「今、何と言った? 蛍火卿」
「大変申し訳ありませんが、今回ばかりはその命には従えません」
普段ケリュドラが政務に使っている執務室は、張り詰めた空気に包まれていた。
その渦中にあるのは俺と、執務机に座りながら手を組み俺を睨むケリュドラだ。その後ろでは、セイレンスが険しい顔で佇んでいた。
何でそんなことになっているのか。原因は、俺にあるからだ。
「あの村には、これ以上増援は送らない。生き残った村人の退避が完了次第、放棄する。これは決定事項だ。いくらお前でも、『法』たる僕に異議を唱えるのは許さん」
眉間に皺を寄せ、ケリュドラは宝石の瞳を細める。
カイザーたるケリュドラの命令は絶対。それは不文律だ。その意思に抗すれば、最悪己の命が危ういことも重々承知している。
それでも。未だ恋情を向けている相手からの命令であっても、俺は自らの意思を曲げるわけにはいかなかった。
「カイザー。それでもあの村にはまだ、価値がある。貴重な食糧生産の地を、放棄するおつもりですか」
「あの村の生産量ならば、十分代えが利く。生産量の減少は免れんが、既に他の村落への増産命令は出した。時間はかかるが元の生産量は確保出来る見込みだ」
「……だとしても俺は、引くわけにはいかないのです」
俺の抗弁が浅いことは百も承知だ。でも、譲れない。あの村はまだ、暗黒の潮に飲み込まれたわけじゃない。まだ間に合うんだ。だから一刻も早く、俺を救ってくれたあの村を、今度は俺が救わないといけない。
ケリュドラが、ぎり、と葉を食いしばる音が聞こえた。
「何故だ、蛍火卿。お前は僕の最も忠実たる臣下の一人であったはずだ」
「今も、貴女への忠誠は変わっておりません。ですがこれは、俺の心情の問題なのです。それが許せないのであれば、今すぐに剣旗卿に命じてこの首を刎ねて――」
「ならん!」
腹の底から重く響くケリュドラの声が、執務室に響いた。今までに聞いたことが無いほどの怒声。ここまでケリュドラが怒りを露わにするのを目にしたのは、これが初めてだ。
「処するか否かの判断をするのはこの僕だ。そして、それ以上の言葉を口にするのは、断じて許さん」
俺もついカッとなって言ってしまったが、ケリュドラのその一言で少しだけ頭が冷えた。セイレンスの友人として、あまりに軽率な発言だった。
「――申し訳ありません。先ほどの言葉は、撤回いたします」
俺はケリュドラとセイレンスの二人に向けて、頭を下げる。でも、僅かでもさっきの言葉を口走ってしまったせいで、亀裂は免れないものとなってしまった。
だったらもう、余計に引くわけにはいかない。
「僕の『あの村を放棄しろ』という命には、従わないのだな」
「はい。
あの村は、
今の俺には、あの村に迫る暗黒の潮と戦えるだけの力を十分に有している。暗黒の潮自体、戦うのも初めてじゃない。なら、何とか出来るはずだ。
「……失望したぞ。蛍火卿」
宝石の瞳には、失意の色が宿っていた。それを見ると、心臓に刺すような痛みが走る。
――せめて、ケリュドラにあんな顔をさせただけの代償に見合うだけの成果は、きっちり出さないといけない。
「……もう下がれ、蛍火卿。
俺は、ケリュドラのその言葉の意味を察すると同時に、もう二度とこの恋情が報われることは無いと悟った。
元より、この恋情が報われるなどと思ったことなど無いし、墓場まで持って行くつもりだった。なら、ある意味ではちょうどいい機会だったのかもしれない。
「――
俺は礼をして身を翻し、執務室の出口へと向かう。
扉を前にして一度立ち止まり、ケリュドラとセイレンスの顔を最後に見ておこうと思って――俺は振り返れなかった。
どの面下げて、俺は二人の表情を見ようとしているのか。これ以上ないくらい傷つけて、更に二人を傷つけるような真似をするのか。そう思ったら、顔を向けることなんて出来なかった。
でも、何かは伝えておくべきだ。せめて、別れの挨拶だけは。
「……
