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「さて、次の荷は……オロルン殿、か」
万火のほとぎ、聖火競技場から西、テスカテペトン山脈の盆地にその集落はある。
赤岩の断崖が段を重ね、その頂に伸びる尖塔は、淡い紫の煙を細く吐いていた。谷底から遡る風は冷たく、吊り布をゆるく揺らす。昼の光は明るいのに、影の底には夜の名残があり、香草を焙った匂いが石の継ぎ目を選んで流れる。
空へ渡した橋は細い曲線で、手すりの灯は青白くまたたいた。家々の外壁は磨いた赤土の艶を帯び、戸口には乾いた葉束が下がる。通りすがりの足音は布と煙に和らぎ、声は遠くで細くほどけた。
尖塔の先で紫の筋が一度切れ、ここが『
ヤマトが集落の人間に尋ねると、オロルンの住居は集落から離れた場所だと返された。「代わりに渡そうか」と提案されたが、「手渡しが狛荷屋のモットーだよい」とヤマトは断り、教えられたオロルンの住居までやってきた。
周囲を畑と養蜂場に囲まれた小さな家だ。
特に問題なく、娯楽小説に換算して約二行でオロルンに荷を届けたヤマト。
「『狛荷屋』をご利用いただき、誠にありがとうございます」
「こちらこそありがとう。早く丁寧な仕事だ。君はまだ若いのにとてもしっかりしている」
「見た目ほど若くないよい」
長身に、夜の蝙蝠の様な輪郭、左右で異なる虹彩。ヤマトはオロルンを一見した際の印象を、短い会話で既に改めていた。神秘的で妖しい魅力を持つ美丈夫から、素朴で純粋な青年に。
オロルンもまた、年若い少年(に見える)のヤマトの仕事ぶりに感心していたが、会話を深める内に新たな考えを抱いていた。
「つまりあなたは、年齢は二百歳以上で、娯楽小説に理解があって、定職に就き安定した収入がある。それに仕事に真面目で尊敬できる人物だ」
「おいおい、照れるよい」
「ヤマトさん、あなたに会って欲しい人が居るんだ」
「ぬ?」
今日の配達はオロルン宛の荷で最後だ。この後の用事も昼寝が一件入っているだけで、特に断る理由も無い。
ヤマトが『
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赤岩の柱が林立し、空の青を裂くように伸びていた。切り立つ壁の影には草が細く揺れ、裂け目の奥で湧いた水が小さな滝つぼをつくる。霧が陽を受けて白から青へと色を変え、冷たい湿りを岩肌にまとわせていた。進めば壁面に鮮やかな絵が走り、色の重なりが崖を柔らかく照らす。やがて行き止まりの岩窪に、円を象った扉が光を抱えて据わり、その周囲には香草の束や石灯が置かれていた。灯の淡い橙が赤土を舐め、谷の静けさに脈を刻んでいる。
オロルンがヤマトを連れてきたのは、謎煙の主から距離を置いた山の片隅にある住居だった。
「開けてくればあちゃん。僕だ。オロルンだ」
『ばあちゃん』という呼びかけから、オロルンが自分に会わせたい人物はある程度年嵩の女性か、とヤマトは想定していた。しかし、寸刻して扉を開けたのは、黒曜石のように美しい少女であった。
しかし、髪はボサボサで服もところどころ乱れていた。明らかに寝起きである。
「なによオロルン。今日は野菜を持ってくる日じゃ──」
気だるげな様子で、開いた扉から顔を覗かせる彼女は、扉の前に居るのがオロルンだけではないことに気がついた。
バンッ、と扉が閉まる。
「お客さんが居るのなら最初に言いなさい! このスットコドッコイ!」
当然の叱責だった。しばらく扉の奥でガサゴソと衣擦れや落下音がする。
男二人は顔を見合わせた。言葉は無いが、男同士の理解があった。
「ハァ、とりあえず上がりなさい。ハナシは聞いたげる」
薄紫の髪は二本の三つ編みに落ち、先端の金縁の黒輪がかすかに光を返す。頭に添えた羽めいた飾りには、夜色の小輪が対で寄り添い、影をやわらげた。肩は涼しく、紺と紫と桃の布が腰で重なり、藍と桃の紐に結わえた上へ氷の宝が鎮座する。腕を覆う黒手袋は、片腕は長く、片腕は短い。金の腕輪が細かく鳴り、革紐の履物は脛を斜めに走る。肌には淡紫の三角が散り、絵か墨かは判じ難い。指先には夜の花の艶。首もとには黒と翠と桃の飾りが並び、色は冷たく甘い余韻を残す。
扉がひらくと、淡い香がふっとこぼれる。指先で三つ編みの先飾りを確かめ、裾を一度払ってから、黒曜石の少女シトラリは二人を室内へ招いた。
「ばあちゃんがすんなり部屋に上げるなんて。珍しく部屋が片付いているらしい」
「ちょっと! お客さんの前でヨケーな事は言わないでちょうだい!」
