月日は流れ、聖都オクヘイマのプライベートルトロの一角で、ケリュドラは臣下であるセイレンスと共に足を湯に浸らせながら、細やかな宴を開いていた。
「こうして二人で宴を開くというのも珍しいな、剣旗卿」
メーレを一口飲んでから、ケリュドラは傍に座る臣下を見る。セイレーンと呼ばれる種族の唯一の生き残りでもあるセイレンスは、同性であるケリュドラから見ても美しい容姿を持つ人物だ。流れるような黒の長髪は深海の神秘を思わせ、その瞳は青く水晶のよう。アグライアが彼女に贈った服が、その美しさをより一層際立たせていた。
「あれから数ヶ月。暗黒の潮と他の都市国家の内乱の救援で、休む暇もなかったからな。彼を送るには、今しか無いと思った」
「……蛍火卿のことか。罪人を弔うための宴など、民に知られれば面倒なことになるな」
「だからこうして、二人きりで宴を開くことを提案したんだ。あの黒い鯉は、ワタシにとっても得難い友人だったからな」
セイレンスは過去を懐かしむように、グラスの中に残るメーレを揺らす。
「確かあの男は、お前から歌を習おうとしたことがあったな」
「ああ。あまりにも下手で、すぐに挫折してしまっていたがな」
「僕も歌を聞かせてもらったことはあったが……。あれは想像を絶するほどの下手さだったな」
ケリュドラから容赦ない評価を浴びせられたリュスクスの項垂れっぷりは、昨日のことのように思い出せる。それでもひとしきり落ち込んだ後は、さっさと本分である武術の鍛錬に向かっていった。あの切り替えの早さは、流石と言うべきか何と言うべきか。呆れつつも、それもまたリュスクスの良さかとケリュドラは思った。
「今思えば、少しでもカイザーに良いところを見せたかったのだろうな」
「惚れた女のために、か」
セイレンスの所感に、ケリュドラは肩を竦めた。
「そういえばカイザー、君は彼の最期を見届けた後、何かを見つけていたな。少し離れたところに立っていたからよく見えなかったが、あの所作からしてペンダントだろうか」
「ああ、これのことか」
ケリュドラは胸元からペンダントを出して、紐から提げられた水晶を自身の手のひらの上に乗せた。水晶の中では、未だに小さな蛍火が消えることなく灯っていた。
「やはり、肌身離さず付けていたんだな」
「何だ、不服か?」
「いいや。ただ、彼がステュクスへ渡って以来、君は時折胸元を気にするような仕草をしていたから、気になっていた」
「僕らしくない、と思っているのだろう? 剣旗卿。僕は今まで、誰かの形見を身に着けるなんてことはしてこなかったからな」
「ああ。だが、君の中で何か心境の変化があったから、彼の残したペンダントを身に着けているのだろう? ワタシにも、聞かせてくれないだろうか。鯉が最後に何を語ったのかを」
セイレンスの青い瞳が、静かにケリュドラへ向けられる。彼女もまた、リュスクスと親しかったが故に、その最期を知りたいのだろう。確かに友人で会ったセイレンスにはその権利がある。
リュスクスが知れば悶絶しながら止めようとするが、既に本人はいない。それに、信頼出来る誰かに話して、少しでも今の気持ちを整理しておきたい思惑もあった。
「良いだろう。ただ、覚悟して聞くことだな、剣旗卿。最期の言葉としては些か、いや、相当に羞恥に耐えないことも言っていたからな」
「……なるほど。凡そ予測はついた。だが、それでも聞かせてほしい」
「そうか。ならば、語るとしようか。我が忠臣の最期を」
小さな宴もお開きとなり、ケリュドラは政務に戻るべくセイレンスと共にルトロを後にする。
黎明の崖へと向かう途中、一人の兵士が走ってくるのが見えた。兵士はケリュドラの姿を見つけると慌てた様子で駆け寄ってきた。
「カイザー陛下、こちらにいらっしゃいましたか!」
「その慌てぶり、異常事態と見えるな。また害虫が暴れ出したか? それとも敵の襲撃か?」
「いえ、そうではないのです。ないの、ですが……」
