるのだと偽善をこじらせる手合いも生んでしまうだろうが、ミス・ステイシーは誰の夢をも守ってみせた。
すべからく創作物に付随するストーリーとは調味料のようなものであるが、まぶせばいいってもんじゃないのである。俗にプロと呼ばれる大人ほどこんなことすらわからなくなる現象は、不思議だし異常だよなあ。
学期末を迎える頃、このムーヴメントは新たなる段階へ達した。
椅子職人を嚆矢として、同様の契約で作品を売り始めるアーティストの群れができつつあった。
群れといっても互いに連携はしない。意識さえせず、各人が黙々と自分のしたいことだけをする集団だ。
それでも、シンボルとなる名前およびアイコンが欲しいよね、という声が囁かれる。
名乗りたい者が名乗ればいい。でもそれ以上の味は付けない。
自分たちはきっといつかオトナになってしまうんだろうが、この村で過ごした一時期のことを、ずっとずっと大切に覚えていることだろう。
それに唯一無二の名前をつけて、いつでも秘密の花園へ戻ってこられる合鍵にしておくんだよ。
さて何がふさわしいだろうね。
ごく自然な流れで、アーティストたちに弟子入りを希望する同級生も現れだす。
観察してみると面白いが、弟子たちはまあまあ人並みの社交ができる子ばかりだ。
アーティストは、他人に自分を合わせていくという難業が、とにかくできない。だからたいてい迷惑そうにして弟子たちを追い払うのだが、社交家はそんなアーティストにもある程度合わせていけるので、ほどよい距離を保って、お邪魔にならないよう細やかな世話を焼く。
弟子は決してアーティストになぞなれないが、それでも憧れのアーティストの傍にいられて満足だろうし、実際、アーティストの社会的負担を軽減させて作家生命を延ばすことに貢献しているのである。
これは、お互いがそう理解しあえてさえいれば最強の共生関係になりえるはずだ。
誰かのために創ってあげる。それができるくらいならアーティストなんて気取らずに好きなだけ社交して楽しく暮らしなよ。
その子は、やっとひとつのやりがいに出会えたばかりなんだ。そっとしておいてほしい。
たのむぜ。心から願う。