俗物少年合理君 作:この俗物怪物くん
朝の陽ざしが照りつける住宅街の一角。そこにあるはずの野比家は、跡形もなく消え失せていた。残されているのは、むき出しの土と雑草、そして場違いにきらびやかなガチャガチャマシン――『ハッピーガチャ』。
更地の真ん中で、のび太が大声で泣き叫んでいた。
「うわぁぁぁん!ドラえもん!僕たち、お家がなくなっちゃったよぉ!」
「わかってるよ、のび太くん!」
ドラえもんも涙目だ。
「でも、あと一回……あと一回回せばきっと『大ハッピー』が出て、お城みたいな大きなお家が手に入るんだ!」
二人はガチャの前で膝を抱え、ほとんど廃人のようになっていた。
「でも、もう入れるものがないよ……」のび太が鼻をすすりながら言う。
「僕の漫画も、0点の答案も、ぜーんぶ入れちゃったんだ!」
「僕のどら焼き貯金も……スペアの鈴も……」
ドラえもんは四次元ポケットをひっくり返し、空っぽになったことを示した。
「うう、もう何も……」
そこへ――。
「やあ、野比くん」
眩しい朝日に反射して、きらりとメガネを光らせた合理正義が現れた。
背筋を伸ばし、両手をポケットに突っ込んで、まるで視察官のように更地を見渡す。
「君の家が登記上から消失しているとの情報を得て来てみたのだが……これは一体どういう状況かな?更地でキャンプでも?」
のび太はぐしゃぐしゃの顔で振り返る。
「ちがうよぉ!ハッピーガチャなんだ!」
「一回まわすだけで、その人にピッタリの幸せが手に入る、夢のガチャなんだよ!」ドラえもんが力なく説明する。
合理くんは「ふむ」と顎に手を当て、マシンをじろじろと観察した。けばけばしい電飾、怪しげなスロット音、そして「大ハッピー!」「超ラッキー!」と書かれた派手なポップ。
「なるほど。つまり『幸せの対価』として何かを投入し、そのリターンとして“ハッピー”を引き当てる仕組みか。要するに未来型の高利貸しガチャ、あるいは宗教法人の寄付システムの応用だな」
「そんな言い方しないでよぉ!」のび太が涙ながらに叫ぶ。
「でも本当にすごいんだよ!」とドラえもんが肩をすくめた。
「はじめは『おにぎり一個』を入れたら、一日晴れ!って結果が出たんだ!」
「それは確かに実用的だな」合理くんはメモ帳を取り出し、さらさらと書きつける。
「投入資源:炭水化物。リターン:気象制御。投資効率……破格」
「でもね……」のび太がすすり泣く。
「だんだんエスカレートしてきちゃって……僕のゲームも、野球グローブも、ぜんぶ突っ込んだのに、最後は『まあまあハッピー』とか『ちょっとラッキー』ばっかりで……」
「で、最終的に家を……」ドラえもんがぽつりと続ける。
「まるごと投入しちゃったんだ……」
合理くんのメガネがぴかりと光った。
「……大胆だな。だが愚かだ」
のび太とドラえもんは同時に崩れ落ちた。
「うわぁぁぁん!」
「ひどい言い方だよ!」
合理くんは冷静にガチャの投入スロットを指さす。
「では聞こう。残りのリソースは?現金?証券?不動産権利書?僕の推奨は換金性の高い資産を入れることだが」
「そ、そんなもの小学生が持ってるわけないでしょ!」ドラえもんが抗議する。
「ならば人材リソースだ」合理くんは真顔で言い放った。
「スネ夫のミニ四駆を強奪し、ジャイアンのレコードを回収してここに投入すれば、資源の再分配が可能だ。彼らの幸福は減るが、我々の幸福は増える。すなわちパレート改善」
「そんなのただの泥棒だよ!」のび太が慌てて止める。
「君たちがすでに家を差し出した時点で、泥棒との境界は曖昧だ」合理くんは涼しい顔をしていた。
「……合理くん、冷静すぎるよ……」ドラえもんは頬をひくつかせる。
◇◇
合理正義は腕を組み、その機械を冷ややかに一瞥する。
「ガチャ、ね……」
彼は鼻で笑った。
「投入コストに対してリターンが完全にランダム。期待値も不明。射幸心を煽るだけの、極めて非合理な搾取装置だ。そんなものに現を抜かすなんて、君たちはどうかしている」
のび太は涙で濡れた顔を上げ、必死に反論する。
「で、でも、『小ハッピー』でもタコさんがお祝いしてくれるんだよ!」
