こちらバスキュラー・プラント前キャンプ・カンネー監視所 作:8たま
無影灯の光に浮かぶ影から声が降りかかる。
「施術はこれで終わりだ。どんな具合だね?」
「右側はぼんやりとしてる。でも輪郭はわかる」
人影は懐からなにかを取り出してわたしの目にかざした。
次の瞬間ペンライトの強烈な光が眼球を照らし、そのまばゆさに目を細める。
「ふむ……では、さっそく手短にだがテストしてみよう」
眼球の反応に満足した男の声は、そう言って手をかざして指を立てた。
「では、左目だけを閉じて」
言われたとおりにしようとするが、しかし左目を閉じようとすれば右目も半ば閉じてしまい、ひきつったような顔になってしまう。
「…ウィンクは苦手なの」
「なら手で押さえて。…それで幾つに見える?」
「3」
正解のようだ。
「これは?」
「…4?」
「ハズレだ」
医師は指を二本だけ立てて横に振っていた。
「まぁいいだろう。時期に馴染む…それでは本題だ。そのまま右だけ開いて私の目を見なさい」
わたしは医師の目と思われる場所を凝視した。するとチリチリと右目が熱を帯びていき、眼球が押し込まれるような痛みに思わず目を閉じそうになる。
「つらかったら言ってくれ。その目に入ってるナノマシンが、今、私の虹彩を読み込んでいるんだ」
苦痛にあえぐのがさも当然という口調だが、これはあれだ。
歯科医が痛かったら手を上げてくださいと言うのと同じで、神経が通じてるかどうかの確認であり、痛いならやめるという意味ではないのだ。
熱と圧痛に右目を閉じそうになると、医師の指が伸びて無理矢理に瞼を開かせる。
それは時間にして5秒か10秒ほどだったが、体感ではそれよりもずっと長く感じられた。
次第に苦痛はやわらぎ、ある境を超えるとふっつりと途絶えた。
乱れた息を整える間もなく、医師は懐からタブレット端末を取り出した。
画面にはわたしの顔が、多分映っている。
「この画面を注視しなさい」
言われたとおりにすると、やや間があって画面が切り替わった。
「デバイスは正常に機能したようだな。このタブレットは私の虹彩を読み込めばロックを解除できる。そして、いまそれをコピーした君の右目でもね」
わたしは右目に触れて、まぶたの上から新しく埋め込まれた眼の感触を確かめた。ちょっと硬い。異物感がある。
医師はタブレットに何かを打ち込みながら、横目でこちらの様子を見ている。
「以上でテストは終了だ。それは試作品でね、まだ細かい調整が済んでない。左目を閉じればスイッチとなり、目を合わせた者の虹彩を勝手にコピー、上書きしてしまう」
「読み取った虹彩を記憶して、必要な時に読み込むことはできないの?」
「それはまだできない。なので気を付けてもらいたい」
「わたしはみだりにウィンクなんかしないわ」
「身持ちが硬いのはいいことだが、間違いということもある。これをつけなさい」
そう言って医師は眼帯を差し出した。
彼は施術で使用した器具を片付けながら言った。
「これから君はある人物に会って虹彩をコピーしてもらう。詳しくは本人から説明があるだろう」
「デートの相手はだぁれ?」
冗談めかして言ったが、男はぶっきらぼうに答えた。
「知る必要はない。私も知らされてない。ここを出たらC棟の第三格納庫待機室へ行くように」
それだけ言うと医師はわたしに、アーキバス社のロゴが入った支給品のジャケットを羽織らせ、追い立てるようにして医務室から送り出し「では」と踵を反対方向に向けた。
「またね」と声をかけたが、その背中はもはや何も語ろうとはせず廊下の奥へと消えていった。
この基地のスタッフの多くはすでに退避しており、そこかしこに書類を燃やした後や、破壊された記録端末の残骸が転がっている。
一時はルビコンを制圧するかに思えた我がアーキバス社は、例の傭兵の活躍によって大打撃をこうむった。
封鎖機構から鹵獲した兵器群も、精鋭と名高いヴェスパー部隊も次々と打ち取られた。
この状況に勝機を確信したルビコン解放戦線は一大攻勢に打ってでて、我が社の部隊は各地で壊走している。