どうにも煮え切らない兵士の様子に、ケリュドラは俄かに苛立ちを覚えながら眉を顰める。
「はっきりと言え。僕の時間は貴重だ。ここで浪費させるようであれば、相応の処分を下さねばならん」
「しっ、失礼いたしました!」
兵士は背筋を伸ばしながら、しかし困惑の気配を隠すこともないままにケリュドラへと向き合った。
「――報告します。異邦の客人が、カイザーとの面会を申し出ております」
「面会だと? その程度であれば、剣旗卿に対応させるが?」
「既に、アグライア様とトリビー様が対応に当たってくださっております。そのお二人から、カイザーへの言伝を預かり、参上した次第です」
「ふむ。言ってみろ」
「――“彼の異邦の青年は、ケファレより我々へ与えられた神託を一言一句余すことなく当てました”、とのことです」
予想だにしていなかった報告に、ケリュドラは傍に控えていたセイレンスと顔を見合わせていた。
「世負い」のタイタン、ケファレを頂く、黎明の崖の中でも最も高い位置にある謁見台に到着したケリュドラは、中央に二人の後ろ姿を見つける。
「待たせたな、金織卿に、運命卿」
「お待ちしておりました、カイザー」
ケリュドラの声をかけられ振り返ったのは、金髪の嫋やかな女性――“金織卿”アグライアと、赤毛の幼女――“運命卿”トリビーだ。
アグライアは一見すると冷静さを保っているが、どこか戸惑っているようにも見える。トリビーに至っては、あからさまに不安そうな顔をしていた。
ケリュドラが一目置き、信を置く黄金裔二人が揃って動揺をしているのを見るに、確かに異常事態は起こっているのだと推察出来た。
「伝令兵から言伝は聞いている。お前たちの預言が、余所者に当てられたそうだな?」
「うん。預言を
「その余所者は、どちらにも該当しないと」
トリビーは困ったように眉を顰めながら、こくりと頷く。
「その余所者とは、あいつか」
ケリュドラの視線が、広場の奥でこちらに背を向け佇む青年へと注がれる。
銀色の髪と、白い装束を纏った高身長の青年は、黙したままケファレを見上げているようだった。
「……あの男、隙が無いな。ワタシや……黒の鯉よりも遥かに強い」
後ろに控えていたセイレンスが、ぽつりと呟く。
ケリュドラの命一つでいつでも仕掛けられるようにしていたが、容易く屠れる手合いではない、ということらしい。
あのセイレンスにそこまで言わせるほどの者が、いったい何の用なのか。それを探るべく、ケリュドラは青年の近くへと歩を進めた。
「来てやったぞ、余所者。この僕を呼びつけるとは、中々良い度胸をしているな」
一定の距離を置きながら、ケリュドラは腕を組み青年の背を睨みつけた。
声をかけられた青年は緩慢に振り返り、ついにその顔を見せる。
青年の容貌は、些か年若さを残しているように見えた。しかし彼の青い瞳と金の瞳孔は昏く、容姿に似つかわしくないほどの年季を感じさせた。
「――“汝は天と地を分かつ海で征服を果たし、潮騒の中で眠るだろう”。――“汝は潮騒の中で眠り、天と地を分かつ海で征服を果たすだろう” ……」
重く掠れた声が、余人には知られていないはずの神託を諳んじた。
「その預言は――っ!」
「剣旗卿」
珍しく声を震わせ今にも飛びかからんとしていたセイレンスを、ケリュドラは手を挙げて制する。
逡巡の後、セイレンスの剣を引く気配が背中越しに伝わった。
「……貴様。我々を狼藉するとは、いったい何のつもりだ? 答え如何によってはその首、即刻叩き落す」
「無礼を承知の上で、口にさせてもらった。これで、僕の話を少しは聞く気になっただろう」
眉の一つも動かさず、どこか諦観を滲ませながら、されど最低限の真摯さを保つように青年は語り掛けてきた。
――切っ先を制されたか。
まるで、老獪な仙人か何かを相手にしているような感覚だ。奥歯を噛みしめつつ、これは油断ならない相手だとケリュドラは確信せざるを得なかった。
