狛荷屋ヤマトの宅配便   作:さば殿

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第04話 狛荷屋ヤマトとバーテンダー・ディオナの昼寝猫

 ■  ■

 

 

 

 モンドの城門脇の樹が長い影を落とし、草に混じる鉄の匂いが昼の名残を連れていた。空はまだ白く明るいのに、葉の裏では風がほどけ、影は織物の模様のように細かく揺れている。石畳は午後のぬくもりを手放しきれず、触れば掌にゆっくりと返ってくる。

 

 ヤマトは縄の結び目を枕に、荷車の陰で静かに寝息を立てていた。岩馬はそばでピクリとも動かず、また石の匂いへ戻っていく。額に落ちる光は葉にふるわれて、縞になって頬をなでる。遠く、幟を撫でる風の音。城門の鎖がたまに微かに触れ合い、金具の乾いた合図をひとつだけ残す。埃の粒が、光の筋の中で小舟のようにゆっくり漂っていた。

 

 そこから少し離れた根元に、少女が腰をおろしていた。顎を膝にのせ、猫の耳を伏せ気味に、尻尾だけが退屈そうに石を叩く。ディオナ――モンドの〈キャッツテール〉の看板だ。彼女は腕を組んだまま、ヤマトの胸の上下をときどき数えては、また数える。起こさないと決めている顔だ。寝起きの舌は味に甘くなる、という彼女なりの理屈もあるのだろうし、なにより「寝ているものは、寝かせておく」主義は猫と似ていた。

 

 足もとで、猫の一匹が様子を見に来て、ヤマトの匂いをそっと確かめる。鼻息が頬をかすめると、ディオナは小さく指を振った──「だめ、起こさないの」。猫は了解したふうに尻尾だけひとつ振って、木の根のくぼみへ丸く収まる。もう一匹が枝の上で伸びをして、葉をゆすり、影の形をゆっくり換えた。

 

 ディオナは膝の上で小瓶を転がす。稲妻の団子牛乳。外皮にうすい汗をまとって、白い露が首筋を伝う。栓を抜くのはまだ先にして、彼女は代わりに地面の砂を指先で撫で、氷の冷たさをほんの少し呼ぶ。指で描いたのは簡単な配合の図。砂に残る白い線は、風が吹けば消える程度の浅さだ。

 

 城門を抜ける商人たちが、肩で木箱を運び、紐の軋む音を残していく。彼らの靴底が砂を鳴らすたび、楡の影は薄い水面みたいに波立った。子どもが一人、枝を持って駆け抜け、ひらりと影の帯だけ置いていく。昼は少し傾き、夕刻はまだ距離を測っている。

 

 ヤマトの呼吸がひとつ深くなる。視線の先で、額の筋肉がわずかに動いた。ディオナは姿勢を直し、頬杖をやめる。尻尾が「あと三拍」とでも言いたげに地面を叩いて、そこで止まった。彼女は待つ。氷の匂いは動かさず、指先も伸ばさない。猫が一度だけ喉を鳴らし、風が幟を撫でた。

 

 瞼の縁に、光がすっと差し込む。影がほどけ、眠りの膜が薄く裂けて、ヤマトのまつげが振動した。彼はゆっくり、片目を開ける。葉の裏の風の形が、初めての文字みたいに網膜に映り、耳の奥で金具の音が遠く転がった。

 

 

 

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「……冷やり、誰だよい」

 

 

 覗き込んでいるのは、絹糸のような桃色の髪に猫の耳をのせた少女。瞳は氷を磨いたみたいに澄み、頬は怒った子猫のようにふくらんでいる。ディオナは、待っていたという満足と、やっと起きたという苛立ちを、同じ角度で眉に乗せていた。尻尾の先だけ、満足そうに一度だけ揺れた。

 

 

「あ、起きた。あなた、狛荷屋(こまにや)でしょ。探してたの」

「探し物は昼寝の続きだと嬉しいが」

「違うわよ! 稲妻の素材で『まずいお酒』を作るの。協力して」

「まずい、と先に言うとは正直でよい。どこへ?」

「キャッツテール。冒険者協会と鹿狩りの間よ。ついてきて」

「寝起き割引は利くかい?」

「利かない!」

 

 

 城門を抜ける。道端の屋台からは焼き菓子の甘い湯気、吟遊詩人のライアーの音。路地の奥には、絹のきしみのような服擦れと、釦が触れて鳴る小さな金属音が点々と散っている。冒険者協会の掲示板では紙札がぱらりと鳴り、行き交う靴音に鈴の余韻が混じる。石段を上るにつれ、人声は布を重ねるみたいに厚みを増し、赤い格子と揺れる灯火が昼の色を拾って縞影を石畳に落とした。水飛沫が喉を冷やし、鹿狩りの厨房からは油と香草の匂いが風に乗る。

