狛荷屋ヤマトの宅配便   作:さば殿

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狛荷屋黎明譚。綺良々とヤマトの経費旅行
第1箱「海を越える猫と箱」


 ■  ■

 

 

 

 稲妻の鎖国が解けてから、日はまだ浅い。稲妻城は久方ぶりに門戸を解き、戸惑いを胸に、それでも新しい息を深く吸い込んでいた。 港には異国の船がいくつも、かつては見慣れた旗が久しく風を掴み、高く翻る。スメールの商人は香辛料の木箱をおろし、モンドの行商は葡萄酒の樽を転がす。空白の一年あまりは、人々の手際からすこしだけ勘を奪っていた。

 

 港に満ちる匂いが、ふと記憶の紐をほどく。潮と油に朱肉がまじり、こぼれた葡萄酒の甘さがかすかに重なる。岸では璃月(リーユェ)の布が風を孕み、緻密な織り目が光を噛んでその張り一つで質の違いを告げていた。

 

 港のざわめきは、懐旧と初見のきらめきを同じ呼吸で揺らす。陸で国境に触れられぬ島国ゆえ、船腹から降りた荷は外海の塩と風をまとい、どれも少しばかり特別に見える。

 

 稲妻の配達会社『狛荷屋(こまにや)』の詰所もまた、その空気を吸っていた。

 

 朝の刻、社長が従業員たちを集めていた。いつもの朝礼ではない。何か大きな話があるらしい、という噂が先日から流れていた。

 

 

 

 ■  ■

 

 

 

「ヤマト先輩、起きてください」

 

 

 狛荷屋、詰所の隅、荷車の影で黒髪の少年が欠伸を噛み殺している。年の頃は十四、五に見えるが、その瞳の奥には数百年を越えて生きた静けさが宿る。狛荷屋の配達員、妖怪のヤマトである。

 

 小声で囁いたのは、灰金色の髪をした少女。猫又の綺良々(きらら)だ。言いながら彼の袖口をそっと引く仕草は、撫でればほどける糸のように軽い。二本の尻尾が緊張で小刻みに揺れ、翡翠の瞳は社長の方を見つめている。

 

 

「起きてるよい。目を閉じてただけさ」

「それを寝てるって言うんだよ」

 

 

 綺良々の小言は雨粒ほど軽く、ヤマトは肩で受けて流す。指先で縄の結び目をひとつ整え、ついでに綺良々の荷紐の緩みも何気なく締めてやった。

 

 綺良々は呆れたように言うが、言葉に棘はない。入社してから随分と経つ。最初の頃の遠慮はもうなく、ヤマトとの距離も随分と縮まっていた。

 

 社長が咳払いをすると場が静まる。

 

 

「開国の御触れが出てから、狛荷屋にもゆっくりと追い風が来ているね」

 

 

 従業員たちが顔を見合わせる。ここ数日、輸出入の動きが目に見えて増し、国内の行き先も途端に賑やかだ。帳場の呼び鈴は朝から鳴りやまず、留め置きと即日配の札がみるみる積み上がり、詰所は忙しさの匂いで満ちていた。

 

 

「だけど、このままでは他所の運び屋に一歩遅れかねない」

 

 

 剣呑な言葉だ。従業員達の間に緊張が走る。

 

 

「理由は二つ。一つは、この忙しさで国内の配達の手が回らなくなることだ。帳場の札は積み上がる一方だし、遅れが出れば信用を落とす。だから、これより見習いを迎える手筈を整えよう。帳場の教え書きも足して、道具も余分に揃えておく。君達には、配達の合間に手ほどきの一手を貸してほしい」

 

 

 ざわめきが起き、幾人かが小さく頷く。留め置き札の角が触れ合い、乾いた音が一つ。暖簾の裂け目から差す光が帳場の地図に細い白を落とし、頷きに合わせて紐の先がゆるく揺れた。

 

 

「もう一つは、国際業務に疎いこと。鎖国の間に変わった事もあるだろう。知らぬまま船に荷を載せれば、こちらの不作法になる。そこで、まずは視察と種蒔きだ。現地の流儀を確かめ、顔をつなぎ、狛荷屋の名刺を置いてくる」

 

 

 社長は地図の端を整え、ひと息置いて声の調子を落とした。

 

 

「璃月にもスメールにも、他の国にも頼れる運び屋がいる。鎖国の折にも、彼らは変わらず日々を積み重ねてきた。狛荷屋は幾許か間が空いたぶん、ゆっくりと丁寧に取り戻していこう」

 

 

 一年と少しの空白。それは短いようで、商いの世界では長い。

 

 

「でも、心配はいらない。狛荷屋には積み上げてきた信用がある。丁寧に、確実に──お客さまの思いごと運ぶ。それは稲妻中で証明してきたね。だから、あわてず確実に、国外への一歩を進めよう。まずは『見て、聞いて、確かめる』ことからだ」

 

 

 社長の力強く安心感のある声に、従業員たちの背筋が自然と伸びる。

 

