目が醒めると、そこは知らない森の中だった。
「どこなんだ、ここは……」
俺はきょろきょろと辺りを見回してみる。
森の間に舗装されていない道が続いていて、遠くには光を発する巨大な球体を持ち上げた巨人の像のような物が見えた。
何となくあれには近づかない方が良いような気がして、俺は反対の方角に向けて歩き出す。道があるなら、いつかは人のいる場所に辿り着けるだろう。
「あの大きい像みたいなのがあるってことは、異世界ってことなのか? いやでも、俺は何でここに……。――うん?」
頭の中の記憶を探ろうとして、俺はようやく違和感に気付いた。
「……俺は、誰なんだ?」
故郷らしき国の名前は思い出せる。どんな景色があったのかも思い出せる。けど、俺個人に根差した記憶というものが、どこにも見当たらなかった。
「部分的な記憶喪失、か……」
せめて身元が分かる物があればと思ったが、生憎と今の俺は、白いぼろ布を一枚着ているだけだ。そもそも何でこんな格好をしているのかも知りたいが、記憶が無い以上、どうしようもない。
「仕方がない。歩くか」
悩むのもいいが、このままでは野垂れ死にしてしまいそうだ。裸足で土の感触が直に伝わるが、無視して歩く。
見知らぬ森を歩き続けて、何時間経っただろうか。もう6時間は体感で歩いた気がする。それでも、人の気配がまるで無い。どうやら運悪く、無人地帯に放り出されてしまったらしい。
ここまで飲まず食わずでペースを緩めず歩いてきたせいで、体力ももう限界だ。
道端の石ころにつまずいて、俺は盛大に転んでしまった。
「ぐっ……。腹が……減った……」
ごろんと仰向けになりながら呟いてみるが、食い物が降ってくるわけもなく。ただ綺麗な青空が広がるだけだった。
サバイバルをしようにも知識はまるで無いから、何をすればいいか分からない。森で食べ物を漁って、変な物を口にして死んでしまうかもしれないし、獣に襲われて死ぬかもしれない。これに関しては記憶を無くしたというより、以前の自分が単純に知らなかったんだろうなと思った。
気が付けば俺は、気を失っていたらしい。誰かに身体を揺すぶられることで、俺はようやく目を醒ました。
ぱちぱちと目を瞬かせながら辺りを見ると、白髪のじいさんが俺を見下ろしているのが目に入った。
「おい、お前さん。こんなところで寝ていると死ぬぞ」
「あんたは……」
「この近くの村で農夫をやっておる。お前さん、どこから来たんだ? 名前は?」
「……分からない。気付いたらこの街道に放り出されてて、とりあえず人がいるところまで歩こうと……」
「着の身着のままで、随分と無茶をしたんだな……。まあいい。お前さん、馬車に乗れ」
そんな会話の後、俺はじいさんと共に馬車に乗って村へと向かうことになった。
どうやら村で懇意にしている行商人が倒れている俺を見つけたが、どうすればいいか分からず慌ててしまい、じいさんに助けを求めたらしい。俺はじいさんから水とふやかした干し肉を分けてもらいつつ、その話を聞いていた。
それから村までの道中、俺はじいさんにいろんなことを聞いた。
この世界はオンパロスと呼ばれており、幾つもの都市国家がせめぎ合っていること。じいさんの住む村は、オクヘイマという都市国家に従属していること。オンパロスにはタイタンと呼ばれる神々が実在し、信仰されていること。そのうちの一柱はケファレと呼ばれ、オクヘイマに鎮座する巨像であること。
聞けば聞くほど、俺の常識では考えられない不思議な世界だった。
「そういえばお前さん、さっきから気になっていたんだが、そのふよふよと浮いているのは何じゃ?」
「それは俺も知りたい」
今俺の目の前では、鳥の形をした小さな火が俺に寄り添うように浮いていた。じいさんに起こされたときには傍にいたが、それよりも自分の命や現状把握を優先していたために、後回しになっていた。
