魔法の使えないドMエルフくん   作:禍を齎すドMエルフくん

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 ちょっとハードな世界観で、ハードな設定を背負ったドMエルフの話を書きたかったんです。それに苦脳する家族の話も。許さないでください。


1話

 

 

 エルフとは自然との調和、そして魔法を何よりも尊ぶ種族である。

 

 遥かなる時の流れの中で、エルフは魔法と共に育ち生きてきた。

 

 彼らの数千年にも及ぶ長い寿命は、魔法の深淵を探求するための時間を与え、魔法の力を自在に操る術を育み発展させた。

 そして自然との調和を重んじ、森や精霊との共生を大切にする彼らの心は、魔法を通じて自然界へと深い絆を築き上げてきたのだ。

 

 そうして長い年月をかけて培われた魔法は、エルフ族の壮大な歴史を表しており、他種族とは一線を画すその卓越した魔法技術は、彼らエルフの最大で最高のアイデンティティだった。

 

 エルフにとって魔法は種族上必ず備わっている生まれ持った才能であり、天から授かる神聖な力。単なる超常的な力だけではなく、自然界のリズムに乗った「生きた知識」で、精神と物質を一体化させて共に歩み育ってゆく身体の一部、欠かせない重要な要素であった。

 

 故に彼らの文化や生活に深く根付いた魔法は、エルフたちの存在そのものと切り離すことのできない、まさにエルフとしての誇りであり『当たり前』の象徴なのである。

 

 

 ───だからこそ。

 

 

 もし、魔法を一切扱うことのできない特異なエルフが存在するのであれば。

 その者は、エルフでありながら自分の存在意義や価値を見出すことのできない、翼を強引にもがれた鳥のように不憫で、憐れで。

 

 とても、不幸な存在だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆

 

 僕はエルフだ。

 

 そして、エルフならば扱えて当然である魔法を全く扱うことのできない、唯一無二といっていいほど物凄く珍しい存在でもある。

 

 僕が魔法を使うことのできない欠陥品だと解ったのは、数日前。子どもといえど、簡単な魔法一つすら発動できない僕を心配した姉に連れられ、村長の家で鑑定魔法による診断をしてもらったときのことだ。

 

 あのとき体験した感覚は、今でもよく思い出せる。

 

 

 

 重苦しい雰囲気の中、沈黙が走り続け、漸く村長がその固い口を開いたと思ったら、告げられたのは予想だにもしていないとても残酷な一言だった。

 

 

 ───この子には魔力がない。 

 

 

 村長の厳かな顔つきが、より一層険しくなる。

 魔力とは、魔法を発動するために必要なエネルギーのことだ。魔法は魔力を練り外界と共鳴させることで、発生する事象のこと。エルフの基礎中の基礎である。

 

 僕には、その魔法を発動するのに必要な魔力がない。それはつまり、エルフとして絶対に備わっているべき大事な基礎の要素が欠落しているということだ。

 

 エルフは生まれた瞬間から体内に宿る魔力を感じて精霊と繋がり、魔法を深め自然と共鳴するのが当たり前の種族。それができない僕は、エルフとしての最低限の誇りを持つことすら許されない。

 

 エルフである筈なのに、魔力を持たず魔法を扱えない欠陥品。

 その粗悪な正体こそが、この僕──リエム・エルフェリードだった。

 

 その事実に気が付いた瞬間、僕はあまりの衝撃に顔を伏せた。身体を震わせ、小さく短い息の詰まった呼吸音を、喉から吐き出すことしかできなかった。

 身体がじわりと熱くなる。内側から溢れるこの感覚、世界を塗り替えるような転換期の刹那。

 

 ──こんなの、耐えられるワケがない。

 

 目の前の景色が何かにぶつかったかのように弾け、頭がぐらりと揺れる。それでも何とか顔を上げ、僕はニッコリと笑った。

 

「……そっか。僕には、魔力がないんだね」

 

 その笑みを伴った反応に村長も、隣で固唾をのんでいた姉も、言葉を失っていた。

 

