狛荷屋ヤマトの宅配便   作:さば殿

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第一章 『祝福』シロネンと改造計画

 ■  ■

 

 

 

 洞の裾にあるこだまの子の集落は、赤い岩肌に縫い付けられた布旗が風に囁くたび、色の層が少しずつずれて見える。谷壁に穿たれた高い天窓から差す光が、階の角を一段おきに縁取り、磨り減った石の面に細い金線を描いていた。

 

 太い綱に吊された三角の灯は琥珀色で、昼でも消さず、布旗の縁に染みた染料を淡く起こす。

 段を刻んだ石階の袂には、焼いた樹脂の匂いと乾いた草の粉が薄く積もる。段鼻の欠けたところには黄砂が溜まり、踏むとさらりと逃げる。崖の模様は白い曲線で塗り残され、遠くへ続く風の道を示しているようだ。

 

 ヤマトは荷車の木箱を指で確かめ、こだまの子の族長パカルに道と所在を尋ねる。

 肩の紐を一つ縮め、継ぎ手の遊びを左右交互に撫でて、今日の道に合う締め具合を体で思い出す。前板の縄を一本だけ外し、箱を一つ抜く。残りは藁座に寝かせて楔を押し直した。──階は手運びに切り替える、と決めた。

 

 砂礫の音が足裏でころがり、岩肌の割れ目から生えた小さな草が、指で梳いた髪のように同じ向きへ倒れていた。視線の先で、先程別れたばかりの小さな影が振り向く。

 

 

「うむ、早い再会だったな」

「あ、ごめんね。まだ名前は思いついてないや」

 

 

 こだまの子のカチーナは、色布のはしご段に腰を掛けていた。掌に小石を二つ握り、打ち合わせては形を選っている。細い指先は器用で、選び終えた石は袋の底に静かに沈んだ。橙の縁取りをした髪飾りが日を受け、笑うと、深い谷に小さな鈴のような明滅がひとつ生まれる。

 

 

「よいよい。して、この荷はシロネン殿の荷なのだが」

「シロネンお姉さんの工房は、この階段を上がってすぐの場所だよ!」

「ありがとう。助かるよい」

 

 

 ヤマトは会釈して階段をとる。壁面の彩色は青と翡翠がところどころ剥げ、下地の土色が滲んでいた。塗りの下からは、かつて描かれた幾何の文様が幽かに透ける。両側の壁を渡る太い綱には滑車が挟まれ、荷を上下に運ぶための導き手になっていた。紐で連ねた三角灯が微かに揺れ、影は階段の縁をなぞって上へ逃げていく。

 

 

 

 ■  ■

 

 

 

 階段を上がりきると、洞の内側に寄り添うように工房があった。外壁の曲線は砂岩を削って出したままの骨で、角だけを薄く面取りしてある。青磁色の植え皿に挿された乾いた枝が、目印のように入口を守っていた。扉脇の作業台には鋲打ちの治具、丸められた皮革、色の違う金具の小箱、それに細い錐が布包みに十本。何をどの順に使うのか、手を動かす者には一目でわかる並べ方だ。

 

 奥の卓では少女が板紙を広げて数字を追っている。鉛の棒で引いた細い線が格子を作り、ところどころに短い記号が踊る。唇が数式の形に動き、音は出ないが集中の温度が伝わる。机上の砂時計は半分ほど落ちて、灯の火は樹脂の甘い匂いを残すだけだ。

 

 

「失礼する。シロネン殿はご在宅だろうか」

「こんにちは。シロネンお姉ちゃんは少しお出かけしてます。すぐに戻ると思いますけど」

 

 

 シロネンの教え子、ニペカの言にヤマトは思案する。注文書には『本人受取』の朱が押されていた。朱肉は新しく、紙の繊維に沿って端が柔らかくほどけている。印影のわずかな歪みを見るのは、これも仕事のうちだ。ヤマトは箱の口金を指でなぞり、封緘の状態と印影の欠けがないかだけを確かめた。

 

 

「左様か。ではしばらくした後、もう一度尋ねさせていただこう」

「うん、シロネンお姉ちゃんが戻って来たら伝えるね」

「ありがとう。助かるよい」

 

 

 洞の口から入る風は西へ抜けるらしく、乾いた冷えが袖の内側だけを撫でていく。風は草の匂いに石粉をまぜて運び、舌の奥に残る渋みで時刻を教える。薄い光が床の砂を金箔のように照らし、瞼の裏に眠気を運ぶ。照り返しは強くないのに、目を細めると世界の輪郭が柔らかく溶ける。

