狛荷屋ヤマトの宅配便   作:さば殿

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第11話 狛荷屋ヤマトと法律家煙緋の得意料理

 ■  ■

 

 

 

 鎖国が解けて幾月。稲妻の朝は、以前にも増して活気に満ちていた。港には大小さまざまな船が並び、甲板からは潮と魚の匂いが交じって漂ってくる。縄の軋む音、樽の蓋が打ち鳴らされる音、乾いた板に靴底が触れる音が、遠くの鴎の声と一緒に耳に届いた。石畳は濡れた魚影を反射し、細い光の筋が荷車の車輪にまで跳ね返る。潮風はまだ少し冷たく、胸の奥に塩を置いていく。

 

 港の人々はそれぞれの一日を始めていた。商人は樽を転がし、魚屋は網を広げ、旅の僧は舟の影で経を唱えている。香の匂い、味噌の匂い、干物の焦げる匂いが空気の層を作り、行き交う者の肩に纏わりついた。子どもたちは竹と縄で作った輪を転がし、走り回り、猫が追いかけてはまた逃げていく。そんな賑わいの中にあっても、狛荷屋(こまにや)の軒先は静謐さを保っていた。

 

 狛荷屋の屋根の下、黒髪の少年がひとり、荷札を一枚ずつ確認していた。ヤマト――二百年を生きる配達屋は、今日も淡々と仕事をこなす。見た目はまだ十四、五の少年にしか見えないが、その瞳は長い時を歩んだ静けさを宿している。彼の横では、岩馬の気配が石畳の隙間から滲み、時折鼻面を覗かせては主を待っていた。

 

 

「荷札……これは港行き、城下が二つ……これが璃月(リーユェ)港宛か」

 

 

 声は小さく、しかし確かだった。いくつもの荷札の束をまとめながら、ヤマトはふと一枚の依頼状に目を留める。他の紙とは違い、そこには細かな条文のような文言が並んでいた。受領条件、遅延条項、代替条項。そこまで明文化する者は珍しい。

 

 

「ふむ、受領条項に代替条項まで。条文調の依頼状とは珍しい」

 

 

 目を細め、すぐに誰の仕業かを思い浮かべる。璃月の法律家にして旧知の友。案の定、宛先はその名であった。ヤマトは肩をすくめ、苦笑した。

 

 

「……やはり。宛先は煙緋(えんひ)か」

 

 

 荷を縄で括り直し、角に藻塩を詰めて湿りを保つ。箱の木目に指を滑らせ、木肌のざらりとした感触を確かめる。結び紐を締めると、指先に縄のきしみが伝わり、荷が一体となった。岩馬を呼び、木箱を荷車に積み込むと、淡い光の粒が石畳に舞った。港の風が頬を撫で、帆の鳴る音が空へと抜けていく。

 

 今回は長い船旅になる。狛荷屋の務めとして、荷をきちんと届けねばならない。

 

 

 

 ■  ■

 

 

 

 船旅は思ったよりも長く感じた。海は昼と夜とでまるで別の顔を見せる。昼は白い波が甲板に打ち寄せ、海鳥が帆柱をかすめて飛ぶ。船員が唄う掛け声は潮のリズムと重なり、単調ながらも心を落ち着けた。夜は黒い水面に星々が映り、船がその中を滑ると天と地が逆さになったかのように見えた。甲板の木の匂いと、船底から立ち上る油の匂いが潮に混じり、眠気を連れてくる。ヤマトは岩馬を小さく呼び出し、鼻面を撫でながら荷の揺れを確かめた。

 

 ある夜、船室の窓から見た海は鏡のように静かで、星明かりが溶け込んでいた。旅人や商人たちが隅でうたた寝をし、子どもが夢の中で小さく笑った。ヤマトは膝を抱えて船縁に座り、煙緋の依頼状をもう一度読み返した。堅苦しい文字の裏に、あの飾らない笑顔が浮かんでくる。

 

 やがて璃月港の灯が遠くに揺らめき始めた。千の帆が寄せ合い、篝火の赤が水面を斑に照らしている。近づくにつれ、人々の喧噪が波音を押し返して聞こえてきた。薬草を売る匂い、墨の匂い、焼き栗の香ばしさが風に乗る。壮大な石門が街の入口を形作り、灯籠が川沿いにずらりと並んでいた。