 特に姉のリンネは顔色を真っ青に変えて、僕の袖をぎゅっと掴んだ。いつもの凛としたカッコいい態度とはまるで違う反応である。

 

「リエム……」

 

 僕の名前を呼ぶ姉の声は、凄く震えていた。恐らく色々な複雑な感情が織り混ざっているのだろう。

 

 優しくてカッコいい姉に、こんな心労を掛けてしまうなんて本当に申し訳なかった。

 けれど、どうしても浮かんだ笑みは消せなかった。

 

 今まで、僕は不安だったんだ。

 

 同じエルフの子どもたちが簡単に火を灯し、風を操り水を生み出すのを見ても、僕だけはそれができなかった。

 

 何度試しても、何度繰り返しても、指先からは何の変化も生まれない。精霊の気配を感じることもできず、体内の魔力を感知することもできやしない。いつだって、どんなときだって、僕は迷惑ばかり掛けて、何もやれていなかったんだ。

 

 だけど、そんなどうしようもない僕に、いつも姉は優しく語りかけてくれた。「お前は遅咲きなだけよ」と、何度も頭を撫でて抱きしめてくれた。

 村の人たちだってそうだ。「エルフの魔力は個人差がある」と、僕のような役立たずを邪険にすることもせず、優しく励ましの言葉を掛けてくれた。

 

 

 だから……不安を抱えながらも僕も信じていたんだ。

 

 いつか、必ず魔法を使えるようになる。

 きっと、ある日突然、風が僕を包み、木々が、精霊が、自然が、僕の声に応えてくれる。

 

 ──そんな日は、絶対に来る。

 

 ……そう、信じていたんだ。

 

 でも、違った。

 

 僕には魔力がない。どれだけ努力しても、祈っても、願っても。何も起こらないのは当然だった。生まれたときから、僕は魔法とは無縁だったのだから。

 

 僕は、詰んでいたのだ……初めから。

 

「そっか」

 

 気がつくと僕はもう一度、そう呟いていた。心の奥から笑いがこみ上げてきた。

 

 あんなに不安だったのに。あんなに怖かったのに。

 

 いざ、その『答え』を突きつけられた瞬間──僕は。僕は。

 

「ふふっ……」

 

 口から、笑い声が零れた。

 

 それを聞いた姉様が、ますます顔色を悪くする。でも、僕は笑うのをやめられなかった。

 

 ───だって、だって……こんなの。

 

 僕は魔法を使えないエルフの欠陥品。エルフ族の恥晒し。それは、疑いようのない事実。突き付けられた現実。信じたものに裏切られた憐れな道化、そいつが僕だ。

 ならばこの先、こんな塵屑な僕の辿る末路なんて決まっている。

 

「リエム……お前っ」

 

 僕よりも何倍も顔色の悪い姉が、青色の美しい瞳を揺らしながら、僕の肩を掴む。

 

 安心して、姉様。もう優しい貴方に迷惑を掛けたりなんかしないからね。

 

「大丈夫だよ、姉様。僕……今とっても良い気分なんだ。本当にありがとう」

「ッ!」

 

 その言葉に、姉様は目を見開いた。

 

 そして──次の瞬間、僕は強く抱きしめられた。

 

「このっ……バカ! なんでっ、こんな……大バカ!!」

 

 震える声が、耳元で響く。その温かさに触れたとき。その罵倒を耳元で叫ばれたとき。

 

 僕は、身体を軋ませて。

 

 

 

 

 

 心の底から────興奮した。

 

 

 

 

 

 

 そう。この出来事で僕は初めて、自らの本来の性質を理解したんだ。いや、本当はとっくの昔に気が付いていたのに、その想いを表面に出すことをしてこなかっただけなのかもしれない。

 

 

 それは、自分が役立たずであるにも関わらず優しく接してくれる、エルフの者達に対してずっと抱えてきた心情。烏滸がましくも抱いていた不満。

 

 僕は……ずっと、僕を不幸(幸せ)にしたかった。

 

 お前のような奴はエルフの恥晒しだと罵られて、重い罰のもと裁きを下してほしかったんだ。

 心身共に、深い傷を与えて欲しかった。いや、いっそのこと彼らになら殺されたって別に構わないとさえ思っていたのだ。

 

 だって、それがエルフの皆に迷惑を掛け続けている僕に対する当然の罰だと思ったし、何より、僕自身がそうなることを望んでいたから。 

 

 僕というエルフの本質。それは潔癖な者の多いエルフとしては酷く異質で、変質したモノだった。

 

 

 ───自分の不幸で飯が美味い!!