指先でつんと突いてみると、鳥はくすぐったそうに舞いながら丸くなり――俺の胸元へと吸い込まれていった。
「あ――熱くない?」
咄嗟に身構えたが結局なんともなかった。何だったんだろうか、今のは。それにしても、あの丸くなった姿はちょっと蛍っぽかった。
「お前さん、もしや――」
「じいさん、どうしたの?」
「ああ、いや。詳しいことは、村に帰ってから話す」
「そう……? まあ、とりあえず分かった」
じいさんが何やら意味深な視線をこっちに送ってきたが、何かすごく重要な情報を持っているのかもしれない。じいさんが良い、と言うまではさっきの鳥のことは迂闊に言わない方がいいだろう。その前に、勝手に出てこないかが心配だけど。
「そうだ。お前さん、というのは呼ぶにはどうも不便じゃな。名前は覚えとらんのだろう?」
「うん。その言い方からして、名乗る名前を考えとけってこと?」
「ああ。思いつかなければ儂が名付けてやってもいいが――折角なら、お前さんが名乗りたい名を名乗るのはどうだ?」
「どうって言っても、この世界の名付けの常識とか知らないんだけど」
「好きに名乗ればいいんじゃ。変わった名前も珍しくないしの」
「変わった名前か――」
じいさんに言われて、考えてみる。
このオンパロスという世界は、じいさんから聞いた範囲しか知らないが、ギリシャやローマっぽさがある。……ギリシャやローマって何だ? まあいい、それっぽい言葉で考えてみよう。
「――リュスクス、っていうのはどう?」
「どういう意味なんじゃ、それは」
「“自分を忘れた者”、みたいな? ほら、俺って記憶喪失だから。自分っていうものがどこにあるのか、分からなくなってしまってる。今の俺の状態を表すにはいいのかなって。名は体を表すっていうし。あとちょっとカッコいい」
「……お前さんのセンスが儂にはよく分からん。まあ、お前さんがそう呼ばれたいのなら、儂もそう呼ぶとするかの。リュスクス」
「……ふふ。自分で考えた名前で呼ばれるのって、案外嬉しいもんだな」
ついテンションが上がって笑っていると、じいさんはぽかんと口を開けてから破顔していた。
「まったく、記憶が無いと言う割には随分と個性的なヤツじゃな、お前は」
「それ褒めてる?」
「半分はな」
「半分なのかよ」
そうは言いつつも、俺はついつい笑ってしまう。きっと、孤立無援だったところをじいさんに助けられたこととか、自分でつけた名前という新しいアイデンティティを得たからとか、色々な感情があったからなんだろう。
それから結構な時間をかけて、ようやくじいさんの村に辿り着いた。山間の長閑な村といった印象で、麦畑が印象的だった。
俺が倒れていた場所からそれなりに距離があったが、じいさんは相当な速さで駆けつけてくれたようだ。馬車は行商人から借りたと言っていたが、それでも感謝だ。
村に着いてからもじいさんは、村の人たちに事情を説明して俺が滞在出来るようにしてくれたり、じいさんの家に住まわせてくれたりと、何から何まで世話になってしまった。見知らぬ人間にここまでしてくれるのは何でかと聞いたら、今は独り身で、話し相手が欲しかったと言っていた。きっと、昔に何かあったんだろう。
それからじいさんは、俺がこのオンパロスにおいて特異な立ち位置にいる人間かもしれないと教えてくれた。
「じいさん、このナイフと受け皿……。何をするつもりなんだ?」
「そのナイフで指先に傷を付けてみろ。それで分かるはずじゃ」
「おう……?」
言われるがままナイフで左手の人差し指を切ってみると、黄金色の液体が流れ出した。……何だこれ。指はちゃんと痛いけど、傷口から流れてるのは何だ?
