緑きりつま、赤毛きたれり   作:ひねもす@HAMELN

89 / 190
§89.笑ってばかりいた

9月末。

マチルダ・ウォームウッドはアンから箱一杯のお土産をもらった。

本だ。

州都シャーロットの新古書店で叩き売りされていたミステリやSFを買いこんできた。もともとアンが自分で読む用だったが、マチルダが興味を示したので学校へ持ってきて、ミス・ジェニファー・トランチブルへ預けた。

3人で手当たり次第に回し読みして感想戦をしようという展開になる。

 

マチルダ「これからも機会があったら、図書館では絶対に置いてくれない本をお願い。悪趣味なものほど良いわ。

もったいないから一日一冊にとどめて、じっくり味わわなきゃ」

 

アン「パンドラの匣を開いちゃったな。

ミス・ジェニファーも御乱心されているようだし。

需要って、あるものなんだな」

 

マチルダ「大っぴらに好きだと言いづらいから、より興奮できるのだと思うわ。恋は障害が大きいほど昂るらしいけど、きっと同じ原理ね」

 

アン「ヨハン・ヴォルフガングはこの境地に達することができなかったんだよ。マチルダよりずっと幼稚だ」

 

マチルダ「世界名作文学全集に収録されるような小説でも誰彼かまわず性器をおっぴろげたがるのはマリアンヌ人くらいだと思うけど、社会の隅々にまで破廉恥が染み渡りすぎちゃうと、ロマンもへったくれも無いのよね。

あたし今ではウェルテルを恋愛小説だと認めてるの。あんなに思いつめるなんて、いくら童貞をこじらせてもなかなかできないわよ」

 

アン「そうだな。マシュウがあそこまで悩む姿も想像できないしな」

 

マチルダ「それから、アンが話してくれるマダム・クラリスの横顔にも惹かれるの。作品だけを読んで想像するイメージとは結びつかないから。

古典の作者でも、暗い暗い闇の世界を描く人ほど、日常では笑ってばかりいたのかもしれないわね」

 

アン「マダムは古典を読まないんだって。

大衆に受け入れてもらうには、アカデミズムってものが随分と邪魔になるらしい」

 

マチルダ「一理あるけど、大衆だって最下層の人たちは活字だけの本なんて読まないし買わないでしょう。テレビを見るのだけが生き甲斐だって人、いっぱいいるわ。

ミステリの愛読者って、教養あって今よりもっと賢くなりたいとも思ってるけど社会的地位が伴っていない、そんな人たちじゃないのかしら。

作者を辛口批評したがるし、他人を嘲ることにも必死になりやすい。そんな単一性指向の層を狙って商品をつくりつづけるなんて、どれほどのストレスかしらと思っちゃうのよね」

 

アン「だから次々と人を殺していく物語ばかり書くし、書かずにゃおれないんだろうなあ。素人には近寄りがたい壁を感じるよ」

 

マチルダ「でも、いいじゃない。そんな憧れの大先輩からスカウトされたんでしょ」

 

アン「まあ、そうなんだが。

あのときおれは魔法をかけられてたんだな。村へ戻ってきたら、すべてが夢だったようにしか思えない」

 

マチルダ「夢でいいじゃない。夢を追いなよ。アンにはできるよ。どこまでも羽ばたいていきなよ」

 

アン「マチルダも来いよ。おれが連れてってやる。おまえの方が絶対、高く翔べる」

 

マチルダ「うれしいけど、無理だよ……ウォームウッド・モーターズの跡を継がなきゃならなくなるかもしれないし」

 

アン「……え?」

 

マチルダ「聞いてくれる?

……ええとね。

兄と父が、戦争をはじめました。

我が家はいま、メチャクチャです」

 

アン「え……どのくらいの規模で?」

 

マチルダ「まだ死人は出てないわ。

マイケルは今13歳なんだけど、昔から、言い寄る女はいっぱいいたのよ。ウォームウッドの御曹司だから。店に似て、ガラの悪いのばかり」

 

アン「……」

 

マチルダ「ポルノ動画の真似事もさんざんやってきてたようだけど、そろそろほら、射精ができるようになって、ますますやりまくってたみたいなのよね。避妊なんて、考えもしないで」

 

アン「……………」

 

マチルダ「母が、エアロビクスで汗を流した後しっかりカロリーを補給しましょうっていう婦人会を取り仕切ってるんだけど、そこで話題にのぼったらしいの。

妊娠疑惑が止まらなくなって、まず母が半狂乱。

父は兄を初めて殴り、兄も生まれて初めての反抗を経験。

テレビを何台買い替えたことやら。

ま、兄が家を出ていってから、少し静かになったけど」

 

アン「そ、あの……おい、ちょっと落ち着かせてくれ。いきなりすぎて呼吸が苦しい」

 

マチルダ「ごめんね。あたしも初めて言葉にしました。

ミセス・フェルプスにも言ってないのよ。あたし帰宅前には憂鬱になるから、なんとなく察せられてる気配は感じるんだけど」

 

アン「どど、どっどど、どう。なんで、なんでおまえは、なんで今まで、自分ひとりで」

 

マチルダ「それでね。父は実務家なので、兄を連れ戻して矯正する計画と共に、もっとまともな後継者を選んであたしの婿にさせようという作戦も俎上に載せました。

でもほら、あたしってウォームウッド基準ではどうしようもないデキソコナイじゃない。どこの練兵場へ送りこんで鍛えさせるかと、毎日揉めに揉めてるの。あたしのいないところで」

 

アン「マチルダ。今すぐおまえを連れ出してやる。家出だ。今日はすぐ帰って荷物をまとめろ。夜、迎えに行く」

 

マチルダ「やめてよ。これ以上、父も母も泣かせたくない。

いい解決法が見つかったら、あたしからお願いするわ。それまでは何もしないで」

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。