 

 

「さて、こうなっては仕方がない。うむ、仕方がない」

 

 

 集落の外れへ出る。遠くの断崖には白絵の波模様が流れ、刻んだ階が渓風に晒されている。石段の影は長く、草むらの縁だけが明るい。音は少ないが、遠くで鳥でもなく金具でもない、小さなものが地をはねた気配がした。

 

 

「日当たり、風向き、岩の影、音の反響」

 

 

 崖の北面に沿って回り込むと、草の穂が同じ方向へ寝ている一角がある。鳥が止まるには低すぎる枝に、薄黄の羽が一枚だけ引っかかっていた。誰かの昼寝の名残のようにも見える。板石に掌を置けば、焼け残りの熱は抜け、ひんやりと沈む。石は表だけが温み、芯は井戸水のように冷たい。背をあずけた時の角度を、体が先に覚えていく。

 

 

「ふむ、この辺りが『最強』か?」

 

 

 根の張った低木が段々に茂り、背を預けるのに程よい段差が続いている。谷からの風が枝の隙間を四角く切り、光の切片を芝に置いていく。葉の裏を透かした光が、緑と金の網目になって地面に落ちる。

 

 

「あ」

「ぬ」

 

 

 木陰の奥で、翠の瞳がこちらを量っていた。睫の影よりも先に、谷の風が二人の間をすべって、温度だけを交換させた。互いの輪郭が焦点を探る時間があり、その短さで、ここが良い場所だと知れる。

 

 

「先客か、見立てがいいねえ」

「あんたこそ、一目でこの場所に目を付けるなんてね」

 

 

 同じ影を選んだ者への、短い頷きが交わされる。昼寝の礼儀は静かで、名乗りより先に場所の条件を褒め合うこと。この二人はそれを自然に守っていた。

 

 

「ウチはシロネン。あんたは?」

「オレは稲妻の配達屋、ヤマト。ふむ、あなたがシロネン殿であったか」

「もしかしてウチ宛の? うっそ、早くない?」

「急ぎ、と注文書にあったのでな」

 

 

 昼寝場所を探していたおかげで、依頼人に先に会えた。急がば昼寝、という理屈も世にはある。

 

 

 

 ■  ■

 

 

 

 二人ならんで工房へ戻る。足裏の芝の欠片が石段の途中でふっと落ち、影が二つ、同じ幅で伸びた。戻る道のほうが短く感じるのは、行き先が同じだからだ。洞の天井に渡した太い綱に灯が吊られ、青緑の彩色が火の色に溶けていた。灯は三つずつ束ねられ、銅の笠には細い切子が入っている。火が揺れるたび、壁の青が深い海の色へ寄り、赤土は温かい土鍋の内側のように見えた。

 

 ヤマトは手にしていた小箱の封緘を示し、宛名を指でなぞって差し出す。口金は正対し、封紐は真っ直ぐ、角はぴしりと立つ。運びのあいだに揺れを拾っていないことが一目で知れる。段の噛み合わせを思い出し、次の便での踏み幅を心に留める。

 

 

「では、受領書にサインを」

「受領完了っと。評価欄? そんなん五つ星に決まってんじゃん」

 

 

 筆は迷いなく走り、朱の印影の下に滑らかな文字が並ぶ。筆致は踊らず、むしろ静かに沈む。癖のない字は、手の速さと同じだけの確信を持っている。墨の匂いが一息だけ濃くなり、紙は端へ向かって静かに乾いていく。空気を吸う音は聞こえないが、乾きの温度だけが周囲を薄くした。

 

 

「うむ。高評価感謝いたす」

「もう仕事は終わりっしょ? そんなに堅苦しくしなくていいよ」

「であるか。じゃ、お言葉に甘えるよい」

 

 言葉を崩したヤマトの肩の力が少し抜け、胸の紐を一段緩めると、シロネンの口元に満足の色が灯る。彼女の視線は踊り場の縁を越え、階段下の影に待たせた岩馬へ落ちた。

 

 馬体の比率は実馬と同じだが、首は浅い弧、耳は薄く削いだ刳り形、尾は節を連ねた導材で編まれている。表面は石と合金の研磨面で、生物の気配はない。脚の継ぎ目、稜線の合わせ、芯材の座り──造りは良い。いまは轅を外して静止中だが、胸繋と尻繋の受けは素直で、推力の線がまっすぐ出る型に見える。

 

 

「それで気になってたんだけど、あの岩の馬。あんたの力で動いてんの?」

「そうだぜい。ほれ」

 

 