「やはり、か。――お前さんはどうも、黄金裔らしいな」
「黄金裔?」
「黄金色の血を持つ、“火追いの英雄”とも呼ばれる人々のことじゃな。黄金裔は何かと歴史の渦中にいることが多く、特別な力を持つ者もいる。個人差はあるらしいがの」
「さっきの火の妖精みたいなやつとか?」
「そうじゃ。ただ、黄金裔たちはその特異な立ち位置のために、多くの争いを起こし、英雄視する者もいれば憎悪する者もいる。……だから力の使い方や立ち振る舞いには気を付けなさい。下手を打てば、折角拾った命を失うことになる」
「……分かった」
じいさんの目はとても真剣で、冗談を言っているようには見えなかった。このことは、心に留めておこう。
村に住むようになって、あっという間に1年が過ぎた。
俺はじいさんの農作業を手伝いながらオンパロスの歴史や文化、今の情勢といったことを学んだ。文字は何故か普通に読み書き出来たから、苦労はしなかった。
それから、自分が黄金裔という立場である以上戦う力は身に着けた方がいいと思って、槍術の鍛錬をするようになった。
槍を選んだのは、時折巡回にくるオクヘイマの兵士が槍を主武装にしていたからだ。扱えた方が、何かと便利かもしれないと思って、兵士の人に頼み込んで教えてもらった。1年くらいで、もうお前に教えることはない、とか言われた。まさか自分が言われる立場になるとは思わなかった。どうもこの身体は、随分と飲み込みが早いらしい。
あとは人目のつかないところで、火の妖精――フィゴラと名付けた――と力を扱う訓練もした。フィゴラは素直でいい子なのもあって、訓練は順調だ。
「じいさん。俺、オクヘイマの兵士に志願しようと思う」
ある日の隠匿の時、俺が食卓の場でじいさんに告げると、じいさんはどこか悲しげな顔を浮かべていた。
「……そうか。まあそうじゃろうとは思っておったが、ついにか」
「やっぱり、察してた?」
「そりゃあのう。あれだけ色々と学び、槍術を短期間で極めていたら、そう言われるのも時間の問題だと思っておったよ」
じいさんは食事の手を止めて、俺の顔をじっと見る。皺の刻まれた顔は、もうこの1年ですっかり見慣れたもので、この家も第二の実家と呼べるまでになっていた。第一の実家は記憶にないけど、きっとあったと思うから俺はそう呼んでいた。
「勝手に決めて、ごめん」
「いいんじゃよ。元々お前さんは、こんな小さな村に留まる器じゃないと思っておったしな。……ただ、心配なんじゃ」
「――数十年前に、息子さんを亡くしてたんだったな」
「……ああ」
半年ほど前に知ったことだが、じいさんはかつて、オクヘイマ軍に従軍した息子を他の都市国家との戦争の中で喪っていたそうだ。……まあ、俺は息子さんの墓に手を合わせたくらいで、じいさんへの対応は変えなかったけど。こういうとき、変に優しくされる方が逆に傷つくことだってあるものだ。
「じいさんは、俺のことどう思ってる?」
「二番目の息子、或いは孫じゃな」
「――っ」
苦も無くそう言い放ったじいさんに、俺は面食らい、咄嗟に込み上げてきたものを堪えた。
――ああ、やっぱり。今の俺にとってじいさんは、恩人であると同時に家族なんだ。
「じいさんは、俺が聖都に行くのは反対か?」
「反対したいが、言ったところでお前さんの人生の邪魔にしかならん。だから、背中を押させてくれ」
「……なら、行くよ。年一くらいで帰省するようにするから」
「軍におったら、そうも言っておれんくなるじゃろ。二年に一回、帰ってこられたらそれで十分」
「じゃあ、それで帰って来られるように頑張るよ。手紙、たまに送るからな」
「楽しみにしとる。まあ、無理のない範囲でな。お前さん、文才ないし」
じいさんの言葉に、俺はあれ、と首を傾げた。今さらっと、酷いこと言われなかったか?