「――その預言を知っているということは、貴様。僕たちのことを知っているな?」
「ああ、よく知っているとも。 “僕”は後の時代の生まれだから、馴染み深いのはアグライアと、トリビー先生の方だが」
そう言って、青年はケリュドラの後方にいる二人へと視線を送る。昏い瞳が、僅かに揺れ動いたのをケリュドラは見逃さなかった。
「何者だ、貴様」
「僕は、エリュシオンのファイノン。“世負い”の黄金裔だ。『壊滅』を防ぐため、
ファイノンと名乗った青年は視線を逸らさず、そう告げてきた。
嘘を言っているわけではないようだが、本当のことを言っているようにも見えない。ただ1000年後から来ただけなのなら、何故この男はこんなにも暗く淀んだ目をしているのか。
「『壊滅』を防ぐ、だと?」
「そうだ。そのために僕は、ここにいる」
まるで自らの使命を思い出すように――否。忘れないようにしているかの如く、ファイノンは己の手のひらを見つめ、握った。
「……カイザー、ケリュドラ。オクヘイマの君主よ。君に、確かめたいことがある」
「確かめたいこと、か。貴様は優位な立場を利用して、この僕から一方的に情報を引き出そうというわけだな」
「どうとでも受け取ってくれていい。僕が確かめたいことは一つ。この聖都に来てから僕は、聞き慣れない者の名を聞いた。――“リュスクス”という、青年の名を」
ケリュドラは、眉を顰めた。
何故今、この得体の知れない余所者の口から、あの男の名が出てくるのか。言い回しからして知己ではないようだが、どうにも引っ掛かる。
ファイノンは恐らく、オクヘイマの民が雑談の中で彼の名を口にしたのを偶然耳にしたのだろう。だが、聞き慣れない、とは何を指しているのか。
疑問は尽きないが、今は兎に角この男とのやり取りを続けるのが先決だと、ケリュドラは判断する。
「確かに、かつてこの聖都にはリュスクスという名の黄金裔がいた。だがあいつは数か月前、暗黒の潮との戦いの際に死んだ」
「それは、君が自ら命令違反を犯し重傷を負った彼を、現地で処したからか?」
「そうだ」
「彼は、聖都の人々から尊敬を集めているようだった。槍術の使い手で、老若男女に分け隔てなく接し、聖都やカイザーのためその身を捧げた英雄だったと。そしてカイザーも、そんな彼を信頼しているようだったとも聞いた。だからこそ、皆動揺していたよ。そんな英雄を、何故処断してしまったのか、と」
どうやらファイノンは、ここに来る前にリュスクスのことについてある程度情報を集めていたらしい。
しかしその声色はケリュドラを非難するものではなく、民たちから聞いた声をただ淡々と事実として話しているようだった。
「僕の命令に従わない者は、オクヘイマには必要ない。この聖都において、僕こそが『法』だ。そして『法』とは秩序であり、秩序とは統制だ。統制を乱す者には、例え忠臣であったとしても容赦しない。故に僕が裁きを下した」
胸元の水晶を意識しつつ、ケリュドラはあくまでもカイザーとして、己が下した審判だと告げた。
「乱世の時代に生まれた君主だからこその裁定、ということか。筋は通っている」
「――何が言いたい?」
「僕は現時点で、1600万回を超える永劫回帰によって1000年を繰り返し、オクヘイマ……そしてオンパロスにおいて繰り広げられてきた歴史の顛末を目にしてきた。僕が目にしてきた人々のことは、全て憶えている。だから、リュスクスという名を聞いたとき、僕はようやく『灰白の黎明』が訪れたと思った。……けれど現実は違っていて、求めていた希望では無かった。そして、同時に思った。何故、
「何……?」
ファイノンが告げたのは、思いもよらない言葉だった。
ファイノン自身が途方もない数の永劫回帰を繰り返してきたというのは、嘘か本当かどうかは兎も角として、彼の異質さと佇まいから真実味があるように思える。しかし今、重要なのはそこではない。
