サヤと呼ばれた人物がキサキの私室に入ってきたことで私がペットに殺される可能性が無くなったのも束の間、これはこれでまずい状況なのではと思い直す。今の私は椅子に座った状態で、その膝上にキサキが私と向かい合う様に跨っている。どう見ても事案だ。もちろん私が襲われている側なので被告はキサキだ。
山海経の風潮はこれまで厭になる程聞いてきた。伝統に五月蠅い彼女らが今の門主の姿を見て解釈不一致を起こしたりしたら面倒な事になるのは目に見えている。私が門主を襲ったと誤認してくれれば私が山海経から適当に逃げるだけで済むのだが、体勢的にキサキが主導権を握っているのでそれも難しい。
このネズミ耳の娘の動き次第では実力行使も辞さない。最低でもこの光景を口外出来ない、あるいはしたくないと思うまで楽しい思い出を作ってやる必要がある。
「サヤなら問題あるまいて。妾の不調を知る唯一の人物じゃったからの」
間近にいたおかげか私の雰囲気が変わったのを察知したキサキがやんわりと止めてきた。
「……そうか」
キサキが良いと言うならその判断を信じよう。――いや待て、今唯一と言ったか?
キサキの不調を知る者は少ないだろうと予想はしていたが、まさかこのネズミ耳の子だけとは思わなかったぞ。
「彼女は薬子サヤ。錬丹術研究会の会長でこれまでずっと妾の薬を調合してくれておった人物じゃ」
薬師が薬子……名は体を表すとはこの事か。しかし錬丹術とはなんだ?錬金術と言葉の響きは似ているが、キヴォトスにも錬金術に類するものが存在していたのか。
「よ、よろしく……。それにしても門主、いつの間にこの人と仲良くなったのだ?そ、それにそんな大胆に抱き合って……破廉恥なのだ!」
少し時間をおいた事で冷静になったのか、今の私達の体勢について言及されてしまった。どんな言い訳をするにせよとりあえず今はキサキを降ろした方がいいな。
「キサ――門主、そろそろ降りてもらえるか?これ以上はサヤにあらぬ誤解を与えかねない」
あらぬどころか全く持ってサヤの指摘通りでしかないが、私達が無実であるという事だけはしっかりと匂わせておく。
「そうさな。――この続きはまたいずれに……の?」
耳元でそう囁いてからキサキは私の膝から下りた。
「さて、話が逸れてしまったがどこまで話したか……あぁ、とある者を退学させたという話じゃったか」
「確かそうだな。察するに、門主が退学させた生徒というのが下手人か」
でなければわざわざこんな話を私に聞かせたりはしないだろう。キサキの受けた毒について少しばかり興味があっただけに既に退学しているのは残念だな。一目会ってみたかったんだが。
「……あんなに抱き合っておいてどうして二人はさぞ何でも無かったかのような振る舞いが出来るの?理解に苦しむのだ……それにもしかしなくても申谷カイの話をしてる?どうしてこの人に先輩の話を……?いや、それより門主の容態はどうなったのだ?二人してあんな事してる余裕があったんだし大体予想は付くけど……」
どうにか誤魔化そうとしたがやはりサヤからの言及は止まらなかった。しかしキサキの容態の方も気になるようでそちらへ関心が向いてくれた。
「其方の想像通り、身体ならば既にこの者の手によって快癒しておるぞ」
抱き合っていたという部分に関して一切触れる事無くキサキは自身の言葉を証明する為に再び身体を動かしてみせる。サヤはその様子を暫し静観していたが、当然ながらキサキが変調する様子は一切見られない。念の為にとサヤ自身もキサキの診断をして改めて問題無い事を確認すると安堵の表情を見せた。
