オンパロス異聞録 カイザーに小さな灯火を   作:ハチハル

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ノリと勢いで書いてたらネタが被ってることに気付いたけど、止まれなかった。

それでも良ければ、お付き合いください。


第1話 消えゆく蛍火

「ハア……ハア……」

 

 荒い息を吐きながら、俺は荒れ果てた村の片隅で天を仰いでいた。

 天外より暗黒の潮と呼ばれる黒い泥とその造物たちからオンパロスを守る戦いの一貫として、俺はこの村にやって来た。聖都オクヘイマや、他の都市国家からは離れた辺境の地だが、溢れ出してくる暗黒の潮は決して無視出来るものではなかったからだ。

 泥と造物たちによって、あらゆる生命は犠牲となり、その浸食範囲を広げていく。やがては、オンパロス全てが泥に飲み込まれ、滅びてしまう。それを少しでも食い止めたくて、戦っていたわけだ。

 

「フィゴラは、報せを届けてくれただろうか」

 

 澄んだ青空を見ながら、ひとり呟く。

 フィゴラは俺の眷属のような存在で、飛ぶことと燃やすことが得意な小さな相棒だ。俺は彼女に数刻前、オクヘイマに向けて便りを託していた。

 あいつなら、きっと届けてくれるだろう。

 視線を下げて、俺は辺りを見渡す。

 壁が崩れ、屋根が剥がれ、潰れた家屋の数々からは、人の気配は存在しない。もうとっくに村人は殺されたか避難したか、あるいは暗黒の潮の造物に作り替えられてしまったのだから、当然だ。

 代わりに物言わぬ骸となった、暗黒の潮の造物たちが、そこかしこに転がっている。

 

「我ながら、よくここまで戦えたもんだ。フィゴラにも、後で礼をちゃんと言わないと……」

 

 激しく咳き込んで、咄嗟に左手で口を覆う。口元から離した手を見て見れば、黄金色の血がこびりついていた。

 

「……内臓がやられてるな。もう、あまり長くは持たないか」

 

 身体ももう、立ち上がれるだけの余力は寄越されていない。余命はもう、幾ばくも無いだろう。

 幸い、手足は残っている。首も繋がっている。けど、それだけだ。腹に出来た大きな傷と、傷ついた臓器から流れる血が、確実に俺の命を奪う。今は僅かに残った炎の力で傷口を繋ぎとめられているが、焼け石に水だ。

 

「…………。せめて、最後に一目、会いたかったな。カイザーに」

 

 “カイザー”ケリュドラ。聖都オクヘイマに君臨し、時に苛烈な手段を以って反対派を粛清し、敵を屠ってきた暴君の名にして、俺の主。年若い背の低い少女の見た目をしているが、有能な君主でもある。

 君主たる彼女は私情を排し、オクヘイマを一致団結させるための手段を選ばず、いずれ星海に至らんと目論み突き進む。その本心は、どこにあるのか。俺には分からない。彼女の忠実な臣下で盟友でもある、剣旗卿――セイレーンの姫、セイレンスすら知らないだろう。

 でも俺は、それでも構わないと彼女に付き従ってきた。

 じゃあ何で俺は、ここに一人でいるのか。

 別に、オクヘイマの軍と一緒にやってきて、仲間が全滅したわけではない。俺はカイザーの「この村を切り捨てろ」という命を無視して、一人でやって来たのだ。

 

「申し訳ありません、ケリュドラ。最後の最後に…………貴女の信頼を裏切った」

「――――かもしれんな。だが、見事な働きだった」

 

 聞こえるはずのない声が、頭上より降りかかった。

 まさか、そんなはずは。そう思いながら、僅かに霞みだした視線を上げる。

 風に煽られ揺らめく空色の髪と、炎を抱く王冠。青を基調とした衣装と、腰の辺りに生えた一対の羽。

 

「……ああ。夢を見ているのか、俺は」

「たわけ。お前の意識は辛うじて残っているだろう、蛍火卿。それとも何か? この僕を偽物だと断ずるつもりだとでも? ならばその息の根、今すぐ止めてやってもいいのだぞ」

「……あはは。その言葉遣いは間違いなく本物ですね」

 

 どうやら夢ではなかったらしい。俺を見下ろしていた少女は、ここにいるはずのない俺の君主、ケリュドラだった。

 宝石のような瞳は、確かに俺を射抜いていた。

 