 

 舷側に張り付いた潮の白さを背に、ヤマトは荷を下ろした。縄の結びを確かめ、配達の順を頭の中で整理する。狛荷屋の作法は、まず導線を描くことから始まる。

 

 

「やあヤマト、やっぱりこの船で来たか。契約通りで遅れ無し、関心関心」

 

 

 背後から快活な声が掛かった。振り向けば、少女が巻物を片手に立っていた。紅の瞳は陽光をはね返し、港の空の青に一点の紅を刻む。

 

 髪は淡い桃色。肩から背へ素直に流れ落ち、絹糸のような光沢が波の影を思わせる。ひと房の揺らぎは弧を描き、微笑の輪郭をやわらかく縁取った。

 

 装いは深紅と金に彩られた法服。腰布は潮風を孕み、白い脚線を明るみに導く。足元のブーツは赤と黒の艶をまとい、縁取る白毛が陽を吸い込んで淡く輝いた。

 

 袖の奥からのぞく手首は雪のように細く、指先には墨の痕がほのかに残る。その痕跡は法の重みを語りながらも、若さの温もりを否応なくにじませる。帽子から垂れた金の飾り紐は、港風に鳴る鈴の音を微かに散らした。

 

 腰には印章と符を収めた小箱、そして天秤を模した装飾具。柔らかさと威厳――相反する二つの貌がひとつの姿に溶け合い、彼女という存在を鮮やかに描き出す。

 

 彼女こそ璃月の法律家にしてヤマトの旧知、煙緋である。

 

 

「荷は潮にも揺らがず無事だよい。それはそうと、どうしてお前さんがここに?」

「久しぶりにあなたと会える機会なんだ、最大限活用しなくては」

「暇なのか?」

「失礼だな、私は璃月港の法律家の頂点に立つ者だぞ。当然相応の仕事量をこなしている」

「そんな中でオレに会いに来たってわけかい?」

「ああそうだ。感謝したまえ!」

 

 

 岩馬を呼び出し荷を牽かせると、煙緋は当然のように隣に並んだ。港の喧噪の中、二人は荷を運びながら道を進む。煙緋は最近の裁判の愚痴や、評判の良い食堂の話を次々と口にし、ヤマトは微笑ましく相槌を打つ。

 

 

「──つまり璃月の豆腐は旨味の層が厚いんだ。だが稲妻のは水が澄んでいて食感が違う。結論?どっちも美味しいってことだよ、ヤマト」

「ほう、そりゃあ良い」

「おい、さっきからそればかりじゃあないか。ちゃんと私の話を聴いているのか?」

「聴いてるよい」

「ならいい」

 

 

 煙緋は頬を少し膨らませ、すぐに笑い直した。その姿は法律家としての厳しさよりも、年頃の娘らしい柔らかさを見せていた。港を行き交う人々は歩みを止めはしなかったが、すれ違いざまにちらと振り返る者もいた。法律家として知られる彼女の声が、いつになく軽やかに弾んでいる。その調子に、港の喧噪がひとしきり柔らいで聞こえた。

 

 

 

 ■  ■

 

 

 

 通りの角ごとに荷が軽くなり、届け先の扉がひとつ、またひとつ閉じていった。陽は傾き、荷車の影も伸びて、やがて残る木箱は一つだけになった。

 

 

「さて、残りは一つ。宛先は……」

「はい、ここ。つまり私だ」

 

 

 道中、煙緋はさり気なく順路を誘導していた。ヤマトは察していたが、それを言葉に変えるほど野暮ではなかった。

 

 

「じゃあ運んで、早く。私の部屋はすぐそこだ」

 

 

 夕暮れの光が港の瓦を照らし、灯籠が次々と火を入れられていく。商人たちは帳簿を閉じ、子どもたちは紙鳶(たこ)を風に泳がせ、猫が干物屋の前で背を丸めていた。煙緋は上機嫌で先導し、ヤマトは呆れたように微笑んだ。

 

 

