昏く静謐な花の海と割れた月が空に浮かぶ場所に、空色の髪の少女は佇んでいた。
他には何も無く、そよ風が花々を揺らし葉が擦れる音だけが彼女の耳に届く。
「――今回の征途も、終わりというわけだな」
少女――ケリュドラは割れた月を見上げながら、静かに微笑む。もう、ここがどこなのかは凡その検討が付いていた。
「試練を超え、最後に己が身を犠牲とすることで、『法』の神権による最終協定の書き換えを、あの天才たちの手に託せた。――剣旗卿の手際も、見事だったな」
最期に見たセイレンスの顔は、苦しみを押し殺し、己が君主の最後の命を果たそうとする意思が宿っていた。
リュスクスの記憶の中でセイレンスは全ての輪廻においてケリュドラに剣を突き立ててていたが、それはリュスクスが現れる輪廻の前でも同様だった。
「……まあ、剣旗卿はそれを知ったら嫌な顔はするだろうがな」
意気揚々と語る自分を前に、眉を顰めて複雑そうにしているセイレンスの姿が、ありありと想像出来た。
「――ペンダントは……。無いか」
ケリュドラは胸元を探り、肌身離さず身に着けていたあのペンダントが無かったことに、息を吐く。今や魂だけの存在となってしまったが故なのだろうか。
キュレネは、命の危機に身を晒せば、自らを守ろうとして現れるかもしれないと言っていたが少なくともケリュドラが覚えている限り、そんな現象は起こっていなかった。
「まあ、元々確証の無いことではあったからな。やむを得まい」
少なくとも、ケリュドラにキュレネを責める気は毛頭ない。寧ろ、リュスクスの記憶に触れさせてくれたことに感謝している。
「……もう、行くとするか」
ここに留まっている理由は、もう無い。
死者は死者らしく、西風の向こうへと渡るべきだ。きっと、懐かしい人たちもそこで待っているだろう。
そう思いながら、ケリュドラは一歩を踏み出した。
「――待って。まだ行くには、ちょっとだけ早いと思うよ」
背後から、聞き慣れない少女の声が静かに響いた。
「……誰もいない、と思っていたが。まさか先客がいたとはな」
ケリュドラがゆっくりと振り返ると、花の海を背に一人の少女の姿があった。
車椅子に身を委ねた少女は淡い紫色の髪を持ち、顔の右目の辺りが硬く黒い皮のような物で覆われていた。左目は閉じられており一見すると盲目のようだが、
「呼び止めてしまって、ごめんなさい。でもここで呼び止めなかったら、貴女はきっと報われないと思ったの」
ケリュドラは眉尻を上げて、その少女を見る。
「ほう? まさか、この
その問いに、少女はゆっくりと首を振った。
「あたしにはもう、その力は残っていないの。たった一人のために、あたしは大きな代償を支払ったから」
「……その口ぶり。やはりお前は、『死』のタイタン、タナトスか」
ケリュドラは少女の僅かな言葉から、その正体を確信するに至った。
「――流石だね。オンパロスのカイザーだっただけあって、人を見る眼は確かなんだ」
「どうやら、僕の名は冥界にまで伝わっていたようだな」
ケリュドラが腕を組むと、タナトスという名の少女は意味深げに微笑んだ。
「うん。ある人が、あたしにその人のことを教えてくれたの。――自己紹介がまだだったね。あたしは貴女の推測どおり、『死』を司るタイタン、タナトス。……そして、前の『再創紀』でのタイタンになる前の名前は、ボリュシア」
「
天外の救世主がやってくる前、あのタイタンが示したのは彼らの到来や第2回の火追いの旅が第27代カイニスによって頓挫しかけたことだけではない。
ケリュドラがよく知るアグライアやトリビーたちを含め、黄金裔たちが火追いに挑んだ歴史の一部が語られた。その中には、キャストリスがボリュシアと再会し、『死』の権能を正式に引き継いだことも含まれていた。
「オロニクスが、そんなことまで……」
