狛荷屋ヤマトの宅配便   作:さば殿

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第二章 『廻焔』キィニチとエクストリーム救出劇

 ■  ■

 

 

 

「次の荷は懸木の民(ウィッツトラン)に薬か」

 

 

 谷の裾を離れると、赤い岸壁は布旗の色を吸い、縁からほどけた糸のような模様が風に撫でられて揺れた。白い幹をまっすぐ伸ばす樹々が、崖の肌に薄い影を縫い付ける。見上げれば、緑の上に橙の縁をもつ葉冠が幾重にも重なり、枝の間からは細い滝が青い帯を垂らしている。

 

 先へ行くほど道は細り、木端を継ぎ合わせた踏み板や縄の梯子が、岸壁の段々をつないでいた。高低差は息のように絶え間ない。

 

 ヤマトは轅の外に半身を出し、歩幅を一定に刻む。稲妻仕立ての上衣は風を拾わず、胸の紐は短く締めてある。視線は段の先と風の抜け、板の継ぎ目を順に拾い、掌のわずかな角度で岩馬の歩を合わせた。

 

 上方には、青緑の天幕をかけた大きな船のような桟が張り出し、索が斜めに空を渡る。足跡が道の粉砂を乱していた――小さな爪の並びだ。

 

 遠景の谷は幾筋もの切れ目を見せ、白い雲が重なった影をゆっくりと滑らせている。

 

 

「階は手運びに切り替えるか」

 

 

 前板の角は道に正対している。口金と紐は乾いた面で静かに交差し、藁座のくぼみに楔が沈んだまま揺れない。

 

 ヤマトは肩紐を一穴縮め、継ぎ手の遊びを左右交互に撫でて、轅の高さを半段落とす。ここから坂がきつい。階の手前で手運びに切り替える。

 

 岩馬は歩調を落とし、車輪は面を拾って小石を逃がした。足裏は乾いた土の面を撫で、踵で小石を掃いて段の端を整える。息は短く、しかし乱れない。

 

 斜面の草はさざ波のように倒れ、遠い崖の絵付けは、黄と青の曲線で風向きを教えてくれた。

 

 

 

 ■  ■

 

 

 

 崖壁の集落を横目に進むと、砂斜面の真ん中に丸い影がひとつ、気怠げに腰を落としていた。ユムカ仔竜があくびをし、舌の先に日差しを乗せている。鱗はまだ柔らかく、光る粒が指の腹に移りそうだ。

 

 

「おいおい、危ないぜ?」

 

 

 岩馬は静かに歩を収め、荷は微動だにしない。仔竜はそれを合図にしたのか、胸元へ鼻先をぐいと押しつけ、袖を噛んで引いた。土と陽の匂いが近い。

 

 

「餌なんて無いんだがな」

 

 

 文句を口にしつつも、ヤマトの指は顎の柔いところを探り当て、円を描く。灌木の影から、別の丸い背がひとつ転がり出て、さらに二つ、三つと数を増やす。尾が交差し、爪が石をかりかりとかいた。

 

 

「これがモテ期ってやつかねえ」

 

 

 両手で鼻先を押し返しながら進もうとすると、背にも脚がかかり、ふくらはぎに頬をすり寄せられ、視界の端が金色の背で埋まっていく。木箱は体側で守ったが、重みの合力が崩れて、砂の柔らかさへそっと沈んだ。

 

 

「ぬ」

 

 

 やわらかな腹が幾つも重なり、身動きは取れるのに取らないほうが良い、という重みになる。鼻先を傷つけずに起き上がる手立てを探すあいだ、上から下卑た笑いが崖面を伝って落ちてきた。

 

 

「ギャハハハッ! 転がされたぞ!」

「誰かは知らないが、手を貸していただきたい」

 

 

 返ってきたのは、からかいの尾を引く声だった。笑いは岩に当たって増え、砂の上で薄く散る。

 

 

「ヤなこった! こんなにマヌケな奴はなかなか見られないからな、じっくり楽しませてもらうぜ!」

 

 

 力ずくで弾けば立てる。だが、それは配達屋の手ではない。息を整え、重みの抜ける気配を待つ。

 

 

「散れ。こっちだ」

 

 

 短い声が、場の重心を替えた。どこからともなく現れた小さな匂い袋がひらりと揺れ、乾いた甘さが一瞬だけ流れる。仔竜たちは潮が引くように足もとから離れ、砂に豆粒の列のような足跡を残した。

 

 

「災難だったな」

「助かったよい。見事な手際だねえ」

 

 

 声の主は、陽に焼けた横顔をこちらに向け、腰の帯紐を軽く整えた。手袋の革は癖がなく、視線は荷の角と締め具合を一度だけ確認してから、余計な言葉を足さない。傍らで、黄色い何かが空中でふてくされたように漂ったかと思うと、見えない力に押されて視界から外れる。

 

 

「おいキィニチ! 俺様の楽しみを奪うとはどういう──ぎゃあ!」

 