背後から、息を呑むような気配がした。
ケリュドラへ、恋情を伝えることを直接伝えることは出来ない。恋情を込めた言葉としては、それが限度だった。この言い回しなら、そう簡単には悟られないだろう。
「
声をかけようとして、出かかった言葉を呑み込む気配がした。
俺が数少ない友人の一人としたセイレンスには、最大限の賞賛と感謝を。今更どの口で、という話だがこれだけは伝えないと、と思った。
そして俺は扉に手をかけ、ぐっと押し開ける。
「――二人とも、ありがとう。……それから、さよなら」
振り返らず、俺は部屋を出る。二人の顔は、最後まで見ることは出来なかった。
「……愚か者が。そこまでの想いを口にして、何故――」
俺はフィゴラの力も借りて飛ぶように走り、1日ほどで村に辿り着いた。
途中でカイザー軍の兵たちが生き残った村人たちを避難させているところに出くわしたが、その中にはじいさんもいた。
アイコンタクトで俺が村に行くことを伝えると、じいさんは戸惑いながらも、最後には頷いてくれた。複雑な感情が見て取れたが、それでも背中を押してくれたのは有り難かった。
「酷いな、これは……」
村は既に無人と化していたが、被害は顕著だった。
麦畑の一部は暗黒の潮に浸食され、周囲には暗黒の潮の造物たちが彷徨っていた。家々も破壊されたり燃やされたりして、無事な物は一つとして無かった。
……俺が世話になったじいさんの家も、壁に穴が空いて家具は破壊しつくされ、酷い有様だった。
俺は徘徊する造物たちを槍で斬りながら、逃げ遅れた人たちがいないか見て回る。
でも、見つけたのは既に造物に襲われてしまった人たちの亡骸や、血の跡だけだった。
「くっ……」
槍を持っていない左手を、きつく握り締める。
暗黒の潮は、前兆があることもあれば、何の前触れも無しに襲ってくることもある。俺がこの村にいるか、もっと早く気づけていればと思わずにはいられない。
「……けど。諦められるか。いいや、諦められない」
ここは俺の故郷だ。生まれた場所でもなければ、記憶の中の四季も無いような場所でもないけれど、ここには短いながらいろんな思い出がある。
俺を助けてくれたじいさん、よく旬の野菜を分けてくれた近所のおばさん、一緒に走り回って遊んだ子供たち、槍の修練や身体作りをした近くの森の中の広場。
この村の思い出は、確かに今の俺を形作ってくれた。
そしていつか、征途が落ち着いたらケリュドラにも村の景色を一緒に見ようと思っていた。二人で話をしながら、いつかケリュドラの故郷にも連れていってほしいと言ってみたかった。
例えそれが叶うことは無くとも、一縷の望みが残されているのなら、俺はそれにしがみ付く。
「……フィゴラ。あいつらを始末するまで、全力で戦う。付き合ってくれるか?」
俺が傍に浮いていたフィゴラに問いかけると、フィゴラはピッと片方の羽を上げて応じてくれた。
「ありがとう。それじゃ――やるとするか」
俺は、近くまで集まって来ていた造物たちを睨みながら槍を構える。
重心を落としながら、槍全体に炎を行き渡らせる。以前はフィゴラの力を借りないと出来なかった燃焼形態は、今では自力で出来るようになっていた。そのおかげで、フィゴラは自由に動ける。
「フィゴラ、攻撃開始だ」
俺の合図と共に、フィゴラが敵の上空へと飛び上がり、炎の弾丸を降らし始める。一発着弾するごとに爆炎が上がり、敵が吹っ飛んでいくのを見ながら俺も突っ込んでいく。
「だあああああッ!!」
槍先を正面にして、敵の群れのど真ん中へと炎を伴いながら突っ込む。敵は一瞬俺の動きについて来れなかったようだがすぐに適応して、包囲しにかかった。狙い通りだ。
「そおおおれっ!!」
俺はジャンプしながら身体を回転させ、刃から炎の斬撃を
今のでそれなりの数は屠ったと思うが、敵は損失を恐れていないのか次から次へと湧いて出てくる。
「フィゴラ、炎翼形態だ」
さっきのようなやり方では早々に体力を消耗すると判断して、俺は上空のフィゴラに声を飛ばす。
