コッパー・ビーチズには電子錠のかかった小部屋が多い。
すべてを開けられる権限を持つ使用人はおらず、まして客人はそのどれにも近寄れない。
アナログ式カメラの現像を行う暗室だったり、高価なワインを寝かせていたり、空気に触れさせると崩れてしまう酸性紙でつくられた本を取り扱う部屋だったりと説明はされるが、んなわけねーだろとアンは思う。
まだ核シェルターだよと言われた方が納得もするが、だったら緊急時すぐ入れなくては困るよな。
二重扉の奥で生き物を飼っている気配もするから、獣を閉じこめているんだろうとまでは想像する。
邸の内と外とを歩測して不完全ながら図面をつくると、部屋ごとの広さや窓の有無を推定することができるけれども、まず外壁沿いの窓についてはすべてダミーだ。カーテンがかかっており、そのすぐ内側はやはり壁である。
二階の部屋に限り、天窓から採光しているようであるが、ドローンなどで上空から撮影したとしても、まっすぐ部屋の中を検められるとは思えない。
マダム・クラリスは建築士の国際資格を取得している。当然この邸も自身で設計したという。
アンはかつて、田舎の村では死体を隠し放題だ、なんて冗談を囁いたが、そんな了見じゃ軽犯罪がせいぜいだと身を引き締めた。
プロフェッショナルはもっと高次のレヴェルから手を回す。
アマチュアごときとの間には、高い高い壁が聳える。
ミステリ作家なんて老後の道楽でやってることだ。小説なんて儲かりゃしない。
マダムはよくそんな風に言ってのける。
アンは彼女への尊敬を日増しに濃くする。
あこがれる生き様だ。自由すぎる。なんてパワフル。
クラリス「密室殺人は書き尽くされた、なんて100年前から言われているけど、当時の建築技術でだって既出の何倍でもヴァリエーションが書けたわよ。
現代技術をもってすれば、シークレット・マーダー・ルームなんて作り放題。
建築業界の腐敗体質まで言及すれば資金調達の方法だっていくらでも捻出できるの。でも、そんなミステリはこれから100年経っても現れないでしょうね」
アン「マダムが書こうとしない時点で、タブーなんだろうなって察します。
本職の建築家やってた割に、それを匂わせた作品は書かれてませんよね。
わざとなんでしょ?」
クラリス「古巣の怨みを買いたくないですもの。
それに新旧建築士を笑わせる、あるいは震えあがらせることができるアイデアは無限にあるけど、一般読者を沸かせることは途轍もなく不可能に思えます。
読み捨て小説にお金を払う人たちはね、遠い世界のことを学びたくなんかないの。説教されることだって大嫌い。
かっこいい探偵にはあこがれるけど、完璧すぎても人気が出ないものよ。頭はいいくせに、こんなことが苦手なんだ。っていう弱点をさりげなく用意しておくことが、愛される秘訣。
同じことが作者に対しても求められます。
今度の新作は、まあ80点かな!みたいなことをね、言いたいものなのよ読者は。その隙を作っておくことも、シリーズを続けさせてもらえる秘訣」
アン「なんだか夢ぶちこわしですね。マーケティングの都合だけで何もかもが決められちゃうみたいだ」
クラリス「マーケットですもの。その中で生きていくつもりなら迎合しなくちゃ。
だからこそ、アマチュアならアマチュアらしく生きなさいと言ってるのよ。告訴される覚悟で、いちばん嫌いなやつを名指しで惨殺してやればいいわ。
ただ出版社は味方してくれない。むしろ妨害する。
孤独な戦いよ。でも、もともと孤独だった人には、そこは障害にならないですからね」
アン「よくわかりませんが……孤独か。
いま、ふと、ある女の子のこと思い出しました。
彼女、幼い頃に視覚と聴覚を失ったんですが」
クラリス「ヘレン・ブリュエットのこと?聞いてるわ」
アン「ああ、そうか。御存知でしたよね。
彼女……ヘレンは、孤独でした。
光と音を閉ざされたからではなく、そのことによって周囲の全人類が、彼女とのコミュニケーションを閉ざしたからです。
誰ひとり、ヘレンの叫びを聴こうとしなかった。抑えつけ、囲いこみ、無視して、遠ざけて、凶暴化するままに放置してたんです。
そりゃ怪獣ができあがりますよ。
いつでも殺される覚悟で、いちばん嫌いなやつに全体重をぶつけていく。それが常にヘレンのポリシーでした。
あれが、孤独の先にあるものか……」
クラリス「出版社へは毎日膨大なアマチュア原稿が送られてくるんだけど、時々、何十年も深い深い孤独をこじらせた作者の投稿を見るの。
私が読ませてもらえるのは既に何人もの社員が傑作と判定した作品ばかりなんだけど、絶対に出版はできないのよね。
助言もできない。直したらその勢いが死ぬもの。
出版社としても返信はせず、一年間保管したら処分するけど、プロがすべてではないわ、と教えてあげたくは思うわね」
アン「ヘレンは、おれと入れ替わりで雇われたサリヴァン先生の指導で、言葉によるコミュニケーションの特訓を始めました。10年間の全生涯にわたって溜めこんできた怨念を、形にしてぶつける技を覚えてるんです。
食事中でも休まず、点字の本を読みあさってますよ。
もし彼女が将来、小説を書くとしたら、全世界の出版社が一目散に逃げ出すほどのクライム・サスペンスが生まれるかもな。
ヘレンは躊躇さえしない。
彼女の前には何ひとつ、障害なんて無いんだから」