 彼が地図を広げると、モンド、璃月、スメール、フォンテーヌ、ナタ、スネージナヤ。テイワットの主要国が記されていた。

 

 

「各国の物流や担い手の顔ぶれ、そして──狛荷屋がどこで力になれるか。そこを確かめてきてほしい」

 

 

 社長の視線が、ゆっくりと従業員たちを見渡す。そして、ある一点で止まった。

 

 

「綺良々」

 

 

 呼ばれた少女は、尻尾をぴんと立てる。

 

 

「はい!」

「君は入社してからぐんと伸びた。荷の扱いは丁寧だし、お客さまの評判もいい」

 

 

 綺良々の頬が、わずかに紅潮する。

 

 

「そこで、君に任せたい仕事がある。各国を回って、国際配達に向けた下地を集めてきてほしい。現地の事情、頼れる協力者、拠点の候補──見つけたら、落ち着いて報告にまとめておいで」

 

 

 綺良々の尻尾が、興奮で大きく揺れる。ヤマトは見えないところで頷き、懐の甘い飴を一つ、彼女の手のひらに滑らせた。手の熱がすぐ伝わる距離。

 

 

「わたしが、ですか?」

「ああ。お前には身軽さと器用さがある。そして何より、人との繋がりを作る才能がある」

 

 

 社長の言葉に、周囲の従業員たちも頷いた。綺良々が配達先で築いてきた信頼関係は、皆が知るところだった。

 

 視線が、今度はヤマトへ向く。

 

 

「だけど、一人では不安が残るだろう。そこでだ。ヤマト、君も一緒に頼む」

「うむ」

 

 

 場の空気がわずかにざわついた。縄を締めていた手が止まり、札を束ねる音が一拍だけ途切れる。帳場の端で若い者が目を丸くし、古参は目だけで互いにうなずく。忙しさの只中で、一本の柱が少し席を外す──そんな気配が走った。小さな声で「ヤマトさんも抜けるのか……」と誰かが息のように零し、すぐに口を噤む。

 

 ヤマトの返事は素っ気ない。視線は綺良々へ落ち、新しい飾紐の甘さを見て取るや、結び直しの手順を心中でなぞった。予想の範囲内の指名だと目を細め、驚きより先に段取りの算段を立てた。

 

 

「君には国外の経験があるし、各国にも顔が利く。綺良々に要所の勘所を、道すがら教えてやってくれ」

「視察旅行ってわけかい」

「仕事だよ。ただし──」

 

 

 社長の口元に、わずかな笑みが浮かぶ。

 

 

「経費は心配いらない。宿も食事も移動も、狛荷屋で持つ」

「それを世間じゃ経費旅行と呼ぶんだよい」

 

 

 周囲から笑いが漏れる。ヤマトらしい返答に、場の空気が和んだ。

 

 

「で、期限は?」

「期限は設けない。焦って荒い報告になるくらいなら、ゆっくりでいい。じっくり見て、しっかり確かめておいで」

 

 

 その言葉からは、全幅の信頼が感じられた。

 

 ヤマトは地図を見つめる。稲妻から各国へ。そして各国での調査。長い旅になりそうだった。

 

 

「了解だよい。だがまあ、昼寝の時間は確保させてもらうぜい」

「好きにやりな。だけど、看板だけは曇らせないこと。そこは約束だ」

 

 

 社長の目が、わずかに鋭くなる。

 

 

「届けば十分、寝れば上等。オレの流儀は変わらないよい」

 

 

 社長が頷く。そして、綺良々へと視線を戻した。

 

 

「綺良々、引き受けてくれるかい?」

 

 

 綺良々は深呼吸をする。尻尾の震えが止まり、瞳に決意の光が宿った。

 

 

「はい。狛荷屋のため、しっかりと見てまいります」

「うん、期待してるよ」

 

 

 

 ■  ■

 

 

 

 朝礼が終わり、従業員たちが散っていく。綺良々はヤマトの隣に並んで歩きながら、興奮と不安を抑えきれない様子だった。

 

 

「ヤマト先輩、わたしが選ばれるなんて……」

「お前さんなら当然だよい。よく働いてきたからな」

「でも、国外なんて……鎖国前の記憶もほとんど無いですし」

「だからオレがついていくんだろう。心配するな」

 

 

 綺良々の尻尾が、安心したように彼の腕に触れる。

 

 それに、と、ヤマトが肩をすくめる。

 

 

「経費で旅行できるなんて、滅多にない機会だぜい」

「ヤマト先輩ったら。仕事ですよ、仕事」

「分かってるさ。ちゃんと調べてくる。ただし──」

「ただし?」

「昼寝に良い場所も、しっかり探させてもらうよい」

 

 

 綺良々はヤマト先輩らしい、と笑った。

 

 詰所の作業場で、出発の準備を始める。地図、筆記用具、携帯食、替えの衣類。それにモラ。綺良々の鞄は意気込みのぶんだけ膨らみ、ヤマトは何も言わず肩紐の長さを彼女の背丈に合わせて詰めた。結び目は指先一つで解ける加減。