「どうやら、生者の世界の仔細についてまでは知らないようだな」
「……うん。最近だと、500人の黄金裔がここを通っていったのを見送っていたんだけど、彼らは皆、『カイザー』のことを口にしてた。何か大きな戦いがあった、ってことくらいしか分からなかったかな」
「……そうか」
神権を受け継ぐに当たって挑んだ試練の過程で犠牲になった彼らも、ここに来ていたらしい。
その事実を、ケリュドラはただ粛々と受け止める。
「良かったら、教えてくれる? カイザー、ケリュドラ。生者の世界で今、何が起きているのか」
生前想像していた『死』のタイタンの在り方とは違ってとても人間的な彼女の在り方に、ケリュドラは思わず苦笑しつつも頷く。
「まさか、タイタンに教えを請われる日が来るとは思わなんだ。だが、良いだろう。これはお前にも決して無関係なことではない。――今のオンパロスは重大な局面に相対している。この世界そのものが『壊滅』に呑まれ、天外の星々すらも滅ぼしかねない大災厄となるか否か。それを決するための戦いに身を投じているからな」
ケリュドラが手始めに現在の状況を端的に言い表すと、ボリュシアは心から驚いたように息を吐いた。
それでも聞き続ける姿勢を示すボリュシアに、ケリュドラは語る。
オンパロスは、どのような経緯でもって誕生したのか。オンパロスが『壊滅』の道を進み『鉄墓』が誕生するのを阻止するため、天外の救世主たちや黄金裔たちが長い戦いに身を投じていること。
今まさに生者の世界で繰り広げられている英雄たちの抵抗を、ケリュドラは要点を抑えつつ聞かせた。
「――貴女たちは、そんな厳しい戦いに身を投じていたんだね。彼らは、勝てると思う?」
「勝てる。彼らは僕が後を託すに足ると判断した英傑たちだ。どれほど険しい戦いであっても、必ずオンパロスに勝利の凱歌を響かせてくれるとも」
ボリュシアの問いに、ケリュドラは確信を持って応じる。どれほど時間がかかってもあの天外の救世主は帰還し、それに備えて黄金裔たちもライコスと戦い続けてくれる、と。
「それだけ大きな強敵の前に一致団結出来るようにオンパロスを導いたのも、貴女の手腕があったからなんだろうね。あたしからすれば、貴女も間違いなく英雄だよ」
「僕はそんな物には興味は無い。僕が賢君であれ暴君であれ、未来のオンパロスは僕のことなど忘れてしまった方が良い」
「そっか。貴女は、そう考えているんだ」
「ああ。それよりも、だ。タナトス、お前もまた、間接的にこの戦いへ関わることになるだろう。この先、あの
ケリュドラは一歩前に出て、ボリュシアに近づきつつ問いかけた。
「出来てるよ。今のあたしは、『死』のタイタン、タナトス。神の一柱としてお姉ちゃんの覚悟を見定めて、神権を引き渡せたらって思ってる。その結果、あたし自身が消えてしまうことになっても……、あたしはここで、お姉ちゃんを待ち続けるつもりだよ」
「問うまでもなかった、か」
僅かな迷いを孕みつつも、しかしボリュシアの答えは芯が通っていた。
迷いがあったのは、姉であるキャストリスを想ってのことだったのだろう。それでも、彼女と再会したら、その神権を引き渡す心積もりではあるらしい。
ただの少女かとも思ったが、同時に彼女は確かにタイタンでもあると、ケリュドラは理解する。
「――ふふ。どのみち、あたしは待つのに慣れてるから。今はタイタンとして、貴女のために出来ることをしようと思う」
「僕のため? 何をする気だ」
「カイザー、貴女は忘れられてしまった方がいいと言っていたけれど。貴女を絶対に忘れたくないって人は、いるんだよ?」
「ほう? それは誰だ」
「それは……会った方が早いかな。――待たせてごめんね。出てきていいよ」
ボリュシアは首を僅かに後ろへ向けて、虚空へと声をかける。
すると、程なくして人影が現れ――やがて一つの像を成した。
「お前は……まさか……」
