ルビの修正を加えました。
立て込んでいた
プライベートの様相に着替えて、街をふらふらと歩く。
今日は電車を使って庁舎から少し離れた住宅街を歩いている。あそこから離れる事が今の目的だから、特にする事もなく家々の並びを流し見てるだけだ。日が暮れるまで、時間的にもまだ余裕がある。どこか目新しい物がないか、少しの期待を込めて街を歩く。
目に止まったのは一つのカフェ。ポアロの看板が掛かったそれは、ゆったりとした純喫茶の雰囲気をしていた。カラリと心地良い鈴の音を聞きながら、ドアを開ける。
「いらっしゃいませー」
にこりと優しい笑顔で僕に声を掛けてくれたのは、この前のバーで出会ったムロくんだった。
どうしよう。反応に困る。
ムロくん、仕事モードっぽいし、目がちょっと僕を警戒してる。邪魔だっただろうか。
口の端から上手く纏まらなかった言葉が零れ落ちる。
「ムロくん、」
「あ、ユウさん。この前会って以来ですね。お一人ですか?」
「あ、うん。カウンターで、大丈夫?」
「ええ。では、こちらへ」
僕が示された席へ座ると、ムロくんは手際良くお冷とお絞りとメニューを用意して僕の前に置いた。
ムロくんは優しい笑顔をしているが、僕にはどうしても拭い切れない警戒心とそれ以上の寂しさ、悲しさ、虚しさ。それらに似た感情が混じり合って、その笑顔に完璧な停滞を感じた。場の雰囲気も相まって、一層そう見えた。
僕にはそれが、彼の、ある一種の幸せに見えなくもなかったが、とても似合わない気がしたのだ。
少なくとも、今の彼ならば。
「あれ?安室さん、お知り合いですか?」
黒い長い髪の女性がムロくんに話しかけた。
僕じゃなくてよかった。
「ええ。でも、この前行ったバーで少し話しただけですよ」
ムロくんが僕の方へ視線を向けたので、僕は口を開かざるを得なかった。
「そうだね。友達になれたら、良いなって」
ムロくんの瞳の奥を強く覗くように見つめる。
想いが伝わるように。強く。純粋に。隠さずに。
「何言ってるんですか。もう、友達でしょう?」
表情自体は変わっていないけど、ムロくんの瞳が揺れる。強い葛藤が窺えた。
「そう?なら、友達だね」
本当の意味で友達として見てくれると良いな。サワみたいに。
「あ、ムロくん、ホットの深煎りに、生クリームって乗せられる?勿論、追加で払うからさ」
「構いませんよ。では、少々お待ち下さいね」
ムロくんは手際良くコーヒーを淹れていく。細かい機械とかは良く分からないけど、美味しそうな香りが漂ってきて少し気分が上向きになった。
「お待たせしました。ホットの深煎り、生クリーム乗せです」
目の前に置かれたのは可愛らしいホイップクリームが山になったコーヒーカップだった。クリームが溶け始めている。僕はカバンからグレンリベットのミニボトルを出すと、クリームの上にとろりと掛けた。カフェで楽しむ即席ゲーリックコーヒーの完成だ。
「それは……」
「ゲーリックコーヒー。こんな所で酒なんて、無粋だったかな」
ムロくんが頑張って淹れたコーヒーだもんね。手を加えるのは良くなかったかもしれない。
ティースプーンらしき小さなスプーンでコーヒーを混ぜながら、少し落ち込んだ。
「いいえ!気にしないで下さい!」
慌てて僕を慰めようとする仕草を見せる。
うーん。少しだけだけど、心が前に出ちゃってる。まあ、精神衛生的には正解かもしれないけど。
「仕事頑張ってるムロくんには、特別。僕の仕事の話、ちょっとだけしてあげる」
「え、お仕事の話嫌いじゃなかったんですか?」
ムロくんが驚いて、カップを拭いていた手を止めた。
「特別だからね。こうやって、頑張って話題を探してるぐらいには。ムロくん、お喋りだから」
ムロくんの瞳の奥に動揺が見える。
混乱してるらしい。何でだろう。
ムロくんは取り繕う技術は高い方だから、一般的な人達には分からないんだろうな。だから、僕がちゃんと読み取ってしまってる事にも気付いてないかもしれない。なら、言わない方が良い。
「本当に良いんですか」
「うん」
ゲーリックコーヒーをちまちまと飲んでいく。コーヒーとアルコールで温まる身体が心地良い。
「僕、仕事場ではね。マイペースな仕事できる系人間なの。信用も信頼も高い。でも、作られた外面なの。心と身体がバラバラで、彼らもきっとコアになる、今の僕は知らない。それは、凄く寂しい事だと思わない?」
「確かに、そうですね」
ムロくんは俯いていて表情が見えない。
「でも、そうでもしないと、仕事が出来ないの。今の僕みたいな小心者が、刺激の強い仕事なんて、出来ないから」
僕が取り扱う情報には悲惨な事件の物もある。情報なだけまだマシだけど、あんまり見たくはない。
「それなら、辞めても良いんじゃないですか?」
顔を上げたムロくんは僕を案じるように眉毛を下げていた。
本当に心配してくれてるなんて、なんだかムロくんの事が、更に分からなくなった気がする。
警戒してるのに、心配してる。
僕はムロくんにとってどんな人なんだろう。
「辞めるなんて出来ないよ。ただでさえ人が足りないのに」
ある意味悲惨な職場だ。コーヒーとエナドリの缶が転がっていて、ガンギマった人達が全力で仕事を仕上げている。
発生する事件に対して、情報分析が追い付いていないからだ。一応、庁舎を出る前に置いてあった仕事は終えたけど、明日になったらきっと増えてるんだろうな。ホントに憂鬱。
「……あんまり無理しないで下さいね」
「こうやって、休憩してるから大丈夫だよ」
ムロくんの隠された物に比べたらそんなに酷い物じゃないと思う。だって、僕はそこまで消耗してないから。
「羊くんも、ムロくんも、サワもツカも、いるしね。昔に比べたら全然。周りに人がいるだけで、随分と変わるものだよ」
ムロくんがここで意味のない笑顔をバラ撒く理由を、全く分かりやしないけど、僕の言葉が届いたら良いな。
そんな独り言は、コーヒーの中、溶け切った生クリームに消えていった。