「蛍火卿が、存在していなかった、だと」
ケリュドラは胸元を握り、服の下の水晶の存在を確かめる。指先には硬い感触と、仄かな暖かさがあった。自らの記憶の中にも、あの碧い目をした青年の姿はしっかりと残っている。
リュスクスは確かにこの大地に立ち、同じ時を過ごした。だというのに目の前の男は、それが本来存在しないはずの人間だった、と告げている。俄かには、信じ難かった。
「もちろん、今回の永劫回帰において彼が存在していたことは、僕も認める。人々の“記憶”という、最も分かりやすい形で痕跡はそこかしこに残っていた。――どうやら君も例外では無いようだ」
ファイノンは何か確信を得たように、数歩ほどケリュドラの方へと近づいてきた。そこへセイレンスが咄嗟に前へと出て、ケリュドラを守るように剣を構える。
「止まれ。それ以上カイザーに近づくな」
ケリュドラの視界は遮らず、しかし万一の事態に備えるようにセイレンスはファイノンを牽制する。
セイレンスを一瞥したファイノンは、素直に彼女の言葉に従いその場で立ち止まった。
「僕の知るカイザー、ケリュドラは冷酷無比な暴君であると同時に、オクヘイマに様々な変革をもたらした賢君でもあった。その点については、今回も同様だ。ただ一点違っていたのは――」
ケリュドラの聡明な頭脳は、ファイノンがこれから何を言うのか凡その当たりを付けていた。しかし遮ることはせず、口を噤んだまま次の言葉を待つ。
「君が重用し厚い信頼を与えていたのが、そちらにいる騎士長セイレンスに加えて、“蛍火卿”と君が呼ぶ青年リュスクスの存在だった。彼の存在が、オクヘイマ唯一のカイザーである君に、僅かばかりの“揺らぎ”を与えた」
「僕が甘い君主になった、とでも?」
「いや、或いはその逆かもしれない。平時における君は元々、セイレンスさんと過ごす間、活き活きとした表情を見せることも少なくなかった。しかしリュスクスという青年と出会ってからは、僅かながら穏やかな顔を見せる機会も増えた、と民から聞いた。だからこそ非常時における君の冷酷さが際立つと同時に、腕の立つ彼の存在もあって、“僕の知るカイザー”以上に冷酷な暴君として君は成長していた」
「その口ぶり、まるで蛍火卿が存在しなければ良かったと言わんばかりだな」
「誤解を与えたのなら、そこは素直に謝罪しよう。僕はその事実を知って、ただ驚いた。君にそれほどの影響を与える存在が、このオンパロスに現れたことに。そして同時に、忠誠を誓いつつも君を一人の女性として愛した人物がいたことに」
いったいどこで仕入れてきたのか、ケリュドラ自身やセイレンスくらいしか知らないはずの情報をファイノンは口にしていた。
後ろの方から、「『あたちたち』、初めて聞くんだけど!?」と驚愕する声と、「そんな気はしていましたが、まさか本当に……」と頭を抱えていそうな声がケリュドラの耳に飛び込んでくるが、それは無視する。
「あいつが僕に恋情を向けていた、というのは僕や剣旗卿ぐらいしか知らない情報のはずだ。誰から聞いた?」
「リュスクスがかつて過ごした村の出身の、とあるご老人から。彼は今、暗黒の潮の到来に伴ってこの聖都に避難してきている。運よく僕はそのご老人を見つけて、話を聞くことが出来た。彼は放浪していたリュスクスを見つけて衣食住の場を提供し、何かと相談も受けていて、家族同然の関係だった。数年前にリュスクスが村に帰省した際にも、相談を受けたそうだ。その内容はまさかの恋愛相談で、話を聞けば聞くほど、カイザーのこととしか思えなかった、と懐かしむように語っていたよ」
「蛍火卿め、僕の知らぬところでそんなことを」
まさか余所者から、生前のリュスクスの話を聞かされることになると思っていなかったケリュドラは、頭を抱えた。
