油断した。
アンは、ヘレンを寝かしつけ、そのあと簡単な間仕切りで隔てられた専属メイド待機室のベッドへと潜りこんだ。
預けられていた鍵束は、保管場所に指定されていた金庫が信用できなかったので、アンの背丈でも届かない、クローゼットの天板上に隠した。
それを、夜中のうちにヘレンは見つけ出したのだ。
アンは早朝、間仕切りも、廊下への扉も開けられないことに気付いて、経緯を推定した。ヘレンのいる側へ向けて聴覚を研ぎ澄ませる。鍵束をじゃらじゃら鳴らして遊んでいるようだ。やがてドアを開けて出ていった。アンは行動を開始する。
使用人部屋には刃物や工具など当然置かれていない。だがメモ用紙とボールペンはある。ボールペンを分解。スプリングを取り出す。伸ばす。間仕切りは単純なドアで、使用人側からだけ鍵をかけられる構造だ。ホイ、解錠。シンプル・イズ・ベストだね。
音から、ヘレンが鍵束をぬいぐるみの綿の中に押しこんで隠したことが察せられた。彼女に聴覚が備わっていたら、もっと慎重にやっていただろう。
べたべたに汚れた動物たちがいくつも並んでいるが、奥の方にある、ヨダレの乾いてないテディベアが怪しいぞ。
こいつかな。ビンゴ。
内臓からは数々の戦利品が出てきたが、鍵束だけを頂戴し、残飯はきれいにお返しする。さてと、朝っぱらからカロリー消費しちまった。もうひと寝入りしようかな。
怒り狂うヘレンとの朝食会も、摂取するより消費したカロリーの方が大きかったかもしれない。アンが慣れるまではパーシイが手助けするようにと命じられている。ま、家族にやいのやいの口出されながら戦うよりはなんぼかマシだけどよとアンはヘレンの噛み跡を誇らしげに眺めながら愚痴る。
パーシイ「前の担当だったマーサも、生傷が絶えなかったよ。でもヘレンお嬢様とはずっと仲良くやっていた。先月たまたま旦那様に、お嬢様の頬を撲つところを見られちゃって、めちゃめちゃ怒られてね。あっさりクビさ。だからみんな途方に暮れてたんだよ。アン、僕たちができる限りかばうから、辞めないでおくれよ」
アン「てめえも、たいがいカスだなパーシイ。だから奴隷は嫌いなんだ。いちばん病気が深刻なのはこいつの父親じゃねえか。ヘレンをおしとやかにさせたいんなら、この家全体にストレスをかけまくってる元凶をまずはギタギタにしてやんなきゃなんねえ。そこをまず、わかってるか?」
パーシイ「あ、なんか、その、ごめん。よくわからない」
アン「ちっ孤立無援かよ。ったく、もっと武器が必要だな。パーシイ、おれは糖分が欲しい。アイスクリームをくすねてきてくれ」
パーシイ「いただいてくるよ。なに味がいい?」
アン「なんでもいいから手に持てるだけ持ってこい。急げ!」
アンはパーシイを相談役に、思うまま雑感を吐き出した。少年従僕パーシイには大した実力も、ブリュエット家に対する発言権だってありゃしなかったが、人物相関図を説明させて性格づけも付与する程度の補佐ができれば充分だ。
ヘレン・ブリュエットについてもプロフィールが肉付けされた。
生まれつきの障害者ではなかったらしい。1歳半で熱病に罹り、一命はとりとめたが視覚と聴覚を失った。以来、この家から出たことはない。ただしどこにでも潜りこむし、階段なども駆け回るが怪我ひとつしたことがない。窓から木を伝って庭へ出たことすらある。
家族も使用人も、各自の活動領域に応じた鍵束を携帯し、ヘレンを通させたくない扉はこまめに施錠する。とくに昨秋生まれた実妹に対するヘレンの憎悪は重大な懸念材料だ。アンもパーシイも、ミルドレッドの部屋周辺へ近付くための鍵は持たされていない。
こんな事件が起きたそうだ。
ヘレンは、昔、自身が使っていた揺り籠を、お気に入り人形たちの寝床にしていた。これが取り上げられ、生まれたばかりのミルドレッドのために使われる。
初対面の瞬間、ヘレンは揺り籠をひっくり返して妹を床に叩きつけ、足で踏みつけようとした。その場にいた大人たち全員にとって、この光景は深い深いトラウマとなる。
アンも、深く溜息をついた。
アン「それからますます、ヘレンはいろんなものを取り上げられるようになったわけか。体は大きくなって力も強くなっていくのに、したいことを次から次へと奪われて。遊び仲間のマーサさえ、突然いなくなっちゃった。
感情を持つ動物に対して、あまりにも酷い仕打ちじゃないのかい。
で、おたくさんたちは、この後どうしたいわけ。全員が、心の底ではヘレンさえいなくなってくれればと願ってるようにしか感じられないんだけどね。
それが一番簡単な解決案じゃないかなとは思うよ。捨てる場所にも事欠かないしさ。でも、更に深いトラウマが漏れなく一生ついてくるよね。
だったらもっといい解答を考えようぜ。
きいてんのか?ウスノロ」