狛荷屋ヤマトの宅配便   作:さば殿

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第08話 狛荷屋ヤマトとレンジャー長ティナリの森の荷物

 ■  ■

 

 

 

 スメールの森は、雨上がりの匂いに沈んでいた。

 

 夜半の大雨が枝葉を濡らし、朝になってもまだ雫は葉の裏に張り付いている。日差しを受けては光を砕き、ぽとりと落ちて地面の苔を叩く。湿った風は草いきれを運び、鼻腔の奥まで土の匂いを染み込ませた。鳥の羽ばたきが枝を揺らし、小さな蛙が泥を跳ねる。森全体が水に磨かれたように濃く、鮮やかに息づいていた。

 

 狛荷屋(こまにや)の荷車を押すヤマトは、そんな森をのんびりと歩いていた。車輪は泥に沈みがちだが、岩で補強した(ながえ)が重みを吸収し、安定を保つ。積んでいるのは学者たちの道具と薬草の種子。急ぎの品ではない。濡れないように包んであり、荷車の重心も低くしてある。安全第一、あとは無事に届けさえすればいい。

 

 

「雨のあとに慌てて歩くやつは、足を取られるのがオチだぜい」

 

 

 木陰を見つけ、荷車を止める。幹の下に腰を下ろすと、枝から雫がひとつ落ちて膝を打った。水音は心地よく、湿った風も肌を冷やしてくれる。ここなら昼寝にもちょうどいい。

 

 

「……ここで一眠りしていきてえな」

 

 ヤマトが目を細めたそのとき、背後から声がした。

 

 

「……感心しないな」

 

 

 耳の長い青年が立っていた。緑の装束に弓を携え、尾を揺らしてこちらを見据えている。森の警戒を解かぬその姿は、まさしくレンジャー長の威容だった。

 

 

「レンジャーか」

「君が狛荷屋の配達員だね。この森を通ると聞いていた。……しかし、雨上がりに道から外れて休むとは危険だ。森は一晩の雨で匂いも形も変わる。方向感覚を失うのは容易い」

「迷っちゃいねえよい。ただ、昼寝にいい木陰を見つけただけさ」

「……全く。危機感が薄すぎる。君の荷に責任はないのか?」

「荷は濡れねえようにしてある。倒れりゃ困るが、こうして支えてりゃ問題はねえ」

 

 

 ティナリは眉をひそめ、耳をぴくりと動かした。

 

 

「荷が無事でも、運ぶ者が道を見失えば同じことだ。森は生きている。慎重さを欠いた者を、容赦なく飲み込むぞ」

 

 

 ヤマトは肩を竦め、にやりと笑った。

 

 

「慎重も大事だが、急ぎ過ぎりゃあ足を取られる。……そういうもんだろ」

 

 

 ティナリは短く息を吐き、ため息とも呆れともつかぬ声音を漏らした。

 

 

「……学者の弟子たちが君の少し前を通った。雨上がりでも急いでいたが、あれでは足を取られるのが目に見えている。確かめに行かねばならない」

「急いだ結果、足止め。ありそうな話だな」

「君も同行しろ。荷を運ぶなら道案内が必要だろう」

「助かるよい。昼寝はまた今度にするさ」

 

 

 ヤマトは立ち上がり、荷車を押し直した。ティナリは前を歩き、二人と荷車は湿った森を進み出す。

 

 

 

 ■  ■

 

 

 

 森は五感を覆った。湿土の匂い、濡れた葉のきらめき、枝から滴る水音。遠くで鳥が囀り、木々の隙間から射す光は霧を透かして揺れていた。

 

 

「この湿度、君にはきつくないか?」

 

 

 ティナリが振り返った。

 

 

「荷には湿気に弱いものもあるだろう。管理はできているのか」

「問題ねえよ。しっかり包んであるし、重心も低くしてある。転ぶと困るがな」

「それは良い。……だが君の歩調は遅い。急げば昼までに着く距離だ」

「急いで泥に沈んじまえば、昼には着かねえだろうよ」

 

 

 ティナリは眉を寄せ、言葉を探すように沈黙した。その背にヤマトは笑いを漏らす。

 

 

「お弟子さんたちは、昼までに着くかねえ」

「彼らはまだ半人前だ。研究に熱心なのは結構だが、足下を軽んじるなと何度も言ってきた。焦りは無駄を増やすだけだ」

「まあ、休んでから歩けば足は軽い。遠回りに見えて近道になることもある」

「……君のような考え方も、一理あるかもしれない」

 

 

 ティナリの声は低く、しかしどこか譲歩を含んでいた。尾がゆるやかに揺れる。

 

 森はなお湿り気を残し、二人の歩調は違えども、同じ道を進んでいった。

 

 森の奥へ進むにつれ、湿り気はさらに濃くなった。水を含んだ土が靴底を吸い、枝からは雫が絶え間なく落ちる。虫の羽音がまとわりつき、時折小さな動物が茂みを駆け抜ける。

 

 ヤマトはのんびりと荷車を押し、ティナリは前を行きながら耳を動かし、風の流れを読んでいた。

 

 

 

 ■  ■

 

 

 

「聞こえるか。前方から人の声だ」

 

 

 ティナリの耳がわずかに震える。ヤマトも立ち止まり、耳を澄ませた。

 