「じいさん、今なんて?」
「文才が無いんじゃよ、お前さん。文字を書く訓練を兼ねて手紙の練習をしたいと言うからさせてみれば、よく分からん前フリばかりで中々本題に入らん。その本題も、シンプルすぎて逆に何があったかよく分からん。短期間で文字を書けるようになったこと以外、褒める要素が見つからん」
「あれ? 今しんみりするところだったよね? 何で俺、説教受けてるの?」
「あんな文章じゃと、女の一人も口説けんぞ?」
「女の子に手紙書く予定とか無いんですけどお!?」
結局その後もひたすら、俺は手紙どころか歌のことにまでダメ出しされる羽目になった。あと女に興味無さ過ぎだからもうちょっと興味持てとも言われた。おかげで村の若い女子連中が苦労してる、とか聞かされた。……まあじいさんはそこはかとなく楽しそうにしていたし、旅立ち前の思い出作りと思えばいいか。
あれから一週間後、俺は聖都オクヘイマにやって来た。
基本的な礼儀作法は、槍術を教えてくれた兵士から教えてもらって及第点は貰えたから、大丈夫……なはずだ。
それはそれとして、俺は初めて見るオクヘイマの景色も見て回ってみる。
栄えている都市国家だけあって多くの物や人が集まって来ていて、とても賑わっている。オクヘイマに鎮座しているケファレの背負うミハニの光もあって、明るい雰囲気だ。というか、あのケファレとかいうタイタン、とんでもなくデカいな。
「……と、お上りさんをやってる場合じゃなかった」
俺は雲石市場周辺を巡ってから、巡回していた兵士を見つけ、早速声をかけに行く。
「すみません、兵士さん」
「何だ? 困りごとか?」
「いえ。オクヘイマ軍――いえ、
「……君、それがどういう意味か分かっているのか?」
俺が要件を伝えると、兵士は警戒感を滲ませながら俺を見下ろしてきた。
「オクヘイマに君臨するカイザー、ケリュドラ様の噂は、流離人の身である俺の耳にも届いています。その威光の下、オンパロスを統一し、新たな時代を創ろうとしているのだと」
俺はあえて、流離人という言葉を使った。一年ほどあの村で世話になっていたが、元々俺は身元不明の人間。下手なことを言って、あの村に迷惑をかけるのは避けたかった。
「――そうか。だがカイザーは形ばかりの忠誠を嫌うお方だ。もし採用されたいと言うのなら、一対一の決闘方式でお前の実力を確かめさせてもらう」
「畏まりました」
俺は兵士の言葉に頷き、彼の後をついていく。そうして通されたのは、オクヘイマ郊外にある兵の訓練場だった。そこで試験官と向き合い、難なく勝利するとどういうわけかカイザー直々に見極める、という話になった。何でそうなる。
兵士の採用を担当するのは普通、トップに任命された責任者がやるはずだ。いや待て。……見極める、という話だったからその言葉どおり、俺がオクヘイマにとって益になるかどうかを見るってことか?
途中から合流してきた騎士長セイレンス、という女性の後を行きながら考え事をしていると、あっという間に黎明の崖に辿り着いた。
普段は同盟会議に使われているという会議場に通されて、俺はカイザーが来るのを待った。
それから数分ほどが経って、騎士長セイレンスから声がかかる。
「カイザーがお見えになられた。事前に話したとおり、くれぐれも失礼のないように」
「ありがとう、セイレンスさん」
俺は短く感謝を伝えてから、臣下の礼を取り待機する。確か、王冠より下に頭を下げられるのを嫌う、という話だったか。それなら、膝は付かず、かといって礼を失しない程度の姿勢でいればいいはず。
間もなくして、俺の前方に人の立つ気配があった。周囲の緊張感と、前方の人物が放つ剣呑な空気からして、カイザーが来たようだ。
「流離人のリュスクス、聖都のカイザーにお仕えしたく、辺境より参上しました」
