狛荷屋ヤマトの宅配便   作:さば殿

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第03話 狛荷屋ヤマトと狛荷屋綺良々のお魚便

 ■  ■

 

 

 

 稲妻の夜明けは、昔日の記憶を呼び覚ますように活気に満ちていた。

 

 まだ星の残る空の下、漁師たちの舟が沖から戻ってくる。舳先を切る波音、櫓を漕ぐ規則正しいリズム、魚籠を積み重ねる鈍い音。潮は縄の軋みに混じって匂い立ち、樽の蓋を打つ音が鴎の声と交じり合う。干した網が朝の光を吸い込み、石畳は濡れた魚影を薄く映していた。

 

 港全体が生きている。鎖国の間には途絶えていた、海と陸を結ぶ血脈が脈打っている。商人たちは値踏みをし、仲買人たちは品定めをし、荷担ぎたちは重い魚籠を肩に担いで石段を上がっていく。その流れの端を縫うように、荷車を押す影がひとつ。

 

 歩幅はのんびりと、しかし運びは正確に。黒髪の少年──年の頃は十四、五にしか見えぬが、背に負う時の重みは静かに深い。二百年という歳月が、その肩を撫でて過ぎたことを、本人はひと言も語らない。狛荷屋の配達員、妖怪のヤマトである。

 

 荷車の車輪は石畳の継ぎ目を選んで転がり、轍に溜まった夜露を薄く跳ね上げる。今朝の荷は魚が中心。氷を詰めた木箱からは冷気が立ち上り、油紙に包まれた干物からは潮の記憶が香る。急ぎの品ではないが、鮮度が命。丁寧に、しかし迅速に運ぶ必要があった。

 

 

 

 ■  ■

 

 

 

「ヤマト先輩、おはよ!」

 

 

 弾むような声が背後から響く。振り返ると、猫又の少女が軽やかに駆け寄ってくる。二本の尻尾が朝の風に踊り、翡翠色の瞳は期待に輝いていた。

 

 

「おう、綺良々。尻尾が元気だな」

「うん、今日も尻尾は絶好調! 港って匂いだけでもお腹いっぱいになるよね」

 

 

 綺良々は深く息を吸い込む。猫又の鋭敏な嗅覚が、港の複雑な匂いの層を一つひとつ解きほぐしていく。塩、魚、海藻、樽の木、縄の麻、そして人々の汗と活気。それらが混じり合って作る、港独特の生命力に満ちた空気。

 

 

「今日の大口はこっちだ、狛荷屋」

 

 

 魚問屋の店先から野太い声が飛ぶ。店主が手を振りながら、満面の笑みでこちらを見ている。台の上には樽が二つ、木箱が三つ。乾いた魚の身が美しく積み上げられ、氷が白い息を吐いている。朝の光を受けて、それは銀色に輝いた。

 

 

「これを手で運ぶのは……うーん、けっこう大変そうだね」

「ならば、いつもの相棒を出すさ」

 

 

 ヤマトは掌を軽く打ち鳴らす。石畳が微かにざわめき、光を含んだ岩片が意志を持ったかのように寄り集まる。やがて蹄を備えた岩馬の姿が現れ、機械的な正確さで荷車の轅を探った。石と金属の継ぎ目が朝の光を反射し、幾何学的な美しさを見せる。

 

 

「今日も頼むぜ」

 

 

 ヤマトの合図で、岩馬は無音のまま首を一度振る。関節の石がわずかにこすれ合う音だけが、その動きを知らせた。

 

 

「わぁ……やっぱりかっこいいなぁ、岩馬。じゃあ、先に樽から積んで……うん、オッケー!」

 

 

 綺良々は手際よく荷を積み始める。重い樽は荷車の底に、軽い木箱は上に。重心を考えた配置は、もはや彼女の得意技だった。猫又の身軽さと器用さが、この仕事に完璧に適している。

 

 ヤマトが縄を締める。結び目ひとつひとつに込められた経験と技術。荷がずれることなく、しかし締め付けすぎることもない。絶妙な力加減は、長年の経験が成せる技だった。

 

