狛荷屋ヤマトの宅配便   作:さば殿

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第3箱「万民の香り、信用の匂い」

 ■  ■

 

 

 

 璃月港は夜明けの鐘で動き出す。係船の縄が解かれ、諸国の木箱が岸に並ぶ。モンドの樽、スメールの麻袋、フォンテーヌの箱、稲妻の籠。帳場では竹札と算盤が音を立てる。

 

 品の多くは台所へ向かう。港通りの天幕に火が入り、屋台も食堂も仕込みを始める。煮る音、刻む音、湯を張る音が途切れない。

 

 チ虎岩の通り沿いにも一軒。青い瓦に跳ね上げの庇。通りに向けた見世棚には出来たての皿が並び、大きな腿肉が目を引く。円い看板は緑に金の縁。小さな立て札には本日の料理。青い暖簾が揺れ、奥には大きなかまどが覗く。

 

 万民堂。若い料理人が鍋を振り、明るい声が店先に届く。その朝の台所に、二人の配達人が訪れる。

 

 

 

 ■  ■

 

 

 

「ヤマト先輩。今日は外食にしませんか?」

「いいぜい、当てがあるのか?」

「うん。万民堂って食堂。昨日お荷物を届けたらいい匂いがしてね。そしたら、お店の香菱って子に招待されたんだ」

 

 

 飛雲商会での話し合いから数日。契約の履行はまだ先の話だが、その間も二人は手を止めていない。商会からの紹介で民間の配達を引き受け、街中の小さな荷から、離れて暮らす息子夫婦への仕送り。恋人からの手紙を任務で出張中の千岩軍兵士へ届けるなど、精力的に働いていた。

 

 その甲斐あってか、狛荷屋の名前は璃月でもちょっとした話題となっていた。曰く『元気で可愛らしい猫が荷物を届けてくれる』と。

 

 ──オレは? と、ヤマトは思ったが口には出さない。余計なことは言わない。狛荷屋のモットーである。

 

 道中、綺良々の尻尾が期待に揺れる。ヤマトは肩をすくめて、彼女の歩幅に合わせた。

 

 万民堂の表では、少女が困った様子で立ち尽くしていた。濃紺の髪を大熊猫の耳のように結い、まん丸の黄色い瞳がきょろきょろと辺りを見回している。「うーん」や「どうしよう」と呟く声が、暖簾の揺れに混じって漏れていた。

 

 

「──あ、綺良々。いらっしゃい、来てくれたんだね! そっちの君ははじめましてだよね。私は香菱(シャンリン)、よろしくね!」

「オレはヤマト。よろしく頼むよい」

 

 

 二人の来訪に香菱の声は明るく弾み、困り顔も一瞬で笑顔に変わる。その切り替えの早さに、ヤマトは職人の気配を嗅ぎ取った。

 

 

「香菱、何か困りごと?」

「うーん、それがね。今朝届くはずだった食材がまだ来てないんだ」

 

 

 綺良々が小首を傾げると、香菱は困ったように眉を下げた。

 

 今すぐに在庫が無くなるわけでは無いが、昼には客が多い。自分で市場に受け取りに行こうにも、店を空けることになってしまう。

 

 

「それなら──」

 

 

 綺良々は尻尾をぴんと立てて、翡翠の瞳でヤマトを見上げた。先輩の横顔には、いつもの穏やかな笑みがある。

 

 

「ああ、狛荷屋の出番だよい」

「ほんとう? 助かるよ! この注文票を持っていって。これを見せれば受け取れるはずだよ」

 

 

 香菱が差し出した紙には、食材の名と数、注文した商人の印が並んでいた。綺良々が両手で受け取ると、ヤマトはその紙の端が折れないよう、そっと指で押さえてやる。

 

 二人は市場へ向かう。港はもう昼の支度に移りつつあった。

 

 

 

 ■  ■

 

 

 

 璃月港の市場は、昼の刻でも活気を失わない。

 

 天幕が連なり、その下には野菜、果物、魚、肉が所狭しと並ぶ。掛け声と値のやり取りが、通りに途切れなく続く。石畳には水が撒かれ、濡れた面が陽を跳ね返して眩しい。籠を抱えた主婦が行き交い、子どもが裾を引いて駆ける。魚の鱗が光を散らし、香辛料の匂いが鼻腔を刺激した。

 

 

「やっぱり璃月港の市場は賑やかですね!」

「ああ、活気に溢れてて昼寝には向かないぜい」

「もう!」

 

 

 綺良々が頬を膨らませる。その様子に、小さく笑うヤマト。

 

 注文票を確認しながら、一軒目の店へ向かう。野菜を扱う商人の天幕は、緑と赤と黄が鮮やかに並び、葉の青さが目に沁みた。

 