ここが解放戦線の手に落ちるのも時間の問題といえた。
すべてはおじゃん。
わたしも逃げられるものなら逃げたいがそうもいかない。
社命に従って敗戦処理ってやつをしなきゃならない。
貧乏くじさ。
何をさせられるんだろう。その後はどうするんだろう。
などと考えてるうちに、わたしは医師に指示されたC棟第三ハンガーにたどり着いた。
庫内に入ると、そこでは巨大な機体がアイドリング状態で待機していた。
ハンガーは数台のMTを収容できるスペースがあるにもかかわらず、この一機のためにひどく窮屈に見えた。
人型の戦闘機械に巨大なバックユニット。そこから機体を包み込むように伸びるリング状のパーツ。
その意匠から封鎖機構から鹵獲したものであると思われた。
ゆっくりと見ている暇はない。わたしは歩を早めて、待機室のドアを開ける。
そこからはパイロットスーツをきた長身の男の背中が見えた。その後ろ姿からは苛立たしげな気配が漂っている。
男はこちらを向くと尊大な態度でアゴをしゃくって側に来るよう指示をした。
「君がそうか?そこにもうつけてあるんですね。時間がありません。その眼帯をとりなさい」
初対面だが、この男は私もよく知っている。
ヴェスパーⅡ、スネイル。
事情は既に聞き及んでるようであった。
わたしは言われるままに眼帯を外して左目を抑える。
男の神経質そうな目が、右目をのぞき込む。
「なんですか?その顔は?」
「ウィンクよ」
不器用に左目だけを閉じて引きつった顔は、ブサイクに見えるだろうか。
「ッ‥‥」
などと思ってるうちに、焼けるような熱を帯び始めた右目に、わたしは表情ひきつらせる。
「これでいいですか?」
熱が退いていくのを感じながら、わたしはだまって頷いた。
「では指示を与えます。こちらが指定した我が社の施設を回り、機密資料ならびに
そう言ってスネイルはデータを収めた記録媒体を差し出す。
「これも読んだらすぐに破棄しなさい。ここの機材は自由に使ってかまいません。なにか質問は?」
「あの…任務の後は…」
脱出の手筈について聞きたかったが、殺気だつこの男の前で自己保身的な態度を見せるのは憚られた。
どうかわたしの逃げ算段まで考えてくれてることを祈りながら、聞いてみたが答えはにべもない。
「知りません。本社から指示があるでしょう。できることなら私の手でやりたいところですがね‥‥‥」
ここから先は、この男の愚痴だ。フンと鼻を鳴らすと、本社執行部にたまった鬱憤を陰険な口調で私にぶつける。
「君のような本社監査部付きの特務風情などに頼みたくはないのですが、機密にアクセスできる権限をもってる者が他にいないものでね。まったく頭の悪い上層部の連中ときたら…」
嫌なやつ。
視野の狭い現場責任者、てのが上のあなたに対する評価。
とは、思っても口には出さない。
こっちも本社の指示で動いてるだけなんだから、そんなことを言われてもしょうがない。
封鎖機構が本件に介入した時点で本社は手仕舞いを考え出した。
地球政府の支配が届かない辺境では、横暴に振舞っている企業といえど、母星では政府に逆らえない。
現地軍が封鎖機構に抵抗しているという報告に、本社は政府への弁解に追われ、このままルビコン事業を継続するのか、撤退するかで社内政治は紛糾した。
しかも一連の戦闘で、あろうことか封鎖機構に勝ってしまったのがなおのこと不味かった。
一時はベイラムグループを抑え、バスキュラープラントも掌握したために撤退には待ったがかかった。
政府の追求は適当に躱しながら、既成事実を積み上げてなし崩しに容認させようという魂胆である。
しかしそれも三日天下でおわり、その優位を覆されるとなると、ついに上層部は撤退を決断するに至った。
だがこの男はまだあきらめていない。
社命を背いてでもプラントを掌握しコーラルを独占できれば、アーキバス・グループすらも支配できるだろうという野心を抱いている。
