――山海経自治区の片隅にて。
「自治区の外れとはいえ、私を呼び出すとは。珍しい事もあるものだねぇ」
一人が心の底から意外そうに言葉を紡ぐ。
「わざわざご足労頂き、ありがとうございます」
その言葉を受け、もう一人が恭しく頭を下げる。
静かな態度こそ取ってはいるが、その胸中は穏やかではない。目の前に居る人物は本来であれば錬丹術研究会の会長を務めていた筈の御方であり、己を神仙へと導いて下さる唯一の存在だった。そんな御方が今では山海経の敷地に足を踏み入れる事も許されず、こうして山海経の外に身を隠す必要に迫られている。そんな現状が耐え難く、酷くもどかしい。
「どうしても直接お会いする必要があったのです。どうかお許しを」
「ふむ?しかしそう長居するわけにはいかない。少なくとも、今はまだ。なるべく手短に済ませてくれるかい」
いずれ返り咲くつもりだが、まだその時ではない。
言外に伝えられた意思を聞き歓喜の感情が湧き出るが、努めて表情には出さぬように抑える。今自身のすべき事は喜びに身を震わせる事では無く、この非常事態を自身の主へと伝える事だ。そう己を律して言葉を続ける。
「……理解しております。カイ様」
「では聞こうか」
「まず、門主の容態についてなのですが――現在では快復したものと思われます」
「ほう?」
カイと呼ばれた人物は俄かには信じ難い報告を聞き、思わず感心の声が漏れる。
――あれを治せるのは自身以外に存在しない。
そう断言出来る程度には強力なものを用いたつもりだ。今の錬丹術研究会ではとてもでは無いが治せる技術は持ちえない筈。それとも己が居ない間にあそこの連中はそこまで進歩していたのか。他にも幾重の考えが浮かぶが、これと言った解は得られない。
だが、もし本当に快癒させたと言うなら興味深い。
どうやら後輩は自身の想定よりは優秀だったらしい。
「それが……最近玄龍門に外部者が現れまして。恐らくはその大人が治したのではないかと」
「……何?」
続けて齎された情報にさしものカイも困惑が隠せなかった。
玄龍門と言えば呆れる程の保守派であり、部外者を招き入れる事は殆ど無い。
しかも招かれた人物は大人であるという。一応思い浮かぶ候補は幾人か出るが、一番可能性が高いのはシャーレの先生という存在か。かの公権力があれば玄龍門であっても反発するのは難しいだろう。
しかし、先生が薬学に長けているなどという噂は聞いた事が無かった。であれば――
そこまで考えて、カイは一旦自身の思考に蓋をする。自身の知らぬ間に事態が大きく動いていた以上、一度全ての報告を聞いてから話の整理を付けた方が良さそうだと判断した。
「相手はゲヘナから来た大人です。どうやら何でも屋の依頼として山海経へ訪れたらしく、依頼主は門主本人。門主は個人的な依頼だからと依頼内容を他人に明かす事はしませんでしたが、その日以来薬子サヤが門主の薬を作る様子が見られなくなりました」
「……成程」
その人物ならカイも知っている。
先生と同じくキヴォトスの外からやってきた人物であり、大人でありながら三大校であるゲヘナの風紀委員会に身を置く奇特な存在。様々な噂に事欠かず、その殆どがゴシップあるいは眉唾な噂が多かったと記憶している。
曰く、ゲヘナの真の支配者。
曰く、自身の気に入った生徒を囲っている。
曰く、彼は猫探しの達人である。
曰く、聞き分けの悪い不良生徒を鞭で躾けている。
曰く、魔法という超常の力を扱う。
曰く、彼の営む何でも屋は金さえ払えばどんな願いも叶えてくれる。
と、当の本人が知れば事実がそこそこ含まれているせいで気まずさのあまり閉口するであろう噂が跋扈している。カイは噂を話半分程度にしか認識していないが、少なくとも魔法に関しては嘘ではないだろうと当たりを付ける。実際いつぞやのエデン条約の日に放映されていた映像で当の本人がデモンストレーションとして魔法を披露していたのを見た記憶がある。
(キサキの事も魔法とやらの力で治したのだろうが、思わぬ形で邪魔が入ってしまったな。計画に幾つかの修正を加える必要がありそうだ。…………魔法、か。実に腹立たしい)
埒外の変数の登場により計画の変更を余儀なくされ、カイは歯噛みする。
しかしそれ以上に、カイにとっては魔法などという理解不能な力が、自身の技術よりも優れていると突きつけられた様に感じられ、それが何よりも認めがたく、カイの神経を逆撫でしていた。
