俗物少年合理君 作:この俗物怪物くん
合理正義は、制服についた土をパンパンとはたきながら、転がっていたのび太へ手を差し伸べた。
「大丈夫かい、野比くん。酷い目にあったね。家まで送るよ」
声は優しく、笑顔も完璧だった。だが、その内心は冷徹そのものだ。
(ふむ。ジャイアンによる暴行は想定内。これをきっかけに“野比家”への潜入が可能になる。そこに『22世紀の猫型ロボット』が存在する確率は限りなく高い。ここで距離を詰めておけば、後々の交渉で有利だ)
のび太は、すでに涙と鼻水で顔が大変なことになっていた。
「う、うん…ありがとう合理くん…」
フラフラ歩くのび太の隣に並び、合理くんは表情一つ崩さず歩調を合わせる。
(やれやれ…利益追求も、時に“親切”の仮面をかぶる。それが合理性だ)
数分後、野比家。
玄関を開けたのび太に、待ち構えていたのはやはり――母、野比玉子の怒号だった。
「またあなたという子は!顔を泥だらけにして!宿題もしないで遊んでばっかりで!」
「ひぃぃ…」のび太はランドセルごとしぼんでいく。
合理くんは横目で観察しながら、(なるほど、これが“野比ママ”。支配力は強いが論理構築が甘い。介入余地あり)と冷静に分析を始めていた。
だが、ママの説教を制するように、居間からひょっこり現れた影があった。
「まあまあママ、のび太くんもやられっぱなしで可哀想なんだよ」
ずんぐりした青い体。丸い顔。四次元ポケット。
その姿を見た瞬間、合理くんの目がキラリと光った。
(青い体、猫型のフォルム、そしてポケット――間違いない。観測対象A『ドラえもん』。接触に成功した。ターゲット確認)
にこやかな顔の裏で、心の中のメモ帳に太字で記録を残す合理くん。
のび太はというと、「ドラえもん…」と泣きつき、ドラえもんはよしよしと背中を撫でている。まさにお約束の光景。
しかし、そこで合理くんがスッと一歩前に出た。
「奥様、失礼ですが」
ママの説教がピタリと止まる。見れば、そこに立つのは見慣れぬ転校生。姿勢は正しく、声は落ち着き、瞳は妙に冷静。
「本日、のび太くんは剛田くんから頭部への暴行を受けました。現状、優先すべきは学習ではなく、医療機関での精密検査です」
「えっ…?」
「脳へのダメージは不可逆的な後遺症を残すリスクがあります。例えば記憶障害、注意欠陥、情緒不安定…場合によっては将来の学業や就労にも支障を来す危険性がある。そうしたリスク管理を怠るのですか?」
合理くんの口は止まらない。まるで機関銃のように正論を連射する。
「…え、あ、はあ…」
ママは珍しく気圧され、言葉を失った。両手の腰当ても解け、思わずしどろもどろに後ずさる。
「そ、そんな大げさなこと…」
「大げさではありません。僕は事実を述べているだけです。家庭教育と学習指導は大切ですが、それ以前に安全と健康が最優先されるべき。義務教育下であれば、保護者にはその責務が課されている。違いますか?」
「そ、そう…かしら…」
ママの表情が完全に崩れていく。普段なら絶対に止まらない“お説教タイム”が、論理の弾丸に撃ち抜かれたのだ。
居間の隅で見ていたドラえもんは、ぽかんと口を開けた。
「な、なんだこの子…」
のび太はというと、頭にばんそうこうを貼られながらも小声でつぶやいた。
「すごいよ合理くん…ママを黙らせた人、初めて見た…」
合理くんは微笑んだ。
「当然のことをしただけさ」
だがその裏では冷たい声が響いていた。
(母親への支配力は弱点。ここを抑えれば、野比家への出入りは容易。ドラえもんへの接近ルート、確立成功)
夕方の野比家。
ママは「ちょっと病院行ったほうがいいわね…」と弱々しくつぶやきながら台所へ去り、居間にはのび太、ドラえもん、そして合理くんだけが残された。
「合理くんって…ほんとに転校生?」ドラえもんが怪訝な目でじろりと見る。
「もちろん。僕はただ、友人を助けたいと思ってるだけだよ」
にっこり笑う合理くん。その笑みは柔らかい。
だが、その裏で――
(青いロボットよ、僕の合理の前では君も“観測対象”だ。これから徹底的に調べ尽くさせてもらう)
合理正義の瞳は、夕焼けに赤く照らされながら、不気味に光っていた。
夜の剛田商店。シャッターを下ろそうとする剛田パパの手が止まった。
静まり返った通りに、黒塗りのセダンが一台、音もなく滑り込んできたからだ。