「タコ……?」合理くんは眉をひそめた。
「ますます意味が分からないな」
ドラえもんが小声で補足する。
「カプセルの中から、赤いタコのおもちゃが出てきて『おめでとう!』って言ってくれるんだ。地味だけど、ちょっとはハッピーなんだよ」
合理くんは呆れたようにため息をつく。
「くだらない。そんな低効率の仕組みにリソースを割くなど、資本主義社会の敗北者の発想だ。僕は帰らせてもらうよ」
彼は踵を返し、更地の端に向かって歩き出した。
――その時。
「えいっ!」
硬貨ではない何かを投入する音がした。
振り返ると、スネ夫が得意げな顔でハッピーガチャの前に立っていた。
その手には、輝くラジコンコレクションの一つ。
「僕の自慢のラジコンを投入!さぁ、出ろ出ろ出ろーっ!」
カプセルがガチャリと転がり出て、パンッ!と弾ける。
次の瞬間、きらびやかな光と共に最新型ゲーム機の豪華限定版セットが現れた。
「やったー!『中ハッピー』ゲットだ!これでまたみんなに自慢できるぞー!」
スネ夫は大喜びでゲーム機を抱え、ピョンピョン飛び跳ねる。
その光景を見て、合理くんの足が止まった。
「……なんだと?」
彼のメガネがきらりと光る。
(今のリターンは、使用者の潜在的欲望――スネ夫の場合は『自己顕示欲を満たす玩具』まさに的確に具現化している。ということは、この装置は……ただのランダム抽選ではない。ユーザーごとに異なる価値観を読み取り、最適解を吐き出す……!)
合理くんの脳内で、株価チャートのような数値がめまぐるしく踊った。
(期待値は使用者の欲望次第。つまり、僕にとっての価値を入力すれば――結果は天文学的に跳ね上がる!)
彼はゆっくりと振り返り、淡々と質問した。
「……ちなみに、コストとして投入するのは物体のみ、と言ったね?」
「うん」ドラえもんが頷く。
「お金じゃダメなんだ。その人にとって“大切なもの”じゃないと」
「そうそう!僕のラジコンだって、大切だからこそ換えが効いたんだ!」スネ夫が自慢げに鼻を鳴らす。
合理くんはフッと笑った。
「なるほど、条件はシンプルだ。では……」
彼はポケットから財布を取り出し、一万円札をスッと抜き出した。
のび太が目を丸くする。
「えっ!?お金はダメだってば!」
「多くの人間にとって、これはただの紙切れだ」合理くんは一万円札を指でひらひらさせた。
「だが、僕にとっては違う。これは数字であり、力であり、僕という存在を構成する重要な要素……つまり、僕にとっての“大切なもの”だ」
ドラえもんは口を半開きにして固まる。
「な、なんか言ってることがすごく俗っぽい……」
合理くんは構わず、一歩前に出た。
「……検証の価値はあるな」
彼は静かにコイン投入口へ一万円札を差し入れる。
――ピロリン♪
『紙幣が投入されました!』
けばけばしい声が響く。ガチャマシンのランプが赤、青、緑とチカチカ点滅し、回転音を立て始めた。
のび太がごくりと唾を飲む。
「で、出るのかな……?」
「まさかお金で動くなんて……!」ドラえもんは汗をだらだら流す。
合理くんは腕を組み、にこやかに言い放った。
「合理的に考えれば当然だ。僕が“大切”だと認識している以上、機械はそれを正しく読み取った。すでに勝負は始まっている」
◇◇
合理正義は、いつもの冷静沈着な笑みを浮かべながら、スッと一万円札を投入口に差し込んだ。
「さて、僕にふさわしいハッピーとは何か、見せてもらおう」
ピロリロリン♪ ガチャマシンが妖しく点滅し、カプセルがゴロンと転がり出る。
パンッ! 弾けたカプセルから、ピンク色の煙がモクモクと立ちのぼった。
煙が晴れると、そこに立っていたのは――ねじり鉢巻きに法被姿のタコ。
「ハッピー! ハッピーでやんす! 旦那に幸あれ、よいしょー!」
クネクネと足を振り回し、謎の盆踊りを始めるタコ。
「…………」合理くんは石像のように黙り込んだ。
のび太がぱっと顔を輝かせる。
「あ、小ハッピーだ。おめでとう、合理くん!」
「…………」合理くんは何も言わず、財布から次の一万円札を抜き出し、無表情のまま投入した。
ゴロン。パンッ!