赤土の壁がやわらかに熱を返し、床の青い石は磨かれて冷たい。円を描く扉の光が室内に淡く広がり、低い卓には細頸の器と香草の束、乾いた果の皮。壁には紫と藍の布が波を描き、棚の本は頁の隙間に砂色の埃を薄く宿す。吊るした硝子の雫がゆるく揺れ、ちり、と一度だけ触れ合った。灯は琥珀に脈を打ち、鉢植えの青い葉がその縁を縫う。丸い敷き物は渦の文様で、座面の布は指先に吸い付く起毛。香は甘さと薬草の苦みが層をなし、息を入れ替えるたび、部屋は少しずつ近づいてくる。
部屋に入った三人はそれぞれ腰掛け、シトラリが口火を切る。
「それで、このコは?」
シトラリはヤマトへ視線を投げる。ヤマトの容姿は十四歳程度の少年に見える。さらに稲妻人は童顔に見られやすい傾向にあるため、『このコ』というのは妥当な呼称であった。もっとも、シトラリにとっては五十歳でも百歳でも『このコ』扱いであろうが。
「この人はヤマトさん。稲妻から来た配達員だ」
「へえ、稲妻の──」
「そして年齢は二百歳以上で、娯楽小説に理解があって、定職に就き安定した収入がある。それに仕事に真面目で尊敬できる人物だ」
「──待ってちょうだい。コトバの洪水をワッといっきにあびせかけるのは!」
まくしたてるオロルン。混乱するシトラリ。ふたたび照れるヤマト。
「ええと、二百歳? ホントに? ワタシをからかってるんじゃなくて?」
「オレは稲妻の妖怪って種族でな。只人よりも寿命が長い。少なくとも二百歳以上ってのは本当さ」
「妖怪!? 稲妻の娯楽小説で読んだコトがあるわ! 確かにフツーの人間とは違う気配──ホントに居たのね……」
一旦洪水を飲み込むことに成功したシトラリ。そして、ある意味もっとも重要な事実に気がつく。
「つ、つまり。同年代のオトコノコってこと!?」
同年代の男性と話すのは久しいシトラリ。二百年を越えてなお若さを保つ彼女は、世代の友を見送りはじめた頃から家に籠もる時間が増えた。今は謎煙の主の高位巫女として畏れと頼りを同時に受ける立場ゆえ、同輩は挑戦者か相談者としてしか来なくなった。人々は泣く子を黙らせるほどの異名で彼女を呼び、当人は「ヒキコモリじゃない」と言いつつも、酒瓶と娯楽小説に囲まれた静かな暮らしを選んでいる。だからこそ、肩を並べて雑談できる歳月の同伴者は、長く現れなかったのだ。
「ああ、オレも年の近い女性と話すのは久しぶりだ」
「じ、女性って。こんなおばあちゃんをからかわないで」
「それならオレもおじいちゃんだよい」
ヤマトが肩を竦めて自嘲する。その様子にどこか共感と同調を覚えたシトラリは、紅潮した頬を隠そうともしなかった。
「そ、それで、娯楽小説が好きって──」
オロルンの言葉よりなぜか好意的に解釈されているが、ヤマトは特に否定せずに続けた。
「ああ。八重堂って出版社の編集長とは古い仲でな。たまに感想や校正を求められるうちに、オレも個人的に読むようになった」
「八重堂!? わ、ワタシ『沈秋拾剣録』とか『蜃気楼戦記』とか、それに『雷電将軍に転生したら、天下無敵になった』も『お願いっ!私の仙狐宮司』も読んでるの!」
「その辺りはオレも校正に駆り出されたよい。今の蜃気楼戦記の作者は誤字が多くて、さらに締切もギリギリ守らないときた」
「へ、へー! そうなのね、以外だわ!」
シトラリは興奮していた。唐突に現れた同年代の男性に。しかも自分の趣味に理解があり、よくよく見れば容姿もそれなりだ。
そしてそれはヤマトも同じだった。妖怪であるヤマトは普段年齢差など気にすることは無い。意味が無いからだ。しかしそれでも、だからこそ、歳の近い存在は稀であり、それだけでも多少好意的な印象になるのだ。
しばらく会話が続き、なんだかんだ良い雰囲気の二人。それを確認したオロルンは徐ろに立ち上がった。
「僕は用事があるから、そろそろ御暇しよう。二人はゆっくりするといい」
オロルンが退席し、二人きりになるヤマトとシトラリ。
「まったくあの子は、気を使っているつもりかしら」
「いい子じゃないか。短い間だが、君への尊敬や信頼が感じられた」
「そ、そう? でも聞いてよ、オロルンったらこの間も──」
オロルンについて語るシトラリからは、ぶっきらぼうながら確かな親愛が感じられた。その様子をヤマトは楽しそうに眺めていた。
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谷の縁に夜が満ち、赤土は群青に沈む。断崖の段々に風が抜け、刈り残した草が青白く伏せた。遠くの尖塔は紫の火を細く掲げ、橋の手すりに並ぶ灯が、息を合わせるように淡く脈を打つ。崩れの隙からは冷えた霧が立ち、乾いた岩の匂いを洗っていく。壁面の彩色は闇に溶けず、磨り硝子のように光を返し、谷底の水面だけが黒い鏡となって星を拾った。どこかで金具がからりと触れ、静けさはさらに深くなる。空は雲の縁を薄く縫い、風は香草の名残りを運びながら、山の器の底をゆっくり巡っていた。