てっきり失敗したのかと思っていたが、どうやら試みは成功していたらしい。
ケリュドラは、会ってみたいと願ってやまなかったその人物の姿を目の当たりにする。
「紹介は……ふふ。カイザーはもう十分知ってるみたいだね」
「――まあ、俺の記憶を覗き見たみたいですからね」
記憶の残影の中でしか聞いたことのない、しかし酷く懐かしく思える声が、ケリュドラの耳朶を打った。
目を瞠り、動けずにいるケリュドラを見て、黒髪に赤メッシュの混じった
「
「ああ――」
奇跡とは、斯くも劇的なものなのか。ケリュドラは、そう思わずにはいられなかった。
*****
俺は、万感の思いでその人を見つめる。
オクヘイマの君主にしてカイザー、ケリュドラ。まさか、今こうして、愛した人と再会出来るとは思ってもみなかった。
空色の髪と意志を宿した宝石の瞳、あどけなさを残しながらも愛らしさと凛々しさを併せ持った顔。背の低さも、彼女の威厳と美しさを同居させた衣装も、あの時のままだった。
「――お前は、リュスクス……なんだな?」
ケリュドラが、確かめるように俺を見上げながら近くに寄ってきた。その瞳は記憶にあるよりも感情に揺れていて、信じられないものを見た、とでも言いたげだった。
「はい。貴女の灯火卿、リュスクスです」
「その呼び名……お前は聞いていたのだな。……いつからだ?」
「貴女がキュレネという子と一緒に、俺の記憶を辿っていたときに。随分と長いこと眠っていましたけど……。貴女たちが俺の記憶に触れたことで、少しだけ意識が戻ったんです」
本当ならあの輪廻で俺は死に、二度とこのオンパロスには存在していないはずだった。だから自分が“死んだ”後もしばらくの間意識が残り続けていたのは予想外だったが……摩耗の後眠りに就き、そしてキュレネの力によって意識を取り戻したときに、俺はその理由を知ることとなった。
「そうか。あの時既に……」
「ええ。もっとも、こうやって貴女と話せるようになったのは、セイレンスのおかげですが。彼女が剣で貴女とペンダントを貫いたのは、覚えていますか」
「覚えているとも」
「あの一撃で水晶が砕けた後、俺の魂は貴女の魂に吸収されました。そしてこの花海に辿り着いて、一足先に目覚めていたんです。……まあ、最初は状況が呑み込めずに西風の向こうに行きかけてたところを、ボリュシアが止めてくれたからこうして会えたんですが」
俺は、この機会を作ってくれた恩人であるボリュシアに目を向ける。呼び止められたときは、まさかこんな儚げな女性がタイタンとは思わなかった。でも彼女の語り口は明るく、それでいて静謐さもあったのもあって、冷静に状況を受け止められるようになった。その意味でも俺は、この人に足を向けて寝られないだろう。
「あたしは強い絆で結ばれた魂はこれまで何度も見てきたけど、貴方たちの繋がりはそれよりも強かったし、魂の在り方も珍しかった。だから送り返すことは出来なくても、呼び止めた方がいいって思ったの」
ボリュシアは、さっき俺に聞かせてくれたことと同じことを、ケリュドラにも語る。さて、ケリュドラの受け止めはどうなんだろうか。
「……だから、“再会”が叶ったのだな」
ケリュドラは、何と言ったらいいか迷っているように見えた。カイザーとして迷いを見せなかったケリュドラが、まさかそんな風に振舞うとは。ただ少なくとも、悪い感情を持っているわけではないのは確かだ。
俺はケリュドラに近づいて、右手を伸ばし、その頬に触れる。頬は柔らかくて暖かく、手の甲に触れる横髪はさらりとした感触だった。
「俺も、貴女と再び会える日を心待ちにしていました」
「……僕がお前の記憶を覗いたことには、何も言わないのだな」
「貴女に見られる程度なら、何も恥ずかしいことじゃありませんからね。あの輪廻で“死んだ”時、秘めてた気持ちもバレバレだったみたいですし」