 

 

 そう。僕はドМだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 自分がドMだと受け入れ、更にはこんなことになってしまった以上、僕が望む処遇は一つだけだ。

 

 

 聡明で博識な村の皆なら、エルフの歴史や法則を鑑みて自ずと答えは導き出せている筈。

 

 そう、迫害1択だ。

 

 

 

 火炙り、水攻め、吊るし上げ、幻想魔法(イリュージョン・マジック)による心を壊す幻想拷問……何だって良い。兎に角、エルフ族の恥部であり汚点の権化である僕を、早急に可能な限りの痛みと嘆きを与えた上で処分するべきだろう。その方が絶対気持ちいいし。

 

 僕たちエルフは、異分子を嫌う。魔法を心身の一部として扱うことが普通とされる自分たちが、最も尊き存在だと疑っていない。他種族に対し排他的かつ見下し気味の対応を取るのもそこに起源している。

 

 姉なんかは典型的なエルフの筆頭だ。自然に相手を下に見ることに何の違和感も抵抗も抱いていない。エルフの中でも特に淀みなく途轍もない才能を有するが故に、己がトップだと疑っていないんだ。

 

 そういうところが大好きだし、もっと僕をぞんざいに扱ってほしいという不満が溜まるのだけど。僕に対して、姉様は超優しいもの。全く困ったもんだね。

 せめてデフォルトの口の悪さくらい僕に発揮してくれてもいいものなのに。僕相手だと過保護も過保護だから、げんなりしてしまう。

 

 

 排他的思考。僕の場合は、昔から魔法が使えなかったためにそんな他種族や劣った者を見下す気持ちなんて微塵も湧いてこなかった。

 

 だって僕が一番劣っているし、他者よりも一段と鈍くさくてカッコ悪いドMな自分が、他人を見下すとか一種のドMへの冒涜行為のように思えたのだ。そりゃ当然ヤる気にならないし、寧ろヤラれたいと思ってるんだよ僕は。ほんといい加減にしろよ。

 

 そうした憤懣が積もっていた中での今回の『魔力なし』宣告だ。

 

 控え目に言って最高である。

 

 一般的エルフの性格を考えると、ソイツはもう素晴らしい未来しか想像できない。

 

 最も望む展開としては幻想魔法だ。アレは使い方によっては現実で不可能な苦痛を直接精神に注ぎ込むことが可能な恐ろしい代物。

 

 ドSな姉様もよく森への侵入者や魔物に使用しており、僕が何度羨ましいと思ったことか。

 

 あまりの苦痛に泡を吹いて気絶したり、ショック死する者たちへ向けて、姉様が吐き捨てた一言。

 

 ──『魔法も扱えない劣等種が……身の程を弁えて死ね』

 

 は、めっちゃ興奮したものだ。僕も言われたい。

 

 しかし、今はそれを使われるのも夢じゃない。いや、使ってくれるようにこの僕が全身全霊で誘導する。

 

 例え筆頭候補の姉様じゃなくとも、絶対僕に天国を味わわせてくれる運命の相手は現れる筈だ。

 

 幻想魔法以上のドM的苦痛を授けて下さる超絶存在が出現する可能性だってゼロじゃない。だって僕という存在は、そのくらい罪深く残酷な運命を背負って生まれてきてしまったのだから。

 

 望む結末を手に入れるため、僕はこの身を擦り減らそう。頭を垂れて蹲ろう。

 

 殴られ、蹴られ、抓られ、抉られ、折られても。

 

 僕は最後の最後まで笑顔を絶やさない。道中ですら気持ち良く、結末を越えても気持ち良い。

 

 そんな、素晴らしい世界で僕は死んでいきたいんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 漆黒を纏った森が風に揺られ、雨音が大きく響き渡る夜。

