狛荷屋ヤマトの宅配便   作:さば殿

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第2箱「璃月港、飛雲、昔日からの便り」

 ■  ■

 

 

 

 璃月(リーユェ)港は、朝靄の中で呼吸をしていた。

 

 翡翠色の天幕が骨組みに張られ、朝露をはじいてうっすら光る。段状の石段は海へ落ち、岸壁には丸太の山と角材の束が端然と積まれていた。木の揚貨機の腕が空を指し、縄の先で錘がかすかに揺れる。沖には楼船が霧にかすみ、孤雲閣(こうんかく)は海から突き上げた柱のように白く立つ。帆は折り畳まれた翼のかたちで眠り、水面は金槌で叩いた銅のように細かく震えていた。

 

 船が岸壁に横付けされると、舷から伸びる板に足音が続く。荷が下ろされる音、綱が結ばれる音、商人たちの掛け声が石畳に跳ね返って層を成す。港全体が一つの生き物のように、朝の刻から動き始めていた。

 

 ヤマトは小さな荷を肩に掛け、板のたわみを足裏で量りながら、釘の鳴る間合いに歩幅を合わせてのんびりと渡る。風下に半身を寄せ、後ろの綺良々(きらら)の荷が揺れぬよう前を払うように進む。綺良々は少し大きめの荷を抱え、耳をわずかに立てて後に続く。尻尾の先が緊張を告げ、弾む歩調を抑えて板の隙を一つずつ確かめる。鼻先には潮の匂い、視線はヤマトの背を追って。半歩だけ間を空け、呼吸を二拍合わせた。

 

 

「ヤマト先輩、璃月って……すごく賑やかですね」

「稲妻より港の規模が大きいからな。船の数も、扱う荷の量も段違いだ」

 

 

 綺良々は周囲を見回す。璃月の商人たちは慣れた手つきで荷を捌き、伝票を交わし、印を押していく。その手際の良さに、思わず見惚れてしまう。

 

 

「あの……先輩、わたしたち、どこへ行けば?」

 

 

 綺良々の指先がヤマトの袖口に軽く触れた。不安の匂いがかすかに滲む。

 

 後輩の不安を布越しに察していたヤマトだが、言葉にはしなかった。

 

 

「まずは入港手続きだ。港の管理事務所で旅券を見せて、滞在の目的を告げる。そのあとは──」

「失礼」

 

 

 澄んだ声が割り込む。振り返ると、藍色の衣を纏った青年が立っている。腰には剣、手には書簡。整った顔立ちに、穏やかな笑みを浮かべている。

 

 

「狛荷屋のヤマト殿、そして綺良々殿、でしょうか」

「おう、そうだが」

 

 

 ヤマトは少し目を細める。知らないはずのその顔に、どこか既視感を覚えたからだ。その用心と想起の気配に、綺良々は思わずヤマトの半歩後ろへ身を寄せた。

 

 

「お前さんは?」

「失礼しました。私は行秋(ゆくあき)飛雲(ひうん)商会の者です」

 

 

 行秋は丁寧に一礼した。その所作は武人のそれで、商人のそれとは少し違う。

 

 その名乗りを聞いて、ヤマトは既視感の糸を手繰り寄せた。

 

 ──飛雲商会。出発の前に手紙を出した先のひとつ。璃月でも指折りの貿易商会だ。

 

 

「先日、ヤマト殿からの手紙を受け取りまして。到着の刻限を確認し、お迎えに参った次第です」

「助かるよい。こっちは璃月の作法に疎いんでな」

「では、入港手続きはこちらで」

 

 

 行秋が書簡の封を切る。中には飛雲商会の印が押された紙が入っており、それを見せるだけで手続きが簡略化されるらしい。

 

 綺良々は翡翠の瞳を鈴のように丸くした。

 

 

「……思ったよりあっさり済むんですね」

「飛雲商会は璃月で名が通っている。普通ならもっと手間取るだろうよい」

 

 

 ヤマトが小さく付け加える。綺良々は安心したように、少しだけヤマトの裾を摘んだ。

 

 手続きが終わると、行秋は二人を導いた。一瞬、何かを問いたげな気配を漂わせるがそれをしまい込む。

 

 

「では、まずは宿へご案内します。荷物を置いてから、ゆっくりお話ししましょう」

「宿って、こっちで探すつもりだったんだが」

「いえいえ、既に手配済みです。我々が用意した宿ですので、どうぞご遠慮なく」

 