「はっ。僕は僕しかいない。他の者が成り代われるわけがないだろう」

「それも、そうですね。貴女ほど鮮烈な人を、俺は見たことがありませんから。けど、だからこそ貴女に仕え、貴女の力になりたいと思った」

 

 苦笑しつつ呟いてから、俺は霧散を始めた暗黒の潮の造物の骸へと目を向けた。

 

「申し訳ありません、カイザー。村を守りきると大言壮語を吐いたにも関わらず、村は御覧の有様です。もう、住めはしないでしょう。怪物共も一掃しましたが……いずれは、またここも連中の領域になるでしょうから、この平穏も一時のものでしょうね」

 

 俺は聖都でケリュドラの下を去ると決意したとき、己の力があれば一人でも奴らを抑え込めると確信していた。そして事実、俺はこうして怪物共をただ一人で殲滅することには成功した。

 ただ、見通しが甘かった。

 奴らは際限なく沸き上がってきて、次から次へと襲い掛かってくる。寝る間も惜しんで戦い続けても、戦いは延々と続いていった。

 ああ、なるほど、ケリュドラが切り捨てようと決断するわけだ。ここでリソースを割いたら、他の救える地域まで救えなくなってしまう。所謂トリアージのようなものだと気づいたのは、最後の一匹を倒してからだった。

 

「俺が到着したころには、住民は全員生きていました。けど、一人じゃどうにもならなかった。――いえ、例え友軍がいたとしても、全員救うことは土台無理だった。……こうして致命傷を負ってからようやく、カイザーが最後まで正しかったと、分かりました。まったく、これではとんだ愚者ですよ」

 

 皮肉な話だ。忠誠を誓った主の言葉を最後まで信じ切れず、独断専行した結果がこれだ。そんな身勝手なヤツに対してカイザーが行ってきた処罰は、決まっている。

 それを促すために顔を上げると、腕を組みながら静かに見下ろしてくる彼女と視線が合った。

 

「僕の言葉に忠実だったお前にしては、らしくなかった。この村は、蛍火卿の故郷だったのか?」

 

 すぐに処断しようとしてこないなと思っていたが、なんだ。それを聞きたかったのか。

 

「まあ、大体そんなところです。この村の人たちは、突然見知らぬ土地に放り出されて呆然としていた俺を暖かく迎え入れてくれました。皆いい人たちばかりで……。第二の故郷なんですよ、ここは。同じように迷子だったフィゴラと出会った場所でもありますね」

「……フィゴラとは、この精霊のことだったな」

 

 ケリュドラは懐から、赤い小鳥のような姿をした精霊を出し、手のひらの上に乗せて俺に見せてきた。

 

「ああ……。報せは届いていたんですね」

「二日ほど前、この小鳥が僕の執務室に飛び込んできてな。お前からの手紙を僕に託してから、力尽きた」

 

 俺は何とか手を伸ばして、ケリュドラからその小鳥を受け取る。

 フィゴラ。心優しく強い、俺の相棒。数年の時を共にした精霊は、まだわずかな温もりを残しつつ光となって、俺の身体に吸収されていく。理屈はよく分からないが、俺とフィゴラは魂で結びついているためだ。まあ、俺はもうすぐ死んでしまうから、この子も巻き添えになってしまうのは少しだけ申し訳ないけど。

 

「“あと二日で暗黒の潮の造物を討滅見込みあり”。まさかと思って斥候を放ってみれば、本当に一時期より敵も数を減らしていると報告を聞いたときには、嘘を疑ったが……。剣旗卿と共に来てみれば、言葉通り全滅させてみせるとはな。一騎当千とは、まさにこのことだ」

「……あのセイレンスと同等の評価をいただけるとは、身に余る光栄ですね」

「ただの事実だ。――そこで、だ。お前に褒美をやる。蛍火卿」

「……命令違反、独断専行をしたのにですか?」

「本来であれば、この場でお前を極刑に処していただろうな。だが、今回ばかりはそうもいかん。命令違反をしてでも、敵を抑え込んだ忠臣に何の報酬も寄越さないとあっては、統治者の風上にも置けんだろう。まあ、聖都帰還後は処刑したことにするがな」

「俺のようなバカをこれ以上増やさないために、でしょう? まったく、貴女という人は……」

 

 それで批判の矛先が自身に向くことも分かっているだろうに、ケリュドラはそれでも秩序を優先する。どこまでいっても、この人は「カイザー」なんだ。そんな人がこっそり褒美をくれるなんて、やっぱりここは天国なんじゃないだろうか。

