専務からスプリングフェス出演の決定を知らされてから数日経った。
プロダクションのアイドル達にこの決定を知らせた所、当然ながら皆驚いていた。とは言っても、うちの子達は大きな舞台を純粋に楽しみにしていたり、はたまたそもそもどんな仕事であろうともあまりテンション変わらなかったりで、なんだかんだ皆前向きに受け止めていた。思いっきりビビっていたのは、りあむだけだった。今は、各々本番に向けて日々レッスンに励んでいる。
うちの事務所はフェスで各ユニットごとに1曲と、プロダクションメンバー全員で1曲歌って、計4曲歌うことになっている。ちとせと千夜、颯と凪に関してはデビューの際に出したオリジナル曲を歌う。そして、あかり・あきら・りあむの3人は、今回のライブで初披露となる新曲を歌ってもらうことになった。
この曲は元々3人のユニットデビュー曲として準備されていた曲だったが、今回のライブのために予定より早めの披露となった。ステップが少々難しい曲なのでお披露目までじっくり仕上げていくつもりだったのだが、フェス本番までに残された時間か一ヶ月ほどしかない。今回がデビューライブになる3人にはあまりにも厳しい条件になるため、この方針に対して私は少し反対したのだが、心さんや部長の推薦もあって決定した。
その代わり、7人で歌う曲はカバー曲を選んだ。カバーの方は何度も歌われてきた曲なのでレッスンもしやすいから、少しでも皆の負担が減れば良いと思っている。
そんな感じでアイドル達は今日もレッスンを続けているのだけど、私は事務所で1人PCに向かって作業をしていた。
フェスに向けてのプロデューサーの仕事というと、例えばレッスンの監督だったり、あるいはステージ演出の検討などがあるが、ほとんどはトレーナーさんやライブの演出家の仕事になるので実際にそれほど関わるわけではない。しかし、プロデューサーの仕事はそれだけでは終わらない。
アイドルプロデュースは長期構想のプロジェクトである。今回のライブが終わった後の活動を見据えて、ここから先の企画や指針を決めていかなければならない。そもそも今回のライブ自体が想定外だったから、かなりプランの変更をしなければならない。
……いろいろと大変ではあるが、愚痴ってばかりも居られない。私はこうして少しずつでもあの子達の道を整えなければ。
それに、今回のライブはそれ以外にも懸念事項がある。
最も、これは私の個人的な話ではあるのだけど。
デスクの端に置いたままにしていたライブの資料を手に取る。出演予定アイドルのページをめくると、フェスのトリを飾る末尾には私にはとても馴染みのある名前が記してある。その名前を見ていると、チクリと胸が痛む。
アイドルを辞める決めた時。
今にしてみれば当然のことだけど、私の決断は周りの人々全員に受け入れられた訳では無かった。
その頃私は、2組のユニットに所属していた。その内の1組には、ユニットの皆にも決断を受け入れてもらって、ユニットもラストライブまで盛大に行って円満に解散した。
だが、もう1組はそうはいかなかった。
ユニットメンバーの1人が強く反発し、受け入れられない彼女と譲る気のない私の間で諍いが起こった。その結果、私はユニットを脱退という扱いになり、残ったメンバー2人はユニットを続けることとなった。
思い返せば、あの頃はまだ私たちは子どもだったのだ。もうすぐ大人になろうかという不安定な時期だからこそ、私はそういう決断をしたわけだし、その結果1つの繋がりが痛みを伴う結末を辿ったこともきっとどうしようもない話だったんだと、今はそう思える。
そしてきっと、この痛みを抱えているのは私だけなのだ。
時計に目をやると、いつの間にかずいぶん時間が経っていた。そろそろ彼女たちのレッスンの様子を見に行った方が良いだろう。
そう思って、私は席を立った。
◆ ◆ ◆
というわけでレッスンルームまで来たのだが、そこには予想外の光景があった。
「おっ!凛じゃ~ん、久しぶりー!」
扉の先では、見知った顔がにこやかに手を振っていた。
「……加蓮、何しに来たの」
「ん~?可愛い後輩を見に来たんだけど?」
そう言いながらあかりをモフモフしているアイドルの名は、北条加蓮。かつて私とトライアドプリムスというユニットで共に活動し、私がアイドルを辞める時に袂を分かった仲間である。