 岩馬がひづめを軽く鳴らすと、周囲の猫が一斉に身をすくめる。野良猫たちは岩馬の無機質な存在感に戸惑いながらも、魚の匂いに引かれて遠巻きに様子を窺っていた。

 

 

「出すぞ」

「了解!」

 

 

 

 ■  ■

 

 

 

 港の通りを抜ける道は、朝の活気で賑わっていた。魚屋の呼び声、氷を砕く音、板戸が開く乾いた響き。そんな音の波を縫いながら、二人と岩馬は最初の配達先へ向かう。

 

 石畳は夜露で滑りやすいが、岩馬の蹄は的確に安全な場所を選んで踏む。寸分違わぬ歩幅は荷車の軋みも最小限に抑え、魚への振動も極力避けられていた。

 

 

「ヤマト先輩、今度のお休み、どこか行く予定ある?」

「休み? ……ああ、来週の話か。特に予定はないな。いつも通り昼寝でもするか」

「もう、先輩ったら。たまには遠出もいいんじゃない?」

「遠出ねえ。仕事でいつも行くのにか?」

「それは、確かに……」

 

 

 会話を交わしながら歩いているうちに、角の干物屋の前で小さな騒ぎが起きた。塩風の濃い匂いに誘われたのか、野良猫が数匹、荷の上に鼻先をのせている。さらに一匹、さらに一匹と数が増えていく。

 

 

「にゃっ!? ちょ、ちょっと、だめだって! それはお客さんの──!」

「……誘惑が強いのは分かるが、これは困った」

 

 

 綺良々は同族である猫たちに、尻尾でそっと合図を送る。「だめだよ」という意味の、猫同士にしか分からないコミュニケーション。しかし猫たちは遊びだと思ったのか、からりと目を細めてじゃれついてくる。

 

 干物屋の主人が苦笑交じりに手を振った。店先に吊るされた干物が、朝の風に静かに揺れている。

 

 

「悪いな、匂いがよすぎたか。ちょいと追い払ってくれ」

「こっちだよ、ほら! いい子いい子……おとなしくして〜」

 

 

 綺良々の声は優しく、猫たちも彼女の言葉に耳を傾ける。しかし魚の誘惑は強く、なかなか離れようとしない。

 

 

「ヤマト先輩、ちょっとだけ手を貸して!」

「やれやれ……」

 

 

 ヤマトは岩馬の足元に指先で小さな円を描いた。石が呼吸するように膨らみ、荷車の周りに低い柵が生える。簡単な障壁だが、その効果は絶大だった。猫たちは驚いて身をすぼめ、路地の陰へと素早く消えていく。

 

「助かった〜! うぅ……匂いが良すぎる……」

 

 

 綺良々自身も、魚の匂いに食欲をそそられているようだった。猫又の本能が、美味しそうな魚に反応している。

 

 

「猫に試練を与える市場だな。お前が頑張れば、港もよろこぶさ」

「頑張ります……っ」

 

 

 干物屋の主人が包みをひとつ差し出した。油紙に包まれた小さな魚の干物。朝の光を受けて、表面が美しく光っている。

 

 

「世話になった礼だ、狛荷屋のお嬢ちゃん。帰りにでも食いな」

「えっ、いいんですか? ありがとうございます!」

「おう、あんたらの評判は港中に届いてる。手早くて、気持ちがいいってな」

「ヤマト先輩のおかげだね。わたしも、もっと腕を磨かなきゃ」

 

 

 受け取りの印を交わし、荷車は再び動き出す。稲妻の坂道は独特の情緒がある。石畳の継ぎ目に草が生え、軒先には季節の花が飾られ、格子窓の向こうから生活の音が聞こえてくる。風景が汗を拭ってくれるような、そんな優しさがあった。

 

 屋根瓦の紫が陽に溶けて、わずかにくすぐったい。遠くで子どもたちの声が響き、どこかで三味線の音が聞こえる。古き良き稲妻の日常が、ここにはそのまま残っていた。

 

 

 

 ■  ■

 

 

 

「配達先は花見坂の木南料亭、次が城下の烏有亭」

「順に回れば昼までに済む。昼の鐘の前には団子を買って一息だ」

「ふふ、ヤマト先輩の計画はいつも甘味が入るねっ」

「働いた分、甘くする。狛荷屋の掟だ」

 

