「さて、話を聞く前に俺からのプレゼントだよ」
そう言って、彼は先程カウンターに置いたグラスを勧めてきた。
「これはね、ハンターって言うチェリーブランデーとライウイスキーのカクテル。俺の知らない内に紛れ込んだあんたにはぴったりじゃん?」
「じゃあ、いただきましょうかね」
俺はニコリと笑って、中身を警戒しつつ一口含む。ライウイスキーのスパイシーさの中にチェリーの香りがふわりと漂う。美味いな。
鈴の音がしてドアが開いた。視線が俺の方からドアの方へと移る。視線の先にいたのは彼と揃いの青色のパーカーにネクタイを着た男。バーテンから明らかに大きい青色のシルクハットを受け取ると、落ちないように気をつけながら頭に乗せた。シルクハットには大きな懐中時計の飾りが付いている。帽子が全体的に大き過ぎて顔が隠れてしまっていた。
「呼ばれたから、来たよ。彼が、Alice?」
帽子を支えながら俺の隣の席へ座ると、帽子のつばを上げてじっと俺を見た。
「そうだよ、Hatter」
彼は機嫌良くマンハッタンを飲み干した。相変わらず、Hatterと呼ばれた男は俺を見ている。
「Queen。"外側"、だったりする?」
「勿論。あー多分、情報収集だと思う。いつも聞き耳立ててたし」
Queenと呼ばれた彼は、俺の目的を当てていた。それに関しては隠していなかったが、酒に薬物を混ぜて俺を試したり、殺気の入り混じる視線に当ててみたり、油断ならない人物だ。
「そうやってる、理由は、聞かない」
Hatterは俺の顔を指して、自分の頬をグイッと抓った。
変装が見破られている。しかし、そこには踏み込まないらしい。今の所は大丈夫そうだ。かなりギリギリだが。
「どのくらい、イケる?」
Hatterが手を銃の形にして問い掛けてきた。
バレている。俺が人並み以上に銃器を扱える事が。ここでそんな話をした覚えもないし、尾行があった覚えもない。とすると、気を配っていたにも関わらず見破られたという事か。
「手を見れば、分かるよ。別に、告発とかはしないし、気にしないで」
「うん。Hatterもこう言ってるし、警戒とかもナシナシ!場合によっちゃーちょっと手伝って貰う事があるかもぐらいだよ」
Hatterがギュッと帽子の端を握った。
確かに手にできたマメは誤魔化せない。グラスが結露していて手袋を外していたのが仇となった。
「で、あんたは何を求めてここまで?」
本題に入った瞬間、空気がガラリと変わった。緊張感が場を包む。
Queenの問答無用で下に見るような不快な視線。Hatterはヘラリと笑って、その弾みで帽子がズレた。
「この辺の情勢をよく知らなかったものでして。少し前まで別の場所にいたのでね」
「ふーん。差し詰め戻ってきたって所かな。ここの立地って来てからすぐに分かる程甘くないし」
Queenは俺が誤魔化そうとした言葉の中から正確な情報を読み取った。これで警戒するなと言われても無理がある。
Hatterが面白そうにカラカラと呵う。ただでさえズレていた帽子が更にズレてしまい、Hatterは慌てて帽子を直した。
「気にしちゃダメだよ。たかが、どことも分からぬ、一人の
「そりゃ、確かにそうだけどさ。折角の
Queenが苛立ちを隠さず、カウンターをカツカツと指で叩く。
「あ、Queenたら、
Hatterはバーテンの方へ向くと、手を差し出した。また帽子がズレてしまっている。Hatterはバーテンからハートを模した小さな王冠を受け取ると、Queenの方へ後ろに立ち、頭に王冠を乗せた。
「ついでに、Aliceにも」
Hatterが俺の側にやってきて、首元に赤色の大きなリボンを結んだ。
「君って、今まで見てきたAliceの中でも、一等常識人で、一等オカシイね。
Hatterが満足気に呵いながら、俺の頭をわしわしと撫で回す。乱暴なように見えて、その実、今身につけているカツラを落とさないように気を付けている。気遣いができる人間ではあるようだ。
「まあ、確かにそういう仕事してるのに構わず情報の粗探ししてる所とかそれっぽいけどさ。こうやって潜り込んできてるし、能力も高いんだよ。でも、それ以上に!」
Queenがカウンターを思いっ切り叩いた。後ろで静かに様子を見守っていた人々がビクリと身体を揺らして困惑し、こそこそと話し始めた。
「Queenが気付けなかった事ぐらい、気にしてない。Aliceなんだし、そういうものでしょ?」
「確かにさぁー。つか、後ろが五月蝿いんだけど」
Queenがギラリと後ろにいた人々を睨み付ける。強い殺気と共に店内を一周した視線に怯えて瞬時に押し黙った。
Hatterが機嫌良く呵う。スキップしながら、カウンターの中に入るとグラスを取り出してカクテルを作り始めた。
「まあ、今回はHatterの機嫌が良いみたいだしこれで許してあげるけど、次に無断で俺らを探ろうとしたら許さないから。ここはあくまで、
Queenはガンッとカウンターを蹴り飛ばした。
Hatterが機嫌良くステップを踏みながら、茶色の液体が入ったグラスを三つ持ってカウンターから戻ってきた。不規則でふらふらとしているのに嫌にしっかりとした足取りの所為で、グラスいっぱいに入っていた中身が縁から床へと溢れた。
「おまたせ。永く狂ったままの孤島での、
Queenと俺の前に勢い良くグラスを置く。置いた弾みにも溢れた。もう四分の三ぐらいに減ってしまっている。バーテンが何も言わず床を拭いていた。
「Queenのコレは、ただの八つ当たりだから、気にしないでね」
Hatterがグラスを煽った。すうっと空気が冷えていく。Queenもグラスを傾けて、俺の事をニヤニヤと見つめているばかりだ。
「ここは、理不尽に真逆になった鏡の孤島。右も左も、分からない。僕達の、99%の私情と1%の希望で出来た、狂って先の見えなくなった
Hatterの高く機嫌の良い呵い声は先程と変わらない音であるはずなのだが、しんと静まった店の中では酷く空虚に、崇高に響いた。