 

 どこかで木端が跳ねる鈍い音がし、それきり静かになった。

 

 

「連れが悪かったな。俺はキィニチ、『マリポ』のキィニチだ。あんたは……稲妻の商人か?」

 

 

 視線は無駄がない。前板の口金と紐の交差をひと目、藁座に沈む楔をひと目、継ぎ手の遊びを左右でひと目。轅の高さ、荷重の芯、岩馬の脚の置き方までを、言葉にせずに数える顔だ。ヤマトの肩の紐と木箱の造作に目をやり、言葉は必要なだけ。

 

 

「オレは稲妻の配達員ヤマトだ。懸木の民までの荷があってな」

 

 

 木箱の宛名紙に指先で触れ、墨の乾きを確かめる。ヤマトが掌を下ろすと、岩馬はわずかに頸を収め、脚の芯材が面を選ぶ。車輪は浅い轍に自ら嵌り、前板の角は進行に正対したままぶれない。

 

 

「そうか。なら、案内しよう。懸木の民の道は少し特殊なんだ、初見の人は戸惑うかもしれない」

「それは助かるよい」

 

 

 キィニチが顎で崖の縁を示す。先の段で風が斜めに抜け、索の房が半文字だけ揺れた。足音は短く、影は細い。ヤマトは歩幅を合わせ、掌の角度で岩馬の待機を残してから、岸壁の道へ体を返す。

 

 二人は軽く頷き合い、岸壁に沿った道へ身体を向けた。

 

 

 

 ■  ■

 

 

 

 キィニチの案内で斜面を取る。白い幹の林が切れると、崖下に大きな平台が現れた。青緑の天幕がいくつも張られ、木の梁が弧を描いて突き出している。近づくにつれ、忙しない手の往来が見えた。編籠、板箱、布包み。肩から肩へ、短い掛け声とともに渡ってゆく。

 

 

「ここは懸木の民の集積場だ。他から来る荷はここに集めてから上へ運ぶんだが……」

 

 

 渡し台の端には、縄の端を焼き留めた束、楔の詰まった桶、予備の板材がきちんと積まれている。すでにいくつか抜けていて、使われた分だけの隙がある。

 

 

「おいおいキィニチ! 俺達に他所様の仕事を奪わせる気か?」

「あなた、懸木の民は初めて? なら、上からの景色を見る邪魔をするわけにはいかないね」

 

 

 笑い混じりの声が飛ぶが、手は止まらない。額の汗は細い線になって頬へ落ち、誰かが水の椀を滑らせると、すれ違いざまに別の誰かの手に収まった。

 

 

「ああ言ってはいるが、最近は人手不足で荷の配送が滞っているんだ。荷を持って上がってくれると助かるってだけだ」

 

 

 背後から別の声が掛かり、また別の腕が荷を受け、上の段へ消えていく。冗談は軽く、笑いは短く、働く音だけが続いた。

 

 

「狛荷屋は元々、手渡しがモットーだよい」

「それは良かった。だが、この先の道はその馬と荷車では厳しいだろう。荷だけ持って他はここに預けるといい」

「……確かにな」

 

 

 ヤマトは岩馬を梁の影に据え、車台を覆う布の縁を払って砂を落とした。留め紐を渡し、藁座はそのまま、楔だけを抜いて木箱を体側へ寄せる。前板の金具は乾いた光を返すのみ。指の記憶がそのまま手を動かし、余計な音を立てない。

 

 

「キィニチ、上がるならこれも頼むよ。対価はこの果物で」

 

 

 良いだろう、とキィニチは頷き、小さな荷と掌の赤い実を受け取った。皮は薄く、押せば弾力が返る。歩きながら二人で割り、汁は喉の奥へまっすぐ落ちた。種は小さく、皮は一欠片に丸く剝ける。

 

 

「うむ。美味い」

「この辺りにはよく成ってるんだ。味も良いし嵩張らないから、俺も気に入ってる」

 

 

 風は一段細くなり、上から降る光が木の影で刻まれる。索の房は枝の間で毛先をそろえ、天幕の縁は呼吸を忘れたように静かだ。

 

 渡し板に足をのせると、板の目がまっすぐ足裏に上がってくる。乾いた樹脂の匂いが日に温められ、遠くの滝の糸は霞の匂いだけを置いていった。

 

 下の平台で交わされる声が、ふいに遠くなる。影が一枚、横から差して、青緑の布の端を薄く持ち上げた。索は張りの角度を変え、房が一画だけ逆へ揺れる。

 

 高みで、誰かの重心がほんの少し遅れた――そんな気配が、風に混じって落ちてくる。

 

 

「きゃあ!」

 

 

 二人は荷を放り斜面の平らへ滑らせると、視線の先、横木の間で二人の子が揺れていた。片や足場に縄でぶら下がり、片や踏み外しの宙。風は斜め、振り子の幅はひと息ごとに広がる。逡巡は一拍だけ。

 

 

