黒羊と炉心溶融の円舞曲   作:アベルシアロン

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夜明けを見上げるファジーネーブル

全てが一段落して気が抜けたようで、ガラス片が飛び散っていない床を探して座り込む。

コナン君は大した怪我と言う怪我をしていないから急いで帰って行っただろうし、公安にも連絡を入れている。直ぐに救援が来るだろう。

 

カンカンと甲高い革靴の音が非常階段のある方から聞こえてきた。

覚えの無い音だ。

腕を庇いながら、警戒する。

 

入口の方から現れたのは、救急セットを手に持ったHatterだった。

ホッと力が抜ける。腕が痛んだ。

 

「無茶しすぎじゃない?この周り、色々手を回してて、良かった」

 

Hatterは俺の側に来ると素早く救急セットを広げて手当てし始めた。

ピンセットで腕からガラス片を抜き取り、溢れた血をハンカチで拭って、ガーゼで患部を押さえる。

麻酔なんてないので、普通に痛かった。

 

程々に血が止まると、そのまま包帯でグルグル巻きにした。固めに留められていて、少しの事があっても解けなさそうだ。それから、飲み薬を数個出して、未開封のミネラルウォーターと共に渡された。痛み止めと化膿止め、増血剤だ。

慣れた手つきで取り出された医療用の薬を見て、それはどこから入手したものなのか、いや、それ以前に量は適切なのだろうかと思った。

ちらりと訝しげにHatterの方を見れば、幾ら他人からの物を、口にしたくないとは、言えど、悪化するより、マシじゃない?と言われてしまった。

そういう事じゃないんだけどな。

 

俺が薬を飲んでいる間にHatterは他にもできていた擦り傷やら何やら細かい怪我を手当てしていった。

 

「うん。これで良いかな」

「終わった、か?」

 

応急処置が終わる頃には思考が上手く働かなくなっていた。

とは言えど、軽く思考が阻害される程度だ。

例えるなら、三徹明けぐらい。

 

Hatterはそんな俺の様子に気付いたようで、顔を綻ばせて俺の隣に座り、話し始めた。

 

「痛み止めの副作用だと、思う。そんなに強くないから、今日明日、ちゃんと休んでれば、問題ないよ」

「ありがとう」

 

Hatterはあまり話すのが得意では無かったはずだ。それでも話してくれるなんて、本当に俺の事が特別なのだと感じる。

 

「無茶しても良いけど、Dormouseの仕事、バサバサ増やさないであげてね。鏡の孤島(ワンダーランド)で無理矢理寝かす羽目に、なるから」

「善処はしよう」

「それ、絶対、変わらないやつ。ちょっとは、考えといてね」

 

彼の所属は何となく、予想が付いている。風見の友人だと気付いてから身辺調査をしたからだ。

軽く髪型などの簡単な容姿を変えていたが、ベルモットのように変装してはいなかった。

一度、仕事中のQueenやHatterを見て、所属が気付けなかった原因を察した時は、驚きを通り越して納得してしまった。

雰囲気や話し方は勿論の事、重心、歩き方、簡単には変えようと思っても変えられないような無意識の細かい癖で全く違ったのだから。

そんな事をしていれば、苦痛に感じるのは当たり前だ。俺にすら計り知れない、天才の苦悩なんだろう。

 

「分かったよ。ああ、少し思ったんだが、君が言っていた鏡の孤島(ワンダーランド)って何だ?」

「Queenが建てて、マスターに全部投げたバー。僕達はVIPとして飲んでるだけ、だから、変な事はしてないよ。完全匿名制で、Queenがルール。テーマは、逃避行(オチャカイ)の先の虚構の世界(ワンダーランド)。えーと、正式名称はQueen's Court of Mirror Islandで、ちゃんと税金も払ってるよ」

「ふうん。俺も行っても良いか?」

「うーん、どうだろう。零くんには、あんまり合わないかも。一番最初の所の方が良いな」

 

Hatterは嘘つき、ではないけれど、幾らかの物事に対して分かっているのに見ないふりをしている。現実とどこか一線を引いたような接し方をする所があると言うか。

だけど、今は出会った頃よりも少し現実に近付いていた。Chechireが言っていた決めた覚悟と言うものの一つなんだろう。まだまだ悩むと言っていた所を見ると、きっと悩みはこれ一つじゃないんだろう。俺が時間を掛けて封じ込めた心の奥底を一瞬で見抜く、その技術で、気付いてはいけない事に気付いてしまった事も数え切れない程あるんだろうな。ベルモットですら気付かなかった俺の深部を掠め取ってしまうのだから。

それを仕事の為の外面に使って出来てしまったのが、苦しみに悶えるHatter、なのだろう。

 

「そうだな。じゃあ、このアドレスを渡しておくよ」

 

ポケットから少しシワになってしまった手帳を出して、衝撃でヒビが入ってしまったらしい安物のボールペンでアドレスを記して千切り、手の上に乗せた。

 

「零くんに合わせるから、大丈夫そうな日程、教えてね」

「後で送るよ」

 

力が抜けて安心したからか、ゆっくりと眠気が現れてきた。流石にHatterに俺を運ばせるのは申し訳ないと思って眠気と戦っていると、Hatterがふわりと髪を解くように頭を撫でてきた。

 

「まあ、僕は他人だし、警戒するのは分かるけど、今は寝ても良いんじゃないかな。ちゃんと責任持って、運んでおくし」

 

身辺調査も済んでるし、ここまで全て分かっているのに何もなかったかのように協力されては疑う所は何一つない。だから、警戒は一切していないのだが、それは伝わっていないらしかった。

完全なる感覚派のようだし、もしかしたら、信頼してないと思っている方を読み取ってしまっているのかもしれない。Hatterの事はまだ信頼には値しないが、それなりに信用はしてるんだがな。

俺の心は見抜く癖に、そこだけ気付かないなんて。

俺はそういう事じゃないんだけどなと零しながら、言葉に甘えて瞼を閉じた。

 

 

二人を照らす満月は少し青みがかっていた。

 

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