「ほ、本当に治ってるのだ。……ちょっと悔しいけど、依頼を出すように進言して正解だったのだ」
ほう、その言い方だとサヤが今回の依頼の発起人だったのか。
「正直眉唾だと思ってたのだ。それでも……本当に魔法なんてものがあるのなら、医者としては失格かもしれないけどそこに賭けてみるべきだと思ったのだ」
「最初は妾もあまり乗り気ではなかったが、どうしてもと言うのでな。今となってはサヤの判断を信じて正解じゃったと思うぞ」
確かにキサキの立場からしてみれば外部の人間である私を呼ぶという事は自身の立場を崩しかねない危険性を孕んでいた。それでも玄龍門の者が最終的に私を通した事に渋々ながらも納得したのは、普段から門主としての務めを果たしてきたおかげだろう。でなければたった一度でも今回の様な強硬を許していたかどうか分からない。
「もし良かったらどうやって治したのか教えて欲しいのだ。魔法を使ったのなら一目見せて欲しいのだ!それとも異世界の薬かな?薬ならどんな成分が?素材は何を使ったのだ?副作用があればそれも教えて欲しいのだ!」
サヤが治療法について聞いてきた。今までキサキの世話をしてきたのだし気になるのも当然の事だろう。特に隠す必要も無いだろうし教えてもいいか。念の為キサキに目線を向けると、それに気づいたキサキが頷く。教えて構わないという事だろう。
「薬は使っていない。かと言って魔法も使っていないが」
「そう、なの?それじゃあどうやって治したのだ?」
「神頼みだな」
「……?企業秘密って事?それならしょうがないけど、もし副作用があるならせめてそれだけでも教えて欲しいのだ」
え、いや文字通りの意味なんだけど。これ以上どう説明したらいいんだ。
「ふふっ、妾が説明するかの」
それから私に代わりキサキが快復した経緯をサヤへ説明してくれた。一通りの説明を聞いたサヤは驚き半分疑念半分の様子だ。まぁ神が存在しないこのキヴォトスであればこの反応も仕方がない……のだろうか。
「神に祈るだけで病気が治るなら苦労はしないのだ……」
実際大した苦労も無く治せたからその通りだな。
「うぅ……魔法ならともかく、もし薬を使っていたら分析させて欲しかったのだ……異世界の知識ならもしかしたら不老不死の薬の研究にも役に立つかもと思ったのに……」
……なんて?
およそキヴォトスでは絶対に聞かないであろうと思っていた単語が聞こえ少し驚く。キサキに毒を盛った人物についてもう少し聞きたかったんだが、そっちは後回しだな。
「不老不死だと?君は不老不死を目指しているのか?」
「そうなのだ。不老不死の薬――仙丹を創り、神仙へ至る。それがぼく様たち錬丹術研究会の至上命題なのだ」
「ついでに言うと、先にサヤが名前を出しておった申谷カイ――妾が退学にさせた者も元は錬丹術研究会の会長を務めておった」
あ、そっちにも繋がるのね。
確かに毒を用いてキサキを害してきたのだからその申谷カイとやらが錬金術に精通しているのは納得だ。しかし神仙とは一体なんだ。次から次へと気になる単語を出すのはやめてもらおうか。
くそっ、カイという人物の事も聞きたいが不老不死の薬も気になる……!
「……門主、本当に先輩の事を話すの?」
「サヤの不安も分かるが、意図あっての事じゃ。既に彼奴が矯正局を脱走している以上、妾の快復を知るのも時間の問題じゃろう。それも、門主である妾がわざわざ外部の者を呼んだタイミングでな」
「なるほど、この人が先輩に目を付けられる可能性が高いって事か……」
はて、矯正局……?
どこかで聞いた事があるような、無いような……?
