「これでよく公安が務まるな」
風見は上司の降谷に腕を捻り上げられていた。袖口から発信機が取り出される。降谷は発信機を握りつぶした。
「す、すみません」
コナンは真剣な顔で風見を見ている。
「一体…誰が…」
降谷は風見の手を離し、襟を持ち上げた。
「もう一つ付いてるな」
「あ、」
降谷は袖口に付いていた物よりも小さな発信機を握り潰す。見計らったかのように風見のスマホが鳴る。
「……出てもよろしいでしょうか」
「許可しよう」
風見がスマホを取り出して耳に当てる。
「ああ、そうだ。どうしたんだ?こっちで掛けてくるなんて珍しいじゃないか。もしかして、さっきの話か?……分かった」
風見はスマホを耳から離して、スピーカーにすると画面を上にしてコナンと降谷の前に出した。発信源はCheshire=Queen。
『ん。聞こえてるかな?上司くんもそこにいるよね。あ、返事はいらないよ。さっき壊されちゃった発信機の持ち主だから。俺からザミに言って付けてもらってたんだよね』
男性の声が画面越しに話しかけてくる。その声にはつい聞き入ってしまいそうな不思議な魅力があった。
コナンと降谷の視線が一気に風見に向かう。風見は目をウロウロと彷徨わせた。
『この
「構わないが、要件は何だ?あまり時間がないのだが」
『おっけー。ちゃんと聞いててね』
多少のノイズが混じった息を吸う音が聞こえる。
『”Hatterが覚悟を決めた”よ』
先程の呑気な声と変わって、機械越しの真剣な声が空気を震わせた。
『って、言いたかっただけー』
次の言葉からはまた呑気な声に戻ったが。
『やっとだよね。Hatterってああ見えてそういう所真面目だし、ここまで持ってくるのにホント時間が掛かっちゃった。という事で
コナンと降谷には暗示ばかりで全く意味が分からなかったが、風見は分かっているらしい。
「……お前はどうなんだ?」
『猫の
画面越しに面白がるような笑い声が聞こえた。
『じゃあ、こっちはバッチリ決めてるからよろしくね。一応、Dormouseの分も用意しといたけど今回は難しそうだしあんまり気にしなくていいよ』
通話が切れた。視線は自然とスマホを仕舞った風見へと向かう。
「風見、これはどういう事だ?」
風見は一瞬だけ目を泳がせると、深呼吸をして降谷の方へ向き合った。
「私からは詳しくお伝えできません。本人に聞いて下さい。連絡先は交換しても良いと言われているので直接掛けて大丈夫だと思います」
風見は手帳に番号を書き記し、千切って降谷に手渡した。
「降谷さん。彼らは信用出来る人物です。特に私や降谷さんに於いては心を砕いて全力を尽くしてくれると思います。今、私から言える事はこれだけです」
風見はほんの少しだけ震えが混じった声で言い切った。
「分かった。まあ、信用するかどうかは話してみてから決める。風見をそこまで言わせるぐらいだ。相当食えない奴なんだろう」
「ヤダなァ。風評被害だよ〜」
降谷の後ろからひょこりと男が現れた。反射的に降谷は距離を取る。
降谷は裏社会でも諜報員として生き抜いて幹部になるほどだ。相当な手練でない限りは分かると自負している。
そんな降谷の後ろから出てきたのだ。警戒もする。
しかも、男の服装は思わず目を引く物だった。
真っ白のフリル付きブラウスと同じ色の手元を隠す手袋。それでも形の良い手は目立つ。チェック柄の紫色のベストに首元の黒いタイを赤いハートのブローチで留めている。前が開いた紫色のスカートの中に白いふわりとしたスカートを履いて、その隙間から細い生足を覗かせている。猫と自称するだけあって、紫色の地面に着きそうなくらい長いベルトを尻尾のように揺らしていた。黒色の靴下に合わせられた黒の革靴は使い込まれてはいるもののピッタリと足に合っていて艷やかに輝いていた。多分、オーダーメイドの高い物だ。頭に乗っているハートを模した王冠が紫の猫のピアスと共に煌めいた。
くっきりと描かれたアイラインは紫の視線を猫のように気紛れに見せる。目尻に軽く乗せられたアイシャドウとマッドに婀娜めくリップメイクがニヤニヤと笑う彼を曖昧にぼやけさせた。
「Queen、どうしたんだ?こんな所まで来るなんて珍しいな」
「んー。今はChechireの方が強いかな〜」
Chechireはふらりと風見の方へ歩いて行き、どこからか取り出したUSBを渡した。
「丁度良いから顔出ししてみたけどどうよ。久しぶりの上から下までバッチリ決めた衣装は!」
「本当に良くそこまで出来るな」
「完璧に決めてこそだよ。まあ、Dormouseの奴は機能性重視だから安心してね〜」
風見はChechireと気の置けない友人のように話した。いや、実際に友人なんだろう。仕事の話をしても軽やかに笑えている。公安に所属しているとそういう人物は中々作れないだろう。だからこそ、余計に警戒してしまう。
「あ、俺の名前はChechire=Queen。
Chechireはぴょんと不規則に跳ねながら愉しそうに降谷の方へ寄ってきた。
足音が全くしない。しっかりと足が地面に付いている所を見ていたはずなのに靴が擦れる音一つしなかった。しかも、服装だけ見れば女性寄りだが、一切女性らしさを感じさせない。寧ろ、一目見ただけでも男性だと分かる。
「そしてそこの、上司くん?で、合ってるよね?あーお名前の呼び方が分かんない。自己紹介よろしく」
ニヤニヤと不気味で得体の知れない笑顔で問いかけてきた。
チェシャー猫と名乗ったのだから、きっとそれに意味はないのだろう。
「警察庁の降谷だ」
「おお!アムロじゃなくて良いんだ!」
Chechireは一気に顔を輝かせた。降谷はその笑顔にどこか既視感を感じた。コナンも感じたようで、真剣な表情をしてChechireに問いかけた。
「ねぇ、お兄さんとどこかで会ったことない?」
「俺とは初めてかニャアん。んふふふ!」
Chechireはコナンを覗き込んで、意味深長に笑みを深めた。相変わらず動く時に音はしない。
「んん。Chechire、時間がないと言っておいたと思うんだけどな」
「いやあ、すまないね。Dormouseはこの後、あったんだっけ。じゃあ、俺はこの辺でお暇しましょうかニャあ」
風見に声を掛けられたChechireはふわりとコナンから離れて、橋の方へ数歩歩いてこちらを見た。
「……Hatterはこれから沢山悩むよ。精々、受け止めてあげてね」
Chechireは音をさせないまま橋の向こうへと消えていった。
「風見、そのUSBは何だ」
「お土産の"お菓子"だそうです。"お菓子"は少しだけしかないらしいですが、"どっぷりと糖蜜に浸かっている"ので少しでも十分だと」
風見は後でコピーして渡しますとだけ言って、急いで立ち去っていった。降谷はそれを止めることなく見送った。
「あれ?安室さん、これ」
コナンは風見が落としていったらしいメモ用紙を拾い上げた。
内容は羽場二三一の自殺について。単語だけが簡潔に纏められている。
羽場二三一、自殺、公安、殺人、弁護士、検察官。
最後、一番下に電子機器とメモがあった。
「ああ、ありがとう」
降谷はコナンからメモを受け取って歩き去って行った。
コナンから遠く離れ一人になってから、降谷はポツリと零す。
「協力者ではない……。彼は誰なんだ」