貴人と相対するのはこれが初めてだ。それでも極力礼は失しないように、淀みなく言葉を発する。事前に練習していたおかげで、噛まずに言うことが出来た。
「僕はオクヘイマのカイザーであり“法”だ。故に、最初の命令を下す。面を上げろ」
「はっ、恐悦至極に存じま――――す……」
思わず、言葉が途切れそうになってしまった。
炎の燃える王冠を被り、黎明のミハニの光に照らされた空色の髪をした、青い装束を纏った少女がそこに佇んでいた。宝石のような瞳が俺を射抜き、品定めするように細められる。
オクヘイマの女皇であるとは聞いていた。背の低い少女の姿をしている、という話も事前に街中で聞いていた。だから、少女が目の前に立っているのは想定外でも何でもなかった。
それでも俺は、ただ一目見ただけで――今生を、この人のために使い尽くしたいと思ってしまった。
「リュスクス、と言ったか。お前の特技は何だ」
カイザー――ケリュドラの言葉で我に返り、そもそも自分は何のためにここに来たのかを思い出す。
俺は、オンパロスに蔓延る脅威からあの村を守りたいと思って、ここに来たんだ。
「槍術にございます。それから――」
ケリュドラの問いに答えつつ、俺は胸元に意識を向ける。すると、蛍火のような火の球が現れて小鳥の形を成した。
「彼女の名前はフィゴラ。言葉は話せませんが、俺の頼もしい相棒の精霊です。俺は、この子と共に炎の力を操ることが出来ます」
「そのような存在は初めて目にするな。タイタンの眷属か?」
「俺が知る限り、そのような伝承は見聞きしたことがございません。故に、タイタンの眷属ということはないかと。正体こそ分かりませんが、この子は優しく、頼りになります。カイザーにとって危険な存在になるということは無いと存じます」
自分でも驚くほど、すらすらと言葉が出てきた。けど、嘘は言っていない。
フィゴラはこの一年と少し一緒に過ごしているが、どうも俺の魂的なものと結びついているらしいことや、戦う力があること以外はあんまりよく分からない。他に分かるのは、俺のことを気にかけてくれる素振りを見せてくれる、くらいか。まあ、心は通じ合っているはずだ。
つんと突いてみると、フィゴラはいつかのように嬉しそうに空中を小躍りしていた。可愛いやつだ。
――ところで、さっきからケリュドラの視線が刺さっているんだが。まさか、さっき言い淀んでしまったのを咎められようとしているとか?
「――まあいい。リュスクス、改めて問うがお前は、僕の臣下になりたいと言うんだな?」
戦々恐々としていると、ケリュドラが確認とばかりに問いを投げかけてきた。とりあえず、さっきのことはお咎め無しのようだ。
内心ほっとしつつ、俺は頷く。
「はい。未熟の身ではありますが、オンパロスのためにこの身を捧げる覚悟です」
「そうか。ではその覚悟とやらを示してもらおう。――閃刃卿」
「御意に」
ケリュドラに呼ばれ、近くで控えていたらしい兵士が俺の目の前に現れた。
手に槍を持つ、筋骨隆々とした男だ。肉だるま、というほどの体格では無いが、パワータイプの戦い方をしそうな兵士だった。
「御前試合といこう。この試合で、僕が直々にお前の器を試してやる。ああ、互いに手は抜くなと言い添えておこう。試合とは言ってもこれは殺し合いだ。それを努々忘れんようにな」
不敵に笑いながら、ケリュドラはそう言い放つ。なるほど、これがカイザーのやり方というわけか。
なら、方針はアレで行こう。
「フィゴラ。久々に本気でやる。力を貸してくれ」
俺が呟くとフィゴラはピッと羽を広げて応じてくれた。可愛くて気が緩んでしまいそうだ。――といかん、いかん。
頬をパンと叩いて愛槍を取り出し、セイレンスの誘導に従って開始位置に立つ。対面でも、閃刃卿が槍を手にニヤリと笑っていた。間合いは……25メートルくらいか?