「そうか、其方は知らなんだか」
キサキが言うには矯正局とは文字通り、やんちゃをしすぎた生徒を閉じ込め、矯正させる為の施設らしい。ノースティリスでいうところの収容所の様なものか。確かダルフィの東方向に存在していると聞いた事がある気がする。まぁ私には一生縁の無い場所だな。
「こうして治してもらった恩を受けておきながら元凶の事を話さぬのは義に反すると判断したのじゃ。――納得できたかえ?」
「分かったのだ。そういう事ならぼく様からも出来る限りの情報を話すのだ」
キサキの説得の甲斐あってカイの情報を話す事を渋っていたサヤも納得の表情を見せてくれた。そんなサヤの様子を見たキサキはこちらへひっそりと耳打ちしてきた。
「サヤにはああ言ったが、妾の事を其方に知って欲しいと思ったのも事実じゃ。それだけは勘違いしないでくりゃれ?」
私にカイの話をしようとした時の事を言っているのだろう。何とも健気な子だ。
直接言葉は返さず、頷く事で返事をする。私の返事に満足そうに微笑みを浮かべるキサキを見やりながら、一旦ここまでの話の整理を付ける事にした。途中で話が逸れたりサヤの乱入があったりして話題が取っ散らかってしまったからな。不老不死の薬は後回しだ。
まずキサキは毒を盛られていた。それはジュア様の手によって癒されたが、キサキの不調は人為的に齎されたものであり下手人は申谷カイという人物によるものだった。カイは既にキサキによって山海経を退学させられ矯正局へと送られたが、キサキによれば既に脱走しているらしい。ここまでが私の把握している情報だ。
「それで、そのカイとやらは一体何をやらかして退学になったんだ?」
しかもその後矯正局送りにされているらしいし、相応に大きな事を仕出かしたはずだ。
元気の有り余っているゲヘナの生徒ですら問題を起こして矯正局に入れられた子は、私の知る限りでは存在していない。そんな子が居たら私が矯正局の存在を知らないはずがない。
「簡単に言えば、不老不死の霊薬を作ろうとして数多の生徒を集め実験体にしおった」
結局そこにも話が繋がるんかい。
至上命題というだけあって不老不死と錬丹術は切っても切り離せない関係にあるらしい。
それからカイが山海経で行っていた所業を色々と聞かせてもらった。生徒を集めて実験体にして副作用によって苦しんだ生徒が居た事。その副作用を治すための薬をちらつかせる事でその生徒達を自身の意のままに操っていた事など。
それと、どうやら神仙とは不老不死となった者を指し示す言葉らしい。てっきり神仙とは神へと至った者を指すのかと思ったが、どうやらそこまで烏滸がましい思想は持ってはいないようで安心した。もし本気で神になろうとしていたのなら少しばかり教育してやる必要があった。たかが生徒が神になどなれるわけもあるまい。
しかしカイという人物は……あれだな。多分生まれた世界を間違えてしまったタイプだ。恐らく倫理観に関しては私と同等か近いものを持っている。ノースティリスにさえ生まれていれば特に問題視はされ……なくはないだろうが、それでもここまで目を付けられる事も無かっただろうに。とはいえ――
「そこまで手段を選ばず事を運んでおいて、よもや不老にすら届いていないとはな」
これに関しては正直に言って期待外れだ。
なまじ錬丹術と錬金術は似通った部分があるだけに余計にそう感じてしまう。まぁそれでも毒物の扱いには長けているのは確かだし、一度だけなら会ってみてもいいかもしれない。後顧の憂いを断つという意味でも。
「ちょ、ちょっと待って欲しいのだ。その言い方だとまるで……貴方なら不老にならなれると言っているように聞こえるのだ」
「なれる、というより既にこの身は不老だ」
不老長寿のエリクシルを服用しているから年をとることはない。
「――なっ」
私の言葉にキサキが驚愕の表情を浮かべながら言葉を漏らす。サヤも口を大きく開けて目を見開いてこちらを凝視している。
「ついでにいうと不老不死の薬を創れそうな人物にも一人……いや、二人程心当たりがある」
「「……」」
言うまでも無くケトルとソリンだ。前者に関しては作れるだけの腕前は既にあるが、恐らく頼まれたとしても作る気は無いだろう。後者に関してはあまり頼りにしたくない。今は普通の人間の見た目のまま拠点に住んでいるソリンだが、実際の姿は中々に悍ましい姿をしていると聞く。つまりソリンの生み出す不老不死の薬では何かしら致命的な副作用がある可能性が高い。もし完璧な不老不死の薬があるのなら、ソリン自身が異形の姿になる必要などどこにもない。あるいは異形となった後に不老不死の薬を創り出した可能性もあるが、聞いてみない事には分からないな。
