僕は何も考えずにぼんやりと立っていた。時折、通りがかりの人が僕の方を見て目を逸らす。
それもその筈。一般的な人とはかけ離れた服を着ているからだ。大道芸のような姿をした人間がぼんやりと立っていれば、それは不審に思われるだろう。
今被っている青色の大きな帽子は見た目に反してあまりズレ落ちたりしない。いつもの帽子とは違って、外行き用の衣装だからだ。同じように青色で揃えた、舞台に立つような派手なスーツも案外動きやすい素材で作られている。右肩に留められた無駄に長い白の布は防水加工がしてあって、いつ役に立つのだろうか謎だ。
Queenは何を思ってデザインしたんだろうか?Queenは自覚のある変人だから、その頭の中を汲み取るのは難しい。
手元のスマホはIoTテロでお釈迦になってしまった。燃えて回路が死んでいるようなので回復は見込めない。という事は仕事もできない。僕が外にいても許されているのは、外でもしっかり仕事をして溜め込まないからだ。遠出している時にIoTテロの餌食になるとか、本当に馬鹿だ。分かってたなら、モバイルデータを切っておくべきだった筈なのに。今更、そうやって悔やんでも無駄だ。
ため息をつけば、ニヤニヤと嘲笑っているQueenを思い浮かべてしまって更に気分が落ち込んだ。幾らQueenとは言えど、僕をそんな目で見るはずがないのに。
帽子を深く被って、ギリリと拳を握る。この前切りすぎてしまった爪の所為で全く痛くない。
途端にカツカツと規則正しい、知っているけれど聞いた事のない靴の音が耳に入ってきた。
僕がバッと顔を上げると、目の前に仄暗い炎を灯した零くんが歩いていた。
じっと見ていたら、零くんはこちらを一切気にせずに通り過ぎてしまった。急いで振り返り、声を掛ける。
「なあ、待ってくれない?そこの、漫ろ雨の、お兄さん」
「はい。何でしょうか?」
零くんは人好きの良い笑みを浮かべて、俺の方を見た。
流石本業なだけあって切り替えが早い。
「いや、あの、」
手元の小型盗聴発見器をオンにして、振動がない事を確認して消す。
「零く、」
素早く僕の胸倉を掴んだ零くんはギラリと目を光らせた。零くんの方が身長が高い所為で足が浮いている。
「貴様がなぜその名前を知っている?答えろ。それから貴様は誰だ」
至近距離に零くんの青い炎を感じる。冷たい色をして暗示を掛ける、強い意志をもったそれは、前に彼が自慢してくれた色と同じだった。
「たまご……」
「は?」
「ううん。何でも、ない」
零くんは思いっ切り舌打ちをして、ぱっと手を離した。僕はそのまま着地する。
「僕は、Hatter=Clock。皆からはHatterって、呼ばれてる」
「成程、Chechireのお仲間ですか」
厄介だな。今、Chechireなのか。何するか分からない分、根回しは早いだろうけど、仕事に関しては信用できないからな。
「あ、うん」
零くんは難しい顔をしている。まだ、警戒は解かれていないし、端から見たら俺が睨みつけられているだけに見えるだろう。
じっと零くんを見つめてみる。
他人の細かい行動はその人の無意識を教えてくれる。しかし、目は何よりも雄弁なのだ。
零くんの目が零くんの全てを抑え込んで、どろりと得体のしれない液体がそこに溜まって、様々な色が混じった黒に濁っている。奥に見える小さく、光度の高い炎の光がそれを全て掻き消すように全面に出ていた。眼球を侵食する昏い液体に、僕の第一印象を誤魔化すほどの強い光。
僕でこれなら、零くんは、
「なんで、そんなに」
僕は思わず零くんの手を取って駆け出す。零くんは驚いて振り払おうとするが、上手く力を逃して掴み直した。
「なっ!おい!どこに行く!?」