フィゴラはすぐにこっちへ飛んできて、そのまま俺の身体へと飛び込んだ。次の瞬間、俺の背中に一対の炎の羽が出現する。
この形態になると俺は消耗を抑えつつ、長時間多数の敵と渡り合いやすくなる。そして、それ以上に恩恵があるのは。
「ふ――っ!!」
重心を落とした状態で一歩前に踏み出した瞬間、身体が加速する。その勢いのままに俺が槍で突撃すると、爆炎と共に複数の敵が消し飛んだ。
空中に跳び上がり方向転換しながら斬撃を飛ばして増援も潰し、すぐに突撃してすれ違い様に敵を纏めて斬りつけた瞬間、敵は消し炭になる。
炎翼形態になることで、機動力と一撃ごとの威力が上昇する。それが最大のメリットだった。
10年足らずでここまで強くなれたのはフィゴラと、やたらと憶えの良かった自分の身体のおかげだ。
「……まだ増えるか」
敵に突っ込んでは殲滅し、斬撃を飛ばして殲滅してを繰り返しても、敵は一向に減る気配が無い。ざっと肉眼で見た感じだと、1000体は確実に超えるだろう。
――それでも。
「こっちは負けてらんないんだ! お前たちなんかにな!!」
自分を鼓舞しながら、俺は敵に向かって吠える。戦いは、まだまだ終わりそうになかった。
あれから、どれほど戦っただろうか。
二日? 三日? それとも四日以上? 小休止を挟みながらロクに眠らず戦っていたせいか、よく分からなくなってきた。
「……それでも、かなり減らした」
息を乱れさせながら、俺は造物たちを睨みつける。
造物の群れは、初日と比べると明らかに密度を減らしていたのは、鈍くなってきた頭でも認識出来た。村を守り切れるまで、あと一息だ。
「……フィゴラは、大丈夫かな」
俺は、数時間前に送り出した自らの精霊に思いを馳せる。……いや、昨日だったか? 駄目だ、時間間隔がバグってきてる。
俺が弱っていると見たのか、造物たちはじりじりとこっちに迫ろうとしていた。
「……はっ。まだ、俺は倒れられないんだ。腐っても、俺も黄金裔だ。もうちょい、付き合ってもらうからな」
再び、炎を纏った槍を構えて息を吐く。
体力は持ってあと一日か長くて二日といったところか。残敵を掃討するには十分だ。
「シッ――!」
敵へと突撃しながら槍を一閃し、造物たちを消し飛ばす。
「やあああああッ!」
体ごと槍を回転させながら、更に造物を殲滅する。
「ぐっ! こんのっ――!」
背中にかすり傷を与えてきた造物を蹴り飛ばしながら、他の敵諸共槍で串刺しにして燃やし尽くす。
そうやって俺は延々と、終わりの見えない敵との戦いを繰り広げた。
気の遠くなるような戦いをひたすら繰り返していると、いつの間にか敵はほとんど一帯から姿を消していた。
造物は時間経過で亡骸が消えていくから、どれくらい倒したかは分からない。多分、5000体以上は倒せたはずだ。もっと多いかもしれない。
「はあっ、はあっ……!」
槍の柄を地面に立てて杖替わりにしながら、俺は吐き気を堪える。眩暈も酷くなってきていて、これ以上は戦えそうになかった。
「……でも。やった。土地を守ることは、やってみせましたよ。ケリュドラ……」
麦畑の一部は、暗黒の潮の浸食が残ったままだ。家々もここに来たときより更に酷い状態になっていて、復興出来るかは分からない。それに、またいつか必ず、この土地に暗黒の潮が押し寄せるだろう。
でも、例え徒労だったとしても、俺は目的を果たせたのだ。
――だから、油断していた。
「GA……」
「っ!?」
背後から、聞こえるはずのない呻き声がして咄嗟に振り返った瞬間、そこに立っていた造物が振るった剣が、俺の腹を深く一閃した。
「ガッ!? あああっ……!!」
突然の痛みに耐えきれず、俺は黄金の血反吐を吐きながら絶叫を上げていた。
痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いいたいいいたいいたい・・・…!
