オンパロス異聞録 カイザーに小さな灯火を   作:ハチハル

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第6話 灯火を手に取り

 宴の席においてライコスはついに本性を露わにし、星や黄金裔たちとの対立が決定的となった。その過程において星はオンパロスの外側へと隔離されてしまう。

 星から臣下を経由してケリュドラの手に渡った識刻アンカーを通し、ヘルタとスクリューガムが投影体として姿を見せたことで、ケリュドラとセイレンスはひとまずは窮地を脱した。

 

「――奴は去ったようだ、カイザー」

「そのようだな」

 

 剣を収め、周囲を警戒しながらセイレンスはケリュドラの下に歩いてくる。

 ライコスの本性を暴き出すため、アドリブによる一芝居を打つこととなったが彼女は見事に合わせてくれた。

 優秀な臣下を誇りに思いつつ、ケリュドラは背後に立つ二人の天才へと振り返った。

 

「さて、救世主の盟友よ。お前たちは既に僕のことを知っているようだが、改めて自己紹介といこう。――僕はカイザー、ケリュドラ。オクヘイマの君主だ」

 

 ケリュドラは自らの名を告げてから、セイレンスに目配せをする。それに従って、セイレンスは一歩前へと出る。

 

「ワタシはセイレンス。カイザー軍の騎士長だ。先ほどの助力に感謝する」

「お二人の丁寧な挨拶に感謝します。改めまして、私はスクリューガム。そして――」

「私はヘルタ。ヘルタ、でもマダム・ヘルタ、でも呼びやすいように呼んでちょうだい」

 

 ケリュドラは、改めて二人の姿を確認する。

 スクリューガムはスーツと帽子をスマートに着こなした機械仕掛けの紳士といった風体で、同じ機械仕掛け(アンティキシラ人)のライコスと比べると遥かに好印象だ。

 ヘルタは大きな帽子を被った貴婦人で、その立ち振る舞いは知性に満ちている。

 あの救世主がいなければ、これほどの人物たちとの縁を結ぶことも叶わなかったかもしれない。この貴重な出会いを存分に活かすために、ケリュドラは二人との対話を始める。

 

「さて。早速だが、あの救世主の状況はどうなっている?」

「開拓者、星さんは現在、ライコスさんの手によってオンパロスの外部領域に隔離されています。ヘルタさんと共に彼女の脱出の支援を同時並行で進めていますが、そちらに戻るまで相当の時間を要するでしょう」

「期間は?」

「断言は出来ませんが、凡そ数百年から千年単位を見積もっています」

 

 スクリューガムの率直な答えに頷きつつ、ケリュドラは腕を組む。

 

「お前たちは天外における『天才』と聞いているが、そのお前たちでさえ手を焼く相手なのだな。あのアンティキシラ人は」

「さっきも言ったけど、私やスクリューガムから見たら、彼は先輩も先輩だからね。私たち以上の天才に挑むには、やれることは全部やらないと。で、一応確認するけど、クラウンちゃんは私たちに手を貸してくれるっていう認識でいいんだよね?」

「クラウンちゃん……」

 

 ヘルタの口から発せられた、カイザーに対するものとしてはかなりフランクな呼び名に、背後でセイレンスの困惑する声が聞こえた。

 ケリュドラも訂正しようとするが――当のヘルタは何か問題があるのか、とでも言いたげな佇まいで立っていた。この手のタイプは言い争いになったら、何が何でも自分を優位に持って行こうとするタイプだ。政争ならいざ知らず、天外の盟友相手にどうでもいいことで時間を使うわけにはいかないか、と判断してケリュドラは話を続けることにした。

 

「こほん……。その認識で構わない。――しかし、あの救世主が戻ってくるまで時間がかかるとなると、持久戦になるな」

「そうだね。まあ、戦争に長けてるクラウンちゃんなら、どうにか出来るでしょ?」

「当然だ。僕を誰だと思っている? とはいえ、先立つ物が無ければ持久戦に持ち込む前の敗北は必定だ。まずは、『法』の神権(最終協定)の掌握か」

 

 「法」の火種そのものは今やケリュドラの手にあるが、神権を掌握するには創世の渦心で火種を返還し、試練の末に半神となる必要がある。

 