「な、なんだぁ?」
どこか場違いな高級車。運転席から降りてきたのはスーツ姿の男。いかにも“官僚”という空気をまとった風貌。眼鏡が夜の街灯にぎらりと光る。
そして後部座席から、にこやかに手を振って降り立ったのは合理正義だった。
「こんばんは、剛田商店の皆さん」
場に似つかわしくないほどの爽やか笑顔。しかし、その目の奥には冷ややかな光が宿っていた。
「お、お前は…!」ジャイアンはギョッとし、店の奥から顔をのぞかせる。
背後からは剛田ママも出てきて、「お客様?今夜は閉店でして…」とおずおず言う。
「いえいえ、お買い物ではありません。本日は、正式なお話をしにまいりました」
合理くんはにっこり笑うと、横に立つスーツ男に小さく合図した。
スーツ男は無言でアタッシュケースを開き、中から三つの資料を取り出した。
「……証拠です」
合理くんは淡々と説明を始める。
まず一枚目。
「こちらは、医師による診断書です」
すっと掲げられた紙には、黒々と文字が踊っていた。
――全治一週間の打撲、および脳震盪の疑い。
「えっ」
剛田ママは青ざめ、ジャイアンも「な、なんだよそれ!」と慌てる。
「本日の午後、僕と野比くんは暴行を受け、医療機関で診察を受けました。これがその正式な診断書です」
合理くんは笑顔を崩さずに語る。
「打撲の痛みはまあ、大したことではありません。しかし“脳震盪の疑い”という文言。これがポイントですね。不可逆的後遺症を残すリスク。裁判官の心証を動かすには十分な要素です」
剛田パパがごくりと唾を飲んだ。
次に合理くんは、制服の胸ポケットから小さなカセットを取り出した。
「そして二点目。マイクロカセットレコーダーの音声記録」
スーツ男が持っていた再生機にカチリと装填し、スピーカーから声が流れる。
《のび太!てめえの漫画、俺様が読んでやるから貸しな!》
《だめだよ!買ったばかりなんだ!》
《なんだとォ!》
ドゴッ!!
《ぎゃああ!》《ぐふっ!》
……生々しいやり取りと衝撃音に、その場の空気が凍りつく。
「ち、ちがうんだ!それはだな、その…!」ジャイアンが慌てて言い訳を試みるが、合理くんは首を振る。
「音声は事実を語ります。編集はしていません。裁判所で提出すれば、一発アウトです」
にこりと笑いながら、合理くんは三点目を取り出した。
「最後に、これをご覧ください」
封筒からスッと取り出されたのは、一枚の写真。鮮明に写っているのは、拳を振り上げるジャイアンと、怯えるのび太。
「なっ、なんでこんなものが…!」
「僕の護衛が後方から撮影していました」
合理くんはさらりと告げる。
「……ほ、護衛!?」剛田パパとママは声を揃えて叫んだ。
「そう、僕が一人で歩いているとお思いでしたか?まあ、俗物な家の子どもには縁のない話かもしれませんが」
ジャイアンは顔を真っ赤にして吠える。
「お、俺は悪くねえ!これはただの子供のケンカだ!」
合理くんはその言葉を聞いた瞬間、にっこりと笑みを浮かべた。
「そう言うと思いました。ですが、残念。これは“子供のケンカ”というフェーズを越えています」
声は笑顔と裏腹に冷たい。
「診断書、録音、写真――三点セットで揃った証拠。これらが意味するのは、明確な加害行為。強要、暴行、そしてその結果の傷害です」
剛田ママは両手を口に当て、剛田パパは顔色を失って座り込む。
合理くんは静かに、しかし確実にとどめを刺す。
「つきましては、治療費、慰謝料、そして何より僕と野比くんが被った精神的苦痛に対し、こちらとしては正式に民事訴訟を提起させていただく所存です」
にこり、と笑顔。だがその声は冷たく、空気を震わせる。
「……ご準備いただけますね?」
沈黙。
剛田ママは崩れ落ちるようにその場にへたり込み、剛田パパは額の汗を拭うばかり。
ジャイアンは顔を真っ赤にして「ち、ちくしょう…!」とつぶやいたが、それ以上言葉は続かなかった。
合理くんは深々と一礼し、父親とともに車に戻る。
黒塗りのセダンは音もなく去っていった。
取り残された剛田一家の顔には、絶望の二文字が刻まれていた。
夜の剛田商店に、重苦しい沈黙だけが漂っていた。
映画版に突入
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