「ふ、その時のことをここにいる“僕”は覚えていないがな。あくまで、記憶を通して第三者の視点で見ただけだ」
「だとしてもですよ。寧ろ俺は、そこまでしてケリュドラが俺のことを知ろうとしてくれて、嬉しかったです。だって、好きな人が俺を見てくれてるんですから」
「……小恥ずかしいことを、真正面から言うんだな。お前は」
呆れたように笑いながら、ケリュドラは自らの手を俺の手の甲の上に重ねる。細く柔らかい指が、包み込んでくる。
――記憶にある限り、ケリュドラが自分から俺に触れてきたのは初めてだったから、不意のことに俺の心臓はとくんと跳ねてしまった。
それでもまだ言うべきことがある。俺は、何とか気持ちを持ち直してケリュドラの目を見た。
「――ここにいる貴女に言っても詮無いことかもしれませんが……。それでも一つ、貴女に謝りたいこともあります」
「何だ?」
「貴女の命を理解せず、勝手に飛び出して申し訳ありませんでした。……あの時点でじいさんが無事だという知らせは耳にしていましたが、それでも俺はあの村を守ることで頭がいっぱいだった。臣下として、あってはならない行動でした」
俺は、あの日死んで以降、ずっと心の片隅に残っていた後悔と共にケリュドラへと頭を下げる。しかしケリュドラは、そんな俺に対して首を振った。
「あの村は当時のお前にとって、数少ない自己の存在理由の一つだった。そしてその命を賭して、村を守り切った。あの奮戦があったからこそ、あの村は100年ほど暗黒の潮から逃れられたのだからな」
「……それは初耳です。誰から聞いたんですか?」
「オンパロスの記録を閲覧した、
「寛大な処置、痛み入ります――ん?」
俺はケリュドラの寛大さに感謝しかけたところで、一つ引っ掛かった。命令違反については……?
首を傾げた俺を見て、ケリュドラはどこか愉しげに笑う。
「――ふふ。お前も、僕とあの桃髪の少女の話を聞いていたのならば分かるだろう? かつての僕は、口にすることは無かったが、お前に
「ああ……。それは……、えっと……。何の申し開きもございません……」
確かにケリュドラは、キュレネと共に二人で見た記憶を振り返る過程で、俺が命令違反したときの光景をそんな風に語っていた。ある程度客観視出来るようになった今の俺でも、あのときの二人の気持ちに気付けただろう。
何を言われるのか戦々恐々としていると、ケリュドラは口の端を釣り上げた。
「灯火卿、少し屈め。ああ、王冠より下に頭は下げるなよ?」
その言葉に従って身体を屈め、様子を窺っていると――ケリュドラがやや背伸びをして俺の眼前に迫り……。
「――っ!?」
唇に、柔らかい感触が広がった。至近距離で目を閉じるケリュドラの顔が視界に入り――ややあって、ケリュドラは満足そうに俺から半歩離れた。そして僅かに朱の差した顔で俺を見上げると、にやりと笑ってみせる。
「お前も、そんな顔をすることがあるとはな」
「あの、これ、どっちかっていうと褒美では……」
「かつてはお前の方からやられたようだからな。その意趣返しでもある」
「そ、そういう……」
いや、これは何と受け取るべきなのか。いや、嬉しいことは嬉しいが、まさかこんな形で望んでいたことが叶うとは思わなくて、端的に言って混乱している。
「抗議は受け付けんぞ? これは“裁き”だからな」
「……その、ケリュドラは良いんですか?」
「ん? 何がだ?」
「貴女のことです。きっと心のどこかで、俺との積み重ねの記憶が無いから、恋愛感情があるかも分からない。そう、思ってたんじゃないんですか?」
俺と“自分の知らない自分”が惹かれ合う様を見て、ケリュドラはきっと複雑な心境になっただろう。そして、今の自分にその感情を向けられたとして、応えられないかもしれない、とも思ったはずだ。