 

 一人のエルフが天を見上げて、息を吐いた。

 

 雨に打たれた身体は冷え込み、瞼の裏は痛むような熱を持っている。

 

 このような経験は両親が死んだときにもなかったと、総てを照らす金色の髪と、青空のように澄んだ瞳を震わせて、エルフ──リンネ・エルフェリードは拳を強く握りしめた。

 

 この前の──そう、村長の家に出向いたときから最悪な日が続いている。

 

 心がザワつき、これからの日々をどう過ごせば良いのかが解らなくなっている。 

 

 自分が今前を向いているのか、それとも後ろばかり振り返って足跡が己のしかないことに嘆き悲しんでいるのか、リンネには判断できなくなっていた。

 

 

 原因は解っている。しかし、それを受け入れ呑み込むにはリンネはエルフとしての思想に染まり過ぎていたし、肥大化した尊厳を奥深くに根付かせていた。

 

 魔法の才こそが全てだとリンネは考えていた。

 

 魔法の才があれば、魔物を滅ぼすことができる。

 魔法の才があれば、衣食住に困ることはありえない。

 魔法の才があれば、周囲の者たちを黙らせることができる。

 魔法の才があれば、夢を束ねて未来を思う通りに創造することが不可能ではなくなる。

 

 総ての道は、魔法の才があるかどうかで変わる。

 

 生命の原初の始まりは『魔法』と言われている。地を裂き山を運び、水を流して息吹を吹き込んだのは、魔法の力によるものだと。故に魔法が総ての始まりであり、その魔法に選ばれたエルフこそが最も優れた存在。その中でも特に魔法の才に恵まれた私は、更に選ばれたエルフ。

 

 本気で、リンネはそれを疑っていなかった。

 

 周囲の者もそうリンネを持て囃しては持ち上げていたし、賞賛の声も浴びせていた。

 

 だから、リンネもこの生き方や考えが間違っているなどとは考え至ることはなく。道を振り返っては、自分を望んでくれる一つの足跡があることに満足感を覚えていた。

 

 しかし。

 

 今は、その足跡が見えなくなっていた。己を追う残像は消え去り、儚くも切ない、初めから存在しない灯火のように霞み、散っていく。

 

 焦燥感と恐怖に心臓が惑う感覚。

 

 幻想魔法に掛けられたワケでもないのに、常にそのイメージがリンネを襲っていた。

 

 そして、襲い掛かる痛みの底で、弾ける映像は厄介そのもので。

 

 

『大丈夫だよ、姉様。僕……今とっても良い気分なんだ。本当にありがとう』

 

 

 魔法を慕い、自分を慕ってくれていた者。鈍くさくて、愚図でどうしようもない我が弟。

 時が経つに連れ笑うことはなくなり、周囲とは違う自分にいつも苦しんでいた憐れで、愚かな子。

 

 赤子の頃から育て、只一人血の繋がった存在であるがために、最大限の情を持って接した唯一の存在。

 

 その子が、たった一回心の底から笑ってくれたあの光景が……脳裏に焼き付いて離れなかった。

 

 弟が、何を思って笑ったのかはリンネには解らない。

 リンネは恵まれた者で、選ばれた者だから。持たざる者の気持ちなど理解できようはずもない。

 

 ましてや、エルフでありながら『魔力がない』と言われた弟の心情など。傲慢で、魔法があれば総てを思い通りにできると信じていたリンネに理解出来るワケがなかった。

 

 しかし、今はそれが苦しくて痛かった。

 

 私がするべきことはなんだ? 弟になんて言葉を掛ければいい? 慰め方も接し方もずっと分からない。私が取るべきエルフとして相応しい行動、それは一体なんだ? 一体何をどうすれば、あの子は──

 

 今まで、考えたこともなかった思考の数々。その正体は酷く歪で、リンネ・エルフェリードというエルフの在り方を、根本から揺るがすものだった。

 

 ……いや、本当は取るべき正しい行動は解っている。その行動こそが、憐れな子を救済する唯一の道ということも。

 