「光栄に思うといい、若造。この閃刃卿が直々に相手をするんだからな」
「ええ、よろしくお願いします。閃刃卿」
「……ちっ。つまらんガキだ」
俺が冷静に槍を構えたせいか、向こうは面白くなさそうに舌打ちしていた。ユーモアが無くてすまないな。
「では、これより試合を始める。双方、構え」
セイレンスが俺と閃刃卿の中間に立って、声を上げるのに合わせて俺は腰を落とし、槍を横に構える。
一瞬の静けさの後、セイレンスが挙げていた手を振り下ろした。
「始め」
合図と同時、俺は足に溜めていた力を一気に爆発させ、前へと飛び出した。
「馬鹿正直に突っ込んできたな! 叩き潰して――なっ!?」
俺は一瞬の内に間合いを詰めて、下方から一気に槍を突き上げる。が、それは閃刃卿の槍でいなされてしまう。流石に今のでやられてくれるほど、甘くは無いか。
「フィゴラ」
閃刃卿から見て背後より上の方に飛び出す形となったが、俺の一言を受けたフィゴラが空中で丸くなり、足場を作り出す。それを右足で踏みながら強引に軌道を変えて、彼の頭上へと槍先を繰り出した。
「ぐっ! こいつ、速い!」
今度は頬にかすり傷を作ることには成功したが、ぎりぎちのところで強引に逸らされてしまった。この閃刃卿、いなすのが物凄く上手い。
「それじゃあ――フィゴラ!」
俺の合図で、俺とフィゴラは戦い方を切り替える。相手に接近したまま、俺とフィゴラで挟んで前後左右から挟撃を繰り返す。一方だけを見れば逆から攻撃が襲い掛かってくる、厄介な戦法だ。
「ナメ――るな!!」
閃刃卿の身体に細かく傷が付いていくが決定打にはならず、逆に槍で強引に受けられ、突きの動作によって体ごと弾き飛ばされてしまった。
数メートル離れたところに着地しつつ、俺は息を吐く。
「すまん、フィゴラ。仕留め切れなかった。実戦不足が響いてるな、これは。あの男、敵の攻撃をいなしつつ致命的な攻撃にはカウンターでしっかり対応してくる。速さは無いけど、堅実な立ち回りだ」
俺が分析していると、フィゴラがピッと右羽を上げる。落ち込まないで、と言ってくれているみたいだ。大丈夫、と意志を込めてフィゴラの頭を指で撫でてやってから、俺はふっと息を吐く。
「フィゴラ。燃焼形態だ」
俺の言葉と共にフィゴラが空中を舞うと、手に持った槍に飛び込む。次の瞬間、俺の槍は刃先から柄の部分まで全体が炎に包みこまれた。手に炎が触れるが、熱くはない。あくまでもこの炎は、敵を焼くための物だから自分の手や槍が燃えることはないのだ。
燃える槍を構えて、俺は相手の様子を窺う。
「そう来るか! だったらこっちは――こうだァ!」
閃刃卿は両手で槍を振り上げると、一気に刃先を地面へと振り下ろした。直後、見えない斬撃が極大の刃となって俺の方へと襲い掛かってきた。かわす時間は無い。それなら――。
「どおおおおおりゃああああああああ!」
正面から突っ込んで、燃える槍を不可視の刃に叩きつける。刃とぶつかり合う力が手にまで伝わってくるが堪え――正面から叩き斬った。
「んなっ!?」
閃刃卿は驚愕していたが、俺が更に突っ込んでくるのを見ると瞬時に防御姿勢を取る。
「いっけえええええ!」
俺は槍を相手の槍の柄に叩きつけて、身体全体で押し込んでいく。
身体の内側に気を巡らせるイメージをしながら、そのまま一気に振り抜くと閃刃卿はたまらず槍ごと吹っ飛んでいってしまった。
観覧席の方から轟音と共に塵が舞い上がる。程なくして塵が収まると、気を失い仰向けに倒れる閃刃卿の姿があった。
間髪入れず俺は彼に接近し、槍を突きさそうとし――。
「そこまで」
セイレンスの声がすると同時に、俺は動きを止めた。
構えを解き、フィゴラにお礼を言って体内に戻ってもらってから振り向くと、こちらに近づいて来るセイレンスとケリュドラの姿が見えた。
救護班の人たちに運ばれていく閃刃卿を見送りつつ、俺も二人の方に歩いていく。
「見事な戦いぶりだった、流離人リュスクス」
「お褒めに預かり光栄です」