 ヤマトは踊り場から掌を立てて合図し、階段下の影に待たせた岩馬を呼ぶ。

 

 馬首がわずかに起き、耳の刳り形が角度を変える。石と合金の節で組まれた躯体が応じ、脚の継ぎ目がきゅっと締まる。蹄に当たる接地面は面取りされた石のパッド。段鼻ごとに荷重線を垂直に落とし、一段ずつ上がる。首と尾はバランサーのようにわずかに傾き、重心を前へ送りつつ、踏み切りと着地の位相を合わせる。砂は静かに後ろへ押しやられ、滑りの気配はない。踊り場では半身だけ回し、前脚二歩で向きを変える。停止と起動の切り替えに遅れはなく、機械だけが持つ無表情な正確さがある。

 

 ヤマトは近寄り、胸繋と尻繋の受け金を軽く確かめる。合図ひとつで駆動は即座に落ち、据わりが一段深まって足元の砂が薄く沈んだ。

 

 

「へえ、すごいじゃん。パワーもスピードも、それに精密性もある」

「照れるよい」

「でも、荷車の方はそれに着いてこれてない」

 

 

 荷台の角を撫でる風に、古い締結のゆるみが白い線となって浮き上がる。

 

 

「上りで轅が捻る」

「む」

「段で車輪が跳ねる」

「ぬ」

「轂金に片減りの癖」

「やれやれ」

「車軸ピン、旧規格」

「図星だよい」

 

 

 当たりを言い当てられるほどに、胸のあたりが涼しく、同時にきまりが悪い。

 

 

「ウチに任せてみない?」

「ほう?」

 

 

 シロネンは作業台へ図面を広げ、指先で要点を順に押さえる。胸繋と尻繋には段差用に一段分の調整孔を増やし、起伏用と平地用を切り替えにする。継ぎ手には薄座金を噛ませて遊びを均し、締結トルクは数字で確定する。轂金は新帯を圧入し、片減りの癖を正す。車軸ピンは新規格に改め、嵌鋲で抜き差しを容易にする。前板のバランサーは二穴内寄り──荷重の芯を軸へ寄せ、段での跳ねを抑える。

 

 言い切るごとに線は濃く、余白は減って、作業の道が一枚の紙の上に出来上がっていく。ニペカは横で頷き、必要な部材に小印を打つ。入荷の順、仮組みの手順、仕上げの刻限まで、紙の上に静かに秩序が生まれた。

 

 

 

 ■  ■

 

 

 

 見取り図を畳み、ヤマトは頷く。荷車にはまだ別便が積んである。この谷を抜けたのち、別の部族の里をいくつも渡っていく予定だ。走る場所は多く、寄る影は短い。改造を急げば荷は遅れ、急がなければ道が荒れる。その間の点を選ぶのが、今日という日だ。

 

 それを聞いたシロネンは、工具を二つだけ選んで近寄った。余計なことはしない。選ばれたのは薄い座金の束と、刃の寝た小刀。前板のピンの角をわずかに削り、継ぎ手の座を入れ替え、張りの偏りを最小限だけ整える。胸繋と尻繋の孔を一段だけずらし、張力が素直に落ちる位置を探る。仕上げに置いた端金具が机で小さくコトンと横になり、換気窓の房が一度だけ揺れた。

 

 

「応急処置だけしたから、続きはあんたが戻って来たらね」

「助かるぜい」

 

 

 岩馬を荷車に繋ぎ、入口まで数歩だけ引く。轅の握りは同じ重さでも、腕への戻りが少し柔らかい。砂の擦れも、今はただの路面の話だ。段差の上がり口で、荷の重心がひと呼吸分だけ素直に寄ってくる。箱が箱のまま移動する感じ、とヤマトは内心で言葉を付ける。

 

 

「またおいで、行ってらっしゃい」

「ああ、行ってくるよい」

 

 

 洞の口は白く、外は赤い。上から落ちる光は粉のように細かく、肩にかかったまま溶けていく。

 

 影を一口だけ分け合って別れ、ヤマトは荷車の轅を握る。風は前から、角は前を向く。次の宛先まで、乾いた匂いの道を淡く辿っていく。谷の向こうに白い文様が流れ、遠い梯子段に小さな影が動いた。

 

 昼寝の約束は、改造計画の裏面に小さく綴じてある。

20話以降の狛荷屋ヤマトの方針について(活動報告に詳細アリ)

  • 今と同じ1話完結のお話を見たい
  • 中長編のストーリーを見たい
  • 別の作品として中長編ストーリーを見たい
  • どうでもいい
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