 けれど、それを選ぶには、あまりにも慈悲深く残酷で。リンネが弟と積み重ねた時間は長すぎた。

 

 リンネは、弟のことが憐れで愚かで愚図でノロマだと解っている。

 何故なら、ずっと傍で見てきたから。普通と違うが故に、周囲と一線を置き寂しそうにしていたことを知っている。

 

 その背中を押し、『お前は私の弟よ。だから大丈夫、絶対魔法を使えるようになるわ』と、語りかけた無責任なエルフのことを知っている。

 

 そして、そんな無責任な言葉に対しても、『ありがとう』と感謝の言葉を述べてくれた健気で可哀想な子のことも。

 

 全部、解っている。

 

 

 解っているから───

 

 

『あの子は、エルフの不穏分子だ。あの子から一気に悪い流れへと魔力が淀み始め、精霊との繋がりが途切れる可能性がある。あの子は、これより無数の厄災を呼び込む【禍】となるだろう。そうなれば取り返しが付かない。淀みは、浄化しないといけないのだ。これからのエルフ族のためにも……解るね? リンネ。あの子やエルフ族のことを思うのであれば、私達のするべきことは決まっている』

 

 

 もう、覚悟を決めるしかなかった。

 

 

 他のエルフの者に譲るわけにはいかない。何故なら、これは私の役目だから。

 家族としてあの子に与えることのできる、唯一の。

 

 

 私は弟を、リエムを──

    

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

 深夜。静まり返った村の奥。

 

 魔法で灯したランプの火がかすかに揺れる自室の中で、リンネは椅子に腰掛けたまま、両手で顔を覆っていた。

 

 耳の奥にまだ残っている──村長の言葉。

 そして、弟のあの笑み。

 

 最終確認のようなもの……自分の心の整理をつけるための儀式の時間が今だった。

 

「……リエム……」

 

 か細く名前を呼んでも、返事は返ってこない。自分の部屋にいるのだから当然だ。

 けれど、なぜだろう。まるで部屋中に弟の笑い声が響いているかのように、幻聴が離れなかった。

 

 あの絶望的宣告をされたとき、リエムは笑っていた。心の底から、あんなにも……楽しそうに。久方振りに、笑ってくれた。

 

 絶望と同時に笑顔を見せたあの弟の姿は、リンネの心を抉るには十分すぎた。

 

 ──魔力がないのに。

 ──魔法が使えないのに。

 

 そんな存在は、エルフとして……否、生きていく資格すらないはずなのに。

 

「……なのに、あの子は……」

 

 胸が痛む。呼吸が苦しい。解っている、あの笑みはきっと、終わることを確信した、安堵と共に溢れた真の意味での笑みだということを。ちゃんと、理解できている。しかし、そんなものは救いというには幾らなんでも壊滅的すぎる。

 

 実の弟に……私は。生きたいと思わせることができなかった。それが、リンネの心を軋ませ歪ませる。

 

 今まで何百回と魔物を滅ぼしてきたときでさえ、こんな感覚を覚えたことはなかった。こんなにも魔法の存在が重く、苦しく感じたことはない。

 

 ──村長の言葉を思い出す。

 

『あの子を浄化するのは……あの子が最も信頼を寄せる家族である君しかいない。無論断ってくれてもいい、酷なことを頼んでいる自覚はあるからね。……しかし、その場合の結末がどうなるのか。解らない君ではないだろう?』

 

 その言葉の意味はよく分かっていた。

 他の誰かに任せれば、リエムは間違いなく惨たらしい末路を辿るだろう。処刑場に晒され、村人全員から罵られ、石を投げられ、精霊が拒絶する「異物」として汚されてしまう。

 

 

 生まれてきたことを後悔しながら、生命を終えることになる。死んだ後も、ずっと貶され尊厳を殺され続ける。

 

 ……それだけは、駄目だ。

 

 リエムは愚かで欠陥品で……どうしようもなく鈍くさくて、でも。リンネにとっては唯一残された家族だった。

 

 それを、見世物のように辱められるくらいなら──

 

 私は。

 

『ね、姉様。ご飯作ってみたんだ……いつも姉様は頑張ってくれているから……その、た、食べてっ』

 

 私は。

 

『姉様は凄いね。何でも出来る神様みたいに……ううん、神様よりもカッコよくて凄いんだもの』

 

 私はっ。

 

『僕は、姉様の魔法が一番好きだな。だってキラキラ輝いて綺麗なんだもの!』

 

 私は───!

