俗物少年合理君 作:この俗物怪物くん
週末の昼下がり。野比家に、軽やかなチャイムの音が響いた。
「はーい」
のび太が玄関のドアを開けると、そこには高級そうな紙袋を抱えた合理正義が、にっこりと立っていた。
「先日はお招きありがとう。つまらないものだけれど、皆さんでどうぞ」
つまらない、などと言いながら、紙袋から覗くのは見たこともないブランドロゴの入った立派な菓子折り。リボンまでついて、明らかに“つまらなくはない”代物である。
「えっ、な、なんだかすごく立派じゃない?」のび太が目を丸くする。
その声に気づいて、奥からママが顔を出した。
「まあまあまあ!ご丁寧に…!」
合理くんは、深々とお辞儀をした。角度はほぼ45度、背筋は一直線。
「突然の訪問で恐縮ですが、日頃からお世話になっているご挨拶をと思いまして」
その物腰に、ママの心はあっという間に撃ち抜かれた。
「まあ!こんなに礼儀正しいお子さん、見たことないわ!」
その一言で、合理くんはリビングへの入室権を即座に獲得した。
テーブルの上に並べられたのは、ママ特製のクッキーとオレンジジュース。
「さあ、召し上がってね」
合理くんはクッキーを一枚つまみ、端正にかじった。そして目を細め、完璧な笑顔を浮かべる。
「これは…デパートの洋菓子店のものかと思いました。奥様は素晴らしい腕をお持ちですね」
「まぁ~!」ママの顔がみるみる紅潮していく。
「そんな、買ったものみたいだなんて…あらいやだ、私ったら照れちゃうわ!」
横でクッキーをむしゃむしゃ食べていたのび太は「え?これ、いつものクッキーだよね?」とぽつり。
「うるさい!」とママに一喝された。
合理くんは、オレンジジュースのグラスを持ち上げて一口。
「酸味と甘味のバランスが絶妙ですね。奥様のセンスを感じます」
ママは両手を胸に当て、「すっかりあなたのファンになっちゃったわ」とうっとり。
その様子を居間の隅で眺めていた青い影――ドラえもんは、丸い目を細めてぼそりとつぶやいた。
「しっかりした子だなぁ…」
(……ん?)自分でも意外な言葉が出て驚いた。最初は警戒していたはずなのに、あまりにスキのないマナーと爽やかさに、思わず“好印象”の評価を下してしまったのだ。
合理くんは、その青い影に一瞬だけ視線を送り、内心でニヤリとする。
(家主の母親からの信頼確保、完了。警戒レベルはステージ2から1へ移行。これで観察対象A『ドラえもん』への心理的アクセスが容易になる)
もちろん表情はにっこり微笑みを保ったまま。
「のび太くんのお部屋、見せてもらってもいいかな?」
唐突な申し出に、のび太は「え、えぇっ!?散らかってるからダメだよ!」と慌てたが、ママは即座に背中を押した。
「見せてあげなさい!せっかく合理くんが来てくださったんだから!」
こうして、合理くんはあっさりと野比家二階へのアクセスを得た。
のび太の部屋。
扉を開けた瞬間、合理くんの瞳がわずかに鋭さを帯びた。
視線は机、本棚、押し入れ、床に散らばる漫画とガラクタへと走る。
(机の上、宿題プリント未処理率80%以上。鉛筆は3本、全て短く摩耗。消しゴムは紙片サイズに劣化。
本棚は漫画と図鑑の比率9対1。しかも図鑑には付箋も折り目もなし。
押し入れ、スペースの一部に“異常な空白”。隠しスペースの存在率95%。ここがポケットとの接続ポイントか?)