 

 ヤマトは行秋の様子に気がついていたが、静かに従う。綺良々も尻尾を揺らしながらヤマトの後に続いた。

 

 

 

 ■  ■

 

 

 

 案内された宿は、港から少し離れた高台にあった。

 

 白い壁に赤い瓦。庭には竹が植えられ、小さな池には鯉が泳いでいる。建物の前には提灯が並び、璃月の文字が美しく書かれていた。

 

 

「ここ……ですか?」

「はい。飛雲商会が懇意にしている宿です。静かで、食事も美味しいですよ」

 

 

 綺良々の声が少し上ずる。緊張した様子の彼女に、行秋が笑顔で答える。

 

 中に入ると、女将が丁寧に迎えてくれた。部屋は二階の角部屋。窓からは璃月港が一望でき、遠くには船の帆が白く揺れている。

 

 

「すごい……こんな良い部屋……」

 

 

 二人は部屋の隅に荷を下ろした。綺良々は窓辺に駆け寄り、景色に見惚れている。ヤマトも彼女に続くが、意識は行秋に向いたままだ。

 

 

「良い眺めだな。昼寝にもいい」

「先輩! まだ昼寝の話ですか!」

 

 

 普段と変わらぬ先輩の姿に、綺良々も調子を取り戻しつつある。

 

 配達員たちの様子に、行秋は穏やかに笑った。

 

 

「では、少し休まれてから、飛雲商会へお越しください。昼過ぎに、お待ちしております」

「分かった。世話になるよい」

「それと今回、このような歓待をさせていただいているのには理由があります」

 

 

 綺良々が首を傾げる。

 

 

「理由?」

「ええ、聞いていませんか? 飛雲商会の創設者──つまり、私の曾祖父とヤマト殿は、旧知の仲なのです」

「え……そうなんですか?」

 

 

 思わずヤマトを見上げる。後輩の視線にヤマトは少しだけ目を逸らした。

 

 

「ああ、昔の話だよい。もう何十年も前のことだ」

「いえ、曾祖父は今でもヤマト殿のことをよく話します。『あの配達屋は信用できる』と」

 

 

 ヤマトは肩をすくめるが、行秋の言葉に、少し照れたような顔をした。

 

 綺良々はヤマトを見つめる。謎めいた先輩の過去に、少しだけ触れた気がした。

 

 

「それで、今回のご訪問を曾祖父も喜んでおります。後ほど、お会いしたいとのことです」

「そうか。なら、挨拶に行かせてもらうよい」

「ありがとうございます。では、後ほど」

 

 

 行秋は一礼して、部屋を出て行った。その所作はやはり、武を感じさせるものであった。

 

 二人きりになると、綺良々はヤマトの隣に腰を下ろした。

 

 

「ヤマト先輩、飛雲商会の創設者さんって……どんな方なんですか?」

「商才のある男だよい。若い頃から頭が切れて、人の話をよく聞いた」

 

 

 ヤマトは窓辺に寄りかかる。遠くを見る目は、過去の方角に向いていた。綺良々の尻尾が、彼の足元を軽く撫でる。

 

 

「オレが璃月で配達をしていた頃、よく荷を任された。信用できる相手だったからな」

「先輩、璃月でも配達を?」

「ああ。昔はあちこち回ってたからな。まあ、今となっちゃ懐かしい話だよい」

 

 

 綺良々は手帳を開き、今日のことを書き留め始めた。ヤマトは何も言わず、彼女の手帳の端が曲がっているのを見つけて、そっと指で伸ばしてやる。

 

 ──飛雲商会。行秋殿。丁寧な対応。曽祖父。ヤマト先輩の旧友との縁。

 

 文字を書きながら、綺良々は思った。

 

(ヤマト先輩の信用が、こんなに役立つなんて……)

 

 それは羨ましさではなく、尊敬だった。

 

 

 

 ■  ■

 

 

 

 昼過ぎ、宿で軽食を済ませた二人は飛雲商会を訪れた。

 

 建物は港の近くにあり、三階建ての立派な造りだ。入口には飛雲商会の看板が掲げられ、出入りする商人たちの姿が絶えない。

 

 行秋が出迎え、二人を事務所へと案内する。

 

 商会の事務所は広く、壁一面に棚が並んでいる。伝票、帳簿、荷札が整然と並び、担当者たちが忙しく動き回っていた。

 

