狛荷屋ヤマトの宅配便   作:さば殿

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ヤマト プロフィール ストーリー 神の目

 

 

 夏の終わりが近づく稲妻の山間部は、蝉の声がまだ木々に残り、谷風が岩肌を撫でて細い影を作っていた。陽は高く、雲は薄い。渓流の音が石を選んで跳ね、遠い方で鳥が一度だけ鳴いた。

 

 人里からは遠く離れた崖の上、岩陰に身を寄せる影がひとつ。癖のある長い黒髪を馬の尾のように高く結い、鋭い目つきをした年の頃十三ほどに見える少年。しかしその瞳の奥には、()()を越えて生きてきた歳月の重みが宿っている。

 

 妖怪ヤマト。かつて稲妻で「疾風火車」と呼ばれた者である。

 

 稲妻で最速の使いとして名を馳せていた。長い年月を生き、その経験から培った俊敏さで風のように駆け、雷のように現れ、どんな急ぎの知らせも一日で稲妻中に届けることができた。闇に潜む者には恐れられ、光を歩む者には畏れられ、そして──今は影に隠れている。

 

 遠く里の方角から、人々の話し声が風に乗って聞こえてきた。

 

 

「また火事だって……きっとまたあの妖怪のせいで」

「疾風火車なんて呼ばれてたが、とんだ疫病神だ」

 

 

 ヤマトは岩に背を預け、拳を握り締める。あの日のことが、脳裏に蘇った。

 

 数年前、国崩が雷電五箇伝を崩した一件の余波で稲妻は混乱していた。言葉に嘘が混じり、約束は裏返り、頼みごとは誰かの都合でねじれた。

 

 緊急の伝令が舞い込み、ヤマトは迷わず走った。速ささえあれば救えると信じて。

 

 しかし──それは悪意だった。

 

 正しい思いではなく、歪められた言葉を運んでしまった。速さは刃となり、ヤマトの足は知らぬ間に災いを先回りさせた。

 

 その災厄の夜を境に、ヤマトの「速さ」は誇りではなくなった。

 

 

「俺の……俺のせいで……」

 

 

 

 

 あれから数年。人里を離れ、ただひたすら自分を責め続けていた。風が頬を撫で、髪の房が一筋だけ目にかかる。それを払う手にも、力がない。

 

 ──のんびり昼寝でもして、自分で考えろ。

 

 それはつい先日、八重神子がふらりと勝手に現れて一方的に言い置いた言葉だ。のんびりなど、昼寝など、生まれてこの方一度だってしたことがない。だが、受けた恩もあり、ヤマトは渋々うなずくしかなかった。

 

 ヤマトはとりあえず大きな岩の背に寝転がってみた。手を頭の下に組み、脚を重ねる。日差しは強く、風はない。背に感じる岩は固い。

 

 

「……」

 

 

 しばらくじっとしていたが、落ち着かない。過去の失敗が頭を巡り、罪悪感が胸を締め付ける。蝉の声が耳につき、陽が眩しい。

 

 

「おいおい、昼寝の作法がなっちゃいないぜい」

 

 

 突然、声がする。目を開くと小柄な女が立っていた。金髪に碧眼、年の頃は二十ほどか。着物は質素だが、なぜか風格がある。腰に巻いた帯紐の結び目が、陽を受けて細く光った。

 

 

「誰だ、手前は」

 

 

 ヤマトの言葉は荒い。人里を離れてから、誰とも話していなかった。視線は鋭く、警戒を隠さない。

 

 

「お前さん、さては昼寝素人だな?」

「昼寝に素人も玄人も無ぇだろ」

「少なくともそんな場所では寝られやしないだろうよい」

 

 

 女は苦笑いを浮かべ、手招きした。袖の端が風に揺れ、足音は石を選んで軽い。

 

 

「ついてきな。あたしが昼寝の何たるかを教えてやるよい」

 

 