合理くんは数秒のうちにすべてを“データ化”し、心の中でまとめていく。
(対象の生活レベル、観察完了。想定よりも低い。これでは猫型ロボットの介入なくして日常生活すら維持困難だ。予測通りだ)
のび太は、ベッドの上に散乱した漫画をかき集めながら「ごめんね、散らかってて…」と苦笑い。
「いや、君らしさが出ていて興味深いよ」合理くんは柔らかく返した。
だが内心では――
(散らかり=情報。整理=支配。部屋一つで人間性は丸裸になる。これも合理的観察の一部)
彼の口元には相変わらず爽やかな笑みが浮かんでいた。
下の階からママの声が響いた。
「合理くーん!またクッキー焼いたから持って帰ってねー!」
「ありがとうございます!」
合理くんは立ち上がり、笑顔のまま軽くお辞儀をする。
その瞬間、背後の押し入れがわずかに揺れた気がしたが、何もなかったかのように振り返らなかった。
(焦るな。段階的に、確実に。信頼を積み上げるのが合理的侵入の基本だ)
こうして、合理正義は計算づくで野比家への“友人訪問”を成功させたのだった。
◇◇
散らかった漫画とおもちゃの中で、三人――のび太、ドラえもん、合理くんが円を作って座っていた。
最初のうちは、学校の話やおやつの話など、ごく当たり障りのない会話が続いた。
のび太はいつもの調子で「今日のテストはね、また0点だったんだ!」と自慢気に言い、ドラえもんは「それは自慢にならないよ!」と突っ込む。合理くんはにこにこと相槌を打ちながら、心の奥で着々と観察を積み重ねていた。
(準備は整った。十分に空気を和ませ、相手の警戒を削いだ。――今が切り込み時だ)
合理くんはメガネを押し上げ、あえて純真無垢な小学生の顔をつくる。瞳に「好奇心100%」を宿し、ゆっくりとドラえもんへ視線を移した。
「野比くん、初対面の時からずっと気になっていたんだ」
「え?」のび太が首をかしげる。
「こちらの……青い猫、のような方は、一体…?」
合理くんは慎重に言葉を選ぶ。
「日本では古来より付喪神(つくもがみ)や座敷童子のような精霊の存在が語り継がれているが、その類かな?」
妙に古風で、非科学的。合理くんらしからぬ“無知を装った”質問だった。
「ぷっ……あはははは!」
のび太は堪えきれず、床を転げ回って笑いだした。
「せ、精霊だって!やめてよ合理くん、そんなのじゃないよ!」
「……違うのかい?」
合理くんは目を丸くし、わざとらしく首をかしげる。
「違うよ!ドラえもんはね、最新式のロボットなんだ!」
「ロボット……?」合理くんはあえて“初耳”のように繰り返す。
ドラえもんは少しムッとした顔で腕を組んだ。
「僕はただのロボットじゃないぞ!22世紀から来た、高性能ネコ型ロボットなんだ!」
「へへーん、すごいだろ!」のび太は胸を張って自慢げに続ける。
「そう!ドラえもんは22世紀の未来から、僕のお世話をするためにわざわざ来てくれたんだ!どうだ、びっくりしたか合理くん!」
ドラえもんは「のび太くん!余計なことまで!」と焦っているが、のび太は得意満面で止まらない。
合理くんはゆっくりとまばたきをし、その言葉を確実に心に刻んだ。
(……ビンゴ)
メガネのレンズが、夕陽の光を反射してキラリと光った。
彼の口角が、誰にも気づかれないほど僅かに吊り上がる。
(僕の仮説は正しかった。目の前のこの個体は、現代の科学技術を少なくとも150年は超越したテクノロジーの集合体。そしてその所有者は、情報管理の意識が皆無に等しいこの少年……。なんという……なんという宝の山だ!)
内心では狂喜乱舞しながらも、表情はあくまで純真無垢な少年のそれ。
「へぇぇぇ!未来から来たロボットさんなんだぁ!いやぁ、僕はてっきり狸の精霊かと……」
「タ、タヌキじゃないってば!」ドラえもんが慌てて否定する。
だが、言われ慣れていた“狸”呼ばわりではなく“精霊”扱いされたのが、妙に嬉しかったらしい。
「ま、まあ……猫型ロボット、ってことだからね……」
ドラえもんは耳の後ろを照れくさそうにかいた。
のび太はさらに胸を張る。
「どう?すごいだろ?僕のドラえもんなんだ!」
「うん、すごいよ。本当に」
合理くんは笑顔を浮かべながら頷いた。その眼差しは柔らかく、だが心の奥底で別の計算式が爆速で組み上がっていく。
(観測対象A『ドラえもん』、正体確認完了。データ収集フェーズ、第一段階クリア。次は……内部構造の解析だ)
そして彼はクッキーをもう一枚口に運び、無邪気な笑顔を見せた。
「奥様のクッキーも未来レベルだね!」
下の階から「ありがとー!」と返事をするママ。