 行秋が案内した部屋は、奥にある商談室だった。机と椅子が並び、壁には調度品が掲げられている。

 

 

「普段は物流担当の者がおりますが、今回は私が対応させていただきます」

 

 

 行秋が棚の書簡や巻物を手に取り整理している。今回の打ち合わせで使う資料だろうか。

 

 綺良々は椅子に座ると、自然とヤマトの方へ身を傾けた。緊張しているのだろう、尻尾の先が小刻みに揺れている。ヤマトは気づかぬふりをして、懐から飴を一つ取り出し、そっと綺良々の手元に滑らせる。

 

 綺良々は一瞬驚いたが、すぐに飴を口に含む。甘さが緊張をほぐしてくれた。

 

 しばらくして、行秋が机に地図を広げた。璃月港を中心に、各国の都市へと線が引かれている。

 

 

「我々としては、小口の荷を狛荷屋さんにお任せしたいと考えております」

「小口、ですか?」

 

 

 綺良々が尋ねる。声が少しだけしっかりしてきた。口内の飴は既に消え、ほのかな甘みだけが残っている。

 

 

「書簡、証文、薬品など。急ぎや、取り扱いに注意が必要なものです」

 

 

 行秋が指で地図をなぞる。

 

 

「大口の荷は輸送隊に任せますが、小口は機動力が必要です。そこで、狛荷屋さんの力をお借りしたい」

「なるほど、分かりやすい」

 

 

 ヤマトは頷く。国を跨ぐような輸送隊は規模が大きく、その分動きが遅い。都市から都市への移動に数ヶ月かかることもある程だ。

 

 

「受け渡しの窓口はどこになりますか?」

 

 

 綺良々が手帳を開く。文字を書く手が少し震えている。ヤマトは何も言わず、綺良々の手帳が滑らないよう、そっと机の端を指で押さえた。

 

 

「璃月港の場合、ここの帳場が窓口です。送り状はこちらの書式を使っていただきます」

「トラブル時の連絡は?」

「こちらへ書簡を。緊急の場合は飛脚便で」

 

 

 行秋が紙を取り出す。綺良々は一つ一つメモを取る。ヤマトは横で静かに見守っていた。

 

 

「それから、一つ確認したいことがあります。『同時到着の証』についてです」

「同時到着の証?」

 

 

 綺良々が首を傾げる。思わずヤマトを見た。ヤマトは小さく頷いて、行秋へ続きを促す。

 

 

「ええ。複数の荷を同じ宛先へ送る場合、全てが同時に到着したことを証明する書類です。これがないと、受取人が困る場合があります」

「なるほど……稲妻ではあまり聞かない仕組みですね」

「璃月では一般的です。商習慣の違いですね」

 

 

 行秋が微笑む。

 

 話は続き、細かな取り決めが一つずつ確認されていく。綺良々は必死にメモを取り、ヤマトは要所で補足を入れた。

 

 やがて話がまとまり、行秋が立ち上がった。

 

 

「では、正式な契約書は後日お送りします」

「了解した」

 

 

 ヤマトが頷く。綺良々も立ち上がると、安堵したように小さく息を吐いた。

 

 

「それから──曽祖父が、お二人にお会いしたいと申しております。よろしければ、今から」

「ああ、もちろんだ」

 

 

 ヤマトが答える。

 

 綺良々は少し緊張した。尻尾がヤマトの腕に絡む。

 

(曾祖父さんって……どんな人なんだろう)

 

 ヤマトは何も言わず、綺良々の荷紐がずれているのを見つけて、そっと直してやった。

 

 

 

 ■  ■

 

 

 

 建物の最上階、最奥の部屋。襖を開けると、畳が広がっていた。窓からは璃月港が見渡せ、陽光が静かに差し込んでいる。

 

 部屋の奥、低い椅子に座る老人がいた。白髪に、深い皺。しかしその目は鋭く、まだ衰えを感じさせない。

 

 老人が破顔する。

 

 

「おお、ヤマトか。久しいな」

「ああ、久しぶりだ」

 

 

 ヤマトは穏やかに答えた。その口調は、いつもより少しだけ粗い。

 

 綺良々は緊張で固まっていたが、尾先だけは震えていた。

 

 

「そちらが、綺良々殿か」

「は、はい!  綺良々です!」

 

 

 綺良々は慌てて頭を下げた。ヤマトは何も言わず、そっと綺良々の肩に手を置いて、呼吸を整えさせる。

 

 