今度は青い法被を着たタコが登場し、扇子を広げてクルクル舞い踊る。
「わー! 色違いだ!」のび太が手を叩いて大はしゃぎする。
「………」合理くんのこめかみにピキリと青筋が浮かぶ。
無言で次の一万円札を投入。
ゴロン。パンッ!
今度は金の法被を着たタコが出現し、皿回しを披露し始めた。
ドラえもんが目を丸くする。
「すごい! タコさんのバリエーション、こんなにあったんだ!」
合理くんは唇をひきつらせ、低く唸った。
「あり得ない……! この僕の運が、タコごときに収束するはずがない! これは何かの確率操作だ! 未来の消費者センターに訴えてやるぞ!」
しかし彼の手は止まらない。
「もう一回だ!」
札を投入するたびに、カプセルから飛び出すのは、踊るタコ、歌うタコ、けん玉をするタコ、果てはサンバ衣装で「カーニバル!」と叫ぶタコまで。
「ひぃーっ、タコ祭りだ!」のび太は笑い転げる。
「合理くん、すっかりタコ地獄にはまっちゃったね!」
「だ、黙れ! これは検証だ! 僕は実証主義者なんだ!」合理くんは半狂乱で次々と万札を投入する。
――十回連続でタコ。
更地にタコが行列を作り、わっしょいわっしょいと祭囃子を響かせ始めた。
ドラえもんは涙目でつぶやく。
「……なんだか幸せそうに見えてきた」
だがその瞬間、マシンがこれまでと違う光を放った。
キラキラと七色に輝き、ゴロゴロと雷鳴のような音が鳴り響く。
合理くんの瞳がギラリと光る。
「来たか……!」
カプセルが転がり出て、パンッ! と弾ける。
中から姿を現したのは、ずっしり重そうなアタッシュケース。
「『中ハッピー』!」とマシンが高らかに告げる。
合理くんは即座にケースを開けた。
中には帯封付きの百万円の札束が、ぎっしりと詰まっていた。
「ハッ! 当然の結果だ!」合理くんは高笑いする。
「僕の合理的な判断が、運命をねじ伏せたのだ!」
「すごい!百万円だ!」のび太が歓声を上げる。
「よかったね、合理くん!」とドラえもんも涙をぬぐった。
しかし、合理くんの瞳はすでに常軌を逸していた。
札束を頬ずりしながら、狂信者のように叫ぶ。
「いや、まだだ……! 僕にふさわしいのは、こんな小銭ではない! 目指すべきは常に最高位! 『大ハッピー』だッ!」
その姿はもはや、冷静な合理の権化ではなく、完全にギャンブラーのそれだった。
メガネの奥の目はギラつき、札を投入するたびに震える指先は喜びとも焦燥ともつかない熱に震えている。
のび太は小声でつぶやいた。
「……なんか、怖いよ、ドラえもん」
ドラえもんは真顔でうなずいた。
「うん……今の合理くん、のび太くんの0点答案より危険かもしれない」
◇◇
合理正義は、鬼気迫る形相で財布をひっくり返していた。次々と一万円札が投入口に吸い込まれていく。
「投入ッ! 投入ッ! 合理的投資は継続性にありッ!」
そのたびに鳴り響く「ゴロン」「パンッ!」の音。出てくるのは――タコ、タコ、タコ、そしてまたタコ。
「ハッピー! ハッピーでやんす!」
「旦那に幸あれ〜!」
「よいしょ〜!」
踊る、歌う、皿を回す。更地の真ん中は、もはや剛田商店夏祭り以上のタコフェスティバルと化していた。
