狛荷屋ヤマトの宅配便   作:さば殿

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第12話 狛荷屋ヤマトと旅人蛍とガイド役パイモンのキャンプ飯

 ■  ■

 

 

 

 璃月(リーユェ)帰離原(きりはら)は、暮れのぬくもりをまだ草の穂に残し、青を帯びた岩肌は夜露を待って冷え始めていた。

 

 丘の背はゆるく、黄を含んだ木々が点々と立ち、枝の影が地面に細い網を編む。倒れかけの塔や、途切れた石橋、見張り台の骨組みが遠くに黒い切子のように浮かび、道標の灯は油の輪を小さく作って風下へ尾を引く。雲の端はまだ白く、空は群青から藍へと沈み、やがて粉砂のような星が一粒ずつ増えて、川筋にまとまった。ここが璃月であることを、石の匂いと灯の橙が、ゆっくり確かめさせる。

 

 荷車を牽く岩馬を道の脇で止め、胸繋をゆるめてやる。革の当たりを指でなで、荒縄の軛をはずすと、金具がふたつ触れ合い、一度だけ涼しく鳴った。岩馬は口金をひとつ鳴らし、前肢の関節を静かに落とす。脚は難なく折れ、台座のように身を据えた。車輪は今日一日の粉砂をまとい、轂は夜の温度でひんやりと冷たい。楔で車止めを噛ませ、荷の側を風下へ半歩だけ寄せる。角が夜風を正面から受けないように──配達屋の癖である。

 

 藁座を二枚、木箱の角の下へ差し込んで寝床を作る。天板に走る木目は灯の輪で艶を増し、角の面取りが薄く光っている。鍋と錫の椀を荷の隙間から取り出し、窪地の水を汲んで米をやさしく転がす。粒が指の腹を滑り、掌には縄の痕がじんわり疼く。干し魚は薄く割き、藻塩をひとつまみ。油紙の端を内へ折り込み、ほつれた麻糸を火口に回す。火打ち石を打てば金の火花が岩の面で跳ね、松脂を舐めた火が低く落ち着いた。炎の呼吸が整うまで、掌をかざして皮膚の奥の脈を合わせる。鍋底の煤は前回の野営の名残、こそげ落とさずに薄く残すと、火の機嫌がよい。

 

 

「やれやれ、今夜はここで手打ちだぜい」

 

 

 岩馬の前板を軽く叩き、背の稜に沿って掌を滑らせる。石肌は夜気を吸って冷たく、砥ぎ目は乾いている。荷札を確認すると、璃月の印役所の朱が乾き、紙縁がわずかに波打っていた。明けたら石門を越え、東へ。モンドの城門が見えるくらいまで歩きたい──そんな算段を心の帳面に足す。角は前を向き、箱は静かに呼吸している。

 

 

 

 ■  ■

 

 

 

 湯が笑いはじめ、鍋の縁に最初の白い息が触れては、星の光を抱きながらほどけた。火は石段の風下で低く安定し、松脂が舌を出すように燃える。道の向こうで草の穂が一様に伏せ、灯籠の橙がひとつ上下する。そんな折。

 

 

「やっぱりこっちだ! いい匂いだぞ!」

 

 

 空からふわりと降りた白い影が、灯の輪郭をまとって火の側に留まる。足は地を踏まず、髪飾りが小さく光った。小さな腹の音まで聞こえそうな顔で、鍋を覗き込む。

 

 

「鼻が利くねえ、パイモン。焚き火に当たってくといいよい」

 

 

 火の橙を映した頬がぱっと緩む。彼女は橙の上でくるりと一度輪を描き、ほっとしたように手を温めた。

 

 ほどなく、草を踏む軽い足音。露を散らした靴音が近づき、灯の外から静かな声が落ちる。

 

 

「パイモン、急に飛び出すと危ないよ。……あ、ヤマト。こんばんは」

「おうよ、旅人。元気そうでなによりだ」

 

 

 外套の襟に夜の青を乗せた旅人は、背嚢をひと撫でしてから腰をおろした。瞳に灯が一つ、きれいに収まり、呼吸の数が火の音に合う。彼女の背後では、帰離原の黒い遺跡が密やかに身じろぎをやめ、空の川筋が濃くなる。

 

 

「それで、ナタの英雄殿がどうしてここに?」

「もう知ってるんだね。今日は冒険者としての依頼で。ヤマトは?」

「いつも通り、仕事だよい」

 

 

 荷車の側板を指先でたたくと、木が乾いた声を返す。角は前、紐はよく締まっている。箱はよい顔だ。

 

 

「なあなあ、これってご飯だよな? オイラが味見してやってもいいぞ!」

「まだ早えや。だが、三人分に増やすのは吝かじゃないぜい」

「ほんとか!? お前、良いやつだな!」

 

