この秋、アンは新しい趣味を始めた。
農薬を原料とする化学実験を以前にも挑戦したことはあった。だがそれでマリラが窓から落ち足を怪我するという惨事を惹き起こしたので、しばらく封印した。
今回はその再挑戦から発展させてみたのだ。
肥料の香りを身にまとわせたい乙女は滅多にいないと思う。いくらアンでも好まないし、マリラはもちろん、マシュウだって家の中にそんな臭気が漂っていたら食事を愉しめない。友達だって減るはずだ。
しかしアンの好奇心はひるまなかった。
とくに今度の目的には大量のアンモニアが必要とされるので納屋の一角を使わせてもらう許可をとり、消臭に気を遣いながら、黙々と精製に勤しむ。
原料のもうひとつは、海岸が産地だ。
アビグウェイトではムール貝泥土と呼ばれているが、島内各湾で豊富に採れるこの泥は可塑性が高くて、不安定な構造の分子をよく吸着する。うまく配合するとパテのような塊となり、成形がしやすい。
つまり、大きなものでも小さなものでも、自由自在につくることができるのだ。
効果的な演出を絡ませるため、タイマー装置も準備する。
昨今、時計なんてタダ同然で売られているから、町へ出たとき箱買いしておく。シビアな精度は要求できないが、複数同時に起動させるといった作戦を立てるのでなければ、さしたる困難でもない。
アンの工作はとことんチープで、しかし異様に細やかな手仕事であった。
黙々と、楽しみながら取り組んだ。
製法や注意点は、基本的に本から学んだ。
人類はこの道具を1000年以上前から手に入れていたというし、ヨーロッパで盛んに開発が進んだのは19世紀後半である。文献には事欠かない。
当時の物好きは皆、自宅で研究したものだ。
アマチュアお父さんたちが庭いじりの延長で、気がついたら夢中になってしまっている、そんな道楽の類である。
もちろん現代では際限なく進化したハイテクノロジー製品だって登場しているけれど、アンはそんな高みを目指さない。戦争を始めたいわけではないんだからさ。
見渡せる範囲、手の届く限りの空間で、ちょいとばかりエキサイトしたいだけだ。
そんなこと、わきまえてる。
これこそ、アン・シャーリーという乙女のポリシーに他ならない。
シェパード「どう考えても売れないな。臭うし、嵩張るし、金属探知機にも引っかかる。移送中に一度でも事故を起こしたらブランド生命が終わる。
ブラックマーケットに販路を限定して、確実な運び屋をつかまえてからでなくては、扱いきれないよ」
アン「ブラックでいいじゃん?」
シェパード「簡単に言ってくれるね。安い料金で、預かった品をただ運ぶだけのホワイト企業さんたちと違って、ブラック同士は相手のことを洗いざらい調べるまでは商談が進まない。
よほど実力をつけてからでないと、一方的に毟られるだけの関係で終わるぞ」
アン「天下のシェパード商会でも難しいのかい?」
シェパード「姉弟ふたりでチマチマ里親仲介業やってる会社に無茶いわないでくれ。将来君たちが揃って入社し、我々のために骨身を惜しんで働いてくれるようになってからなら、もっと手広く経営していくことだって可能かもしれないが」
アン「ふうん。いいよ。それまで会社、つぶさないようにしてくれよな」
シェパード「それがどれだけ大変なことか。君にもいつか、わかるのかな」
アン「おれが就職する頃には、会社の規模が今より大きくなっているとして、おれにはその維持と、更に成長させていく責務が課せられるわけだ。今のあんたより、おれが生涯かけて立ち向かう艱難辛苦の方がずっと厳しいはずだと思うんだけど。
そんなこと言ったら傷つくかい?」
シェパード「いや。その通りかもしれないな。悪かった。君に愚痴を漏らすなんて大人げなかったよ。
できるだけ君に負担をかけない状態でバトンを渡せるよう、僕たちは僕たちなりに働いて第一走者を務めあげよう」
アン「おれ、息抜きにSFを読みあさってるんだけどさ。
昔のSFって科学の入門書からワンフレーズとってきた程度のモチーフで短編でも長編でもガンガンつくられてたんだよ。それでも珍しがられたから売れに売れたんだ。
第一走者の作家さんたちは成功なんて求められていなかったし、やりたい放題に処女地へ種を植えてまわった。
いい時代だったろうねと思うんだけど、すっかり空き地も無くなった100年後の惑星で同じ成果を他人に求めてばかりいる連中てのにはウンザリするよ。
現代作家は最新の科学論文からインスピレーションを得て、緻密かつ大長編のSFを書いちゃう。労力も情報量も原始時代とは桁違いなんだけど、ついてこれる出版社が少なすぎて評価されないのは不憫だなって思う。
だからおれはそんな高みを目指さないんだ。
素朴なモノづくりを楽しんでいられるうちが華だと思ってるよ。
需要もきっとあるはずなんだが、しかし売れないのは困ったね。どうしよう、調子にのって作りすぎちゃった在庫がしこたまあるんだ」
シェパード「近場で戦争でも始まればなあ。いくらでも買い手はつくんだが……」