のび太は大爆笑して転げ回る。
「はははっ!合理くん、またタコだよ!もう二十匹目だよ!」
ドラえもんは苦笑いで汗をかきながらつぶやく。
「これは……タコ水族館の開館レベルだね」
しかし合理くんは狂気のような笑みを浮かべ、次の札を投入した。
「まだだ!まだ僕の『合理』は証明されていない!」
――タコ。タコ。現金。タコ。タコ。
彼のスーツのポケットから、予備で持っていた札束までもが消えていく。
ついに、マシンが大きく唸り声を上げた。
ゴゴゴゴ……! ピカピカピカッ!
「きたーっ!!」
のび太とドラえもんが同時に叫ぶ。
黄金の巨大カプセルが轟音と共に転がり出て、ファンファーレが鳴り響いた。
パンッ!! 弾けると同時に、山のような現金がどさどさと積み上がる。
「ハハ……ハハハハハ!」合理くんは両手を天に掲げた。
「見たまえ!これが勝利だ!僕の計算通り、いや、計算以上の結果だ!富は、自ら掴み取りにいくものなのだよ!」
現金の山に飛び込み、札束を抱きしめる合理くん。その姿はもはや成功者の凱旋のごとし。
だが、彼の脳は違った。
――合理正義の脳内プロセッサが、冷徹な再計算を始めてしまったのだ。
彼はスッと電子手帳を取り出し、怒涛のスピードで入力を始める。
「……待てよ。今回の『大ハッピー』で得た収入は約五百万円。それまでに出た『中ハッピー』の合計が百五十万円。総収入六百五十万円……対して、投入したコストは――」
ピピッと鳴った画面に表示されたのは、無情な数字。
【収支報告: -10,000円】
合理くんの笑顔が、スーッと消えた。
メガネの奥の瞳から、一筋の涙がつっと流れる。
「そん……な……僕が……『損失』……だと……? 利益を生まないどころか、マイナス……? 非合理だ……! こんな結末は、非合理すぎるッ!!」
彼は現金の山の上でガックリと膝をつき、天を仰いで絶叫した。
のび太は心配そうに首をかしげる。
「だ、大丈夫?合理くん……」
ドラえもんはため息をついて言った。
「のび太くん……ギャンブルの世界には『期待値』って言葉があってね……」
しかし、そのときだった。
「モウ、オナカイッパイ」
ハッピーガチャが機械音声でつぶやき、最後のカプセルをコロンと吐き出した。
ポンッ!と弾けた瞬間、小さなおもちゃの家が飛び出す。
すると、そのおもちゃがブワッと膨らみ、あっという間に元の野比家へと変貌した。
「わぁ!おうちが戻った!」のび太が飛び上がる。
「ガチャがお腹いっぱいになって満足して返してくれたんだ!これがガチャにとっての『大ハッピー』だったんだね!」とドラえもんが笑う。
二人は歓喜のハグを交わし、元通りになった家へ駆け戻る。
その隣で――合理くんは現金の山に埋もれながら、うつろな目でただ一点を見つめていた。
「マイナス……いちまんえん……」
彼の声は風に消え、祭り騒ぎをしていたタコたちが「ワッショイ!」と叫んで去っていく中、合理少年の心には、消費者金融の寂しい広告のような虚しさだけが残っていたのだった。
映画版に突入
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