「ふふ。よく理解しているようだな。――だが、あの輪廻において僕への恋情を見せ、その後の輪廻においてもただひたすら僕に寄り添い続けた男がいた……。それを知って何も思わないほど、僕は薄情な女ではないんだ」
ケリュドラの目が、熱を帯びて俺の顔を捉えた。
ああ、今ならもう一度この想いを届かせられるかもしれない。何度輪廻を繰り返しても変わらなかった、この気持ちを。
俺は息を吸って吐いて、ケリュドラを見据えた。
「ケリュドラ。貴女が好きです。愛しています」
ケリュドラは、俺の言葉にどう応じるのか。待っていると、ケリュドラの頬が途端に朱色に染め上がっていた。もう少しカイザーっぽい振る舞いをするかと思ったら、全然違っていた。
……え、その反応は予想外なんだが。可愛いが過ぎるんだが。――じゃなくて。
「……ケリュドラ? 大丈夫ですか? 歌でも歌いましょうか」
「それはやめろ」
うわ、急に冷静になった。
そんなに嫌か、俺の歌……。まあ、あの記憶の旅で俺も第三者の視点から自分の歌を聞いていたが、流石の俺でも分かるくらいには下手だった。あれは地味にショックだった。
「……こほん。お前の歌はともかくだ。お前から真っ直ぐ言葉を向けられて、少し動揺してしまった。余人が相手なら一蹴するのだがな。……灯火卿が相手だと、顔が熱くなってしまった。まったく、カイザーにあるまじき醜態だな」
ケリュドラは、皮肉げに笑って肩を竦める。ケリュドラなりに、理想とするカイザー像があるんだろう。でも、俺の言葉で心が揺り動かされてしまったようだ。
「可愛いかったので、俺は気にしませんよ」
「灯火卿、気持ちが通じたからといってあまりにも明け透けなのはどうなんだ?」
「いいじゃないですか。好きって気持ちは、言葉にしなきゃ伝わりませんから」
「……一理はあるな。認めたくは無いが」
俺が笑いかけると、ケリュドラは少しだけ不服そうに眉を顰めて俺を見上げた。そういう所作すら、俺には愛おしくて仕方がない。
「これほどまでに素直になった灯火卿の言動が、こうも心臓に悪いとは」
「さっきの貴女の“裁き”も、相応に心臓に悪かったですよ?」
「だからお互い様、と?」
「ええ」
「……まあ、そういうことにしておこう。――ところで、灯火卿」
ケリュドラは言葉を区切って俺を見つめる。その様子はどこか、俺という人間を見定めようとしているようにも見えた。
「何ですか」
「お前こそ、良かったのか? ここにいる僕は、かつての輪廻でお前が巡り会った“僕”ではない。その記憶も、決して連続していないんだ。それでも灯火卿は、僕を愛しているのか」
「当然です。貴女は幾度の輪廻を繰り返しても、貴女のままだった。俺がいなくても――いや、いなかったからこそ貴女は貴女らしく、カイザーとして自らの征途に邁進していた。それは、今俺の目の前にいるケリュドラも変わりません。だから、あの頃の記憶が無かったとしても……俺が貴女を愛しているのは、変わりません」
「――――そうか」
ケリュドラは、俺の言葉を受け止めるように静かに目を閉じていた。その様子を見ていると、俺の気持ちはちゃんと届いていると、信じられた。
「もし、だ」
ケリュドラが、ぽつりと呟いた。
「はい」
「もし、次の輪廻があったとして。僕とお前は、巡り会えるのか?」
「はい、きっと。今の俺は、ミーム生命体ですから。フィゴラがくれたこの身体で、何度でも貴女に会いにいけます。今回のことだって、忘れてないはずです」
「次の僕は、きっと今回の輪廻のことを覚えていないだろう。……それでもお前は、僕を愛してくれるか?」
「勿論です。例え報われなくても、俺はケリュドラに好きだって伝えます」
「――ふふ。それは流石に、報われて欲しいものだが」
俺が決意を伝えると、ケリュドラはそんな風に言ってくれた。ここが、冥界だからかいつも以上にケリュドラから素直さが感じられて、俺もつい頬が緩んでしまう。