 

「……私が、やるッ」

 

 唇を噛みしめ、拳を強く握る。

 弟を守るために、弟を……自らの手で終わらせる。

 

 あの子の苦しみしかなかった生を……せめて最後は安らぎの夢を与えて胸の中で終わらせてあげたい。あの子が憧れた、魔法の力で。

 

 私に出来るのは、それくらいしかない。

 

 それが、リンネが辿り着いた答えだった。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 覚悟の決まった足取りは、とても静かだった。

 一歩一歩確実に死の気配を滲ませつつ、伸びていった。外を見れば、雨に濡れた葉の様子が窺える。魔法で強化した耳で辺りを探れば、小動物の呑気な足音が聞こえてきた。

 

 いつもと何も変わらない日。今日も、そんな日だった筈なのに。

 

 目的の部屋に辿り着き、リンネは祈るように瞳を閉じた。

 

「………」

 

 部屋に入ると、目を閉じ眠りについているリエムの姿が目に入った。とても安らかな寝顔……苦しみから解放されたみたいな、心地の良いと感じているであろう表情だ。

 

 ここ数年見ることの叶わなかった顔。死の間際になって見ることになったという痛烈な状況に、リンネは眉を顰めた。

 

 護るべき対象、遺された唯一の家族。その子を、今から己の弱さ故に殺す。

 

 種族のために、魔法のために、何より、死を望むリエムのために。

 

 

 ──私は。

 

 

『──姉様』

 

 震える左手ゆっくりと振り上げ、魔力を籠める。

 

「──幻想魔法(イリュージョン・マジック)

 

 赤子の頃から一緒だった。夜泣きはあまりなく、喋りだすのも比較的早い子であった。初めて喋った言葉は『ねーさま』で、あの時湧いてきた感情は今でも筆舌に尽くし難い。どんな魔法も、あの瞬間の記憶に勝るものはなかった。『流石は私の弟ね!』と、抱き締め頬擦りしたことをよく覚えている。

 

 

 左手が、淡い輝きを灯した。

 

「《精神侵食(マインド・インベージョン)》」

 

 リエムがリンネの布団におねショをしてしまったとき。リンネにバレることを恐れたリエムが、必死に隠そうと右往左往している姿が面白かった。濡れた布団を背負って走り回っている時点でバレバレだというのに、『な、なんでもない!』と顔を真っ赤にしているのが、なんとも可笑しくて仕方なかった。

 その後、隠そうとしたことを叱ったけれど、頬の緩みは最後まで抑えられず仕舞いだったものだ。

 

 

 魔法が完全に左手に灯った。この手でリエムに触れれば、救済は完成する。

 

「せめて、最後は……幸福な夢を」

 

 生まれて初めて魔法を見せたとき。リエムは瞳を輝かせてリンネを見ていた。凄い凄いと体全体で表現しながら、ピョンピョン飛び跳ねて喜んでいた。

 リンネの魔法を見たものは、その完成度の高さに皆が驚愕し、感嘆の声を上げる。稀代の天才だと、そう持て囃してくれる。しかし、どんな賛美の声よりも……そのときの弟の笑顔が、リンネは一番嬉しかった。嬉しくて、嬉しくて……己の魔法を誇らしく感じた。あの笑顔が、忘れられない。

 

 

 弟に向ける、左手が重い。重くて、堪らない。

 

「夢を……、………」

 

 冬の日は、よく弟を抱き締めて眠った。リエムは体温が高くて、魔法では温めることが出来ないリンネの冷めた部分を温めてくれていた。原理や理屈は解らない。けれど、あの瞬間は間違いなく幸福だった。

 寝相が悪く、少しだけ大変ではあったのだけど。それでも不思議と一緒に眠ることを止めるつもりは全くなかった。

 

 