数年前の他の都市国家との戦争でも重傷を負ったことはあったが、今度のはそれ以上の痛みが身体を駆け巡る。
「こん……のっ!!」
槍を振るうが力が入らず、槍先が造物によって折られてしまった。
「舐めんじゃ……ねぇ……!」
槍が無ければ、手を使うまでだ。右手で敵の顔を掴み、炎の権能をフル稼働させて燃やし尽くす。
「GYAAAAAAAAAA!!」
造物は絶叫の末に、あっという間に塵となっていった。
「ざまあ……みろ……」
悪態を吐きながら、俺の脚から力が抜ける。受け身も採れないまま尻もちをついてしまい、鈍い痛みに顔をしかめながら、俺はどうにか傍にあった家の壁だった物と思しきところへ身を預けた。
炎の権能で内臓に達した傷の応急処置を試みる。
「っ……!」
焼けるような痛みと焦げ臭さが鼻を突くが、一時的に傷を塞ぐことは出来たようだ。でも、そう長くは持たない。
――そうして俺は空を仰いで最後の時を過ごそうとし……。
ここに来るはずが無かったケリュドラと再会し、どうせ死ぬならと自分の気持ちを曝け出して告白してしまった。
……まあ結局、ケリュドラ本人にはバレバレで、何ならセイレンスも気付いてたらしいっていうのは、中々に恥ずかしい話だが。
やらなきゃと思ってやったことを成し遂げて、それが想い人に認められたのは、この人生最後の勲章と言えるだろう。
愛した君主に付き従った征途の果てで、夢を見た。
暖かい火に包まれながら俺は、ぼんやりとその光景を見る。
ケリュドラの執務室兼自室の執務机の上には、折れた槍先があった。ケリュドラはそれを指でなぞりながら、ぽつぽつと思い出を語る。
……ああ。どれも、懐かしい思い出ばかりだ。
『……まったく、失ってから初めて気付くとはな。僕もまた、どれほど苛烈な道を選ぼうとついてきてくれた蛍火卿を頼もしく思っていたし、平時でのやり取りも悪くない、得難い物だったと認識していた。そうした日々が、本来孤高であるべきカイザーに小さな幸福を与えていた。――そうだ。僕もまた、お前に惹かれていたんだ。リュスクス』
聞き間違いかと思った。でも、そうか。貴女もまた、俺のことを好きでいてくれたんだ。ケリュドラ。もう言葉は届かないけれど、その気持ちがたまらなく嬉しい。
その後も、いくつもの夢を見た。
元老院の粛清と、オンパロスで繰り広げられる征途に臨むケリュドラの姿。
繰り返される暗黒の潮との戦いで、全軍を指揮するケリュドラの姿。
セイレンスと共に、かつての俺を偲ぶケリュドラの姿。
輪廻を超え、擦り切れた目の中に未だ執念の炎を宿し続けた青年と相対したケリュドラの姿。
――そして。
『カイザー。……いや、ケリュドラ。どういうつもりだ』
『どういうつもりとは何だ、剣旗卿』
『とぼけるな。ワタシが他の勢力を抑えている間に、何故臣下の黄金裔と共に暗黒の潮との戦いに出て、
『――ふ。はは、ははははは!』
セイレンスに問い詰められたケリュドラの笑い声には、どこか悲嘆の色が混じっているような気がした。
ケリュドラは首にかけていた
『
『何……?』
『お前も見てきただろう、数々の失敗を。凡そ賢君の名に相応しくない失敗をな』
『だから黄金裔たちを犠牲にしたと!?』
『それが最後の試練だったからな』
『――っ!? まさか……』
試練……。まさか、『法』の試練だというのだろうか。セイレンスも、気付いたようだ。
『火種の返還は叶った。……だが、肝心の神権の掌握は中途半端に終わってしまった。故に、今回の火を追う旅は失敗だ。――剣旗卿、セイレンス。お前に最後の命令を下す。その剣で以って僕を殺せ』
『そんな命令をワタシが――』
『……
『――っ!』
セイレンスを見つめるケリュドラは、もはや君主の物とは言えなかった。今にも泣き出してしまいそうになりながら、それでも最後の尊厳を守ろうと足掻いている、ただ一人の少女だった。
『……あの日、蛍火卿……リュスクスに命令を拒まれたことを、僕は忘れていない。たとえあいつが僕に想いを告げてくれて、このペンダントを託してくれたとしても……。あの記憶を不意に、思い出すことがあった。……辛かったとも。あの判断そのものが間違っていたとは思わない。だが……僕を好いていたのなら……、最後まで僕の信頼に……応えて……欲しかった……』
ケリュドラは歯を食いしばりながら、俯く。
――ああ。こんなに近くにいるのに、声をかけられないのが辛い。でも俺には、ただ見ていることしか出来ない。
そんな風に思っていると、ケリュドラは息を長く吐いてから、毅然とした表情を取り戻してセイレンスに向き合った。
『――剣旗卿、セイレンス。もう一度、最後の命令を下す。僕を殺せ』
その命にセイレンスが下した決断は――――。
そして、輪廻は巡る。
何百、何千、何万と繰り返されるケリュドラの征途とその挫折を、俺は微睡みの中で垣間見た。
ケリュドラの隣に、俺の存在はいなかった。
けれど、どの輪廻においてもケリュドラは最期まで己の信条に従い続けた。
長い長い、繰り返される夢を見ていた。
繰り返される度に、微睡みは深く深く落ちていく。
『いつか……また……あなたに……あえますように……』
たとえ俺のことをおぼえていなくても、つたえたい。
しあわせをくれて、ありがとう――と。そして、あいしてる、と――――。
主人公 プロフィールver.2
名前:リュスクス
性別:男
年齢:不詳(外見年齢:20歳前後)
出身:???
運命:記憶 属性:炎
記憶の精霊:フィゴラ