 そう言われて黙って付いていくほど素直ではない。だが、ヤマトは何故か岩から腰を上げる。自分でも理解できなかったが、不思議と不快では無かった。

 

 女に案内されたのは、川のせせらぎが聞こえる木陰だった。苔むした石があり、そよ風が頬を撫でる。鳥のさえずりが心地よく、水面に落ちる木漏れ日が細い光の糸を編んでいる。

 

 

「ここだぜい」

 

 

 女は慣れた様子で石に腰を下ろし、ごろりと横になった。髪が石の上に広がり、呼吸が自然と深くなる。

 

 

「昼寝ってのは、ただ寝りゃあいいってもんじゃない。場所選び、風向き、音の具合──全部大切なんだ」

「……何者だ、手前は」

「運び屋だよい」

 

 

 運び屋。ヤマトの胸が締め付けられる。拳の力が入り、爪が掌に食い込んだ。

 

 

「手前のような鈍間が運び屋だと?」

 

 

 ヤマトの言葉には棘があった。自分のような「速い」運び屋が失敗したのに、鈍間に何ができるというのか。

 

 

「早ければ良いってもんじゃないよい」

「……ッ!」

 

 

 女の言葉に、ヤマトは言葉にならない動揺を漏らす。耳の奥に、宮司の声色がよみがえる。あのとき、天守閣でふいに告げられた言葉。

 

 速さは重さ。重いは思い。思いを伝えるのに速さは要らず、信用だけが要る──

 

 

「──信用、か」

「そうさ。運び屋ってのは、人の思いを運ぶもんだ。速く届けりゃあいいってもんじゃない。大切に、丁寧に、相手のことを思って運ぶ。それが一番大事なことなんだよい」

 

 

 女の声は優しかった。責めるでもなく、諭すでもなく、ただ静かに語りかけてくる。川音が言葉の間を縫い、風が髪を軽く持ち上げた。

 

 

「あたしは新しく配達屋を始めるんだ」

 

 

 女は体を起こし、膝を抱える。視線は川面の光を追いながら、穏やかに続けた。

 

 

「お前さんも来るかい?」

「……俺は」

 

 

 ヤマトは逡巡した。失った信用の身に、もう一度の機会はあるのか。

 

 

「もう屋号は決まってんだ。『狛荷屋』。いい名前だろ?」

 

 

 狛荷屋。守り神の狛犬にかけた名前か。女の口元に薄い笑みが浮かぶ。

 

 

「お前さんの速さ、無駄にするのはもったいない。でも今度は、速さだけじゃなく、思いも一緒に運んでくれ」

 

 

 女は立ち上がり、手を差し出した。掌は働く者の手で、指先には細い傷がある。

 

 

「どうだい?」

「……手前は知ってるはずだ。俺は、災いを運んだ」

 

 

 女は少しだけ目を細め、風の具合を確かめるように首を傾けた。

 

 

「噂なら聞いたよい。けれど噂は軽い風さ。お前さんの足は──重かったんだろ?」

「……重かった。なのに、速かった」

「なら次は、重いに思いを。速さは、そのあとでいい」

 

 

 ヤマトは悩んだ末、女の申し出を断った。

 

 

「俺には……無理だ」

 

 

 首を振り、視線を逸らす。自分にはもう他者を信じる資格がない。それに、自分が居れば疫病神の噂が女に憑いて廻ることになる。

 

 それでも女は笑顔で去っていった。

 

 

「いつでも待ってるよい。急がなくていいから、ゆっくり考えな」

 

 

 昼寝でもしながらな──と、足音が遠ざかり、川音だけが残った。一人残されたヤマト。木陰で横になると、いつの間にか眠りに落ちていた。

 

 

 

 

 ──夢を見た。

 

 広い野原に馬が二頭。

 

 一頭は風のように駆けている。速く、疾く、止まることなく。土埃を上げ、草を踏みしだいて。

 

 もう一頭はのんびりと歩いている。時折立ち止まり、草を食み、空を見上げる。

 

