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璃月港。昼の刻。チ虎岩から郊外への橋を渡ると、陽が山の肩を越えて町外れを照らし始めていた。山を縫うように流れる風が黄の葉を揺らし、小さく鳴らす。遠くでは港の鐘が微かに響き、水面に反射した光が木々の根元をきらりと撫でた。草の匂いと石の温もり、岩の上を歩く蟲の列までが穏やかな午後を語っている。
その道を歩く影がひとつ。狛荷屋の配達員ヤマトだ。肩に軽い荷を背負い、陽気のぬくもりを受けながら昼寝に良さそうな木陰を探して足を止める。岩肌に映る影の濃さを見比べ、どこで一息つくかと迷う。
──その静けさの奥で、風を裂く音がひとつ。
音の方へ視線をやると、幼い少女が槍を振るっていた。草色の衣に背の薬籠。振り下ろされるたびに陽光が穂先を弾き、光の線が宙を走る。槍は彼女の体には些か大きく、振るたびに体ごと引かれるようだった。息を弾ませ、額に滲んだ汗が頬を伝い、草を踏む音と共に青葉の香がふわりと漂った。
ヤマトはしばし見入っていたが、やがて口の端を上げた。
「あの型は……」
これが、妖怪ヤマトと仙縁を持つ少女ヨォーヨの出会いであった。
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少女が驚いて振り返ったその時、槍が傾き、体が揺らぐ。ヤマトの手がすっと伸び、金属の鳴る前に穂先を押さえ、小さな肩を支えた。
「おっと、危ない危ない。風より先に倒れちゃあ、槍に笑われるぜい」
「わっ、あ、ありがとうございます……」
慌てて姿勢を正した少女は、深く頭を下げる。ヤマトは手を離し、穏やかに微笑んだ。
「いや、驚かせて悪かった。その構えに覚えがあってな。お前さん、歌塵浪市真君の弟子かい?」
「えっ? ……あ、お師匠のお名前!」
橙の瞳がまん丸になる。素直な反応にヤマトは目を細めてうなずく。
「うむ。昔、同じ仙人のもとで少しばかり修行をしてたんだ。まあ、槍と軽身功くらいしか身につかなかったけどな」
「それって……」
「ああ。オレはお前さんの兄弟子ってことになるな」
少女の表情がぱっと明るくなる。
「わあっ、じゃあ師兄なんですね! どうりで声に落ち着きがあると思いました!」
「歳だけは重ねてるからな」
「あ、私はヨォーヨと申します!」
「オレはヤマト。普段は稲妻の配達員だ」
ふたりは笑い、風が竹の葉を擦らせた。ヤマトは槍を取り出す。飾り気のない質素な柄、手入れの跡だけが残る銀の穂先が陽を返す。
「せっかくだ、型でも合わせてみようか」
「はいっ!」
ヨォーヨは背筋を伸ばし、槍を構え直す。二人は並んで立ち、息を合わせるように型を繰り返す。穂先が空をなぞり、足裏が石畳を踏む音が響く。岩壁を撫でた風が音を返し、広場全体が静かな鼓動のように震えた。
「その調子だ。焦らず、風の通りを見ろ」
「はい、師兄!」
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陽が少し傾き始めたころ、稽古は終わった。ヨォーヨは息を弾ませて笑い、ヤマトは、上出来だ、と頷く。ふたりは木陰に腰を下ろした。橋の下流へ続く並木道から、木漏れ日が地面にまだら模様を描く。
ヤマトは懐から飴を取り出し、ヨォーヨへ差し出す。
「稽古のあとは、甘いものがいちばんだよい」
「ありがとうございます師兄!」
飴が舌の上で転がり、淡い柑橘の香りが漂った。風が通り、竹の影がふたりの肩を撫でていく。
「師匠は元気か?」
「はい。最近は璃月港の子たちにもいろいろと教えてます。みんな、ばあやのことが大好きなんです」
「はは、そうか。あの人が凡人に教えを……」
ヤマトの声には驚きが滲んでいた。彼は空を仰ぎ、岩の上を滑る雲を追う。
「……仙人たちの時間は長い。それに比べて人間の毎日は短い。異なる流れには摩擦が生じて、やがて軋轢となる。その間を繋ぐのがお前さんのような仙縁を持つ者なんだろうな」
「間を繋ぐ……師兄の配達みたいなものでしょうか……?」
「そうかもな。荷を届けるより意思を伝える方がずっと難しいが」
ヨォーヨは頷き、手のひらで飴を包み込む。風鈴がどこかで鳴り、港の遠鳴りがチ虎岩の壁に反響して柔らかく響いた。
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「師兄、私のお膝で休んでください!」
「いいのか?」
「はい、妹弟子の務めです!」
ヤマトは笑い、横になる。ヨォーヨの膝がそっと枕となり、陽射しが頬をかすめる。上空では青の鷺が旋回し、岩肌が黄金色に染まっていた。
その瞬間、草の間を通る風が一段柔らかくなり、ふわりと薬草の香りが漂った。ヤマトの瞼がゆるりと閉じ、薄い笑みを残す。
──遠くで小さく、仙人の声が聞こえたような気がした。
「届けば十分、寝れば上等だよい」
ヨォーヨがくすっと笑う。夕陽の光が二人を包み、月桂樹の風と光を残して、穏やかな昼下がりがゆっくりと幕を閉じた。
もし、お待ちしていた方がいらっしゃったのなら申し訳ありませんでした。
生活環境の変化や体調不良でしばらく更新できていませんでしたが、少しずつ時間が取れるようになったので再開します。