 

 火の上で跳ねる声。旅人は口元で笑い、外套を畳んで膝にのせる。指の動きは無駄がなく、迷いもない。

 

 

「……お言葉に甘えて。手伝うね」

「助かるよい」

 

 

 彼女は背嚢の留め具を外し、布の擦れる音とともに、旅の蓄えを卓に並べるように出していく。

 

 

「じゃあ、私も材料を。清心、蓮の実、松茸、少しの香辛料」

「そんなに入ってたのか!?」

「ちょっとだけ、食料は多めにするの。旅の癖かな」

「ちょっと?」

 

 

 蓮の実は爪先で皮が割れ、白い身が星粒のようにころりと転がる。松茸の傘は薄く、刃を入れると湿った紙のような音をたてた。清心を指でちぎると、乳白の茎から水がにじみ、指先が冷える。湧水の皮袋は喉に馴染む匂いを持ち、香辛料の紙筒は軽く振るだけで甘い風を立てた。旅人の鞄は、必要な柔らかさだけを残して、重さをそぎ落としている。

 

 

 

 ■  ■

 

 

 

 薪の一束に湿りが混じっていた。燃えはするが、炎の呼吸が鈍い。松脂を小指で掬って火口へ与え、息を半歩うしろから送る。火は橙を増し、鍋の底で米が白く泳ぎ始めた。湯の面に浮いた泡を木杓子の背で薄く寄せると、灰汁がひと筋、夜気に攫われる。遠く、見張り台の梯子が風でひときわと鳴った。

 

 

「薪、ちょっと湿ってる。火が弱い」

「松脂だよい。少し足して、風は半歩だけ後ろから当てな」

「了解」

 

 

 掌のひらでやわらかな風をつくり、焚き火の息が安定する。火は石段の風下で丸く座り、鍋の耳が低く一度鳴った。

 

 

「おー、火が元気になったぞ! でも、今の旅人なら直接火が出せるよな?」

「ほう?」

 

 

 言葉が火の上で小さく跳ね、旅人は肩をすくめて笑うだけで、術は使わない。野の火に、手の火を足さない──そういう夜もあるのだろう。

 

 

「こっちは澄まし。蓮と松茸を少しずつ。灰汁は薄く取る」

「こっちは干し魚と米。藻塩をひとつまみだよい」

「オイラは混ぜる係!」

 

 

 木杓子を持った小さな手が背伸びして鍋を覗き込む。頬は灯に朱を帯び、香りが髪の縁でほどけた。

 

 

「鍋縁に当てないように、そっとね」

「……あっ、ごめん。コツンって鳴ったぞ」

「一度くらいなら、景気づけさ」

 

 

 木杓子が鍋の縁に触れた音は、荷車の金具の微音に似て、笑いが火の輪をやわらかく広げる。

 

 米は底でふくれ、干し魚の身がゆるむにつれて潮の記憶が香りの層となって立ちのぼり、澄ましの鍋では蓮の実がゆっくり開き、松茸の薄い影が月のかけらのように浮いた。香りは清い。野を渡る息の途中で一度だけ甘みを置いていくみたいに、鼻腔の奥に細く残る。

 

 そのとき、草むらの奥で湿ったものが擦れる気配が走った。夜露に重くなった葉が、誰かの肩で撫でられるように連なって揺れる。甘い匂いは、呼び寄せる。夜の色は深く、遺跡の壁面は墨のような黒で沈んだ。

 

 旅人は鍋を半歩だけ岩陰へずらす。火ではなく、匂いの流れを風下へ逃がす。わずかだが、それで十分。匂いの道筋が変わる。息を潜めると、暗がりの膨らみは諦めたのか、湿地の方へ向きを変え、草の影に消えた。火の輪が一度だけ縮み、元の形に戻る。

 

 

「届けば十分。火が通れば上等だよい」

「うん。──できた」

「やったー! いただきます!」

 

 

 蓋を上げる。白い湯気が顔に触れ、視界に薄い膜をしいてから空へほどける。澄ましは星明りを飲んだように透きとおり、口に含めば蓮のやさしい甘みが広がり、遅れて松茸の香りが長く細く伸びた。炊き込みは、米の角がほどけるたびに干し魚の塩気が角を丸くし、噛むほど味が重なる。篝火の向こうで二人の影が近づき、碗が小さく触れ合って、ちいさな音が夜に溶けた。

 

 

「蓮が甘い。松茸の香りもいい」

「干し魚も米も、よく馴染んでる」

「オイラ、もう一杯!」

 

 

 道標の灯がひとつ遠のき、別の灯がまた近づく。誰かが見えないところで、夜の油を差しているかのようだった。星はふえ、天の川は草の影まで照らすほどに濃くなった。

 

 

