俗物少年合理君 作:この俗物怪物くん
劣悪なサービスと、一人の投資家
夕焼けに照らされた空き地は、今日も子どもたちの憩いの場だった。のび太は転がったビー玉を拾い、しずかちゃんは絵本を読んでいる。スネ夫はラジコンを走らせ、ドラえもんは「どら焼き食べたいなぁ」と呟いている。
そんな牧歌的な時間をぶち壊す、地響きのような声が響いた。
「おーい、みんな集まれーっ!」
ゴン太サイズの声量を誇るジャイアンが、腕をブンブン振り回して現れた。手には束になった紙を持っている。
「明日の夜、この空き地で俺様のリサイタルを開く!心して参加しろよな!これがチラシだ!」
彼が子どもたちに無理やり押し付けたのは、よれよれのチラシ。
クレヨンで殴り書きされた文字はこうだ。
【おれのうたをきけ】
……以上。
地図も時間も料金も書かれていない。そもそも内容が抽象的すぎる。
「えぇーっ!またあのリサイタルぅ!?」のび太が泣き顔で叫ぶ。
「ぼ、僕、急にイギリスの親戚の家に行くことになったんだ!」スネ夫は必死に言い訳を捻り出す。
「わ、私も明日はバイオリンのコンクールが…」しずかちゃんも苦しい口実をひねり出した。
全員が蜘蛛の子を散らすように退避計画を練る中、チラシを受け取った一人の少年だけが、目をギラギラ輝かせていた。
合理正義――「合理くん」である。
「剛田くん!」彼は勢いよくジャイアンに駆け寄った。
「小学生にして自主的にイベントを企画し、自作のビラで広報活動まで行うとは…!その卓越した起業家精神、実に素晴らしい!」
「お、おう……?」ジャイアンは不意を突かれて目を白黒させた。
「わかるか、お前!」
「わかる、わかるよ!」合理くんはジャイアンの手を力強く握った。
「君はダイヤモンドの原石だ。音楽産業の未開拓市場に独自のアプローチで挑戦している。君の歌声は、まだ誰も発掘していない鉱脈そのものだ!」
「お、おお……」
ジャイアンは鼻の穴を膨らませ、胸を張った。生まれて初めて「リサイタル」を褒められたからである。
「明日のリサイタル、必ず行かせてもらう!」合理くんの瞳は本気だった。
「僕は投資家として、君の才能を余すことなく分析し、将来性を評価するつもりだ!」
「と、とと投資家ぁ!?」
スネ夫が素っ頓狂な声を上げた。
「いやいや、ちょっと待てよ合理くん!あんなもんに投資とか正気じゃ――」
「正気だとも!」合理くんはきっぱり言い放つ。
「この男は“サービス提供者”だ。僕たちはその“顧客”であり、彼のリサイタルは“商品”だ。重要なのは品質評価だ。僕は実地調査に臨む」
「サービス!?商品!?何言ってんのさ!」のび太は頭を抱える。
「だってあれ、ただのジャイアンの絶叫だよ!」
「違う。君たちは視点を誤っているんだ」合理くんはメガネを押し上げて光らせた。
「たとえばラーメンだって、人によっては『塩辛いスープ』でしかない。しかし熱狂的なファンがいればそれは文化となる。剛田くんの歌も同じだ!」
「文化……?」しずかちゃんは思わず首をかしげる。
「そう、文化だ!」合理くんは力強く断言した。
「少なくとも、彼には誰も真似できない圧倒的なオリジナリティがある。それは市場において強力な武器になる!」
ジャイアンは頬を赤らめ、もじもじしながら鼻をこする。
「お、おう……お前、わかってるじゃねえか」
完全にいい気分になってしまった。
一方、そのやり取りを見ていたのび太、スネ夫、しずかの三人は、この世の終わりを見たような表情をしていた。
「う、うそだろ……」
「まさか……合理くんがあんなのに肩入れするなんて……」
「明日、どうなっちゃうのかしら……」
ドラえもんも額に冷や汗を浮かべ、ため息をついた。
「合理くん、あの歌に合理性を見いだそうとするのは、いくらなんでも無謀だよ……」
しかし合理くんはもう聞いていなかった。
彼はチラシを丁寧に折り畳み、スーツの内ポケットに大切そうにしまい込んだ。
「剛田くん、僕は明日、必ず最前列に座ろう。観客としてではなく――君の最初の投資家としてね」
そう言ってにっこり笑った合理くん。その笑顔はキラキラと輝き、ジャイアンの心を大いにくすぐった。
だが周囲の子どもたちには、その笑顔が悪魔の契約書にサインする瞬間のように見えたのであった。
◇◇
放課後の夕暮れ、剛田家二階。
そこは、近所でもっとも恐ろしい音が響き渡る、悪名高きリハーサル会場――ジャイアンの部屋だった。