「となると、カイザー」

「ああ。ファジェイナ(海洋)の討伐は当初の予定通り行う必要がある。創世の渦心への道があのタイタンによって閉ざされたままでは、『法』の掌握もままならんからな」

 

 セイレンスの声に応じてケリュドラは頷いた。

 

「どうやら、そっちの方針も決まったみたいだね。なら、あのライコスの干渉を遅らせる手立てを伝えておくね。クラウンちゃん、あなたの手元にある識刻アンカーがその鍵だよ」

「ほう? 遠隔から像を映し出す以外にも機能があるのか?」

 

 ケリュドラは、ヘルタとスクリューガムの間に浮いている青い「針」に目を向ける。一見すると、像を映し出すだけの浮遊物体だ。

 スクリューガムが頷いて、ヘルタの話を引き継ぐ。

 

「肯定:識刻アンカーにはライコスさんの行動を阻害する機能が埋め込んであります。『ファイアウォール』――有機生命体で言うところの免疫機能に穴を開けられるようになっています。今回はこちら側で既に起動させましたが、あちらも間違いなく抵抗してくるでしょう。そうなると、再起動が必要な場面も出てくると想定されます」

「だから、識刻アンカーの維持管理と、再起動の操作はあなたたち黄金裔に頼みたいの」

「要は、時間稼ぎのために重要な代物というわけだな。分かった。その重要な任務は、我々で引き受けよう」

 

 ケリュドラとしても、時間稼ぎが叶うというのならば願ったり叶ったりだ。断る理由が無い。戦力を整え、ファジェイナの討伐へ向かったり「法」の試練を受けたりするだけの猶予は生み出せそうだ。

 

「決まりだね。――そうそう、クラウンちゃん。いったん通信を切る前に、見せてもらいたい物があるの」

「もしや、ペンダントを見せろ、とでも言うつもりではあるまいな?」

「よく分かったね」

「今日だけであの救世主に加えて、アンティキシラ人(ライコス)にまで聞かれたんだ。これだけ続けざまに聞かれれば、いい加減察するというものだろう」

 

 敵味方問わず自分の私物についてあまりに聞かれるものだから、ケリュドラは内心面倒になりかけていた。ペンダントにどんな由来があろうとも、結局は装飾品の域を出ない。そんな物について語り合うより、今はさっさとオクヘイマで諸々の準備に取り掛かりたいところだった。

 

「いかにも面倒だって顔だね。けど、少なくともあなたは知っておいた方がいいんじゃないかな。実のところ、あなたの持ってるペンダントの正体は救世主(お子ちゃま)から聞いて凡そ予想は付いてるの。ただ絞り切れてないから、実物を見せて欲しいってだけ」

 

 ヘルタは既に、星から一度話を聞いていたらしい。ケリュドラとしては自分の与り知らないところで私物の話をされるのはあまり良い気分ではないが、正体を知りたいと思っていたのもまた事実ではある。

 ケリュドラは仕方がないとばかりに溜め息を吐きつつ、襟を捲ってペンダントを取り出した。

 

「あの子が言ってたとおり、水晶の中で火が揺らめいてる……。――ああ、やっぱりそういうこと」

「ヘルタさん、何か気づかれましたか?」

 

 隣で様子を見守っていたスクリューガムが声をかけると、ヘルタは一つ頷く。

 

「思ってたとおり、ただのペンダントじゃないね。水晶から()()()()()()()のは、概ね予想通り」

「運命図……なるほど。そういうことですか」

「肝心の運命なんだけど、私はいくつかの候補を想像してた。『愉悦』、『虚無』、『神秘』――そして一番有力だったのが、『記憶』」

「察するに、このペンダントには何かしらの運命が宿っているのか?」

 

 二人の天才の会話を聞いたケリュドラの疑問に、ヘルタは「そうとも言えるかな」と頷く。

 

「運命っていうのはこの宇宙にある概念の一つ。ある概念全体を指していることもあれば、その人が歩んでいる性質を指していることもあるけど、根本的には一緒。とあるエネルギーの方向性、とも言い換えられるかな。このオンパロスで交錯している『知恵』『記憶』『壊滅』もその一つだね。で、それを前提として答えると――このペンダントからは『記憶』の運命図が見えるの」

