9月から、高学年クラスの担任はミスター・ドビンズが受け持つ。
信じられない、という反応を示した者はごく僅かだった。
わざわざ解説が必要だろうか。いらないよね。
ちなみにドビンズ本人はすべての理由をわかっていたがゆえに、猛烈な拒絶を示した。
そのため契約条件をより厳しくさせられた。
もはや奴隷ですらない。
ドビンズはつい愚痴をこぼす。「今の私はブラック・ビューティーよりも悲惨だ」
役人は激怒する。「ブラック・ビューティー自身には過失など一片も無いが、あんたのは何から何まで自業自得だろう」
周囲の全員が、深く頷く。
これ以上語るのはやめよう。雰囲気が暗くなるだけだ。
はい、次の話題はこちらです。
生徒たちは常にあっけらかんとしていた。
ここには分析が必要か。
一年間、ひたすら好きなことをやらせてもらえた。そうすると自身の限界にも気付くし、同じことを続けているだけでは初めの頃ほど、ときめかなくもなる。
もちろん更に更に深く深くのめりこんでいく者だっていなくはなかったが、そうなればなったで高額な器材が欲しくなってきたり、都会へ出ていく必要も感じたりするようになって、結局、足りないものを補うために苦手な分野へも努力を傾けなくちゃならなくなるわけだ。
ミス・ステイシーがもう少し傍にいてくれたら、まだまだ挑戦を続けたい者だっていただろう。
しかし日常が戻ってきた。
そう、齢くってることをなぜか自慢する教育マシーンが自画自讃ばかり奏でるのをただ拝聴するというカリキュラムは、子供たちにとってかつては日常だったものだ。再び受け入れることに困難は生じなかった。
無意義なことこの上無いが、インターヴァルだと思えば、次に備えておくための発酵・熟成期間として大切にするべきだ。
マシーンもそれをわかってか、感情の起伏を殺し、聴衆が寝てても絡んでこない。
だから子供たちには余裕があった。
あっけらかんとしていられた。
つまり非常に良い関係性を保っていられたわけである。
しかしアンやダイアナには刺激が足りなさすぎた。
そこへタイミングよく、マダム・クラリスからの招待状が届く。
9月前半の週末には州都で秋の大収穫祭が開催されるのだが、今年こそはいらっしゃいよという。
いいね、と二人は泊りがけの旅行計画を立てた。前後合わせて10日から2週間、学校を休む。
準備万端整えて、いざ、コッパー・ビーチズへ出かけた。ぶな屋敷という意味である。マダム・クラリスの本宅だ。
オーチャード・スロープと同じくらいの敷地だった。大邸宅だと聞いていたのだが、都会の土地事情基準では、だったようである。
風雅な庭園には獰猛なマスチフ犬が放し飼いにされている。
邸内には写真現像用の暗室などもあり、老婆ひとりを世話するのに6名くらいの使用人が雇われていたりと、アンの興味を駆り立てるには充分すぎた。
原稿料と印税収入ですべて賄っているというから、なお驚きだ。
アン「ミステリ作家って、儲かるんですねえ」
クラリス「儲けたいなら政治家を目指しなさい。あるいは広告屋を。
作家は儲かりゃしないわよ。ただ私は社交が嫌いだから使い途が無くて貯まるだけ。税金対策でこんな散財をしてるけど、本音は使用人よりも動物を増やしたいくらいなの」
アン「なぜそうしないんですか?」
クラリス「別れがつらくなるでしょう。それに執筆中、使用人なら静かにさせておけるけど動物たちにそんなストレスは負わせられないわ。
一頭につき専属の使用人をつけるとなると結局人間の数も増えていっちゃうし、その子たちが私よりも使用人の方になつくのも面白くないじゃない。
昔はそんなジェラシーも、小説の中で昇華できてたんだけどね」
アン「マダムの小説に、それほど動物は出てきませんよね。人間たちの愛憎のもつれがほとんどだ。
使用人たちを増やして観察していた方がずっとネタ集めには役立ちそうに思いますが、そういうわけでもないんですか」
クラリス「大きな誤解を感じるわ。小説ではページをめくるたびにアクションを起こさなくてはならないけど、それを書いている家の中ではどんなトラブルもあってほしくないの。
ネタ集めは外地でしかしません。戦争と一緒よ」
アン「そりゃそうだ。まったく失礼いたしました。
ちなみに、外地への旅行はよくされるのですか。取材として」
クラリス「やはり誤解があるみたい。
ミステリ作家が、素顔を曝していようがいまいが、これからあなたの家や職場で殺人事件を起こしたいから取材させてください、なんてノコノコ歩いて回ると思う?
それはジャーナリストという、脳細胞を使わなくてすむ人たちの発想。かれらは文字数を稼ぐために、出版社へ取材費をねだりに行くところから原稿に含める人種よ。
犯罪や諜報戦を扱う作家は、取材中ですなんて顔で取材なんてしないの。
あなたにはそんな話をしたことあるわよね?ダイアナ」
ダイアナ「アンにはずいぶん丁寧に教えてあげるのですわね、おばあさま。
ところでさっき、ジェラシーを小説で発散させるみたいなことを仰っていたかしら。リアルなロマンスの経験は、どれほど作家の肥やしになるものなんでしょう。
そんな秘伝を、そろそろおばあさまから学ばせていただきたいわ」
アンは夢中になって聴いていた。
心にぽっかり空いた穴が、どんどん満たされていく気分だった。
2週間といわず、ずっとここに住みたいと思った。