 ヤマトは駆ける馬に目を奪われていた。

 

 だが見続けていると、気がつく。駆ける馬の周りには、誰もいない。速すぎて、誰も追いつけない。草は踏み荒らされ、小動物は逃げていく。

 

 一方、歩く馬の周りには、鳥が飛び、小動物が寄り添い、花が咲いている。そして、歩く馬の背には、荷が載っていた。大切そうに、丁寧に結ばれた荷が。

 

 

「……ああ」

 

 

 ヤマトは理解した。速さとは、誰かの思いをそっと運ぶためにある。歩幅を合わせれば、速さは思い(やさしさ)になる──

 

 

 

 

 目が覚めると、ヤマトの手には神の目が握られていた。岩のように重い、温かい光を放つ神の目が。琥珀色の輝きが指の間から漏れ、掌に小さな暖かさを置いていく。

 

 ヤマトは走った。だが今度は違う。慌てることなく、着実に、女を探して。足音は石を選んで軽く、呼吸は乱れない。

 

 女は川辺の小屋にいた。看板を作っているところだった。「狛荷屋」の文字が、丁寧に刻まれている。鑿の音が規則正しく響き、木屑が足元に小さな山を作っていた。

 

 

「……俺を、雇ってくれ」

 

 

 ヤマトの言葉は、まだ荒い。だが、その瞳には迷いがなかった。拳を握りしめ、一歩前に出る。

 

 

「おかえり」

 

 

 女は顔を上げると、にっこりと笑った。鑿を置き、手の木屑を払って立ち上がる。

 

 

「待ってたよい」

 

 

 その時から、ヤマトの新しい生が始まった。女に教わったのは、荷の運び方だけではない。言葉遣い、人との接し方、そして何より──昼寝の大切さ。

 

 

「急いじゃダメだよい。荷には荷の間がある。人には人の歩幅がある。それに合わせて運ぶのが、本当の配達屋さ」

「届けば十分、寝れば上等……」

 

 

 これも女が教えてくれた言葉だった。完璧を求めすぎず、でも確実に。そして疲れたら、遠慮なく休む。

 

 それから月日が流れた。人間にとっては長く、妖怪にとっては短い。その時間で、女は子を成し、天寿を全うした。最期の時、彼女はヤマトにこう言った。

 

 

「狛荷屋を頼んだよい。お前さんになら、信じて任せられる」

 

 

 

 

 さらに数十年。ヤマトは古参の配達員として、彼女の教えを新しい仲間たちに伝えながら、狛荷屋と共に歩んできた。

 

 ヤマトは今日も荷を運ぶ。速すぎることもなく、遅すぎることもなく。ちょうど良い歩幅で。そして時々、木陰で昼寝をする。彼女が教えてくれた、あの木陰で。

 

 

「届けば十分、寝れば上等だよい」

 

 

 風が頬を撫で、鳥がさえずる。ヤマトの神の目が、温かく光を放った。

 

 彼女の血筋は今も続いている。現在の狛荷屋の社長は創業者の子孫にあたる。稲妻で随一の配達屋として名を馳せる狛荷屋を、ヤマトと社長が共に支えている。

 

 新しい仲間──綺良々という猫又の少女も加わり、狛荷屋は今日も稲妻の人々の思いを運んでいる。かつて災いを撒き散らした「疾風火車」は死んだ。今居るのは、人々に頼られる配達員ヤマト。そして、創業者の思いを受け継ぐ狛荷屋だった。

 

 木陰に横になり、目を閉じる。川音が遠く、鳥声が近い。風が髪を撫で、陽が頬を暖める。神の目の光が瞼の裏でゆっくりと脈を打ち、やがて静かな眠りが訪れた。

 

 ──届けば十分。寝れば上等。




 

次回からおそらく中長編がはじまります。

~稲妻黎明譚。ヤマトと綺良々の経費旅行~
全8話予定。
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