「あ、もうこんな時間なのね」
話に夢中になるあまり、外はすっかり暗くなっている。シトラリはその事実に羞恥と共に心地よさを感じていた。
「今日は遅いし、その、泊まっていったらどう?」
「良いのか? じゃあ、オコトバに甘えて」
ヤマトが彼女の口癖を真似るように答えると、二人は互いに目を合わせ笑った。
「少し待ってて。お腹を満たせる物を持ってくる」
「そうか、ならオレも何か出そう」
ヤマトは荷から稲妻の酒と肴を取り出す。初めて訪れる土地にはいつも土産物を用意するのがヤマトの習慣であった。こだまの子で渡した菓子類もその一部である。
「稲妻の清酒がある、お近づきの印ってやつだ。それと肴」
「お酒! ……こほん。ワタシはその、イチオー自分で作ったのだけれど」
シトラリが皿に乗せて持ってきたのは、野菜や海鮮を薄い生地で包んだタタコスだ。
盃を合わせると、清酒の香りが涼しく立つ。最初の一滴は甘く舌に乗り、すぐ辛みが背骨を通って抜けた。タタコスの薄皮はぱりと脆く、焼いた海の身が塩と柑橘でほどける。香草の青さが追いかけてきて、杯は自然ともう一度、口元へ上がる。
「おいしい!」
「そいつは良かった。このタタコスってのも美味い。片手でつまめるのも含めてな」
二人の盃は気づけば往復し、頬の温みと笑いが少しずつ大きくなる。言葉の端が丸くなり、間が近くなる。酒は静かに背骨を通り、胸の内の戸を軽く押した。
「オレ達妖怪は只人からすれば長命で、年老いていると思われるのも無理はない。だが、それは単に時間の尺度が異なるだけだ。それは君も同じ。つまり、オレからすれば君は可憐で美しい女性だということだ。それに長命者は──」
そこからヤマトは、酔いの勢いも手伝って、妖怪と長命者が見てきた歳月の幅、その生と終わりの受け止め方、積もる記憶の扱い方まで、熱の乗った声で長々と語りだした。
「ちょっとヤマト! ワタシの酒が飲めないって言うの!?」
「オレの酒だよい……むぐッ!」
話に夢中で杯が空になっているヤマトを見て、シトラリは酒瓶をヤマトの口に突っ込む。もしかすると、そこには照れ隠しの側面があったのかもしれないが。
やがて夜は更けていき、酔いつぶれる二人は折り重なるようにして床に転がっていた。
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翌日、陽の芯がまだ南へ届かぬ頃、ムアラニがシトラリ宅の扉を叩く。
シトラリは泥酔して起きる様子がなく、「モラ」だの「ブルジョワ」だのという寝言が聞こえるばかり。ヤマトはシトラリを尻目に、若干酔いの残る手つきで扉を開ける。
「はいよ、どちらさんで……ムアラニか、何か用か?」
「あれ、ヤマトがどうしておばあさまの家に? ってお酒臭い!」
ヤマトの乱れた服装や酒精を帯びた呼気。そして、扉の奥のシトラリの醜態を見たムアラニの脳細胞が高速回転する。
「ま、まさか! ヤマトに手を出したのシトラリおばあさま!」
ムアラニからすれば、二百歳越えのオネエサマが十四歳(に見える)の少年を部屋に連れ込み、酒を飲ませた挙げ句自分は酔いつぶれている構図だ。
「人は五人、杯は三つ。お前さんも飲むか?」
「飲まないよ! それにわたしを含めても三人だし、コップは十個くらい落ちてるし、ちょっとヤマト大丈夫!?」
酔いの影響か、普段より呂律の回らない様子のヤマト。さらにはおぼつかない足取りを見てムアラニはヤマトを支えながら部屋に入る。
「うわぁ……酒瓶がこんなに転がって、おばあさまも転がってる……」
昨日は整頓されていた部屋だが、床には空の酒瓶やシトラリ、机には重ねられた皿と内容を熱く語り合ったであろう娯楽小説が積まれていた。しかしムアラニは散らかっているものが違うくらいで、普段と大して変わらない部屋だと思っていた。
旅の運勢を占ってもらうつもりのムアラニだったが、まずは部屋の掃除と酔っ払い二人の看病から始めるのであった。
20話以降の狛荷屋ヤマトの方針について(活動報告に詳細アリ)
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別の作品として中長編ストーリーを見たい
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どうでもいい