◆side陰子
吸血鬼という魔物は知能が高く、魔力が高く、洗脳や催眠などの魔術を扱い、
吸血鬼が取る人の姿はあくまで餌である人間を狩り易くするための擬態であり、その本来の姿は手足に鋭い鉤爪を持ち、背にはコウモリの翼があり、口には鋭い牙が生えた巨体。人の価値観で言えば「怪物」と言い表すべきものだ。
吸血鬼は人間のように群れ合うことをしない生物であるので他の同胞が己の姿をどう思っているのかなどは知らないが、私はこの
それなのに。どうしてこんな体に。
「……雌が」
鏡に映る柔肌が、私が本来貪るべきである餌の姿が、搾り取って嗜むべきジュースが、それが自分のものであると考えると吐き気がした。
「……ぐぅ……痛い……」
私はあの異形の神に陵辱されて、カタチを歪められ、精神を屈服させられ、子を孕む機能を付け加えられ、チカラを奪われた。
依然として魔力量はあるものの、肉体は強度機能共に人間の雌と変わらない。
吸血鬼としての矜恃たる牙は少し長めの犬歯に貶められた。辛うじて血を吸う機能とそれを魔力に変える機能を残しただけのお粗末な模造品。
吸血鬼の象徴たる鮮血を映す紅の瞳は、長いまつ毛とふっくらとした涙袋を携え、雄に媚びる人間の雌のそれに変えられてしまった。
そしてそれらは、あの異形神からすると「萌えポイント」でしかなく、ただそれだけの為に、私の容姿に吸血鬼という
「痛い……痛いよぉ……」
こんなはずじゃなかった。
狭いシャワールームで一人しゃがみこむ。抱え込んだ膝にぽたりと落ちた雫によって、自分が泣いていることに気づいた。
鏡に映るのは、可憐で弱くて小さくて、蹂躙される側の人間の雌。少し前の私なら、その涙に気分を良くしてじわじわと食べて殺して愉しんだだろう、弱者。
「うぅ……ううぅ……」
声を出してもジクジクと腹に響く痛みは増すばかりだった。
私がしばらくそうして蹲っていると、ガチャりとドアが開く音がした。焦ってそちらを見れば、そこにいたのは契
「陰子! 大丈夫!? ……って、あ……」
恐らく、私が住ませて貰っている彼の部屋に残った血痕と、私が姿を消したことから急いで魔力探知を使ってここに来てくれたのだろう。
彼の後ろに何匹かいる触手を見るに、恐らく更衣室の鍵も無理やり解錠したのだろう。
私は急いで、
彼の方を向いて両膝両手をついて、腰を落として頭を床に擦り付ける。
「申し訳ありません、契さん。頂いたお布団を、汚してしまいました。どうぞ、罰してっ……ください」
体が震える。
罰。その言葉に恐怖が止まらない。また、またあの時のように異形神に捧げられるのか。触手に、陵辱されるのか。犯され、壊され、歪められ、変質させられ、貶められ、辱められ、奪われ、産まされるのか。
嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌嫌嫌怖い怖い怖い怖い怖い。
「ちょ、いいから顔上げて! うわ冷た! いつからそこにいたの!?」
「え……はい、すみません、覚えていません」
「もう……とりあえずもう一回シャワー浴びて温まりなよ。ほら、これあげるから」
契さんはそう言うと、私に百円玉を何枚か渡してきた。
ここの寮のシャワールームはシャワーを使用するにはコインを入れる必要があり、百円につき20分しか使用できない。
「分かり、ました」
「じゃあ俺、ちょっと買い物してくるから出たら教えてね」
「はい……」
どの道私は彼の言葉に逆らえない。
百円玉を挿入口に投入して、水圧の物足りない温水を浴びる。股下にこびり付いた血を何度も何度も擦ったが、どうにも消えない気がした。
◆
ぼうっと少し長めに温かいシャワーを浴びて血を洗い流して、持ってきたタオルで体を拭き着替えて更衣室を後にすると、そこには手にビニール袋を持った契さんがいた。
「陰子大丈夫? とりあえずこれ使って。あんまり知らなくて申し訳ないけど」
契さんが渡してきたビニール袋の中にはナプキンと市販の鎮痛剤、そして使い捨てカイロが入っていた。
「ええと、使い方は箱に書いてあるらしいから、それ見てやってみて。あとカイロはお腹に当てると楽になるらしいよ」
「……なんで」
「え?」
「なんでそんなに、良くしてくれるんですか」
思わず、余計な言葉が口から漏れた。私が彼に敗れ、異形神に陵辱され、彼の肉奴隷に堕ちてから一週間程が経ったが、予想外に彼は優しい。