「ふむ。以前、あのアンティキシラ人からも同じようなことを聞かされたが、やはり事実のようだな。まあ、それはいい。お前はペンダントに運命が宿っていると言ったな。ただの物に、運命の力が宿ることがあるのか?」

 

 ケリュドラは既にヘルタが何を言わんとしているか薄々勘付きかけていたが、あえて聞く。自らの推測と、ヘルタが告げようとしている事実が一致しているかを確認するためだ。

 

「私たちの世界には、星神の神体の一部を削り取って力を扱う人たちがいる。それから、オンパロスにも関わりがある『知恵』の星神ヌースも、規模はかなり違うけど運命の力が宿った()と言えなくもないかもね。けど、クラウンちゃんのペンダントについては、似通っているけど厳密には違ってるの」

「では、何だと言うんだ?」

「そのペンダントは、《記憶の精霊》が何らかの理由で変質した物。水晶の中で灯っている火は憶質で構成された生命――ミーム生命体なの」

「そんな物が、何故僕の手元にある?」

「そのミーム生命体が、あなたの情報(記憶)と深く結びついてるからだね。かつての輪廻の中でペンダントの持ち主が命を落とした後、“あなた”が肌身離さず持っていたこと。ペンダントの持ち主があなたを最期まで強く想っていたこと。少なくとも二つの要因がきっかけで、輪廻が繰り返される度にあなたの手元に現れるようになった、ってとこじゃないかな」

 

 ヘルタは「あくまでも私の予想だけどね」と付け加える。だがヘルタの見解は、ケリュドラが予測していた内容と概ね一致していた。このペンダントはやはり“生きている”らしいと、ケリュドラはほぼ確信する。

 

「なるほどな。となると、火を覆っている水晶はさしずめ“殻”や“ゆりかご”といったところか」

「察しがいいね。その水晶は、中の火を守るための外殻になってる。強度も相当あるみたいだから、ちょっとやそっとの衝撃じゃ簡単には割れないだろうね」

 

 推論を交えつつも、ペンダントを一目見ただけでここまで分析してみせるヘルタは、やはり只者ではない。言葉の端々からも、彼女が膨大な「知恵」を有しているのが分かった。

 ふと、識刻アンカーによる投影にノイズが走ったのを見て、ケリュドラは天才たちとの会合がそろそろ終わりに近づいているのを察する。

 

「時間が残り少なくなってきたようだな。最後に一つ、聞かせてもらおう。お前はこのペンダントが“ミーム生命体”だと言ったが、生命体というからには生きているのか?」

 

 確信こそ得てはいたが、確認は必要だ。念の為にケリュドラが問うと、ヘルタは軽く頷く。

 

「生きているといえば、生きてる。けど、水晶の中で深い眠りに就いてるみたい。起こすのは容易じゃないだろうね。どうしても起こしたいなら、あのキュレネって子に相談してみるといいんじゃない?」

「あの桃髪の少女か……。分かった。心に留めておこう。――今回の会談はあのアンティキシラ人への対抗策だけでなく、存外に貴重な情報も得られた。『天才』の二人に礼を言おう」

 

 ケリュドラはペンダントから手を放し腕を組んで鷹揚な態度を取りつつも、真摯な礼をヘルタとスクリューガムへと述べた。

 

「そう? なら良かった。それじゃ、オンパロス内部のことはお願いね」

「カイザーの協力に感謝を。繰り返しになりますが、ライコスさんは手強い相手です。彼の介入によって、高頻度の連絡が出来ない可能性もあります。場合によっては、長期間接触が出来なくなるでしょう。その点は、十分ご理解いただけますと幸いです」

「その忠告、心に留めておこう」

 

 ケリュドラは最後にヘルタとスクリューガムの二人と視線を交わすと、識刻アンカーによる通信が終了した。

 そしてタイミングを見計らっていたかのように、背後から靴音が一つ。

 

「カイザー」

「ああ、剣旗卿。お前を蚊帳の外に置いて、待たせてしまったな」

「それは構わない。どのみち、先ほどの話にはワタシの入る余地は無かったからな。だが、有意義な話だったようで何よりだ」

「ペンダントのことについては些か寄り道が過ぎた気もするが――まあいいか。それよりも剣旗卿、オクヘイマへ帰還する。到着次第、軍備の手配を本格化させるぞ。戦争は、ファジェイナ討伐の後にも続くからな」