 

「望むものを言え、蛍火卿。聖都に像を築き、名を永遠のものとするか? それとも、この村の再建をするか?」

「魅力的な提案ですが、どっちも非現実的でしょうね。像は、貴女が出す処断したという声明と矛盾しますし、村の再建も無理でしょう。村人はもう、1割も生き残っていないし、ここが最前線なのには変わりない。……ですから、どうせもらうなら、この場で済むことを」

「……言ってみるがいい」

 

 宝石の瞳を見ながら、俺は深く息を吸い、吐く。内臓が痛いが、これから言うことは、中々に緊張を伴うことだ。不敬極まりないことだ。

 痛みを我慢しながら、俺は決意を固めた。

 

「褒美をもらう前に、言っておきたいことがあります」

「何だ」

「…………貴女が好きです。ケリュドラ。仕えるべき君主としてだけじゃなく、一人の女性として」

 

 出会ってから今までずっと秘めていた想いを、ここで吐き出す。きっと、残酷なことをしているんだろう。でも、告げずにはいられなかった。伝えなかったら伝えなかったで、きっと死後の俺は後悔するから。

 

「……だろうな」

「気付いていたんですか?」

「お前からは、忠誠以外の感情を時折感じていたからな。妄信でもない、信仰心でもない。なら、当てはまる感情は何か。思いつく答えはもう、限られていたからな」

「……はっずいですね。自分じゃ、隠してたつもりだったんですが」

「いいや、見事に隠していたとも。少なくとも、剣旗卿以外には気付かれていなかった」

 

 ……セイレンスには気付かれてたのか。そっちも恥ずかしいが、まあいい。他の連中には隠せていたのは、せめてもの救いだ。

 

「はは。何にしても、肝心の貴女には筒抜けだったとは。恰好が付きませんね。まあ、こんな無様な姿を晒している時点で、今更ですが」

「蛍火卿はその命を賭して、一時とはいえ暗黒の潮の脅威をこの一帯から取り除いた。これほどまでに傷付いても尚、お前は守り抜いたのだ。この村を――このオンパロスを。故にそれ以上自らを卑下するな。我が忠臣よ」

 

 宝石の瞳が、僅かに揺れ動いたような気がした。その奥にある感情を探る間も無く、ケリュドラは膝をついて腰を下ろすと、俺と同じ目線の高さになった。

 

「……カイザー。何故、臣下の前で膝をつくのですか」

「常日頃言っているだろう。()()()()()()()()()()()()()()、と」

「ああ、そういうことですか」

 

 ケリュドラは背が低いことをコンプレックスに思っているからか、他者が自分より頭を低くすることを嫌う。それ以外にも、理由はあるのだろうが。

 兎も角、今こうして目線を合わせてくれているのは、動けない俺に気を遣ってくれたということなのだろう。

 

「蛍火卿。お前は何故、僕を好いている?」

「簡単ですよ。一目惚れです」

 

 俺がケリュドラに惚れてしまったのは、そんな理由だった。

 

「……ありがちな話だな」

「ええ、ありがちな話です。もう、8年くらい前でしたか。この村を出て初めてオクヘイマにやって来て、軍に加えて欲しいと志願した俺を貴女が直に試してくださったのは、覚えていますか」

「忘れるはずが無いとも。炎の精霊を伴い、その槍術で以って試験官を圧倒したなどと聞いたときは、俄かには信じがたかった。奴は軍でも五本指に入る実力者だったからな。どんな奴かと顔を見に行くことにしたのを、今でもよく覚えている」

「――初めてお会いしたのは、黎明の崖でしたね」

 

 予め、セイレンスから平伏しないようにと言い含められながら待っていた俺の前に、ケリュドラは姿を見せた。

 

「愛らしいお姿と、強烈なまでの意思を伴った存在感。威圧感がありながらも凛とした声。……元々、カイザーの様々な噂は聞き及んでいました。曰く、オクヘイマに安寧を齎す賢王。曰く、安定を口にしながら意に添わぬ者を踏みつぶす暴君。――そんな噂がどうでもよくなってしまうほどに、俺は、目を奪われたんです」

 

 あの衝撃は、今でも昨日のことのように思い出す。

 女性であることは聞き及んでいたが、いかにも悪そうな人相なのかと勝手に想像していたら、目の前に現れたのは可憐で高貴な少女だった。

 