零くんは驚きながらも、しっかりと走っている。
僕は纏まらない思考のまま、兎に角、自分の直感に従って街を駆け抜けた。
どれだけ走っただろうか。
上がった息で噎せながら、ゆっくりと足を止めた。
落ち着いて周りを見てみれば、薄暗いどこかの裏路地だった。人気がなくて、何の目もない。何も考えてなかったにしては良い場所に辿り着いた。
ちらりと見た零くんは一切息が切れておらず、僕の事をギラリと睨みつけていた。
ふつりと黒い液体が沸き上がる。高貴な青白い炎が混ざって、強い威圧を放った。
「こんな所まで連れてきて何の用だ」
僕は反射的にぎゅっとその手を握った。
冷たくて、触れた所から神経が痺れて行くような心地がした。
「一人じゃ、生きていけないから」
「何を言って、」
怪訝な顔をする零くんの手を強く握り直す。手が痛くなるくらい思いっ切り。
ポイントを抑えれば、極度な力は要らない。ギリギリと零くんの大きな手を圧迫していく。
「っ、やめろ!」
零くんが僕の手を振り払う。力を入れる事を優先としていたので、いとも容易く振り払われた。
「どうして零くんは、そうやって、見ないでいられるの?」
「何を?」
「だって、それ、そんなに前に出しておいて、一人で抱えたまんまだから」
僕が零くんの瞳の先を指すと、零くんは顔に手を当てて確かめてから、首を傾げた。
瞳に溜まった澱みをじっと見つめる。
赤のような、緑のような、青かもしれない。主にその三つの様々な色が混じっていた。瞳の色が青だからか、気持ちちょっと、青が強調されてる感じがする。
「憤怒?後、嫉妬とか。もしかして、寂しくて悲しいの?」
「何の事を……?」
零くんは眉を寄せて、困惑を顕わにした。
「受け止められないもの」
僕がその一言を伝えた途端、零くんの目から涙が零れ落ちた。
「あ、別にそういうつもりじゃ……、ちょ、あ、どうしよう」
僕は慌てて、肩に留められた無駄に長いよく分からない布で零くんの涙を拭った。零くんは驚いた顔をしたまま固まっている。
「え、俺、泣いて……?」
「良いよ、泣いても。所詮、他人だから。零くんは、あんまり頑張り過ぎだよ」
呆然としていた零くんの涙を出来るだけ拭って。それでも涙は止まらなかったから、零くんの体をぎゅっと抱き締めた。
零くんの身長は高いから、平均に満たない僕の身長だと、零くんの顔面に帽子が当たっている気がする。痛くないかな?
少しして、泣き止んだ零くんがもう大丈夫だと言ったので、密着していた体を離した。
「みっともない所を見せたな」
「気にしなくて良いよ。一人でいるより、マシだと思うし」
零くんはスーツを整えて、息を吐く。
零くんの顔色が先程よりもずっと良くなっていて、安心した。
「風見の友人に悪い事をさせたな」
「別にQueenは、そんな事、思ってないだろうし、特段、気にする必要はないよ。寧ろ、Chechireはトリックスターだから、結果は悪くない、ぐらいにしかならないからさ」
零くんが首を傾げる。釣られて、僕も首を傾げた。
何か不思議な事があっただろうか?
「君は、風見の友人ではないのか?」
「あー。友人と言えばそうだけど、Dormouseの、と言われると、先にQueenの方が、出るんだよね。Queenのが親しいし。僕だったら、Marchの友人って、言われる方が、分かりやすいかも」
「March?」
そうか。零くんはMarchって名前知らないんだっけ。でも、僕はMarch以外の彼の名前を知らないし。うん、仕方ないな。
「まあ、なら、Dormouseの友人で良いよ。じゃあ、頑張ってね」
くるりと後ろを向いて、帰路に着く。
なんだか、雨が降りそうな曇り空だった。