「了解だ、カイザー。ワタシも、この剣と歌で征途を阻む敵を打ち払い、道を切り拓いてみせよう」

「ああ、期待している」

 

 互いに頷き合うと、ケリュドラが一歩先んじて歩き出し、その後をセイレンスがついていく。やるべきことは多く、この先は今まで以上の苦難が待ち受けているだろう。それでもケリュドラは歩みを止めることはしない。

 全てはこのオンパロスの未来と、星々へと至る征途のために。そして幾千万の輪廻を経て自らに忠誠を届けた見知らぬ忠臣のために。

 

 

 

 ファジェイナ討伐の少し前、ケリュドラは神悟の樹庭へキュレネと共に来ていた。

 キュレネはライコスが星をオンパロスの外へと隔離してしまったあの日、一時的に行方不明となっていたが、どうやら誰かに助けられたらしく五体満足で帰還していた。

 

「――あの救世主の見た記憶は、どれも興味深い物だった。天外には、ああも多様な世界が広がっているのだな」

 

 ケリュドラは、つい先ほどまでキュレネに見せてもらった星の記憶の景色について、率直な感想を述べた。

 星穹列車の開拓者にとっての目覚めの地であり旅立ちの地ともなった、あのヘルタの手によって作られた宇宙ステーション「ヘルタ」。

 極寒の世界で「存護」の意思と共に壊滅に抗い、新たな大守護者の下で天外との繋がりを取り戻した「ヤリーロⅥ(ベロブルグ)」。

 「調和」の勢力によって管理された夢の地で、「秩序」によって全ての人を救うために抗った一人の青年が夢から醒めることとなった「ピノコニー」。

 惑星規模の船が船団を構成し、星々の海を航行しながら彼らの旅の起点であった「豊穣」を狩らんと「巡狩」し、星穹列車と共に「壊滅」の絶滅大君と対峙した仙舟「羅浮」。

 これらの景色は広大な宇宙のほんの一部に過ぎないが、それでもあの救世主(開拓者)の視点を通して追体験する天外の世界は、ケリュドラの興味を引く物ばかりだ。

どれも激動の冒険ばかりだったのもあって、ケリュドラは満足げに笑う。

 

「『羅浮』にあるというあの海も、壮大な景色だった。――この記憶は、()()()にもいつか見せてやってくれ」

「ええ、必ず」

 

 丹恒という、星の仲間でもある青年の故郷でもあるという海に想いを馳せつつケリュドラが言い含めると、キュレネは胸に手を当てて頷いてみせる。

 キュレネならば確実にあの記憶を届けてくれるだろう、という妙な確信がケリュドラにはあった。

 

「それにしても、どれも雄大な景色だったわね。あたしもいつか、星と一緒に行ってみたいわ。記憶を通して見るのと、実際にこの目で現地に行って見るのとで、感じる物もきっと違うもの」

「同感だな。征服するのには相当な困難が付き纏うのは容易に想像が付くが――俄然、やる気が湧いてくる」

「ふふ。カイザーらしいわね。貴女ならきっと出来るわ」

 

 後ろに手を組みながら、キュレネは穏やかに笑ってケリュドラに視線を送る。心からそう思っているのだろうと思わせるキュレネの表情を前にすると、知らず知らずのうちにケリュドラも口の端を緩めていた。

 

「まったく、お前には人たらしの素質があるな」

「あら、そう?」

「僕は圧倒的な“力”で以って人々を従わせるが、お前の場合はその愛らしい外見も相まって、安らぎを与えることで人の心を掴むのに長けている。ふむ。そう考えると、群星を征するに当たっては益々欲しい人材だな」

「お褒めに預かり光栄だわ。カイザーとの旅もきっと波乱万丈で、楽しそうね」

 

 辿り着けるかも分からない未来だが、想像するだけなら自由だ。

 敵であるライコスは相当強力で、彼を抑えつつオンパロスの「壊滅」を防ぐには、これから何をしなければならないかケリュドラはとうに理解していた。

 

「さて。あの救世主の記憶を見せてもらった後だが、まだ手を貸してもらうべきことがある」

「そうなの? あたしはまだまだ元気だから大丈夫だけど……。今度は何の記憶が見たいのかしら」

「これだ」

 