「今日の仕事はこれで終わりだろう? さあ、あがり給え」

「はいよ」

 

 

 煙緋の部屋は、冷たく硬い秩序に支配されていた。机の上には巻物と判例集が山のように積まれ、印章や秤が規則正しく並び、紙と墨の匂いが静かに漂っている。

 

 だが奥の台所に足を向ければ、胡麻油と葱の香ばしい匂いが壁を抜けて広がり、鉄鍋の温もりが部屋の冷気をやわらげていた。冷厳な法の道具と、台所の柔らかな匂い――二つの空気がひとつの空間に同居していることが、彼女という人物そのものを映しているようだった。

 

 

「それで、オレを部屋に連れ込んで一体どういうつもりだよい」

「人聞きの悪い事を言うな、任意同行だ」

 

 

 煙緋は届いたばかりの木箱を開け、稲妻豆腐を取り出す。白く柔らかな塊に指先で軽く触れ、満足げに笑った。

 

 

「かにみそ豆腐、私の得意料理だ。食べていくといい」

 

 

 包丁の音が響き、葱の香りが立つ。蟹味噌の甘い匂いが油と混じり、湯気が室内を満たす。煙緋の手際は鮮やかで、調味の匙加減は弁論のように明快だった。副菜として青梗菜(チンゲンサイ)の炒め物や、干し貝柱の入った澄まし汁も次々と並ぶ。手を止めることなく彼女は口を動かす。

 

 

「証拠は崩さない、豆腐も同じだ。形を残してこそ意味がある。あなたも覚えておくといい」

 

 

 ヤマトは静かに腰を下ろし、その所作を眺めていた。火の赤が壁に映り、窓の外では鈴が一度だけ鳴った。彼は言葉にせずとも、もてなしを尊重していた。

 

 

 

 ■  ■

 

 

 

 やがて卓上に運ばれたのは、熱々のかにみそ豆腐だった。餡の表面は黄金に輝き、湯気が立ち上る。蟹の殻から染み出た旨味が鼻を誘い、葱油の香ばしさが追いかける。

 

 

「さあ、完成だ。熱々だから気をつけろ」

「おお、こりゃ美味そうだよい」

「『美味そう』ではない、美味いんだ。さあ、召し上がれ」

 

 

 箸を入れれば豆腐は滑らかに崩れ、蟹味噌の香が鼻を抜けた。舌に触れた瞬間、海の甘みが広がる。餡は熱く、舌に火傷しそうになりながらも、身体の奥に滋味を残す。

 

 

「……うむ。美味い」

「ふふ、そうだろう、そうだろう。まあ、当然だが」

 

 

 煙緋は嬉しそうに笑い、ヤマトの様子を満足げに見つめた。盃に注いだ茶が二人の間で湯気を揺らし、窓の外では灯籠が川面を流れていた。副菜も口に運び、味の層を楽しむたびに、煙緋の話題は思い出へと移っていく。

 

 

「昔、あなたが団子をくれたことがあっただろう。港の階段で」

「ふむ」

「あの時気付いたの。食べ物って、味だけじゃなく『誰が届けてくれたか』で変わるんだって」

 

 

 彼女の言葉に、ヤマトは静かに頷いた。昔も今も、届けることの意味は変わらない。

 

 二人は料理を分け合いながら、幼い頃の港での思い出や最近の出来事を語り合った。煙緋が担当した奇妙な訴訟の話、ヤマトが稲妻で見た新しい橋の話。笑いと沈黙が交互に訪れ、やがて夜は静かに更けていった。

 

 窓辺で鈴が一度鳴り、港の風が帳を揺らした。遠くでは川面に灯籠が流れ、幾百もの小さな光が水に揺れてはまた寄り添う。

 

 鈴虫の声が静けさに染み込み、港の喧噪はすっかり遠のいていた。部屋の灯火と外の灯籠が呼応するように瞬き、湯気の立つ食卓を柔らかく包んでいる。

 

 ヤマトは黙って頷き、煙緋は盃を軽く掲げた。

 

 届けば十分。食べれば上等。そんな言葉が、灯火の奥で確かに響いた。

20話以降の狛荷屋ヤマトの方針について(活動報告に詳細アリ)

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