そして、同時に呆れもする。出会ってからずっと想いを秘めていたにも関わらず、よくもまあ、死の間際になるまで一度たりとも本心を口にすることが無かったものだ。行動の端々から恋情を感じる機会が無くは無かったとはいえ、仕えるべき君主に余計な気を回させない範囲に留めていたことからも、彼の決意の深さを窺わせる。
「君たちの様子からして、リュスクスは自らの想いを直接伝えることは無かったのか?」
「……死の間際までな。蛍火卿が、5000を超える暗黒の潮の造物から一人で村を守り切った後、僕が着いた頃には既に命がつきる寸前だった。その時に、あいつの口から直接聞かされたな」
「奴らをたった一人で、か。相当な実力者だったんだな。僕も一度、手合わせしてみたかった。――話を戻そう。それで君は、リュスクスの想いに答えようとは思わなかったのか?」
「1600万以上の輪廻を繰り返してきたお前ならば分かるはずだろう? オクヘイマの君主たるこの僕が、恋愛などに現を抜かすわけにはいかないと」
「確かに君は、ただの一度も例外なく、暴君としての側面を持ち合わせていた。隙を見せれば敵の顎が君の首を引き千切っていたとしてもおかしくはない、と思わせるほどに」
これは、建前でも何でもなく“事実”だ。政の世界において、内憂外患は避けては通れない道だ。魑魅魍魎が跋扈する場に君主として身を置くのならば、弱点となる要素は出来るだけ排除しておかなければならない。恋愛もまた、その一つだった。
「――とは言っても、
「何故そう思うのか、言ってみろ」
「簡単なことだよ。君は、オクヘイマの民に向けた布告では、命令違反を犯したリュスクスを処断したことになっている。でもさっきまでのやり取りで君は、彼に対する思いやりを見せていた。実態は違う、と言わんばかりに。君が公私を上手く使い分けられている何よりの証拠だ」
「……ふん。つくづく、気に食わない男だ」
どうやらファイノンには全て悟られているらしいことを察して、ケリュドラは不満げに鼻を鳴らす。それから自分の襟元を一時緩め、隠していたペンダントを取り出して手のひらに乗せた。透明な水晶の中の蛍火は、ただケリュドラに寄り添うかのように静かに揺れ続けていた。
「それは?」
「蛍火卿が死んだあの日、あいつが遺した物だ」
「――原理は分からないけど、水晶の中で火が燃えている……。アナイクス先生なら、興味を持つかもしれないな。まあ、それは兎も角」
ケリュドラの手のひらの上に乗るペンダントを、ファイノンは目を細めて見つめていた。
「暖かい光だ。君は、それを大事に持ち続けていたんだな」
「ああ。人目に晒すわけにはいかないが故に、隠していたがな。さて、お前は言ったな。僕ならば、“現を抜かさずに恋愛をすることだって出来る”、と」
「ああ」
「業腹だが、お前が指摘したとおりだ。僕は自分でも気付かぬうちに、あいつに惹かれていた。ようやく自らの気持ちを自覚したときには、蛍火卿はステュクスへ渡った後だった。――故にこのペンダントは今の僕の支えの一つであると同時に、戒めだ」
「戒め?」
「そうだ。僕に恋情を向けながら、最後まで臣下であることを選び続けた男がいたことを忘れないためのな。そして僕の征途が終わりを迎えるその時まで、彼に恥じぬ君主であり続けるための軛でもある」
ペンダントを握って胸に当て、ケリュドラは誓いを込める。
脳裏に過ったのは、生命の花園でケファレを見上げながら共に立ち、陽だまりのように穏やかな笑みで自らを見下ろすリュスクスの顔だった。
「寂しくは、無いのか」
「蛍火卿のかつての故郷では、遺品を身に着けることで故人を偲ぶ文化があったらしい。物にも魂は宿る、と。それを思えば、寂しくないとも。少なくともこのペンダントがあれば、あいつは今でも傍にいると思える」
「そこに彼の魂は無くともか?」
「実際に魂がそこにあるかどうかは重要ではない。ただ、そう“信じる”ことこそ肝要だ」
ケリュドラがそう言ってのけると、ファイノンは僅かにぽかんと口を開けていた。