 

 木南料亭では店主が顔をほころばせて出迎えた。朝仕入れの魚を心待ちにしていたのだ。「今日も良い魚をありがとう」という言葉に、綺良々の尻尾がうれしそうに揺れる。

 

 烏有亭では女将が手ぬぐいで額を押さえながら、湯気の向こうから礼を言った。厨房では既に魚を捌く音が響き、美味しい料理への期待が膨らむ。荷は滞りなく落ち、受領印は清く揃った。

 

 岩馬は役目を終えると、鼻面から淡い光を零しながら石と化して消える。無機質な任務完了の合図だった。ヤマトが軽く手を振ると、岩の欠片は風に舞って散っていく。

 

 ひと仕事終えた路地の陰は涼しかった。風鈴がときおり舌を鳴らし、遠くで鳥の声が響く。綺良々がそっと干物の包みを開く。中は小ぶりながら美しく干された魚。銀色の肌が朝の光を反射して、食欲をそそる色合いを見せていた。

 

 

「いい匂い……でも、今は仕事中だし」

「持って帰って、皆で食えばいい。社長が喜ぶ」

「あっ……でも、味見くらいなら仕事のうちってことで……?」

「おい」

「冗談冗談! ちゃんと持って帰るって!」

 

 

 二本の尻尾が、我慢の拍子にふわりと揺れる。その健気さに、ヤマトは喉の奥で小さく笑った。

 

 

「なあ綺良々。お前さん、荷を渡す時の顔、町で評判だぞ」

「えっ、わたしの顔が? なにそれ〜」

「受け取ったのは向こうのはずなのに、お前のほうが嬉しそうに頭を下げる。あれは、五つ星の笑顔だってな」

「……えへへ。だって、荷物がちゃんと届くって、ほんとにいいことだから」

「その通りだ」

 

 

 風が石畳を撫で、潮の匂いが遠のいてまた戻る。日脚は短くも長くも見え、港の喧噪はいつまでも若々しい。

 

 

「ヤマト先輩」

「ん」

「次の配達も、わたしにご指名、来るといいな」

「来るとも。お前はよく働く。お客もオレもよく見ている」

「はいっ」

 

 

 綺良々は包みを抱え直し、胸の前でそっと押し当てた。温もりが指先から伝わってくるまで、大切に抱きしめる。

 

 ヤマトは小さく背伸びをして、日陰の具合を確かめる。団子屋の暖簾が揺れ、昼の鐘はまだ遠い。空腹を訴える腹の音が、静かな路地に響いた。

 

 

「……さて、もうひと回りして、甘いもので釣って、それからだな」

「それから?」

「港の風を枕に、すこしだけ、目を閉じる」

「ふふ、ヤマト先輩らしいなぁ」

 

 

 ふたりは荷車を押し出した。車輪は軽やかに回り、坂道もなめらかに登っていく。届くべきところへ届くものがある限り、狛荷屋の一日は良い塩梅に続いてゆく。

 

 石畳に落ちる影が短くなり、空の青が深くなる。港からは潮の匂いと共に、人々の活気も運ばれてくる。昼の鐘が鳴るまで、まだしばらく時間がある。

 

 

「あ、そうだ」

 

 

 綺良々が振り返る。

 

 

「ヤマト先輩、お団子はどこで食べましょうか?」

「そうさな……海が見える場所がいいな」

「じゃあ、あの丘の上はどうですか? 桜の木の下で」

「いいな。風も通るし、昼寝にも最適だ」

「もう、また昼寝の話!」

 

 

 笑い声が坂道に響く。石畳を蹴る足音が軽やかに、二人の影が並んで伸びていく。今日もまた、狛荷屋の配達は続いていく。

 

 港の向こうで汽笛がひとつ鳴り、海鳥が空を舞う。稲妻の美しい午前が、静かに昼へと向かっていた。




「高評価、よろしくお願いしますっ!」

20話以降の狛荷屋ヤマトの方針について(活動報告に詳細アリ)

  • 今と同じ1話完結のお話を見たい
  • 中長編のストーリーを見たい
  • 別の作品として中長編ストーリーを見たい
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