「賢王であることも、暴君であることも疑いようのない事実であることは、お仕えしてよく分かりました。……でも、あの衝撃があったからでしょうか。普段の立ち振る舞いの中にも貴女の女性らしさや愛らしさを見出しては、想いを募らせていました。けれど、貴女はカイザー。民がそうあれかしと望んでいたし、何よりも他でもない貴女自身がそう定義されていらっしゃった。故に色恋は、貴女の覇道にとっては障害でしかない。余計な弱点を、貴女に作りたくは無かった」

「だから、ずっとその想いを口にすることは無かったのだな」

「はい」

 

 俺が頷くと、ケリュドラは何かを呑み込むように静かに目を閉じていた。

 炎の権能で何とか傷口から血が流れ出ないように押し留めながら、俺は次の言葉をただ待つ。言うだけ言って死んでしまっては、ケリュドラも言いたいことを言えない。俺にはそれを聞く義務がある。だから、どうにか踏み止まる。

 

「……そうか。蛍火卿の想いは理解した。その上でお前は、何を望む?」

 

 ケリュドラは目を僅かに細め、促してくる。

 本当は、ケリュドラに想いを聞いてもらっただけでも十分な褒美と言えるんだが。褒美を貰う前に、なんて枕言葉を付けてしまった以上は何も言わないわけにはいかないか。

 

「俺の想いに答えてほしい、とは言いません。恋人になってほしい、とも言いません。それはきっと、貴女にとって酷く残酷なことでしょうから。――それでも」

 

 俺は震える右手を伸ばして、ケリュドラの頬に触れる。

 

「こうして貴女に触れること。それが、俺が望む報酬です」

「……良いだろう」

 

 ケリュドラは俺の手を払うことなく、静かに受け止めてくれた。ああ、この温もりだけで、あと数刻は生き延びられそうだ。

 手の甲に触れるさらさらとした髪、柔らかくもちもちとした頬の触り心地。

 

「これも、貴女は不服に思うでしょうから言ってなかったんですが、その背丈の小ささもずっと愛おしいと思ってました。幼さの残るお顔も、きめ細かく整えられた髪も、隅々まで整えられた身だしなみも、その気品も。好きで好きで、しょうがないんです」

「……それほどまでにお前から思われていたことまでは、気付かなかったな」

「まあ、気持ち自体は結局バレバレだったとはいえ、今まで具体的な言葉にはしてませんでしたからね。カイザーの邪魔はしたくなかったですし」

「懸命な判断だ」

 

 ケリュドラが一瞬、苦笑にも似た笑みを溢していた。僅かながら温かみも伴っていたようにも見えた。

 

「――っっ、かはっ」

 

 気を抜いた瞬間、再び口から黄金の血が溢れ出す。身体の内側も、激痛を通り越して熱が零れていくような感覚があった。

 

「リュスクス――」

 

 ケリュドラがすかさず、俺の口元を拭いながら覗き込んでくる。

 

「ふふ、名前、久しぶりに、呼んでくれましたね」

「――っ。そうだな」

 

 俺から見ても分かるほどの動揺を抑え込みながら、ケリュドラはただ相槌を打った。俺のために、死ぬな、と言おうとしてくれたんだろうか。いや、流石に妄想が過ぎるか。

 

「こんな我儘で身勝手な臣下で、申し訳、ありません」

「まったくだ。おかげで僕も、余計な手間をかける羽目になった」

 

 気丈に振舞いながら、ケリュドラは皮肉げに笑う。

 

「我儘ついでに、最期にもう一つ、褒美を貰っても?」

「――好きにしろ」

 

 そう言われたので遠慮なく、俺はケリュドラの顔を引き寄せ、そっと唇を重ねた。

 これまでの人生で初めてのキスは血の味が混じっていたが、彼女の唇の柔らかさだけは感じることができた。

 

「ありがとう、ございます」

 

 唇を離し、最後にもう一度ケリュドラの頬を撫でてから、手を下ろす。限界を迎えた腕はもう、二度と上げられそうにない。

 

「はは、不敬罪にもほどが、ありますかね」

「罪状がまた増えたな、リュスクス」

「ええ、名誉の罪です」

「僕の心情も慮らず、よく言えたものだ」

「嫌、でしたか? 俺とのキスは」

「……さてな」

「――ふふ。本当に可愛らしいお方、だ……」

 