 

 

 

 ■  ■

 

 

 

 扉の鈴が乾いて転がる。蜂蜜色の壁灯と小さなシャンデリアが、磨かれたカウンターの艶にゆらぎを撒く。猫が一匹、椅子の脚を縫い、尻尾の先だけ灯をすくった。酒精と果実、木樽と蜜酒の温い匂い。背面の棚は瓶の列が均され、拭き上げた硝子が灯を細くほどく。尖頭アーチの青い窓が、円い敷物と床の木目に冷たい縞を落とし、二階の梁と回廊の影がその上で重なる。壁際の爪とぎ台と猫の段棚、隅には大きな猫クッション――ここは猫の国で、人の笑いはその合間を通るだけだ。

 

 

「ここがカウンター。絶対に美味しくならない配合を宣言するわ」

「大層だねえ。材料は?」

「ベースは団子牛乳を薄めて台無しに、酸味は夕暮れの実、香りはミント」

「台無しの設計図、良い響きだ」

「それから稲妻素材――天雲草の実は食べない。グラスの縁に近づけて『ピリッ』て音だけ鳴らす」

「演出は荷札より目立つやつだ。木枠と紙紐、使うといい」

 

 

 ヤマトは荷から割れ物用の木枠を抜き、紙紐で即席のスタンドを組んだ。縄の締まりで指が温まる。岩馬は玄関脇の陰で、鼻息だけを置いて石の気配へと戻っていく。木枠の角はてきぱきと手に馴染み、配達屋の手際は酒場でも整頓という仕事に変わる。紙紐の繊維が爪に引っかかり、指先には木の汁の匂いがうっすら移った。

 

 

「おや、ディオナ。それに、珍しいお客さんね」

 

 

 棚の布が擦れて音を立て、店主マーガレットの声が樽を回り込んで届いた。腰に下げた鍵束がコインのように触れ合い、短く鳴る。

 

 

「なによ、知り合いなの?」

「ちょっと前にな」

「ちょっと?」

 

 

 瓶を傾けると白が糸を引き、刃を当てた柑果の皮から酸がはぜる。ミントは指先で折れて、青い匂いがぱっと広がった。天雲草の実は触れず、グラスの縁でちりと鳴る。ディオナは満足げにうなずくと、砂糖をひとつまみ「わざともたらす歪み」と呼んで落とし、爪先ほどの塩を「輪郭を尖らせて壊す」と言って投じた。ヤマトはその理屈の速さに、職人の匂いを嗅ぐ。包丁の刃が小さく光り、まな板に落ちる種の音が、米粒を数えるみたいに軽やかに続いた。

 

 

「氷で軽く冷やして、絶対に整えないように、ふ、る……」

「手際が整いすぎている気がするよい」

「うるさい、ほら、味見して。まずいって言いなさい」

 

 

 氷がシェイカーの壁で細かく鳴り、金具が低く応える。少女の腕が振り上がるたび、白い霧がほどけて灯の粒を連れて落ちた。指先には氷元素の涼しさが宿り、過ぎも足りもせず、最適な冷えだけが通り過ぎる。泡が均され、銀の胴が短く鳴るたび、猫が耳を動かして追いかけた。カウンターの板は弓なりに艶を返し、手の脂を吸っているせいか、触れるとしっとりとした温度を持っていた。

 

 グラスの外に薄い汗。ヤマトは一口、静かに含む。甘みは舌の奥で丸く、酸は縁を締め、冷えが喉を撫でる。薄荷が遅れて笑い、飲み口の角ははじめから丸かった。

 

 

「……悪くないよい。いや、これは――美味い」

「はぁ!? 分量崩す! 甘さ二倍、酸も二倍、ミント三枚もぎって――」

 

 

 乱暴に見えた手つきが、結局は角を落としていく。液面は一段透明になり、泡は均一に縁へ集まる。厚手のタンブラーに替えて鈍い口当たりを狙っても、冷えが保たれて飲み口はやさしい。氷を砕きすぎれば、香りがすばやく立ち上がる。最後に彼女は、泡立ちを濁らせるため高い位置から注いだ。ヤマトは黙って木枠と紙紐で小さな濾し器を掛け、粗い泡をほどよく逃し、細い泡だけを残す仕掛けを足す。

 

 

「口当たりがもっと丸くなった」

「最悪! なんで整うのよ!」

「お前さんの手は、結び目を見つける手だ。ほどくつもりでも、結び直してしまう」

 

 

 扉の鈴が続けざまに転がり、甘い匂いが廊に張り出した。猫が尾を立て、客の靴を縫うように歩く。外の通りでは、風が幟を撫で、乾いた布の音が潮のように寄せて返す。

 