ケリュドラの凛とした声に、俺は軽く礼をする。もう一度ケリュドラの顔を見ると――不意に心臓が脈打ってしまった。それを気取られないようにしつつ、俺は二人の言葉を待つ。
「ワタシからも賞賛を、リュスクス。見たところ、兵士たちの扱う槍術を基礎としていたようだが、誰かから教わったのか?」
「この一年ほど、滞在していた村を巡回していた兵の方から教わりました。あとは見てのとおり、我流です。……まだまだ、未熟さを思い知らされましたけどね」
まあ、一年齧った程度ならあんなものだろう。もう少し鍛錬する時間があったら、最初の一撃で決められていた。すぐにリカバリー出来たのは良かったが、単純な膂力で力負けしていた。フィゴラの力を借りてようやく、ってところだ。
「……たった一年で、あの男と渡り合えるようになったのにか?」
あれ、何かセイレンスがドン引きした顔をしている。
「えっと……。大変失礼なことをお聞きしますが、先ほどの閃刃卿はどれくらいの強さの方なのでしょうか?」
「彼はカイザー軍において上から数えた方が早いくらいには強い実力者だ。ワタシには及ばんが……。それでも、一年程度槍を習った者が簡単に御しきれる相手ではないはずだ」
「……ほんっとに申し訳ありませんでした」
うん。これは無い。流石に無い。自分の身体が元々、物覚えが良いのをすっかり忘れて凡人思考でつい物を言ってしまった。
俺がなりふり構わず頭を下げていると、傍で豪快に笑う声があった。ケリュドラだ。
「はははは! 随分と変わり者だな、お前は」
「……滅相もありません」
どうやら俺は変わり者らしい。そういえば、じいさんにもそんなこと言われたな。
「気にするな。自らの過ちを即座に認められる時点で、ただの凡愚では無いのは確かだからな。――で、僕からも聞こう。リュスクス、お前は剣旗卿が止めるまで、追撃の手を緩めることは無かったな。
「カイザーは、“これは殺し合いだ”と仰っていました。であれば、殺しに行くのが道理というものでしょう。正しいか否かに関わらず、それが貴女の命令です。加えて、殺す必要が無いのであれば、貴女かセイレンスさんが止めてくれると信じておりました。だからあの時、彼を殺そうとしていました」
今回の御前試合はカイザーの要求に応えられるか、というのも試されていた。実力は勿論、「カイザーの言うことをちゃんと聞きますよ」と示した形だ。本当に殺さないといけない場合も、それ相応の理由があるはず。
その分析前提で話してみると、ケリュドラは満足そうに頷いていた。
「良いだろう。お前はこの御前試合において、僕への忠誠という“意思”を示してみせた。故に我が臣下となることを認めよう。――それとリュスクス。お前には、“蛍火卿”の名を与える。光栄に思うと良い」
「ありがたき幸せにございます。カイザー、ケリュドラ。この身を以って、貴女とこのオクヘイマに献身することを誓います」
最敬礼をしながら、俺は自分に与えられた名を反芻する。
セイレンスは剣旗卿、さっき試合した兵士も閃刃卿と呼ばれていたが、ケリュドラは中々個性的なネーミングセンスをしているようだ。でも、何故だか嫌な気はしなかった。他でもない、ケリュドラから一定程度認められた証と言えるからなのだろう。
俺は改めて、ケリュドラの顔を見つめる。
宝石のような瞳に、幼さを僅かに残した少女の顔でありながら見た目以上の威厳から来る威風堂々とした表情。そして自信に満ちた佇まい。その姿は、まさに“カイザー”と呼ぶに相応しい在り様だった。
「ん? 僕の顔に何かついているか? 蛍火卿」
「いいえ。ただ、貴女に献身出来る喜びを嚙み締めておりました」
「……そうか」
ケリュドラは何故か、怪訝な顔をしていたがこれ以上は問い詰めて来なかった。その隣では、セイレンスが呆れたように半目でじっと見てくる。
俺としては普通のことを言ったつもりなんだが……。普通、だよな……?
妙にすっきりしないことがありつつも、俺はその御前試合を以って正式にカイザー軍へと入ることとなり、ケリュドラの臣下としての新たな人生をスタートさせたのだった。