 

「一軒目はここだな」

「こんにちは!」

 

 

 綺良々の声は市場の喧噪を抜けて耳に届く。商人は顔を上げると、すぐに笑顔になった。

 

 

「おや、狛荷屋さんじゃあないですか、こんにちは。今日も配達ですか?」

「はい、でも……」

 

 

 綺良々が注文票を差し出す。商人はそれを受け取り、目を走らせた。次の瞬間、顔が青くなる。

 

 

「これは確かにウチの注文票。おい、早く確認しろ!」

 

 

 商人が部下に指示を飛ばす。奥で箱をひっくり返す音、書類を探る気配。やがて部下が青い顔で戻ってきた。どうやら、日付を間違えていたらしい。

 

 しょんぼりと垂れる尻尾。それを見たヤマトは、そっと彼女の肩に手を置いた。掌の温もりが伝わり、綺良々は少しだけ背筋を伸ばす。

 

 

「大変申し訳ない。こちらが品物です。後日、謝罪に伺うと万民堂さんにお伝え下さい」

「はい、確かに受け取りました」

 

 

 綺良々が受領の印を押す。その手つきは、数日の経験で随分と板についていた。ヤマトは何も言わず、荷の重さを確かめて、綺良々の鞄の口を押さえてやる。

 

 次の場所へ向かう途中、綺良々がヤマトの袖を軽く引いた。

 

 

「先輩、わたし……ちゃんとできてるかな?」

「ああ、よくやってる。お前さんの受け答えは丁寧で、相手も安心する」

 

 

 ヤマトの言葉に、綺良々の尻尾が嬉しそうに揺れた。

 

 次の店に着くと、様子がおかしかった。天幕は張られているが、人の気配がない。商品もまばらで、店主の姿が見えない。

 

 

「次はここのはずだが……」

「誰も居ませんね」

 

 

 綺良々が首を傾げる。その時、隣の天幕から声が掛かった。

 

 

「綺良々ちゃんじゃないか、どうしたんだい?」

「あ、おばさん。こんにちは」

 

 

 綺良々は万民堂への食材を受け取りに来たと伝える。女性商人はため息を吐き、申し訳なさそうに答えた。

 

 

「ああ、そこのは船が遅れて朝から走り回ってるよ」

 

 

 朝の霧で小舟が岸付けをやり直し、一本便がずれたのだという。

 

 

「どうしよう……」

 

 

 綺良々の声が小さくなる。尻尾が不安げに揺れ、耳が少しだけ伏せる。その様子を見たヤマトは、懐から飴を一つ取り出して、そっと綺良々の手に滑らせた。綺良々は驚いたように顔を上げ、それから小さく微笑んで飴を口に含む。甘さが舌に広がり、不安が少しだけ和らいだ。

 

 すると、他の商人も集まり始めた。綺良々の様子を見て、何かあったのかと声を掛けてくる。

 

 

「綺良々さん、どうしたんですか?」

 

 

 次々と集まってくる市場の人々。綺良々は少し戸惑いながらも、事情を説明した。すると、商人たちは顔を見合わせ、すぐに動き出す。

 

 

「ああ、それならうちに在庫があるよ」

「こっちのは俺の所にある、待ってろ」

 

 

 足りなかった食材が市場中から集まってくる。綺良々は目を丸くして、その光景を見つめていた。

 

 

「綺良々ちゃんが困ってる? それは見過ごせないな」

 

 

 ここ数日の綺良々の仕事ぶりが評価され、信用へとつながったのだ。商人たちは綺良々を信じて、自分の商品を託してくれる。

 

 翡翠の瞳が潤む。ヤマトはそっと彼女の頭を撫でた。掌の下で、綺良々の耳が小さく震える。

 

 

「お前さんの信用のおかげだよい」

 

 

 先輩の言葉に、綺良々は涙を堪えて笑った。尻尾が大きく揺れ、市場の人々に何度も頭を下げる。

 

 荷をまとめ、二人は万民堂へ戻る。ヤマトは流れの外側に立ち、荷と人の間に影を作った。綺良々は少し大きめの荷を抱えているが、肉球の足取りは軽く、鼻歌まで口ずさんでいた。その様子を横目で見て、口元に笑みを浮かべるヤマト。

 

 

 

 ■  ■

 

 

 

「わあ、こんなに早く! ありがとう!」

 

 

 万民堂の暖簾をくぐると、香菱の黄色の瞳が更に丸くなる。

 

 荷を受け取り、中を確認する。その手つきは職人のそれで、一つ一つの食材を丁寧に見極めていく。

 

 

「粒が少し大きいね……うん、火入れをすこし(三呼吸)遅らせれば香りが立つ」

 