「ヤマトはモンドへ?」

「ああ。長ぇ道のりだが、道は道だよい」

「私たちは明日、石門の方へ。途中まで一緒に歩ける」

「心強いな。──星がよく出てる」

「オイラ、こういう夜好きだぞ」

 

 

 火はさらに低く、赤は丸く、鈴虫が一節だけ鳴いた。旅の話は長くせず、湯気と火のはぜで間をつないだ。

 

 

「……おやすみ」

「おやすみ」

 

 

 

 ■  ■

 

 

 

 夜が静かにほどけていく。灰を崩すと、下からわずかな赤が残っていて、指で寄せれば温もりが移った。

 

 湯を少しだけ温め直し、三つの碗で分ける。舌に戻る温度は、夜の終わりと朝の入り混じる境目の温度で、胸の奥に丸い灯を一つともす。

 

 東の雲が鈍い錫色になり、露は草の先で丸くなって、触れれば静かにほどけた。岩の冷たさは引き、土が息をしはじめる。

 

 支度をする。旅人は背嚢の帯を肩で受け直し、金具の位置を一度で決める。動作の順番が美しい。小さな相棒は空で大きく伸びをしてから、火の跡にふうっと息をかけた。こちらは荷車の車止めを上げ、軛を岩馬へ戻し、胸繋をゆるく締める。口金の継ぎ目から朝気が一度抜け、白い曇りがふっと漂った。針を一本ずつ押さえ、鳴きはないか耳で確かめ、歯止めの縄を結び直す。角を掌で押し、結び目を軽く引いて確かめる。角はまっすぐ前を向いていた。藁座は夜露で少し膨らんだが、まだ足りる。

 

 合図もなく歩みがそろった。三つの影と一台の荷車は、帰離原のやわらかな起伏をなぞって北へ伸びる。石の踏み面は夜露でまだ暗く、足裏にひやりとした膜を一枚残す。轂の鉄帯が一度だけ乾いた音を返し、すぐに草の音へ紛れた。

 

 道の両脇、黄を帯びた木々の間を、薄い川霧が低く流れる。遺跡の柱脚がところどころ草から顔を出し、角の面取りが朝の白を受けて細く光る。岩馬の口金は無口に前を向き、胸繋の革が呼吸の代わりにわずかに伸び縮みする。荷のまっすぐ、藁座は揺れを吸い、結び目は掌の記憶どおりの締まりを保っていた。

 

 やがて、草の匂いに渓の水の匂いが混じりはじめる。小さな流れを越える木橋の手前で足並みを落とすと、板の継ぎ手が低くひと鳴りし、欄干の彫りが朝の白に溶けた。橋を渡りきるころ、どこからともなく茶の香がひと筋漂ってくる。早起きの茶売りか、峠を行く商いか。返せば、湯気の輪はいつだって人をやわらかくする。

 

 石橋を抜けた先、石門が空を切り取って立っていた。石の拱の内側に、淡い青がひとつ張りついて見える。鳥が二羽、拱の高みで円を描き、朝の声を一度だけ落とした。道はそこで二つに割れ、西の細い筋は璃月の脈へ、そして東の筋は清泉を抜けてモンドの境へと続いていく。

 

 立ち止まると、荷車の影が石の白へ重なり、輪郭だけがくっきりと浮いた。ここまでが同行、ここからがそれぞれの道。言葉は要らないが、短い挨拶は交わす。小さな相棒はいつもの大きな身振りで手を振り、旅人は外套の襟元を指でただ一度整える。頷きがひとつ、もうひとつ。

 

 

「じゃ、行くね」

「また会おうぜい」

「おう! またな!」

 

 

 手を上げると、背嚢の金具が歩みの初めに一度だけ鳴る。二つの背は朝の光へ小さくなっていった。荷車が最初の一歩で薄く軋み、金具が短く挨拶を返す。

 

 

「荷の角、締め直して……出発だよい」

 

 

 草の匂いが新しくなる。藻塩の乾いた香りはもう薄く、代わって朝の水の気配が濃い。道は石の明るみと影が交代で現れて、歩幅を自然に決めてくれる。車輪は浅い轍をなぞり、揺れは藁座が吸う。遠くで鳥の声がひとつ、遅れてもうひとつ。遺跡の輪郭は、日が差すごとに石の色を取り戻し、崩れた柱が別の歴史のように見えてくる。

 

 角は前を向く。届けば十分。寝れば上等。胸のどこかに空気が一つ入り、岩馬が軽く首を振った。モンド城までの道は長い。だが、いい顔をした荷は、長い道を怖がらない。草と石の匂いが混じった朝の空気が肺を満たし、車輪が静かに回り始める。

20話以降の狛荷屋ヤマトの方針について(活動報告に詳細アリ)

  • 今と同じ1話完結のお話を見たい
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