 叶うのなら、来世でまたケリュドラと出会って仕えて、恋をしてみたいものだ。

 

 

***

 

 

 動かなくなった臣下の顔を、ケリュドラはじっと見つめていた。

 

「ゆっくり眠るといい、蛍火卿」

 

 愛を告げるだけ告げて一生を終えたリュスクスに向けて、ケリュドラは静かに呟く。

 かつて静謐な情熱を灯していた碧い瞳の輝きは失われ、赤いメッシュの混じった黒髪は風で乱れるがままだ。口の端には黄金の血の跡が残り、金織から贈られた青基調の軍服は腹部が大きく斬り割かれ、その下から致命傷となったであろう一撃の傷跡があった。他にも擦り傷も目立っていたし、彼が愛用していた槍は穂先が折れて少し離れたところに落ちていた。

 それだけで、リュスクスがどれほど奮闘していたか分かるというものだ。

 

「そういえばお前は、歴史に名を残すつもりはない、と言っていたな。自分では英雄の名に不足だからだと。確かにお前は、軍規を犯した罪人だ。民の間にもそのように記憶されるだろう。――だが」

 

 リュスクスの身体がひとりでに淡い光を発したかと思うと、まるで蜃気楼のように彼の遺体は揺らぎ、霧散を始める。

 

「僕だけは、忘れないでおこう。リュスクス、お前はただ一人愛した君主のために、守るべき物を最後まで守り通した英雄なのだと」

 

 ステュクスの向こうへと消えていく彼の姿をケリュドラは最後まで見送り、立ち去ろうとして――さっきまでリュスクスの身体があった場所に、何か落ちているのを見つけた。

 

「……これは、ペンダントか」

 

 手にしたペンダントには、指先程度の大きさの水晶の球が下げられていた。その内部には、淡い火の球がどういう原理か、揺らいでいた。

 

「変わったペンダントだな。遺品、というわけか」

 

 ケリュドラはペンダントを握りしめ懐に仕舞おうとしたところで、動きを止めた。

 

「――いや。こうした方が、奴は喜ぶか」

 

 ペンダントの紐に手をかけ自らの首に通してから、紐は襟の内側に。水晶は、服の胸元の内側へ。

 服越しにもう一度水晶を軽く握ってから、ケリュドラは立ち上がり、背を向ける。

 

「この水晶は、僕が持っておこう。そうすればきっと、お前のこともいつか、群星の向こうへと連れていけるだろうからな」

 

 

 

 リュスクスは、不思議な男だった。

 

『流離人のリュスクス、聖都のカイザーにお仕えしたく、辺境より参上しました』

 

 セイレンスから報告を受け、黎明の崖で応対することにしたケリュドラに、彼は第一声を発した。

 臣下の礼を取り、しかし頭はケリュドラの王冠より下にはせず――これは事前に聞いていたのだろう――ただ真摯に男は告げる。

 

『僕はオクヘイマのカイザーであり“法”だ。故に、最初の命令を下す。面を上げろ』

『はっ。恐悦至極に存じま――――す……』

 

 赤いメッシュの混じった黒髪の男は顔を上げ、ケリュドラへと視線を向けると――碧い瞳を大きく見開いて呆けたような表情をしていた。

 まるで、美しいものを見た、と言わんばかりだった。

 

『リュスクス、と言ったか。お前の特技は何だ』

 

 男が自身に対してどんな感情を抱いたかはケリュドラも凡そ予想は付いたが、あえてそこを掘り下げることはせず、代わりの問いを向ける。

 ここに通される前に彼が試験官と模擬戦を行い、圧倒したという話は耳にしていた。はたしてそれは、嘘か真か。

 自らを誇張した上で、愛を語るなら三流以下。いずれ来る戦を生き残れはすまいから、聖都から追放すればいい。野心を見せるようなら、危険因子と見做して粛清するだけだ。

 頭の中で算段を付けながら、ケリュドラはリュスクスを観察する。

 

『槍術にございます。それから――』

 

 リュスクスが言葉を区切ると同時、彼の胸元から淡い蛍火のような光の球が現れ、小鳥の形を成した。

 

『彼女の名前はフィゴラ。言葉は話せませんが、俺の頼もしい相棒の精霊です。俺は、この子と共に炎の力を操ることが出来ます』

『そのような存在は初めて目にするな。タイタンの眷属か?』

『俺が知る限り、そのような伝承は見聞きしたことがございません。故に、タイタンの眷属ということはないかと。正体こそ分かりませんが、この子は優しく、頼りになります。カイザーにとって危険な存在になるということは無いと存じます』