私は体を求められることも、暴力を振るわれることも、魔術の贄にされることもなかった。
それどころか住処として彼の住む寮の部屋の一部を貸し与えてくれて、三食分の食事代を出してくれて、私が寝る用の布団すらも与えてくれた。
彼が私にした命令は、部屋の掃除や料理、果てには「そこのリモコン取って」など、非常に些細で私に負担がかからないものに留まった。
「なんでって、まあ……」
契さんはそこまで言って口を閉じた。
……しまった、藪蛇だったかもしれない。私がそう後悔を抱き始めた頃に彼は再び口を開いた。
「もっと酷くした方がいい?」
「いえ! 滅相もない! 契様のご慈悲、深く感謝申し上げます!」
「冗談、冗談だって。ごめんそんなガチな反応されると思ってなかった。いやほんと。頭上げて……?」
恐る恐る頭を上げると、困り眉でこちらを見る契さんがいた。
肩の力が抜ける、温かい優しさに溢れた顔だった。
「まあ最初は、テンちゃんからのプレゼントだから大切に扱わなきゃって思ってただけなんだけどね」
ゆっくりと契さんは語り出した。
「実際のとこ、俺は別に君から何かされたわけじゃないし、学園の生徒も、まあ洗脳はされたけど実害は出てないじゃん? だからなんか恨む気にもなれなくてね」
契さんが私の頭に手を置いて、ゆるゆると優しげに撫でだした。身長が縮んだ私は彼よりも一回り小さくて、こちらを優しげに見る彼をぼんやりと見上げる。
暖かな手だ。眠った赤子を摩るような手つきがこそばゆい。
「それに、まあ……一緒に暮らしてると情が湧くじゃん。なんやかんや見た目美少女だし」
そこにあったのはただの善性だった。
私がまだ彼に敗れる前、私の名がまだ阿九寺陰平だった頃に、彼にこう聞いたことがあった。
『契くんは、どうしてそこまでしてリュウマくん達を助けるんですか?』
私の送り込む魔物達が尽く契さんに敗れ、苦い思いをしていた頃の話だ。探りも含めて、世間話の体で純粋な疑問を彼に投げかけた。
『どうしてって、そりゃ、友達ですから』
彼はそう答えた。
そう簡単には目的は教えてくれないか、と当時は思った。しかし実際のところ、恐らくそれは彼の本心だったのだろう。
彼は、山田契は優し過ぎるのだ。それは毒だ。人の、生きる者の心を蝕んで溶かす、彼すら無自覚な猛毒。
だから彼の周りにはその毒に侵された者が集まる。
滅亡したと思われていた退魔師の生き残りに、天才と呼ばれる治癒魔術師、本来人が恐怖でしか支配できないはずの触手達、そして、あの異形神。
洗脳によって支配しているはずの
しかし違かった。彼はただ本心で触手を愛し、愛された。それだけだった。
彼の周りに集まる人達も、支配関係や利害関係にない、純粋な好意で彼のもとへ集まっている。
それがどれ程恐ろしいことか、彼らは理解していない。無償の愛という呪いは、その被害者から対価を踏み倒し価値を毟り取る。彼は、異形神テンノグロスでさえもタダ働きさせられるのだ。
神童。操魔師の間で彼がそう呼ばれていると最近知った。
冗談じゃない。人も魔物も神も関係なく誑かして、それでいてなお平気な顔をして
あれは神童なんて言葉では収まらない、致死性の善意の怪物だ。
「これで納得してくれた?」
「う、うん。……いえ、はい」
「よかった」
そう言ってはにかむ彼の顔を、私はぽけっと見つめてしまった。
頬が赤らむ。
嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ。
だって契さんは……いや、コイツは、私をこんな体にした原因で、あの異形神の仲間で、私の計画を阻止した張本人だ。なのに、なのになのに。
「……っと、こんな所で話してると湯冷めしちゃうよ。とりあえず部屋に戻ろう」
「……っあ」
彼の手が、私の頭から離れていくのが寂しく感じてしまって、女々しく目で追ってしまった。
「ふふっ。何、もうちょっと撫でてて欲しかった?」
「い、いえ! そんなことは……!」
「はいはい、ほら、行こう」
私をからかうように笑って、契さんは私に手を伸ばしてきた。その優しさに抗えなくて、私の手はそこに伸びてしまう。
契さんの手が私の手を握る。そのまま歩く。
今でも私は、一応は魔物としての力が残っているから、寮にいる間は魔力を使って一般人には姿が見えないようにしている。
だから、私と手を繋ぐ契さんの姿は傍から見たら変で、寮生から視線が集まってしまう。