壁には「ジャイアン リサイタル」と手書きで書かれたポスター。だが「リサイタル」の「リ」が反対に書かれているため、「さイタル」にしか見えない。
机の上には、紙コップに差し込まれた割り箸マイク。
そして部屋の隅には、犠牲になったと思しきラジカセの残骸が山積みになっていた。
そこへ、合理くんは姿勢を正して現れた。背筋はピンと伸び、メガネは夕日のオレンジ色を反射してキラリと光る。
「剛田くん、失礼するよ」
「お、おう。なんだ合理。まさか歌の稽古に来たのか?」
「いや、ちょっと事業分析をね」
「じぎょーぶんせき?」
ジャイアンがきょとんとした顔をした瞬間、合理くんはさっと机に電子手帳を広げ、早口でまくしたて始めた。
「まずこのチラシだが、訴求点が不明瞭だ。『おれのうたをきけ』では、ターゲット層が不明確すぎる。演歌好きなのか、ロック好きなのか、ジャズ愛好家なのか、顧客は混乱する」
「うっ……」ジャイアンは図星を突かれて口ごもる。
「次に舞台装置。土管の上をステージにするのは立地的には悪くない。だが音響の反響が計算できない。環境ノイズを無視した演出は、プロの現場では致命的だ」
「の、ノイズ……?」
「そして最大の問題は――君の歌唱力そのものにあると聞いた」
「な、なにぃっ!」ジャイアンの目がカッと光る。
「俺の歌をバカにするやつは、この世に二人といねえ!」
「心配はいらない」合理くんは涼しい顔で言った。
「僕は自分で体験したデータしか信じない。剛田くん、試しにここで一曲、歌ってみてくれないか」
「望むところだッ!」
ジャイアンはガタッと立ち上がり、机から割り箸マイクをつかみ取った。大きく息を吸い込み――
「おれはジャイア〜ン!ガキだいしょおぉぉぉ〜〜〜!!」
部屋全体が爆撃を受けたかのように揺れた。窓ガラスはビリビリと震え、ちゃぶ台の上の湯のみは跳ね、近所の犬が一斉に遠吠えを始める。
「ぅわあああああああああ!!!」
階下からママの悲鳴が響いた。「またガラスが割れるううう!!」
一曲歌い切ったジャイアンは、汗をぬぐいながら得意満面で振り返った。
「どうだ合理!俺のソウル、感じたか!?」
だが合理くんは耳をふさぐでもなく、ただ冷静に電子手帳をカタカタ操作していた。
「なるほど……データは取れた」
「デ、データぁ?」
「問題点は二つ。壊滅的な音程の乱れと、不適切なマイク使用によるハウリングだ」
「な、なにおう!?」
「だが――」合理くんは立ち上がり、バシンとジャイアンの肩を叩いた。
「作詞・作曲・主演のすべてをこの若さでこなすとは!やはり君は天才だ!」
「……は?」
「その情熱に、技術と経営戦略が追いついていないのが惜しい!つまり改善の余地がある、ということだ!」
「バ、バカにしてんのか、褒めてんのかどっちだ!」
「褒めているとも!」合理くんはにっこり笑った。
「そこで提案だ。僕が君の興行を成功に導こう」
「お前が?」
「ああ。マーケティング、ステージ演出、顧客満足度調査……僕の合理的アプローチで、君のリサイタルは地域最強のイベントになるだろう!」
「お、おお……」ジャイアンの顔が少し赤らんだ。
「気にしないでくれ、これは未来への投資だ。僕はサービスで結構だ」合理くんはさらりと言った。
「その代わり――」
メガネがギラリと光る。
「君がもし将来、歌手としてデビューできたなら。君の生涯収入の10%を、コンサルティング料として僕に支払う。これで手を打とうじゃないか」
「……しょうがい……しゅうにゅう……?」
「そうだ」
「じゅっぱーせんと……?」
「その通り」
話のスケールの大きさに、ジャイアンは口をパクパクさせるばかりで言葉が出ない。
「そ、そんな未来のことまで……」
「未来を見据えて行動するのが投資家というものだ」合理くんはしたり顔で言った。
「大丈夫。君の歌は世界を震わせる。その証拠に、いま窓ガラスが震えた」
「おおおっ!なるほど!」
ジャイアンは感激で鼻水をすすり上げた。
かくして、契約は成立した。
夕暮れのジャイアンの部屋で、悪魔の契約が――割り箸マイクを見つめる合理くんの笑顔と共に――静かに結ばれたのであった。
◇◇
剛田家で契約が成立したその夜から、合理くんの猛烈な行動力が炸裂した。
「お父さん、明細は後で回すから。請求先は大蔵省の福利厚生枠でいいよね」
電話一本。合理家の財力は、またしても惜しみなく浪費される。