 左手が震える。魔法が、ブレる。瞼が熱く、視界が何故かボヤケた。

 

「ゆ、め……を……ッ」

 

 リエムが魔物に襲われたときは、心が冷え込むように怖気が背筋を迸った。あんな光景は二度と見たくない。恥知らずで愚かな魔物を一瞬の内に始末し、震えているリエムの身体を無我夢中で抱き締めた。

 失いたくないと……傍に居てほしいと……心根の張った底の底から願えた。

 

 生きててくれてありがとうと……そう思った。

 

『──ありがとう、姉様。僕のことを……助けてくれてっ』

 

「──ぁ」

 

 涙が零れ落ちた。

 

「ぅ……あ……あっ」

 

 一度溢れたものはもう止まらない。堰きを切ったかのように涙が流れ落ちては止まらなくなった。

 

 こんな情けない姿、エルフとして相応しくない。正しくない。解っている、ずっと解っている……しかし、振り上げた手を下ろすことは出来ず、涙を止める魔法をリンネは知らなかった。

 

 魔法の才があれば幸福に成れるのに、降って湧く感情は悲しみだけ。

 

 どうして私はこんなにも苦しくて、悲しんでいるのだろう?

 

 皆が望むことをするのが、これ程までに痛いなんて、リンネは理解できていなかった。魔法は何も、解決してはくれなかった。救いの手を、差し伸べてはくれなかった。

 

 何が正しいことなのかが解らない。解っているけれど、解らない。解りたくない。

 

 本当の意味でリンネがずっと解っていたのは一つだけ。望んでいたのは一つだけだった。

 

 生まれたときからずっと。

 

 リンネの手を握り、いつも本当の意味で救ってくれていたのは、支えてくれていたのは───

 

 

『姉様、大好き』

 

「────」

 

 

 種族特性、エルフとしての矜持。魔法の尊さ。そして、何れ禍を齎す異分子の弟。

 

 色々なものを天秤に乗せて。焦がれて、荒れ狂って。

 

 

 

 

 もう、リンネの左手に魔法が灯ることはなかった。

 

 

 

 エルフの【試練】は、大いなる愛を抱いて、今。

 

 

 

 

 

「───決めたわ」

 

 顔を上げ、リンネは言う。

 一通り泣き終えた、その瞳には大きく、揺らぐことのない強い意志が宿っていた。

 

 もう迷いはない。あるのは淀みなく、打ち払われた澄んだ気持ちだけ。

 

 何を優先するべきものなのかを、リンネは理解した。それを守るために何を切り捨て排除しなければならないのかも。

 

 敵は多い。しかし、覚悟は決まった。

 

 この子に降り掛かる無数の厄災を、痛みと絶望を。私の手で総て滅ぼす。

 

 その先で。

 

「私が───貴方を幸せにする」

 

 魂に誓う。決して破ることのない強大な誓いを。

 護るべき者のために、敵を一人残らず打ち倒す。

 

 今ここに、一人のエルフを導く救済が完成した。一人のエルフを救い、安寧をもたらす究極の魔法が。

 

 膝を付き、呑気に眠る弟の頬を緩やかに撫でる。そしてその無防備な額にキスを落とした後、リンネは部屋を退室するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『──ありがとう、その子を選んでくれて』

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 姉が退室した後、1人残されたリエムは目を閉じたまま静かに涙を流していた。

 

 【見守る者】が慌てるくらい、静かに痛々しいくらいポロポロと。

 

 姉の下した決断、実はそれをしっかりとリエムは聞いていた。あれだけ乱れた気配、流石のリエムも途中から目を覚ましていたのだ。空気を読み、起き上がることはしなかったが。

 

 それ故に全てが終わった今。リエムは涙を抑えることができなかった。

 

 

 しかし、その涙は、歓喜で流したものでも、恐怖で流したものでもなく。

 

(え……? 幻想拷問は?)

 

 只々、拷問をお預けされた絶望から流れたものであった。

 

 

 リエムは、救いようのないドMだった。

 

 

 

 

 

 




 ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
 続き……? その先は(リエムにとって)地獄だぞ。
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