「それと、もう一つご報告しなければならない事が……」
「……何だ」
これ以上まだ何かあるというのか。
流石に辟易とした態度を隠す事が出来ず、半ば八つ当たり気味に棘のある態度で言葉を返す。
「……こちらをお受け取り下さい」
そう言って差し出されたのは液体の入った一本の瓶。
これが一体なんだと言うのか。そんな気持ちを抱えながらそれを見やる。
「それも件の部外者が持ち込んだ物です。どうやら薬子サヤが彼から譲り受けた物らしいのですが……その……」
そこで言い淀む少女。
怪訝に思いながら少女の顔を見やるが、どうやら本人も半信半疑といった様子で言葉にするのを躊躇っているらしい。とはいえ聞かなければ話が進まないのでカイは続きを促す。
「その、薬子サヤが言うには…………不老の妙薬、と」
「――――」
有り得ない。
心中でカイは断言する。
しかし、心の中で否定すればするほど、先の話の辻褄が合ってしまう。
何故、キサキの身体をこれほどまでに簡単に治されたのか。
魔法という超常の存在のおかげだと思った。
しかし、その前提が間違っていたとするなら。
彼が魔法だけでなく、薬学にも通じていたとするなら。
薬学において――自身より遥か高みにいたとするなら。
今一度、手元にある薬を注視する。
未だ湧き出る考えを否定するべく薬の真贋を確かめようとするが、およそカイに理解出来る代物では無かった。辛うじて理解出来たのは、これが複数の薬を材料に作られている事。その一点のみ。材料は理解出来ても、その製法も、真贋すらも、見抜く事は叶わなかった。
そして、自身の技術を以てしても理解が及ばないという事は。それはつまり――
……有り得ない。
再び、断言する。
完全では無いとは言え、自身の追い求めた仙丹が、今まさに手中にあるなど。
……有り得ない。
三度、断言する。
よりにもよって、これを渡されたのが――選ばれたのが、薬子サヤであるなど。
……有り得ない。
何故、私じゃないのか。
選ばれるべきは――
「……カイ様?」
「……ククッ、いや、何でもないさ。――そうだ、これは君に返しておこう」
「えっ……?」
「それは君が盗み出した物だろう?ならば、それは君の成果物だ」
「あ、ありがとうございます……!で、では……飲んでみてもよろしいでしょうか……!?」
「言ったはずだ。それは君の物なのだから、私に許可を取る必要は無い」
「そ、それじゃあ、失礼して……!」
「…………」
嬉々として不老の妙薬に口を付けようとする少女を、カイは無感情に見つめていた。
**********
「えっ……?盗まれるって分かってたの……?」
「まぁ、そうだな」
憔悴した様子のサヤから電話が来たので話を聞いてみると、どうやら不老長寿のエリクシルが盗まれたとの事だった。私からすれば想定内の事だったので特段驚きは無い。
「えっ……?じゃあ何で教えてくれなかったのだ……?」
「いや、その辺の話は以前キサキと一緒に居た時にしようと思っていたんだがな」
あの時錬丹術研究会に居るかもしれない申谷カイの内通者を炙り出す為に協力してもらおうと、サヤへ声を掛けようとしたらこの子は上の空だった。そして戻って来たかと思えば私の元へ来ようとする発言をしたものだから話題がそっちへ行ってしまい、そのまま話が流れてしまったのだ。なのでいっその事サヤには伝えぬまま対策しようという事になったのだ。無論私の独断で。
「いや教えてよ!ぼく様すっごい焦ったんだからね!?お師匠様から預かった大切な薬を奪われて、もしかしたら破門になっちゃうんじゃないかと本気で泣きそうになったんだからっ!」
「敵を騙すなら味方からと言うだろう?まぁ、別に今回は騙す必要は無かったんだが」
「もおおおおおお!」
受話器越しにサヤの憤慨した声が聞こえてくる。確かにちょっとばかりサヤには悪い事をしてしまったか。
「悪かった。次があればその時はちゃんと共有する」
「そうして……。ところで、一体どういう計画だったの?」
「それは――」
今回の対策に関してだが、結構穴が多い。
まず、今回は申谷カイの内通者を炙る目的で不老長寿のエリクシルを囮にする形を取ったが、必ずしも内通者が盗むとは限らないという点。そもそも錬丹術研究会の理念からして、内通者でなかろうと魔が差して盗む人物が居てもおかしくはない。
「……い、いや、流石にそんな不届き者は会員には居ないのだ!」
そうかな……?