そして翌日。練馬区の空き地には、トラックで運び込まれる巨大な機材。黒スーツの業者が汗だくで運び込むのは、最新型スピーカー、ステージ照明、ミキサー卓。町内の空き地は一夜にして、ライブハウスどころかドーム会場のような装備を備えつつあった。
「な、なんだこれぇ!?」と町内住民は大騒ぎ。
「これは息子の音楽活動です」とジャイアン母は必死に頭を下げるが、心の中では「どうしてこうなったの」と涙を流していた。
「剛田くん、準備は整った」
合理くんが連れてきたのは、四次元ポケットから借り受けた『かべがみ秘密基地』。内部は防音完備、リバーブ調整可能な超高級スタジオ仕様にカスタムされていた。
「うおおお……!」ジャイアンは目を輝かせる。
「これが俺のステージかぁ!」
「まだだ。ここは修羅場だ」
合理くんは冷たい目でそう告げ、手にした馬術用の鞭をピシッと鳴らした。
「まず基礎。ド、レ、ミ、ファ――そこ、半音フラットしている!僕の絶対音感をなめるな!」
「うるせえ!俺は俺の歌を歌うんだ!」
「君の歌に合わせてプロのバックバンドを雇ったんだ!彼らの足を引っ張る気か!合わせろ、剛田!」
壁際では、腕利きスタジオミュージシャンたちが青ざめながらセッション中。
「(なぜ俺たちは小学生に怒鳴られているんだ……)」
「(請求額にゼロが多かったから断れなかったんだ……)」
悲壮な覚悟を抱えたプロたちが、必死で演奏に付き合う。
特訓五日目
「もうダメだ……やめだやめだ!俺には才能なんてねえんだ!」
ついにジャイアンが床に崩れ落ちた。汗と涙で顔はぐしゃぐしゃ、シャツはボロボロ。
だが合理くんは、すかさず割り箸マイクを彼の目の前に突きつける。
「才能だと!?ふざけるな!」
「ひっ……」
「君がこれまで空き地で響かせた情熱の叫びは何だった!?町内を震撼させ、犬を遠吠えさせ、窓ガラスを割ったあの歌声は、その程度のものだったのか、剛田武くんッ!」
「う、うぅ……」ジャイアンの肩が震える。
「立てッ!立つんだジャイアン!お前の歌声は、ただの騒音じゃない!君自身の魂そのものだ!」
「ごうり……!お前……!」
ジャイアンは号泣しながら合理くんに抱きついた。
「俺、もう少し頑張ってみる……!」
合理くんはにっこり微笑んだ。
「よろしい。では次は腹筋500回だ」
「なんで歌の特訓で腹筋なんだよぉ!」
「歌は体幹だ。理屈を疑うな、結果を信じろ」
そうして二人の特訓は、まるでスポ根漫画さながらに続いていった。
ジャイアンは叫び、泣き、吐き、倒れ、それでも立ち上がる。
合理くんは鞭を鳴らし、指揮を執り、冷静に数値を記録する。
周囲の誰もがドン引きするほどの修羅場の中――なぜか二人の間には、固い絆のようなものが芽生え始めていた。
町内の反応
「なんだか最近、ジャイアンの歌が……マシになってきてない?」
「いや、まだ公害レベルだが、音程は当たってきてるぞ……」
「おまけに、歌のあとに腹筋割れてるのを見せびらかすの、なんか違う意味で怖い」
町内の人々は震えながらも、その変化を感じ始めていた。
◇◇
リサイタル当日の空き地は、もはや「いつもの空き地」ではなかった。入口には受付用のテーブルが置かれ、赤いロープで「当日券売り場」まで整備されている。テーブルの後ろでメガネを光らせるのは、もちろん合理正義。ジャイアンのプロデューサー兼経理担当兼、現場責任者である。
「はい、大人の方は1000円でーす。お釣りはございませんか?ありがとうございます。本日のプログラムはこちら。パンフレットは別料金で500円です」
合理くんの冷徹かつ爽やかな声が、受付前に並ぶ人々の財布を軽快に開かせていく。隣では、スーツ姿のアルバイトスタッフがにこやかに笑顔を振りまきながら、きっちり現金を回収していた。
「えーと……ほんとにお金取るの?」
「ポスターもすごいし……ちょっと気になるじゃない」
「でも武の歌だよ?命がけじゃない?」
町内のおじさんおばさんが不安そうに列を作る。だが「TAKESHI GODA - THE FIRST GIG -」とプロ仕様のポスターにデカデカと書かれた文字は、なぜか人々の好奇心を煽ってやまなかった。
やがてステージ上。スポットライトが土管を照らし、割れんばかりの拍手(というより、冷やかしと恐怖が混ざった拍手)が響いた。
マイクを握りしめたジャイアンが、胸を張って叫ぶ。
「聞いてくれ!おれの新曲だぁあああ!」
ドガアアアアン!