 ケリュドラは、胸元に提げていたペンダントの水晶を手に取り、キュレネに見せる。

 

「それって、リュスクスっていう人のペンダントよね。これに宿っている記憶が見たいってことでいい?」

「ああ。あの魔女(ヘルタ)が言うには、この水晶の中の火はミーム生命体、というやつらしい。今は深い眠りについているようだが……。僕はこの生命体を眠りから醒まさせたい。そして、どんな記憶が宿っているのかを知りたい」

 

 ケリュドラの要求に、キュレネはペンダントを覗き込む。ケリュドラに予め断りを入れた上で、指先で水晶に触れて内部の様子を観察しているようだった。

 

「確かに、この子はすごく深い眠りに就いてるみたいね。このまま眠らせておこう、とは思わないの?」

「それも一つの選択肢ではあるだろうな。だが、僕は知りたい――いや、知らなければならん。膨大な時を超えて僕に届けられた忠誠の原点を知るためにな」

 

 きっとこのペンダントには、リュスクスにまつわる記憶が宿っている。それを本人に断りなく勝手に見るのはどうなんだ、という倫理観もケリュドラは十分理解している。だが、カイザーとして、何より“ケリュドラ”としてこの記憶の精霊を眠りから醒まし、その記憶を知るのは避けて通るべきではないと感じていた。彼の忠誠と想いには、せめてこういうやり方でないと報いれそうになかったからだ。

 

「覚悟は出来ているのね。それなら、もう一度記憶の旅に出ましょう。――貴女を最も愛した青年の、ロマンチックな記憶を巡る旅に」

「……その言い方、もう少しどうにかならないか?」

「ふふ。もしかして、恥ずかしがっているのかしら?」

「……まあいい。始めてくれ」

 

 ケリュドラの合図に頷いて、キュレネはペンダントに手を翳す。するとキュレネの手元から青い光が現れ、それはドーム状に広がって二人を包み込んでいく。

 二人の目の前に、過去の景色が映し出される。それは、ペンダントに刻まれたかつての記憶だった。

 

「ここは……森の中を通っている街道に出たみたいね」

「ケファレが遠くに見えるな。となるとここは、オクヘイマから凡そ半日休み無く歩いた場所だな」

 

 統治者として、地理を頭に叩き込んでいるケリュドラは、ケファレが見える方角や神体の見かけ上の大きさから、即座に現在地のあたりを付けていた。

 やはりこの場所は、記憶の中のオンパロスのようだ。

 

「見て。あそこに人が倒れてるわ」

 

 キュレネの声を聞いて振り向くと、ケリュドラの視線の先で一人の青年がうつ伏せに倒れているのが見えた。

 ケリュドラはその青年の傍に歩を進め、顔を覗き込む。

 青年は黒髪に赤いメッシュが混じった短髪で、気を失っているのか目は固く閉ざされていた。纏う衣は白いぼろ布だったが、行き倒れにしては身体は汚れていない。体つきはやや筋肉質で、身長は平均的といったところだ。

 

「察するに、この男の記憶のようだな」

「そうみたい。恐らく彼がペンダントの持ち主……リュスクスなんじゃないかしら」

「この男が……」

 

 キュレネの推測に、ケリュドラは何とも言えぬ哀愁を抱く。

 ようやく知ることの出来た、かつての輪廻で自身と強い絆を結んだという、ペンダントの持ち主。彼の始まりの記憶を、今まさに見ようとしているのだとケリュドラは察していた。

 彼の顔をじっと見ていると、不意に瞼が揺れ、ゆっくりと開かれる。その碧い瞳には、生きようとする者の意思が微かに揺らめいていた。

 しかし視線はケリュドラと合うことは無く、彼はよろめきながら起き上り周囲を見ると、オクヘイマとは逆の方角へと歩き出した。

 

「これはあくまでも記憶。過去の残影に過ぎないわ。あたしたちのことは、見えていないみたいね」

「そのようだな……」

 

 キュレネの言葉に頷きつつ、ケリュドラはゆっくりとした足取りで彼の後をついていく。

 そして、かつての永劫回帰におけるリュスクスの記憶を辿る旅が始まった。

 

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