「ふむ、若い猫は風をよく嗅ぐ。ヤマト、良い弟子を持ったな」

「弟子ってほどじゃねえよ。かわいい後輩さ」

 

 

 満足げに頷く老人に、ヤマトは肩をすくめる。

 

 老人は懐から小さな包みを取り出した。包みの中には、飴が一つ。綺良々はその所作に、どこか既視感を覚えた。

 

 

「緊張をほぐすには、甘いものが一番だ」

 

 

 綺良々は両手を皿にして、恐る恐る受け取る。掌には包み紙の乾いた感触と僅かな重み。

 

 

「あ、ありがとうございます……」

「遠慮するな。食え」

 

 

 ヤマトの言葉に、綺良々は飴を口に含んだ。甘さが舌に広がり、少しだけ緊張がほぐれる。肩からヤマトの手が離れた。

 

 

「ヤマト、お前は変わらんな」

「手前は少し老けたか?」

「少し?」

 

 

 二人は静かに笑い合った。その横顔を見て、綺良々は思った。

 

(そっか。この二人、似てるんだ。だから……)

 

 話は短く、言葉は少なかった。しかしその間には、長い歳月の重みがあった。

 

 やがて、老人が立ち上がる。

 

 

「また来い。次は茶でも飲もう」

「ああ、そうさせてもらうよい」

 

 

 部屋を出ると、綺良々は大きく息を吐いた。ヤマトが綺良々の頭を軽く撫でる。掌の熱が伝わり、そこから安堵が広がる。

 

 

「緊張しました……」

「お前さん、よくやったよい」

「飴、先輩のと同じ味だったから……」

 

 

 綺良々は笑った。尻尾が嬉しそうに揺れる。撫でられた部分を自分で触ると、まだ熱が残っている気がした。

 

 

 

 ■ ■

 

 

 

 宿へ戻る道、夕日が璃月港を照らしていた。

 

 石畳は橙色に染まり、遠くで鐘の音が響く。商人たちは店じまいを始め、通りには夕餉の匂いが漂っていた。

 

 

「初日から大変だったな。お疲れ様、綺良々」

 

 

 ヤマトが労う。長い船旅を終え、本来であれば日を跨いでから行動するつもりであった。予定外に濃密な一日だったが、この後輩はよくやってくれた。

 

 

「はい……でも──」

「うん?」

 

 

 綺良々は俯く。歩きながら、自然とヤマトに寄りかかるように歩幅を合わせた。

 

 

「わたし、今日は先輩に頼り切りでした」

「……」

「飛雲商会での話も、曽祖父さんとの挨拶も……全部、先輩がいたから上手くいったんです。わたし一人じゃ、何もできませんでした」

 

 

 綺良々の声が小さくなる。尻尾が力なく垂れる。

 

 ヤマトは立ち止まり、綺良々を見下ろす。普段の天真爛漫な様子と違い、自分の現状に憤りを感じて萎縮してしまったようだ。

 

 

「それで、不安か?」

「はい……」

「なら、オレは安心したよい」

「え?」

 

 

 綺良々が顔を上げる。見上げた先の先輩は笑っていた。

 

 

「その焦りは、伸びしろだ。頼り切りだと気づけるなら、次は自分で動ける。不安を感じるなら、成長の余地がある」

「でも……」

「いいか、綺良々。最初から一人で全部できるやつなんていない。オレだって、昔は先輩に頼り切りだった。でも、それでいいんだ。少しずつ、自分でできることを増やしていけば。そのためにオレがいる」

 

 

 ヤマトは懐から飴を一つ取り出して、綺良々の口に放り込む。

 

 

「それに、後輩に頼られると先輩は嬉しいものだぜぃ。今日はよく頑張った。何かご褒美を考えないとな」

「……はい!」

 

 

 綺良々の尻尾が、元気よく揺れた。口に含む飴の甘さが疲れを癒してくれる。

 

 二人は並んで歩き出す。綺良々はヤマトの右側に、少しだけ寄り添うように歩いた。夕日が長い影を作り、石畳に静かに伸びていく。

 

 宿の灯りが見えてきた頃、綺良々が小さく呟いた。

 

 

「ありがとう、ヤマト先輩」

「おう」

 

 

 ヤマトは頷き、呼吸を二拍合わせた。綺良々の尻尾が、満足そうにヤマトの腕に巻き付く。

 

 港の風が、飾紐を一度だけ揺らして通り過ぎていった。




飴食べ過ぎ
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