 

 

「まずはどこから回りましょうか?」

「璃月港だな」

 

 

 ヤマトが地図の璃月港を指でなぞる。

 

 

「稲妻から一番近い。それに、港町だ。物流の要を見ておけば、他の国を回る時の基準になる」

「なるほど……」

 

 

 綺良々は手帳に書き込む。几帳面な文字が、一行ずつ並んでいく。

 

 

「各地で見るべきことは?」

「配達業者の数と規模。荷の種類と量。それから、現地の人間の気質だな」

「気質、ですか?」

「ああ。商売は信用が全てだ。信用を得るには、相手を知らなきゃならない。あとは──」

 

 

 綺良々は頷く。ヤマトの言葉には、長年の経験が滲んでいた。

 

 ヤマトが地図の余白を指でなぞる。

 

 

「──昼寝に適した場所の情報も、忘れずにな」

「だからそれは報告書に書かないからね!」

 

 

 二人の笑い声が、詰所に響いた。

 

 

 

 ■ ■

 

 

 

 出発までの数日。その間に、細かな準備を整える。

 

 綺良々は各地の言葉や習慣を調べ、ヤマトは過去の人脈に手紙を送った。到着の目処を伝え、協力を頼む内容だった。

 

 出発の朝。稲妻の港は霧に包まれていた。

 

 桟橋には異国の船が数隻、静かに揺れている。まだ荷の積み下ろしは始まっておらず、港は静かだった。

 

 ヤマトは小さな荷物だけを背負い、のんびりと桟橋を歩いていた。綺良々は少し大きめの荷物を抱えて、先を歩いている。足取りが弾むたび、荷がわずかに左右へ揺れるのを見て、ヤマトは歩幅を半歩詰め、風下側へ回り込む。重さが彼女の肩に偏らないよう、そっと自分の荷で釣り合いを保った。

 

 

「ヤマト先輩、遅いよ!」

「急ぐな。船はまだ出ない」

「でも、良い場所を取りたいんです」

「船の上なんて、どこも同じだよい」

 

 

 そう言いながら、ヤマトは自分の上着をたたみ、桟橋の待合いの長椅子にそっと敷いた。彼女が尻尾を気にせず腰を下ろせるだけの幅で。

 

 綺良々は振り返り、少し頬を膨らませる。

 

 

「先輩は本当に、のんびりしてますね」

「慌てて良いことなんてないさ」

 

 

 璃月港行きの船が、号笛を鳴らす。霧を裂くような、低い音だった。

 

 

「さて、行くか」

「はい!」

 

 

 二人は船に乗り込む。甲板はまだ人が少なく、霧で視界が悪かった。

 

 綺良々は手すりに手を置き、港の方を見つめる。霧の向こうに、稲妻の町並みがぼんやりと浮かんでいた。

 

 

「初めての長旅、ですね」

「ああ。緊張するか?」

「少しだけ。でも……」

 

 

 綺良々が振り返る。灰金色の髪がふわりと広がり、霧の細かな雫をはらう。尾の先がためらいのように揺れて、やがて翡翠の瞳がヤマトを収める。

 

 

「ヤマト先輩と一緒なら、大丈夫です」

 

 

 ヤマトは小さく笑い、荷に寄りかかる。その顔には珍しく照れが混じっていた。

 

 

「お前さん、オレを買いかぶりすぎだよい」

「そんなことないです。先輩は──」

 

 

 言葉が途切れる。何を言おうとしたのか、綺良々自身もはっきりとは分からなかった。

 

 船が動き出す。霧が流れ、稲妻の陸地がゆっくりと遠ざかっていく。

 

 

「ヤマト先輩」

「うん?」

「わたし、頑張ります。看板に泥は塗りません」

「ああ。でも、頑張りすぎるなよ」

「はい」

「休むのも仕事のうちだ。息が上がる前に、一口分だけ甘える場所を作っとけ」

 

 

 綺良々は「はい」ともう一度だけ小さく返し、手すりに置いた手を、ほんの一拍ヤマトの袖口に重ねた。すぐ離れる、その一拍だけで不安が和らぐ。

 

 霧が晴れ始める。水平線が姿を現し、空の青が少しずつ濃くなっていく。

 

 ヤマトは目を閉じる。波音が心地よく、眠気を誘っていた。

 

 

「先輩、もう寝るんですか?」

「船旅は暇だからな」

「でも……」

「起きたら、璃月の話でもしてやるよい」

 

 

 綺良々は笑って頷いた。頷きは二度、幼い頃に誰かへ合図したやり方のまま。ヤマトは目を閉じつつ、その回数だけ呼吸を合わせる。

 

 船は波を切って進む。稲妻が遠ざかり、その分だけ未知の土地が近づいてくる。

 

 風が頬を撫で、潮の匂いが濃くなる。綺良々は前を見つめ、ヤマトは静かに目を閉じている。

 

 新しい旅が、すでに始まっていた。

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