「キィニチ! 左任せた!」

「ッ! 分かった!」

 

 

 キィニチのカギ縄が空を裂き、鉤は頭上の環へ吸い込まれた。巻取りで体が横木際へ滑り、帯紐を輪にして子の腰と腿に通して座吊りを作る。二射目で反対支点を取り、自身の体を二つの支点の間の『橋』として揺れを殺す。合図は視線で足りた。

 

 ヤマトは崖の縁から一歩、空へ出る。足裏の下に、薄い踏み場がひと呼吸だけ生まれて消えた。さらに一歩、また一歩。影の浅い足場を継いで横木の高さに並ぶと、宙づりの子の体側へ腕を差し入れ、肩と肘で重みを割り、膝で衝撃を受けて足場へ戻す。呼吸の乱れが腕を伝って整い、震えの速さが指先で細った。足もとで砂は押し広がり、また静かに面を戻す。

 

 子どもたちの悲鳴と物音に気づいた住民が駆け寄ってくる頃には、二人はそれぞれの踊り場に降ろされていた。鉤と縄は巻き取り、毛羽立った紐は指で梳いて寝かせる。キィニチは短く顛末を告げ、ヤマトは縋る小さな手の甲を包んで、額の汗をそっと拭った。

 

 

 

 ■  ■

 

 

 

 懸木の民の集落で人々が輪をつくり、口々に礼が重なった。息の整う気配が先にあり、言葉はあとから落ちてくる。

 

 

「ありがとう。……ほんとうにありがとう!」

「ああ、謝意は受け取った」

 

 

 キィニチが近寄り、横目の合図で顛末を足早に伝える。戦で親を失った子らは、働き手の少ない家を見て、早く一人前になろうと内緒でカギ縄の練習をしていた。根元の柱に残っていた麻縄の繊維、樹皮の鈎の擦れは、今日までの痕。

 

 

「本来なら大人たちの監視の元練習するんだがな。……とにかく助かった」

「狛荷屋のモットーは笑顔だぜい」

「狛荷屋、か。それにヤマト、お前は一体……」

 

 

 先ほど空を駆けたことを、キィニチはそれ以上問わなかった。天幕の影の端で、族長ワイナと子どもたちがこちらに歩み寄る。

 

 

「キィニチ。それからヤマト殿。今回は危ないところを助けていただき本当にありがとう。ほら、お前たちも」

 

 

小さな手が、勇気を搾るように上がった。

 

 

「あ、あの! ありがとうございました! 私、その……」

 

 

ヤマトは膝を折って目線を合わせ、呼吸の速さに合わせて自分の息を短く刻んだ。

 

 

「おう、大事はなさそうだな。良かった」

 

 

 頭を撫でる手の下で、緊張がほどける。周囲の大人たちは濡らした布や温い飲み物を差し出し、誰もが自分の届くものをそっと動かした。息の速さが揃い、輪の温度が一段落ちる。

 

 やがて人々は仕事へ散り、残る静けさの端で、族長とキィニチ、ヤマトの三人が板張りの踊り場の縁へ寄った。天幕の影が細く伸び、索の房が半文字だけ揺れる。

 

 

「今回は偶然、ヤマト殿やキィニチが近くに居たから助かった。だが……」

 

 

 言葉を継ぐように、帳場の端で金具がひとつ、静かに横になった。族長は地図板の前に立ち、短く、しかし要を外さずに語る。戦は遠のいたはずなのに、傷はまだ日々の段取りに現れる。索の番も、橋の修繕も、運び手も薄く、荷は集まるのに、渡す手が詰まる刻がある――と。

 

 

「ヤマト殿は狛荷屋という稲妻の配達員の一員だと聞いた。それで相談なのだが、どうか我々懸木の民と業務提携を組んではくれないだろうか」

「ほう、詳しく聞こうか」

 

 

 ヤマトは板の枝分かれを指で辿り、根の道で二つ、上で一つ、荷を寄せる結び目を置く案を示した。そこへまとめて集めれば、受け・運び・渡しをひと括りに回せること。風の悪い日は時刻をずらし、長橋は合図で呼吸を合わせること。

 

 キィニチは見張りの表を組み替える手筈を挙げ、族長は各家の人手のやり繰りを即座に並べ替える。板の端に置いた小石が、地図の上で目印になる。結び目の位置、交代の刻、風の印。話は短い文と頷きで進み、段取りの骨だけが静かに立ち上がった。

 

 見上げれば、崖の高みに張り出した桟が青緑の布を膨らませ、谷の向こうでは白い幹の森が夕方の色へと縁を変えつつある。今日の『最強』は、この踊り場の影。薄いが、二刻は静かだ。

 

 そしてこの日の取り決めが、のちに語られる『狛荷屋ナタ支店』の始まりへとつながっていくのだが――それはまた、別の便の折に。




予約投稿を間違えてしまい昨日中に間に合いませんでした。申し訳ありません。

20話以降の狛荷屋ヤマトの方針について(活動報告に詳細アリ)

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