ここまで積み上げた実績がフイになるとなれば、そりゃ上に逆らってもしがみ付きたくなる気持ちは、わからんでもないけどさ。
「ふん、君ごときにこんなことを話しても仕方ないがね。私はこれから野良犬…いや、害獣を駆除せねばならん」
男は吐き捨てるように言って控室から出ていく。
時間がないならさっさと行けよ、という感情が顔に出ないように取り繕いながら、曖昧な相槌を打ち続けてるうちに気が済んだようだ。
すぐさま格納庫全体を震わせるほどの爆音がとどろき、例の巨大兵器はハンガーから飛び去って行く。
はぁ…こんなハズじゃなかったのにな…。
ま、切り替えてわたしもお仕事にかかるとしよう。
昔々のことでした。
どれくらい昔かというとわからないが、うーんと昔。
あるところに善い人が暮らす村がありました。
彼らは正直で互いに助け合いながら、それはそれは平和に暮らしていました。
そこに悪い人たちがやってきて、善い人たちをみなごろしにしました。
理由は簡単。
かれらが弱かったから。
悪い人たちは善い人たちから奪った土地の恵みによって大いに栄えました。
それから時がたち、そこにもっと悪い人たちがやってきて、悪い人たちをみなごろしにしました。
理由は簡単。
かれらが弱かったから。
その後さらに悪い人たちがやってきて、それから、さらにさらに悪い人たちが続いてやってきて殺し合いました。
それは今も絶えることがありません。
そんなことが繰り返され、世に悪がはびこり、文明が栄えましたとさ。
めでたし、めでたし
そんな寓話を今更ながらに思い出す。
ハイスクール時代、初めてつきあった男が寝物語によく語ったものさ。
この物語の教訓は「正直者がバカをみる」
いかにも斜に構えた小僧が好みそうな話だね。
その頃のわたしは、いたって真面目な優等生だったけど、優等生をやるのにも息苦しさを感じてて、不良っぽい男に惹かれたの。
あの男からすれば、何人もいる女の一人でしかなかったんだけどね。
バカだったな。
わたしは良い子ちゃんだったために、悪い男に処女をおいしくいただかれた。
今頃どこで何をしてるやら。
未練はないけれど、せめて男の背中に爪痕を残しておけばよかったと悔やまれる。
ま、青春の苦い思い出ってやつ?
そんなことはどうでもいっか。
「室長。出発の準備ができました」
ぼんやりと思い出にふけっていると、部下のカウフマンが車で迎えにやってきた。
「うん、じゃいこうか」
座席に腰掛けながら、それだけ答えたがハンドルを握る彼女はまだ何か聞きたげな視線をわたしに向けている。
「本社は何といってますか?」
「いいニュースと悪いニュースがあるわ」
「いいニュースからお願いします」
「こういうときは悪いほうから聞いとくものよ」
「じゃあ、そっちで」
「本社からは『栄光あるわが社の社員として、部下をよく掌握し、最後までその責務を全うせよ』だってさ」
わたしが一字一句たがえずそういと、カウフマンは短くため息をついた。
「任務後の脱出の手配は?」
「一任するって」
「つまり?」
「ここで死ねッ☆」
「…それじゃ、いい話の方は?」
「わたしたちの二階級特進が決まった。勲章ももらえるし、見舞金もでるでしょう」
それを受け取るのはわたしらではない。とは言うまでもない。
カウフマンは小さくため息をついた。
「あなただから言うのよ。このことは他の人たちには黙ってて。士気に関わる」
そう、わたしはいい子。アーキバスに就職してからも真面目一筋に頑張ってきた。
人の嫌がる仕事を率先してやったし、その甲斐もあり同期の中でも比較的早く出世して、一部門を任されるまでになった。
アーキバス監査部星外課ルビコン分室・室長。それが今の肩書。ルビコン支社に寄越されたお目付け役さ。
この期に及んでも、わたしは社命に従う。
これは深く考えてのことじゃない。
習慣といってもいい。
今までいい子をやってきたから、上意に背くという考えがわかない。自分で自分をそう躾けてきたのだ。
「なんとか、脱出できないんですかねぇ」
「何とか…しないとだねぇ」