……その光景は、合理くんの冷たい計算の上に成り立っていることを、まだ誰も知らない。
◇◇
合理くんは、両手を膝の上にきちんと揃え、純真な笑顔を浮かべる。
だがその心は、獲物を前にしたハンターのそれだった。
「に、22世紀!?信じられない…!」
目を見開き、あたかも心底驚いているように声を張る。
「じゃあ、空飛ぶ車やロボットの家政婦がいるような、夢の世界が本当にあるのかい!?僕たちの時代とは比べ物にならないくらい、素晴らしい世界なんだろうね!」
わざと子どもっぽく、純粋な称賛を惜しみなく放つ。
ドラえもんの鼻の下が、にゅーっと伸びた。
「えっへん!まあね!未来じゃそれくらい当たり前なんだぞー!」
横でのび太が「いいだろー!」と得意げに胸を張る。
合理くんは、完璧に仕込んだキラキラ瞳を向ける。
「うわぁ…夢みたいだ!僕も体験してみたいなぁ…」
その一言で、単純な未来猫の心はガッツリ掴まれた。
「よし、君は話がわかる!特別に、未来の世界の素晴らしさを少しだけ体験させてあげよう!」
そう言ってドラえもんは、誇らしげに四次元ポケットへ手を突っ込む。
「じゃーん!タケコプター!」
黄色いプロペラが姿を現した。
「わーい!タケコプターで空の散歩だ!」
のび太は両手を挙げて飛び跳ねる。
合理くんは目を細め、冷静に観察した。
「これは…?頭部に装着するだけで飛行が可能になるのかい?素晴らしい技術だ」
まるで学会発表に挑む研究者のように、真顔で質問が飛び出す。
「質問してもいいかな?動力源は?最大飛行速度と到達高度、連続稼働時間は?そして最も重要なことだが、飛行中に機能停止した場合のフェイルセーフ機能は搭載されているのかな?」
「え、えーっと……」ドラえもんはあたふたしながらも、なんとか答えをひねり出す。
「念力波で動く内蔵バッテリー式で、時速80キロ!安全装置ももちろんついてるよ!大丈夫だって!」
「時速80キロ……!」
合理くんのメガネがキラリと光った。
(……小型ヘリコプターの巡航速度に匹敵する。しかも家庭用サイズ、燃料不要、安全装置完備。市場投入すれば――)
「ほら合理くん、つけてみなよ!」
のび太がすでにプロペラを頭につけて、ぐるぐる回し始めている。
「わーい!わーい!空飛ぶぞー!」
ドラえもんも「はいどうぞ」と合理くんに渡す。
合理くんはにっこり笑い、頭に装着した。
次の瞬間、三人はふわりと宙に浮いた。
「う、浮いたぁぁぁ!」のび太が奇声をあげる。
「すごいだろう!」ドラえもんは胸を張る。
窓を開け放ち、三人は平成の街並みに飛び出した。
眼下には碁盤の目の道路、赤や青の車、パラボラアンテナの並ぶ屋根、商店街。
のび太は「やっほー!」と叫びながらジグザグに飛び回り、ドラえもんは「落ちるなよー!」と声を張り上げる。
合理くんは――涼しい顔で飛行の安定性を確認していた。
「推進力は安定しているな。左右のバランス制御も素晴らしい」
メモ帳を取り出して記録しそうな勢いだった。
内心では――
(個人用飛行器具……!航空法、電波法、どの法律にも抵触しない無法地帯のマーケット。法整備が始まる前に市場を寡占すれば、利益は青天井だ)
(動力源は内蔵バッテリー……充電方式、素材、エネルギー効率の解析が急務。現物さえ手に入れれば、父の息のかかった研究所でリバースエンジニアリングが可能だ)
(これはビジネスではない。国家予算レベルの富が、この青いタヌ……いや、猫型ロボットのポケット一つに詰まっている。これは買収=M&Aすべき案件だ!)
のび太の「わーい!」と、ドラえもんの「すごいだろー!」の声が混じる空の散歩。
合理くんの耳には、そのどちらも届いていなかった。
彼の頭の中では、すでに株価チャートと市場規模のグラフが踊っていたのだ。
「すごいよ、ドラえもん!」
合理くんは空中でプロペラを回しながら、感動を完璧に演じてみせた。
「未来はなんて素晴らしいんだ!僕は、君と、そして君が持つ未来の道具のことが、もっともっと知りたくなったよ!」
その目は、友情を求める少年のものではなかった。
巨大な油田を発見した探鉱者のように、ギラついた欲望がきらめいていた。
「そうだろう、そうだろう!」ドラえもんは胸を張って笑う。
「未来にはもっとすごい道具が沢山あるんだ!」
合理くんは心の中で小さくつぶやいた。
(まずはこのタケコプターを一つ、"研究サンプル"として確保する……)
爽やかな笑顔の裏で、青い狸――いや猫に向けた、俗物少年の影が濃く落ちていた。
映画版に突入
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