「その、契さん、目立ちますから、手は……」
「嫌?」
「……嫌じゃ、ないけど」
「なら、俺は繋いでたいな」
「……っ」
ずるい。ずるいずるいずるい。
酷い。
どうしてそんなに優しくするの。
私は、あなたのことをどう思えばいいの。
◆
「……いつも、すみません」
「いいって。そんな痛くないし」
あれから痛み止めを飲んで、カイロをお腹に当てていたら痛みはマシになった。なれないナプキンを使って血もなんとかして、少し落ち着いた。
そうしたら、今度は
魔物は生きていく上で魔力が必要となる。魔力の入っていない食事も食べられはするが、それだけでは必要な栄養が賄いきれない。
何によって魔力を補給するのかは魔物によって異なる。触手なら人間の体液から魔力を補給するし、サキュバスなら人間の淫夢から魔力を補給する。
そして、吸血鬼は人の血液から魔力を補給する。
「それでは、その……いただきます……」
「はいよ」
Tシャツを脱いだ契さんの、色白なうなじに歯を立てる。
こんな体になってしまった私の、女々しい雌の象徴のような可愛らしい小さな犬歯で彼の血液を啜る。
濃厚な魔力が籠った契さんの味。
蜂蜜のように粘性があって、腐った果実のように甘い退廃の香りがして、どうしようもなく優しさが染み付いた、契さんの魔力の味。淫靡な彼の味。
美味しくて、美味しくて、私はそれを啜ることを止められない。
「……んっ……んッ」
彼の血液が、魔力が私の体に注がれる。私の体はどうしようもない甘さに侵されてしまう。私の存在そのものに彼が色濃く染み込んでしまう。
「んふふ、ちょっと、くすぐったいって。血飲むだけなら舐めなくたっていいでしょ」
「ごめんっ……なさい……っあ……んッ」
唾液が止まらない。
無意識に舐めてしまった彼の肌は、食べてしまいたいほど甘味だった。
すぐそこで彼の髪が揺れる。匂いが鼻に入ってくる。彼の匂い。同じ部屋で暮らしているから布団にも服にも染み付いてしまった、いつも嗅いでいる香り。優しくて温かくて、まだ若い男の子の香り。
「ちょっと飲みすぎじゃない? いや、別に俺はいいんだけど。……吸血鬼って太ったりするのかな……」
「まだ、まだ……もうちょっと……んっ……」
私の体を彼の魔力と血液が満たす。
もうずっと、彼の血だけで生きている。私の体はもう彼の魔力と血液に置き換わってしまって、きっと匂いすら彼の匂いが染み付いてしまっている。
それが堪らなく嬉しい。
「……んッ……んん……ん……ごちそうさま、です」
「はいよ。にしても結構飲んだね」
「……はぁい……」
彼の魔力が身体に満ちて、ふわふわと多幸感に満たされる。
私はそれからしばらく放心状態だった。
「陰子? おーい、陰子」
「……契さん?」
「お、正気に戻った。なんかトリップしてたみたいだけど」
「……あ! その、少し一度に血を飲みすぎたみたいです。……あっ、あの! 契さん、私、少しトイレに行ってきます!」
「ああ、うん」
私は気まずさを誤魔化しながらトイレへ向かった。
学園の寮は部屋にトイレが付いておらず、トイレは廊下を挟んだ先にある共有トイレを使うことになる。私はその事に深く感謝した。
陰子ちゃんは、テンちゃんにその体を「溜まりやすい」ように作り変えられていてほしい。貞操観念が固い山田は陰子ちゃんに手を出さないでほしい。陰子ちゃんはそのことに安堵しつつも無意識に不満を抱いていてほしい。そしてある日溜まりに溜まって抑えきれなくなったものを衝動的に慰めてほしい。その時には「なんでこんな体に……!」と自分をメスにした原因である山田にイライラを覚えてほしい。そして「なんでなんでなんで……!」と山田が自分に向ける優しさや山田の匂いが染み付いた部屋や山田の血液と魔力と匂いに染まってしまった自分の体に怒りを抱きながら果ててほしい。そして全てが終わった後に、自分が山田を「ネタ」にしてそれをしてしまったことを自覚して、自分がこんな体になってしまった原因を好いてしまっていることを恥じながら、布団をグッショリと濡らした自分の汗やら何やらを悶々とした気持ちで処理してほしい。その後部屋に戻ってきた山田に「なんか変な匂いしない? 換気しよう」と言われて耳の先まで顔を赤くしていてほしい。
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