擦り切れて何もかもが色褪せ、絶望の淵に立たされていたような顔をした男が、だ。あまりにも滑稽だったもので、ケリュドラは吹き出さずにはいられなかった。
「ふ、ふふ……」
「僕の顔に何か付いているのか?」
「いや、傑作だと思ってな。お前の目には、誰かを偲ぶ僕の姿が余程意外な物に映ったと見える」
「……冷酷な君主である君にしては、らしくない、と感じたことは認めよう。少なくとも、僕の知っているカイザーは内心はどうあれ、それを他者においそれと明らかにする人ではなかったから」
「そうだな。だが完全な“機構”に成り果てては、付いて来る者も付いて来ないだろう。そういう意味ではお前とのやり取りも、悪くは無かった」
皮肉を交えつつ、ケリュドラはいっそ晴れやかな心境でファイノンを見上げた。
「さて、お前の知りたいことは知れたか? 未来の『救世主』」
「ああ、十分だとも。数々の無礼への謝罪と、僕の問いに答えてくれたことへの感謝を、ここに示そう」
ファイノンは胸に手を当て、礼をする。
「良いだろう。本来であれば不敬罪として処すところだったが、その礼節を以って、不問とする。――それで、『壊滅』とやらを避ける方法は見つかったか?」
「いいや。これはあくまで、ほんの少しの寄り道に過ぎない。僕が本当に求めている物は、別にある」
ケリュドラの問いにファイノンは首を振り、歩き出す。
「今はまだ、明かすことはしない。だが――もし次に出会うことがあれば、その時はお互い、敵となっているだろう」
ケリュドラとセイレンスの横を通り過ぎると、先ほどまでのやり取りの中にあった微かな温かみは消え、凍てついた声が耳朶を打った。
背筋が泡立つのを感じながら表情には出さず、ケリュドラは首だけを後ろへと傾ける。
「そうか。では僕も、容赦なくお前を殺すとしよう」
「ああ。全力でかかってくるといい」
ケリュドラの酷薄な宣言に、ファイノンもまた重く響く声で応じる。
この輪廻における“救世主”と“カイザー”の邂逅は、こうして終わりを迎えた。
「……カイザー。追わなくて良いのか?」
「構わん。あの男が聖都を出るまで、無用な攻撃は控えろ。それが最低限の礼節というものだ」
「――カイザーの御心のままに」
ファイノンの背中を見送るケリュドラにセイレンスは臣下の礼を以って応じ、カイザーの命を他の兵にも伝えるべく去っていった。
二人の姿が見えなくなってから、ケリュドラは近くに控えていたアグライアとトリビーにも目を向ける。
「金織卿に、運命卿。分かってはいると思うが、今のやり取りは口外無用だ」
「仰せのままに、カイザー」
「『あたちたち』も貴女の言うとおりにするね、カイザー」
アグライアはしなやかな動きで頭を僅かに下げ、トリビーは腰に手を当てて朗らかに頷く。しかしやや間を置いて、二人は意味深に視線を合わせていた。
「……何だ」
「すみません、カイザー。ただ、その――」
「ライアちゃんも『あたちたち』も、びっくりちてるんだ。まさか、カイザーもリュスちゃんも、お互いのことが好きだったなんて
「……はあ。まったく、君主に対して図々しいにも程があるな。まあ、口の堅いお前たちならば問題は無いだろう。今度、時間を作ってやる」
中々面倒なことになったが、今回の会合を目撃したのが害虫共ではなく彼女たちだったのは、不幸中の幸いだったとケリュドラは思い直す。
余人に聞かれないための算段を頭の中で描きつつ、ペンダントを再び首にかけ、服の下に隠す。
水晶の仄かな暖かさを胸元に感じながら、ケリュドラはアグライアとトリビーを連れて、広場を後にしたのだった。
主人公 プロフィール
名前:リュスクス
性別:男
年齢:不詳(外見年齢:20歳前後)
出身:???
運命:■■ 属性:炎
■■■精霊:フィゴラ
黄金裔たちからの呼び方・愛称
ケリュドラ:「蛍火卿」「リュスクス」
セイレンス:「黒の鯉」
アグライア:「リュスクス」
トリビー:「リュスちゃん」