そして俺とケリュドラは見つめ合い、もう一度唇を重ねる。今度は一方的ではなく、お互いの意思が伴ったものだった。
まるで夢のようだが、夢じゃない。そう思うと、嬉しさが込み上げてきた。
「――ええっと。お取込み中のところ、悪いんだけど……。あたしのこと、忘れてない……?」
「――む」
「――あ」
後ろの方から声が聞こえて、俺とケリュドラはほとんど同時にその場で固まってしまった。それからゆっくりと後ろを向くと……。ボリュシアが頬を赤くして、所在無げにしながら指を合わせていた。
「……僕としたことが。タナトスがいたことをすっかり忘れていたな」
「すみません、ボリュシア……。俺も忘れてました……」
「そ、そう……。でも次からは、あたしに限らず人目をもうちょっと気にして欲しいかな……」
何だろうか、この気まずさ。
俺は耳が熱いし、ケリュドラもさっきより顔が赤いし、ボリュシアも照れてしまって何も言えなくなっている。
この空気、ほんとにどうしたらいいんだ。
「……こほん」
妙な空気は延々と続くかのように思われたが、静寂を破ったのはケリュドラの咳払いだった。
「何はともあれ、だ。僕と灯火卿の再会は、叶ったわけだな。礼を言う、タナトス」
ケリュドラは顔に赤みを残しながら、ボリュシアに視線を向ける。それを受けてボリュシアも、僅かに口角を上げていた。
「ふふ。あたしはお姉ちゃんのために大きすぎる代償を支払ったけど……。全部が全部、悪いことばかりでもなかったんだね」
僅かに哀しげな雰囲気を纏っていたが、それでもどこか救われたようにボリュシアは呟いていた。
「まさか、火追いの旅の果てで、タイタンを殺すのではなく救うことになるとは、夢にも思いませんでしたね」
「まったくだな。……まあ、僕も灯火卿も、そのタイタンの前で少し羽目を外してしまったわけだが」
ケリュドラは俺に同調しつつ、気恥ずかしそうにしていた。あれだけイチャついてしまったんだ、そうもなるだろう。
「人目を気にして欲しいとは言ったけど、あたしは二人が結ばれるところを見届けられて、良かったと思ってるよ。あたしとお姉ちゃんが会えずにいる時間よりも長い間、二人は会えなかったんだから」
そうか。ボリュシアは永劫回帰が起こる度にお姉さんと再会出来てたかもしれないけど、俺の場合は1600万回以上の永劫回帰の間、ケリュドラと会えずにいたことになるのか。一回あたり1000年ほどだと言うから、途方もない時間だったはずだ。途中から眠りに落ちていたから、実感はあんまり無い。
「……じゃあ、もうちょっとだけイチャつきますか?」
「それは西風の向こうに渡ってからにしてくれ……」
「あはは……。あたしも、二人を長くこの場所に留め置けるわけじゃないからね。それに、他の死者が通り掛かったら、きっと驚いちゃうから」
折角ならと俺は提案してみたが、ケリュドラには頬を染めつつも断られ、ボリュシアも困ったように笑っていた。ちょっと調子に乗りすぎたか。
「――二人の言うことも、一理ありますね。それじゃあケリュドラ、行きましょうか」
俺は肩を竦めつつ、ケリュドラに右手を差し出す。
「灯火卿。これは?」
「手を繋ぐんですよ。ケリュドラはカイザーでしたから、機会が少なかったかもしれませんが……。西風の向こうに渡るなら、大切な人と手を繋いで行きたいです」
「――ふ。カイザーに対して言う言葉ではないな。だが……良いだろう」
そう言ってケリュドラは、左手を俺の手に重ねてきた。俺の手よりも小さく、暖かくて柔らかい大切な人の手を、俺はそっと握り込む。
そして俺たちは、二人でボリュシアに向き直った。
「お世話になりました、ボリュシア。この恩は、いつかの輪廻で必ず返させてください」