強烈な咆哮が空き地に鳴り響いた。
……ところが。
「……あれ?」
「……前より、マシになってない?」
観客がざわめく。たしかにジャイアンの歌声はまだ音程がアメーバ状にうねっていたが、それでも以前のように「鼓膜を抉る拷問」レベルではなくなっていたのだ。プロのバンドが必死に支え、音響スタッフが血のにじむような調整をした成果で、ジャイアンの歌はギリギリ「鑑賞可能」に到達していた。
ジャイアンは汗を飛ばしながら熱唱する。
「おれはジャイア〜ン!未来のスーパースターだぁあああ!」
観客席は――なぜか盛り上がっていた。
「やばい……笑えるけど、ちょっとノれる……!」
「このビート、なんかクセになる!」
「帰りに剛田商店で買い物してやるか……」
一方、受付では合理くんがせっせと売上を数えていた。
「入場者数52人。大人41人、子ども11人……収入は52,100円。グッズの売上を含めると……ふむ、これは上々だ」
合理くんの唇がにやりと吊り上がる。紙幣を数える手つきは、まるでベテラン銀行員のように迷いがなかった。
終演後。観客が帰り、空き地には沈む夕日。舞台から降りてきたジャイアンは、満身創痍ながらも胸を張っていた。
「やったぜ合理!大成功だ!俺、歌手になれるかな!?」
「ふむ」合理くんは電子手帳を取り出し、パチパチと打ち込む。
「総収入は52,100円。人件費・機材レンタル代など経費を差し引いた純利益は……35,000円だな」
「お、おう……」ジャイアンはキョトンとする。
「ではまず、僕のプロデュース成功報酬として利益の30%……10,500円を頂く」
合理くんはスッと札を抜き取り、自分の財布に収めた。
「ま、待て!俺の歌だぞ!」
「安心したまえ。残りの70%、24,500円は君の保護者である剛田商店様へ渡す」
「はあ!?」
合理くんは笑顔のまま、札束をそっとジャイアンの母ちゃんに差し出した。
「未成年者の事業収益は、親権者に帰属するのが法的に正しい。剛田商店様、こちらが本日の純利益です」
「まぁまぁまぁ!ありがとうねぇ、合理くん!」母ちゃんは満面の笑みで受け取った。
ジャイアンは口をパクパクさせる。
「お、俺の……俺の血と汗と涙の結晶が……母ちゃんの財布に……」
「君は母上から、お小遣いとして適正な金額をもらえばいい」合理くんはにこやかに言う。
「お……お小遣い……」
膝から崩れ落ちるジャイアン。その横で合理くんはさらりと付け加えた。
「それと、契約の件を忘れないでくれ。君が将来スーパースターとして成功した暁には、生涯収入の10%を僕に支払う。これは悪魔の契約ではなく、合理的な投資だ」
「ご、ごうり……お前……」
夕日に照らされる二人。ジャイアンの顔は、成功の喜びと搾取の絶望が入り混じった複雑すぎる表情だった。
合理くんは静かに笑った。
「君の未来は明るい。僕の財布もね」
映画版に突入
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