 

「……助けてくれ! 足が抜けない!」

「このままじゃ荷も……!」

 

 

 叫び声は切迫していた。二人は藪を分けて進み、視界が開けた。

 

 そこは湿地の縁だった。昨夜の雨で水気を含んだ地面がぬかるみ、三人の弟子が片足を深く沈めてもがいていた。荷を抱えたままでは身動きが取れず、焦りに顔を歪めている。

 

 

「……やっぱりな」

 

 

 ヤマトが小さく呟く。ティナリの顔は厳しく引き締まった。

 

 

「全く、だから言ったんだ。雨の後に不用意に走ればこうなる」

「ティナリ先生!」

 

 

 弟子たちが救いを求めるように叫んだ。ティナリは矢筒から一本を抜き、周囲に目を走らせる。

 

 

「まず足場を固める。ヤマト、頼めるか」

「おうよ」

 

 

 ヤマトは掌を打ち鳴らした。地面がざわめき、光を帯びた岩片が集まる。瞬く間に馬の姿をとり、岩馬が低く嘶いた。蹄が湿地を踏みしめると、石の筋が道のように広がり、足場を固めていく。

 

 

「ほらよ。これで抜けられるぜい」

 

 

 弟子の一人が恐る恐る足を動かすと、泥は抵抗を失い、するりと抜け出せた。

 

 

「すごい……! 本当に助かった!」

 

 

 次の瞬間、森の影がざわめいた。ぴょん、と跳ねる音。ぬかるみの奥から数匹のキノコンが飛び出し、胞子を撒き散らす。

 

 

「っ!」

 

 

 弟子たちは思わず目を覆う。白煙が広がり、視界が曇る。

 

 

「下がれ!」

 

 

 ティナリの矢が飛び、胞子袋を正確に射抜いた。破裂音と共に煙が弾け、風に流される。残った個体を岩馬が前脚で払うと、泥水が跳ね、キノコンは転がって動かなくなった。

 

 

「……ふぅ」

 

 

 弓を下ろしたティナリが息を整える。弟子たちは泥にまみれたまま、胸を押さえて震えていた。

 

 

「助かった……危なかった……」

「危なかったでは済まされない」

 

 

 ティナリの声は厳しかった。

 

 

「君たちは僕の忠告を忘れたのか。雨の後は地面が不安定になると何度も言ったはずだ。焦って進んだ結果、足を取られ、荷を失いかけた。もし今のがキノコンではなく大型の魔獣だったら、命も失っていた」

 

 

 弟子たちはうなだれ、互いに視線を交わす。

 

 

「……すみません」

 

 

 ヤマトは荷車の取っ手に肘を預け、のんびりと口を開いた。

 

 

「まあまあ。遠回りに見えても、休んでから歩いたほうが足は軽い。焦って足を取られるより、よほど近道だぜい」

 

 

 弟子たちは顔を上げ、思わず聞き入った。ティナリは沈黙したのち、尾をひと振りして息を吐いた。

 

 

「……彼の言葉も、一理あるだろう。急ぐあまり無駄を増やすのは愚かだ。君たちも肝に銘じろ」

「はい!」

 

 

 弟子たちは力強く返事をし、荷を抱え直した。

 

 

 

 ■  ■

 

 

 

 その後の道のりは、慎重さに満ちていた。岩馬が固めた足場を弟子たちは恐る恐る踏みしめ、ティナリは前を歩いて時おり振り返る。ヤマトは荷車を押しながら口笛を吹き、湿った森の空気を肺いっぱいに吸い込んでいた。

 

 やがて木々が途切れ、学者たちのキャンプが見えてきた。白い天幕が並び、焚火の煙が漂う。薬草を煮出す匂いが風に乗り、忙しげな声が響く。

 

 

「戻ったぞ!」

 

 

 ティナリが声を張ると、学者たちが駆け寄った。

 

 

「無事で良かった……!」

「荷も弟子たちも揃っている!」

 

 

 歓声が上がり、弟子たちは安堵の笑みを浮かべた。ティナリは荷を確かめ、満足げに頷いた。

 

 

「正確さと慎重さは、森を歩む者には欠かせない。だが……」

 

 

 ティナリの視線がヤマトに向けられる。

 

 

「君のような余裕も、時に無駄ではないようだな」

 

 

 ヤマトは取っ手を撫で、口の端を上げた。

 

 

「昼寝と同じさ。邪魔されずに終えられれば、それでいい」

 

 

 ティナリは一瞬きょとんとしたが、すぐに小さく笑みを浮かべた。

 

 

「……全く、君というやつは」

 

 

 荷を降ろし終えると、ヤマトは大樹の下に腰を下ろした。枝葉が陽を遮り、鳥声が涼やかに響く。湿った森の匂いはまだ残っているが、風は心地よい。

 

 

「さて……ちょっと昼寝でも」

 

 

 目を閉じれば、雨の匂いと鳥声が遠ざかり、静かな眠りがすぐそこにあった。ティナリは尾を揺らし、呆れ半分に笑いながら背を向けた。

 

 

「君というやつは……」

 

 

 森の静けさに溶け、ヤマトの寝息がゆるやかに響いた。

20話以降の狛荷屋ヤマトの方針について(活動報告に詳細アリ)

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