「……もしや其方は永い時を生きておるのかえ?」
「いいや、実のところあれを創り出したのは割と最近でな。実年齢に関しては見た目と一致している」
たぶん。
「――良ければ今度キサキにも渡すか?一度作成した以上量産は容易だしな」
キサキに耳打ちして不老長寿のエリクシルの譲渡を提言する。提案を受けたキサキは暫し考え込んだ後にこちらへ顔を向ける。
「……そうじゃな。これから永く生きるであろう其方を置いていくわけにはいくまいて。じゃが飲むのはもう少し時が経ってからにしようかの。もし飲んだ段階で成長が止まってしまったりでもしたら惨事じゃしな」
やっぱり身長の事は諦めていないんだな。
「分かった。飲みたくなったらいつでも言ってくれ。用意しておく」
キサキの分だけでなく他のペットの分も幾らか作っておくか。全員が全員飲むかは分からないが、数本だけでも予備はあってもいいだろう。
「カイの事じゃがの、其方も気を付けてくりゃれ。彼奴の目論見を外した以上、其方にも関心の目が向く事になるはずじゃ。向こうがどう出るか――妾にも予測がつかぬ」
「分かっている。寧ろ私の所へ来てくれるのなら好都合なんだが」
不老にすら届いていないと聞いてからは若干興味は失っているものの、それでも彼女の錬金術の腕前にはまだ少しだけ関心が残っている。見込みがありそうならペットにするのも一考かもしれない。
「――まさかカイまで手元に置くつもりかえ?其方、想像以上の悪食じゃのう」
節操無しとかならともかく、悪食とまで言われるとは余程カイの事が気に食わないらしい。まぁ毒を盛られた上にキサキの守りたい山海経を引っ掻き回した手合いを好意的に見る方が無理な話か。
そういえばジュア様はあの毒はキサキを苦しめる目的だと仰っていた。
であるならば、カイの今の目的は自分を追いやったキサキへの復讐とかだろう。だがキサキは既に私のペット。誰であろうと私の物に手を出す事を許すつもりはない。毒を盛った件は私のペットになる以前の話なので目を瞑るが、もしまだ諦めていないのであれば――
「こちらで始末しておくか?」
物珍しい毒を扱えるし若干惜しい気もしなくもないが、後顧の憂いを断つなら殺してしまうのが一番手っ取り早い。とはいえ先生との約束もあるしこれは最終手段にしておきたい……が、もしキサキがカイの死を願うなら残念ながらペットの願いが優先だ。
「いや、そこまではせんでもよい。じゃが……首輪は必要であろうな」
その首輪の役目は矯正局が担っていたはずだが、脱走しているのではその役目も果たせそうにないしな。
「妾としては彼奴が山海経や他の自治区に被害を及ぼさなければ、それでよい。もし其方が先にカイと邂逅した際には、其方の判断に一任するとしよう」
「分かった。とりあえず相手の出方を窺う事にする」
ここまで私の元を訪れる事を前提に話を進めたが、実際にこちらへ顔を出しに来るかは分からない。結局は向こうの出方次第なので場当たり的に事を進めるしかないかな。
――ま、なんとかなるか。
ベアトリーチェの時ほど被害の規模も大きくないし、そもそも相手は生徒だ。毒という搦め手を使うところから見て実力もそこまで高くはないだろうし、どうとでもなるだろ。
「それよりも暫くは山海経の内部を洗った方がいいだろうな」
「……内通者がいる可能性がある、という事じゃな」
そう。あのような毒を盛った人物がそれだけで満足するはずがない。必ずどこかでキサキの経過などの情報を得ていたはずだ。復讐するにしても情報は必ず必要となる。だがカイ自身が山海経で動き回るのはリスクが高い。となれば、人手を使って収集するしかない。
「特に一番可能性が高いのは錬丹術研究会だ。だからサヤにも内通者の洗い出しを手伝って貰いたいんだが……サヤ?」
こうして声を掛けて初めて意識した事だが、サヤは今の今まで全く会話に参加してきていなかった。一体どうしたのだろうとサヤの様子を窺うが、俯きながら何かを考え込んでいる様子だ。
「……門主」
こちらの視線に気付いたのか、サヤは顔を上げたかと思えば妙に神妙な面持ちでキサキへと声を掛けた。
「……サヤ?どうかしたのか?」
「――今までお世話になったのだ。ぼく様はこれからこの人の元で薬を作る事にするのだ」
急に何を言い出してるんだこの子話聞いてたんか。頭とち狂ったか?