 

 ケリュドラは、リュスクスの答えに内心驚いていた。

 槍を扱えることや、精霊の存在に対してではない。――いや、フィゴラという精霊も気になることは多いがそうではなく――先ほどまで自分に見せていた感情をあっという間に霧のように覆い隠し、力を大袈裟に喧伝するでもなく、ただ淡々と事実を述べる態度を取ったからだった。

 

『――僕の気のせいか?』

 

 誰にも聞こえない声量で小さく呟きながら、ケリュドラはその後もリュスクスと言葉を交わした。

 自らの目でも確かめる必要があると判断したケリュドラは、軍の中でも腕利きの兵との模擬戦をするよう指示。リュスクスがフィゴラと共に圧勝という形で実力を見せたことで、彼を正式に採用することとなったのだった。

 

 

 

「本当に、不思議な男だった」

 

 隠匿の時、ケリュドラの姿は自室にあった。

 数々の政治文書を収めた棚や、オンパロス中の文献を集めた棚、献上品の一部を飾った棚が壁一面にあり、中央には執務で使う机がある。隣には寝室と扉を通して直に繋がっており、いつでも行き来が可能な作りとなっていた。

 そして、自室の机の上にもまた、一つの品が置かれていた。

 刃が欠け、槍先は折れてしまったリュスクスの槍。あの村から立ち去る際、セイレンスに秘密裏に回収してもらっていた物だ。ケリュドラは槍先にそっと触れ、昔を懐かしむように目を閉じる。

 

「普段の仕事ぶりは文句の付けようも無かった。元老院の反逆者を捉えるよう命じれば確実に遂行し、他の都市国家との戦争においても一騎当千の活躍をし、僕の軍略を確実に推し進める一助となった。初対面で見せた感情が嘘だったかのように、お前は僕の忠臣であり続けた」

 

 その在り方は、セイレンスと通じるところがあった。実際気が合ったのか、同じ君主を頂くためか。二人が友人として親交を温めていたのを、ケリュドラも知っている。

 

「かと思えば、女に関することで言えば身持ちが固かったな。オクヘイマでも随一の美女とも謳われた剣旗卿に靡かず、金織卿ともあくまで同僚として接し、言い寄ってくる女たちにも一定の距離を置いていた。僕が結婚を勧めても、この身はカイザーのためにと、頑として受け入れなかったな」

 

 いつもなら素直にカイザーの命に従っていたリュスクスだったが、こと女に関わることについては頑なに受け入れなかった。もっともケリュドラ自身予感はあったし、その命を受け入れなかったところで、罪に問うほどでも無かったからさして気にしていなかった。リュスクスが頑なな理由も、すぐに察することとなったからだ。

 

「お前は何かと、僕のことを気にかけていたな。顔を見るだけで寝不足を看破して寝るよう勧めたり、僅かな髪の乱れに気付いて誰の目も付かぬところで耳打ちをしたり。メーレやネクタールを飲もうと誘えば、一度たりとて断ったことは無かったな。あとは生誕日の度に花や菓子、飾り物を贈ってくれたこともあったか。――気付いていたか? その時の僕を見るお前の目は、誰に対して向けるものよりも優しく、陽だまりのように暖かったことを」

 

 きっと、リュスクス本人もほとんど無意識にとっていた態度だったんだろう。いつもの冷静で紳士的で、しかし戦いとなれば情熱的だった彼の在り様からすると、別人のようだが――それもまた、リュスクスという人間の一側面だった。

 

「……まったく、失ってから初めて気付くとはな。僕もまた、どれほど苛烈な道を選ぼうとついてきてくれた蛍火卿を頼もしく思っていたし、平時でのやり取りも悪くない、得難い物だったと認識していた。そうした日々が、本来孤高であるべきカイザーに小さな幸福を与えていた。――そうだ。僕もまた、お前に惹かれていたんだ。リュスクス」

 

 言葉の端が、僅かに震える。それでもケリュドラは、その荒れ狂う感情を飲み下す。

 この身はカイザー。オクヘイマの君主にして、「法」。ここで感情を乱すことは、許されない。

 頬に伝う一筋の熱を感じながら、ケリュドラはそれを拭うこともせず、槍の刃をひと撫でしてからその場を去っていったのだった。

 

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