「僕からも礼を、タナトス。オンパロスから『壊滅』の脅威が去った暁には、お前という死者たちにとっての英雄もいたのだと星々に喧伝するとしよう」
俺たちの言葉にボリュシアは俄かに驚きつつも、笑みを返す。
「――あたしの力が、二人の役に立てて良かった。西風の向こうに行っても、貴方たちが幸せでいられるように祈ってる。それから、次の輪廻があったら、そこで二人が再会して再び結ばれるように祈ってるね」
ボリュシアは祝福と共に、俺たちを送り出してくれる。心優しい『死』のタイタンに笑いかけてから、俺はケリュドラと共に背後を向く。
「行きましょう、ケリュドラ」
「ああ。一緒にな」
今度は、いつかのようにケリュドラを置き去りにしはしない。そんな思いを込めながら、俺はケリュドラと共に花の海を歩き出した。
「――ああ、そういえば聞き忘れていたことがあったな」
花海を歩きながら、ケリュドラがふと呟いた。
「何でしょう?」
「お前は、ライコスという名のアンティキシラ人――このオンパロスの管理者から、生前もペンダントになった後も、認識されていないようだった。心当たりはあるか?」
ケリュドラに問われて、俺は記憶を探ってみる。
少なくとも、オンパロスで生きていた頃の中には、探れる物は無かった。だが、ミーム生命体となった今ならば、
「――そうですね。……どうやら俺は、オンパロスに放り出される前は、誰かの記憶の欠片として宇宙を彷徨っていたみたいです」
「宇宙……天外の、か?」
「ええ。そこで、何か大きな存在に一瞥をされました。その時にもらった『記憶』の力で、ライコスという人から見えないようになってたんでしょう。具体的な原理は分かりませんが。フィゴラがいたのも、俺がミーム生命体になったのも、その力のおかげです」
「大いなる存在……。天外にいるという、星神と呼ばれる存在によるものだろうな」
「強いんですか?」
「天外の救世主曰く、タイタンより何万倍もな」
とんでもない存在だ。そんな連中の中の、「記憶」を司る神から俺は力を貰っていたのか。
「会えることがあったら、お礼、言ってみたいですね」
「連中は、タイタンよりも話が通じぬ奴も少なくないと聞く。場合によっては、会うこと自体が危険かもしれない。そんな相手に礼を言うのか?」
「少なくとも、『記憶』の神様は絶対悪な存在じゃないでしょう。なら、ありがとうくらいは言いたいです」
「――変わり者だな、お前は。だが、悪くない。そいつに会うときは、僕も一緒に行こう」
「ありがとうございます。そのときは、是非」
俺はケリュドラと頷き合いながら、歩いて行く。ふと、ケリュドラは不意に立ち止まって俺を見上げた。
「――灯火卿。僕からも今の内に言っておかなければならないことがある」
「何でしょう?」
「僕も、お前を愛している。リュスクス」
不意打ちで告げられた言葉に、俺の心臓はまた跳ね上がった。
一方で俺を見上げるケリュドラの頬は赤く、照れ臭さが隠しきれていなかった。それでも俺と同じように真っ直ぐ愛情を向けてくれたことが、嬉しくてたまらない。
「ありがとうございます、ケリュドラ。俺も愛していますよ」
「それはもう、十分すぎるほど知っている。聞いていて恥ずかしくなるほどにな。だが、向こうに行っても聞かせてくれ」
「ええ、もちろん。何度でも言いますよ。愛してるって」
「ふふ。今から楽しみだな」
俺はケリュドラと笑みを交わし、共に歩いて行く。
目指すは、西風の向こう。偉大な先達たちもいるのだという、死者の行きつく先だ。
そこが、どんな場所なのかは知らない。それでも俺はケリュドラと一緒なら、どこへだって行ける。
そして誓おう。
西風の向こうでも、次の輪廻でも、必ずケリュドラを幸せにしてみせると。
主人公 プロフィールver.3
名前:リュスクス
性別:男
年齢:不詳(外見年齢:20歳前後)
出身:天外
運命:記憶 属性:炎
記憶の精霊:――