他ならぬサヤがエリクシルを前にするとトリップしていたのを見るとそうとも言い切れない気がするんだが……。
まぁそれは良いとして次点に、盗まれた不老長寿のエリクシルには祝福を施している。あれを祝福すると、不老になるという効果の他に若返りの効果が追加される。
「へー、そんな事も出来るんだ……具体的にどれくらい若返るのだ?」
「そうだな……確か、山海経には幼い子供を預ける施設があるんだったな?名前は――」
あれ、なんて言ったっけか。
「梅花園?」
「そうそれだ。君達くらいの子が服用すれば、そこに通っていてもおかしくはないくらいの年齢になるだろう」
「なるほどなのだ。確かにそれならすぐに犯人が分かりそうなのだ」
「そうだな。服用してくれれば、すぐに分かるだろうな」
服用してくれなければ分かり様がない。それが問題点二つ目だ。
といった感じで、先にも言った通り今回の対策には穴が多い。何故こんなに適当なのかと言うと、ぶっちゃけて言えばそこまで内通者を探るのに躍起になる理由が無いというのが一つ。申谷カイの目的がキサキに対する復讐だとするなら、向こうからいずれ勝手に姿を現すだろうし焦る必要がない。それと山海経では私はただの部外者なので動きが制限されてしまう。なのでこういった手段を取る事しか出来なかったというのもある。
どうせ不老長寿のエリクシルなんて幾らでも作れるから失くしても惜しくないしな。幾らでもくれてやろうじゃないか。盗んだ本人もお望み通り不老が得られて幸せだろうしな。
まぁ――若返ったうえで不老になるので幼い姿のまま一生を過ごす事にはなるが、些細な事だ。
「確かに。お師匠様の薬を盗んでその程度の罰で済むなら優しいくらいなのだ」
「もし服用していれば犯人探しには苦労しないだろうから対処はそちらに任せる。明日またそちらに代わりのエリクシルを届けに行く」
「分かったのだ。次は厳重に保管するから任せて欲しいのだ!」
がんばれー。
**********
「わ、私の体が……!一体、どうなって――!」
――これだから凡夫は。
仙丹を服用し、幼くなった少女――いや、幼女を前に胸中で独り言ちる。
そもそも、この程度の凡夫があっさりと盗み出せた時点で怪しむべきだった。
あれは――餌だ。
恐らくはキサキから私の事を聞いた彼が用意したのだろう。こうして私を炙り出す為に。
幼くなったのは盗んだ事への罰といったところか。毒を仕込んでいないのは彼なりの配慮か、あるいは私が飲む事を懸念してのものか。ともあれ、結果としてまんまと引っ掛けられたという訳だ。
「カイ様……!わ、私の身体が……!不老の妙薬なんて嘘だったんだ……!助けて……!」
考え事に耽っていると目の前の幼女が浅ましくも私に助けを求めてきた。しかも言うに事欠いてその薬が仙丹ではないと喚き始める始末。罠と分かり切っていたからこそ譲ってやったが、物の価値も分からない凡夫に飲ませるべきでは無かったか。それが本当にただの若返りの薬なら、私がとっくに見抜いている。
「非常に残念だが、私にはどうする事も出来ないな。サヤにでも助けを求めたらどうかな?」
果たしてサヤが――山海経が裏切り者を許すとも思えないが……そこは私の知った事では無いし、最早さしたる興味も無い。目の前の凡夫から背を向け、歩き出す。
「そんな……この姿で戻れるはずが……カイ様!い、一体どちらに……!」
「私の向かうべきところへ」
暫く後ろから煩わしい雑音が鳴っていたが、距離が離れるにつれ次第に聞こえなくなった。
そう、最早興味は無い。
山海経も、キサキも、錬丹術研究会も。
あそこに私の求める物は、何一つとして在りはしない。
この様な気持ちを抱くのは、生まれて初めてだ。
復讐の邪魔をされ、あげくの果てに、夢にまで見た悲願はとっくに先を越されていたというのに。
……不快だ。私よりも先に神仙へ至る者が存在するなど。
屈辱であり恥辱であり汚辱の極みだ。――だというのに。
湧き上がる激情とは裏腹に、私の心は彼を求めて止まない。
彼が持つであろう技術、叡智。その全てが欲しくて堪らない。
それを手に入れる為ならば、何を捧げようと構わない。
身体を求めるなら身体を。心を求めるなら心を。薬を求めるなら薬を。
私の持ちうる全てを差し出そう。
幸いな事に彼もまた私に興味を抱いている。そうでなければ、わざわざ仙丹を撒き餌にして誘き寄せる様な真似はしないだろう。
彼が私を欲し、私も彼を欲している。
出会わずして相思相愛とは、余程私達の相性は良いらしい。
「――今、会いに行く」
まずは、私の価値を彼に証明しなければ。
サヤなんかよりも私の方が、ずっと役に立てる。
何か病んでて草。