その隣には、同じく元ユニット仲間であり、今も加蓮と共に活動を続けている神谷奈緒も居て、苦笑いしながら手を上げてくれる。
「あたしらもレッスン入れてたんだけどさ、この子たちも一緒にレッスンしてるって聞いて、加蓮がどうしても会いたいって言うからさ」
「ハァ……」私はため息をつく。
他の様子を見ると、あかりは髪や顔をいじられながらもまんざらでも無いような表情をしていて、あきらは「誰デスかこの人」と言いたげな怪訝な顔をこちらに向けている。そして、そこから少し離れてりあむはワナワナと震えながら縮こまっている。
「邪魔しに来たんじゃないよね」
「まさかぁ。邪魔なんてするわけないじゃん。ちょうど休憩時間だったからコミュニケーションしてるだけだよ」
カラカラと笑いながら加蓮は答える。
結局の所、現在の私たちの関係はこんな感じである。
アイドルを辞めて数年。道の分かれ方は綺麗には行かなかったけど、それからだいぶ時間も経って、遺恨も残さぬほどに私達も大人になった。
特に、加蓮は変わった。
初めて会った頃は、明るい笑顔の裏に寂しさや諦めを時折覗かせるような少女だった。それが、病弱だった子ども時代に起因しているということに、私はユニットで共に活動する中で知った。
元より負けず嫌いで頑なな性格もあって、アイドル活動にも鬼気迫るような場面が度々あった。
しかし時が経つと共に、彼女も全力でアイドルを楽しむようになり、心の底からの笑顔を浮かべるようになった。きっと彼女も自分自身の過去と今に向き合えるようになったのだと思う。後輩たちとも積極的に交流するようになり、自然と繋がりを広げていき、現在に至る。
というわけで、ユニットを辞める時に諸々あったものの、加蓮からの私への接し方は前とそれほど変わらない。
少なくとも、加蓮の方からは。
「よし、休憩時間は終わりだ。再開するから整列しろ。北条と神谷も、渋谷と一緒にレッスンを見たいなら邪魔にならないところに居ろ」
休憩から戻ってきたトレーナーさんが全員に声をかける。
「あと、お前たち自身のレッスンの時間もちゃんと守れよ」
「はぁい」
返事をしながら私たち3人はレッスンの場の端へ移動し、そこであかりたちのレッスンを見守ることにした。
「というか、2人も本当にレッスン見る気なの?」
小声で横の加蓮に話しかける。
「そうだよ?私たち自身のレッスンもちゃんと手は抜かないからそこは安心して」
「そういう心配をしてるんじゃないけど」
「ていうか、あの子たちの新曲良い感じじゃん。良い曲取ってきたと思うよ」
「……どうも」
「でも、なんか今度のライブでやる事に、凛はなんだか渋ってたって聞いたけど?」
そんな情報を一体どこから仕入れてきたのか。彼女の担当プロデューサーか、はたまた専務の方か、心さんとかの方向もあり得るな。いやまあそこら辺はどうでも良い。
「別に構わないでしょ。慎重になるに越したことはないし」
隠すようなことでも無いし、世間話がてら返答したが、なぜか加蓮が私の顔をジッと覗き込んでいた。思わず目を逸らす。
「……なに?」
「いや、なんだか凛らしくないなぁって思って」
「どういうこと?」
「凛にしては慎重すぎない?慎重というより心配性って感じ」
「心配性っていうか当然のことだよ。担当アイドルのことを考えて、あの子たちにとっての最善かつ安全な道を整えていく事がプロデューサーの仕事でしょ」
その答えを聞いた加蓮は真剣な表情のまま、視線をレッスン場の方に戻し、小さく口を開いた。
「それは、凛があの子たちを信じれてないだけじゃない?」
「え?」
「何を怖がってんの?」
「――――」
「おい、北条、神谷。ちょっと良いか」
私が言葉に詰まっている所に、トレーナーさんの声が割り込む。
「そこでただ見てるだけよりも、せっかくだからこいつらにステップの見本を見せてやってくれないか?サビのステップ、見てたから分かるだろ?」
「別に良いけど、それは凛がやった方が良いんじゃないの?」
部屋中の視線が私に集まる。
「私は……無理だよ。もうダンスもずいぶんやってないから、参考にはならないよ」
半分ぐらいは嘘だった。
「ふぅん……。ま、そういうことならしょうがないか。じゃあ私が一肌脱ぐとしようかな。それとも奈緒がやる?」
「いや、アタシは良いよ。こういうのは加蓮の方が得意だろ」
「オッケー。じゃあ、やってみよっか」
言いながら加蓮が前に進み出て、皆に見える位置に立つ。