 

 やがて満足げに頷くと、奥へと駆けていった。

 

 鍋が鳴り、包丁がまな板を打ち、火が油を弾く。音が重なり、店が目を覚ます。綺良々は興味深そうに厨房を覗き込み、ヤマトは席に腰を下ろして目を閉じた。

 

 やがて、料理が運ばれる。白磁の皿に盛られた料理は、どれも色鮮やかで湯気が立つ。璃月の香辛料をきかせた炒め物、出汁の深いスープ、甘酢で和えた野菜。

 

 

「はい、お待たせ! 今日のお礼だよ!」

 

 

 香菱が誇らしげに胸を張る。綺良々は目を輝かせ、ヤマトは穏やかに頷いた。

 

 箸を取り、料理を口に運ぶ。炒め物は香辛料が舌を刺激し、それでいて後味は爽やか。スープは出汁が深く、野菜の甘みが溶け込んでいる。甘酢の野菜は酸味と甘みのバランスが絶妙で、箸が止まらない。

 

 

「美味い。これは、目が覚める味だよい」

「ヤマト先輩が昼寝に繋げないなんて……!」

 

 

 綺良々が驚いたように言うが、その口元は笑っている。香菱も嬉しそうに笑い、次の料理を運んでくる。

 

 食事を終え、満足そうにお腹を撫でる綺良々。尻尾が幸せそうにゆっくり揺れる。ヤマトは茶を一口含み、ふうと息を吐いた。

 

 

「ごちそうさま。美味かったよい」

「ありがとう! また来てね!」

 

 

 香菱が手を振る。二人は万民堂を後にし、石畳を歩き出した。

 

 やがて陽は西に傾き、市場の喧噪も少しずつ静まっていく。商人たちは店じまいを始め、天幕を畳む音が聞こえてくる。綺良々はヤマトの隣を歩きながら、今日の出来事を手帳に書き留めていた。

 

 ──万民堂。香菱さん。市場の人々の信用。食材の受け渡し。美味しい料理。

 

 文字を書きながら、綺良々はふと思った。今日も、先輩がいたから上手くいった。市場で不安になった時、先輩が飴をくれた。頭を撫でてくれた。それだけで、頑張れた。

 

 

「ヤマト先輩」

「うん?」

「わたし、今日も先輩に頼っちゃいました」

 

 

 その声には少しの陰と甘えが混ざっていた。ヤマトは心情を察して、その小さな肩に己の掌をそっと置く。

 

 

「そうか? 市場の人々が助けてくれたのは、お前さんの信用があったからだ。オレじゃない。お前さんが、ここ数日で築いた信用だよい。名は印だ。お前さんの印が、璃月に残った」

「……名前で呼ばれるの、嬉しかったです」

「いいか、綺良々。信用ってのは、一日では築けない。お前さんは数日で、市場の人々に名前を覚えてもらい、信用してもらえるようになった。それがどれだけすごい事か、分かるか?」

 

 

 ヤマトの言葉に、綺良々は目を見開いた。そうだ、市場の人々は自分を名前で呼んでくれた。困っている時、助けてくれた。それは、綺良々が頑張ったからだ。

 

 

「……はい!」

 

 

 綺良々の尻尾が元気よく揺れる。ヤマトは満足げに頷き、懐から飴を一つ取り出して綺良々に渡した。

 

 

「よく頑張った。ご褒美だよい」

「ありがとうございます!」

 

 

 猫の手が飴を受け取り、大切そうに懐にしまった。今は食べない。後で、ゆっくり味わいたいから。

 

 二人は並んで歩き出す。夕日が長い影を作り、石畳に静かに伸びていく。港の風が、灰金と黒の髪をやさしく撫でて通り過ぎた。

 

 

「ヤマト先輩、明日はどこへ行きますか?」

「そうさな……明日は少し遠出してみるか。璃月の郊外も見ておいた方がいい」

「はい! 楽しみです!」

 

 

 綺良々の声が弾む。穏やかに笑うヤマトは、彼女の歩幅に合わせて歩く。

 

 宿の灯りが見えてきた。綺良々はヤマトの右側に、少しだけ寄り添うように歩いた。

 

 

「ねえ、先輩」

「うん?」

「わたし、璃月が好きになりました」

「そうか。なら、もっと好きになれるように、明日も頑張ろうぜい」

「はい!」

 

 

 腕に巻き付く感触に、ヤマトは何も言わずそっと彼女の頭を撫でた。掌の温もりが伝わり、綺良々は幸せそうに目を細める。

 

 港の風が、飾紐を一度だけ揺らして通り過ぎていった。空には最初の星が瞬き、璃月の夜が静かに訪れようとしていた。

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