 

「香りがいいわね。お客さん、並び始めたわよ」

「来るな! 帰れ! これはまずいの!」

「届けば十分、寝れば上等。味は……良い、よい」

 

 

 マーガレットは一つ受け取り、グラスの縁に口を寄せる。水滴が指を濡らし、彼女は一口で目尻を和らげた。帳場のペンが指先でくるりと転がる。壁の黒板に浮かぶ古い文字が粉をふき、誰かが袖でそっと拭う。

 

 

「名前は――昼寝猫(ナップ・キャット)。仮の名だ」

「却下! ……でも、まあ、仮なら……仮だけよ!」

「決まり。メニューの端に書いておくわ」

 

 

 黒板に白が走り、粉が空気にほどける。紙札には猫の判子、インクの匂いがかすかに立った。メニューの端に新しい行が増え、猫の耳を描いた小さな印が押される。ディオナは渋い顔で頷き、紐で束ねた仮ラベルにちょんと爪痕をつけた。店の奥では、洗い桶の水面がグラスの音に小さく波を立て、硝子片のきらめきが底でころころ転がる。

 

 

 

 ■  ■

 

 

 

「あとこれ、付き合ってくれたお礼。帰りにでも飲みなさい」

「ほう。こいつは『美味しそう』だよい。昼寝の共にでも……」

「勝手に寝ないで!」

 

 

 言いながらディオナは、籠から猫にブランケットを運ばせた。薄い毛布は陽の匂いがして、掌にやわらかい重みを残す。猫は満足そうに喉を鳴らし、毛布の端を噛んで引きずった。カウンターの角には紐の繊維が一本だけ引っかかって、灯に白く浮かんでいる。

 

 

「むー……最悪。どうして毎回、美味しくなるのよ」

「知っていても、たぶん変わらないよい。それでいい。届けば十分だ」

 

 

 ヤマトは荷の木枠を抱えて席を離れ、店の陰を選ぶ。縄の結び目が枕になる。外では風見鶏が短く鳴き、どこかの通りで子どもの笑いが跳ねる。薄荷の清さと団子牛乳の丸みがまだ口に残り、眠気は海の寄せるみたいに戻ってきた。窓枠の影が縞になって頬に落ち、影は浅く、心拍はゆっくり沈む。

 

 

「……届けば十分。寝れば上等」

 

 

 まぶたが落ちていく間際、鈴の音がひとつ、遠ざかる。窓の向こうで紙札がぱらりと揺れ、灯は丸く、影は浅い。昼と夜の境目が店の奥で静かに結び直される。ライアーの音は遠のき、代わりに洗い桶の水音がやさしく残った。

 

 やがて帳場でペンが走り、冒険者が笑い、誰かがもう一杯を頼む。母親に手を引かれた小さな客が背伸びして、「ちり、って鳴るやつ、見たい」と言う。ディオナはむっとした顔のまま、グラスの口に天雲草の実をすっと近づけた。金属でも硝子でもない、乾いた小さな音。子どもは目を丸くし、猫の耳の飾りを指差して拍手する。簪が触れて鳴るみたいに、音は短く、清潔だった。

 

 

「音だけ。これは触るだけ。飲み物には入れないの」

 

 

 ヤマトは黒板の新しい文字を眺めた。昼寝猫(ナップ・キャット)――短い眠りが遠回りを近道に変えることを、配達の足が知っている。坂を前に一息つけば、荷は揺れずに着く。猫が丸くなるのも、ほどけるための結び目だ。彼は背伸びをして肩の余計な力を落とし、試作品の瓶を一本、荷札で束ねる。細い紙紐が掌に食い、瓶は思ったより冷たい。ラベルには小さな猫の耳。昼寝猫の文字はまだ仮で、端に仮の朱が押してある。朱肉の匂いが淡く立ちのぼり、指先をほんのすこし赤く染めた。

 

 

「持ってくの? それ」

「渡す先があってね。昼寝の次は、配達だ」

「……寝てからにしなさい」

「そうするよい」

 

 

 表では風が旗を撫で、掲示板の札が一枚はらりと外れて足元を滑った。ヤマトは拾い上げて角を整え、紐で結ぶ。結ぶことは、癖のようなものだ。噴水の水はいつもの調子で空へ戻り、店の奥では鈴がひとつ、風に転がる。水は空へ戻り、猫の喉がひとつ鳴った。

20話以降の狛荷屋ヤマトの方針について(活動報告に詳細アリ)

  • 今と同じ1話完結のお話を見たい
  • 中長編のストーリーを見たい
  • 別の作品として中長編ストーリーを見たい
  • どうでもいい
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