「うん、良いよ」
加蓮の合図で音楽が流れ始める。
その瞬間、空気が変わった。
思えば、加蓮には最初から素養があったのだと思う。
トライアドプリムスとして活動していた頃、もしくはさらにそれ以前、彼女が1人で活動していた頃からその信念は一ミリもぶれていなかった。
上へと向かう意志。
決して諦めない心。
生きることを必死に証明するように、彼女は戦い続けていた。
そして、ひたむきな努力と信念は報われる。
彼女が人々に愛されるようになり、自らが今を肯定できるようになったのはきっと必然だった。
アイドルを全力で楽しめるようになって、なおも探求と研鑽を続け、
北条加蓮は、アイドルの頂点に上り詰めた。
一歩目から違うと分かるステップだった。
リズムキープ、動きのキレ、ビジュアルのアピール、どれも間違いなく一流の技術だ。外から見ただけで実際に踊ったことはないダンスにも関わらず、まるで何日も練習を重ねたような動き。
いや、しかしここまで全力を出す必要があるのか。
明らかに後輩へステップを教えている感じではない。本番を想定しているかのようなテンション。誰かに見せているのか。
その時、加蓮と目が合った。
その一瞬で、私は全てを悟った。
曲が止まり、ステップも止まる。時間的にはほんの一瞬だったけど、体感はまるで一曲分を聞いたかのような感じだ。
湧き上がる拍手はルーキー3人によるものだ。
「いやあ、ありがとう。って、なんかめっちゃ泣いてない!?大丈夫?」
「う"い"ぃぃ…ざい"ごう”だっだぁ……。もう死んでも良いぃぃ……」
りあむが顔をぐしゃぐしゃにしながら涙を流している。それを加蓮とあかりがヨシヨシとなだめ、あきらがやれやれと首をすくめている。
そんな光景から目を逸らして、私は部屋の出口へと向かう。
「ん?凛、どうした?」
「ちょっと仕事をやり残したのを思い出したから、ちょっと事務所に戻るよ」
背を向けたまま奈緒にそう言って、レッスンルームから出る。そのまま事務所へ戻っていく。無意識に少し早足になっている。
加蓮と目が合った時、私の視線を貫いたのは攻撃的で挑発的な笑みだった。
そうだ、あれは私のためのパフォーマンスだった。
――これが私の今だ。
――私はここまで辿り着いた。
――あなたは、どう?
プロデューサールームに戻ってきて、後ろ手でドアを閉める。
そのままどれだけ時間がたっただろうか。
私は着ていた上着を脱ぎ捨て、持ち歩いてる音楽プレーヤーをスピーカーに繋げて再生ボタンを押す。
流れ始めるのは、先ほどまで皆が練習していた新曲。
一歩目から、全力だった。
もう踊れないなんて、嘘だった。
アイドルを辞めてからもトレーニングを欠かしたことは無いし、担当アイドルたちが踊る曲は、全てステップを頭にたたき込んでいる。
でも、それを言い出せなかった。私が教えるなんて言えなかった。
加蓮の言うとおり、怖かったんだ。
『アイドル』の私が、彼女たちを先導してしまうことが。
それをやってしまったら、彼女たちの『プロデューサー』として間違ってしまうような、そんな気がした。
だから、あの子たちには安全で最適な道を進んでもらうことこそがプロデューサーとして正しいのだと思っていた。
それなのに……
曲が終わって、次の曲が流れ出す。
トライアドプリムスの「Trancing Pulse」。かつて、3人で踊った記憶が昨日のことのように思い出す。
体は自然と動きだした。口から歌も零れ出す。
踊り続けなければ、歌い続けなければ、叫びだしてしまいそうだった。
かつてユニットを脱退する時に、加蓮と1つの約束をした。彼女はアイドルの頂点を目指す。私はそこに並び立つアイドルを育てるプロデューサーになる。そうして私たちはまた同じ舞台で出会うことを約束して、互いに違う道へと進んでいった。
なのに、私はさっき加蓮の目を見ることが出来なかった。
アイドルの道を堅実に進み続けて頂点を極めた彼女と自分を比べて、どうしても後ろめたさを覚えてしまう。
――それは、凛があの子たちを信じられてないだけじゃない?
それはその通りかもしれない。
だったら、私は一体どうすれば良い?
曲が終わる。
私は肩で息をしながら、停止ボタンを押す。少し冷静になって部屋を見渡せば、ドアが薄く開いてる事に気づいた。
あれ、私、入ってくる時にドア閉めなかったっけ?
来た時には誰も居なかったはずだけど、もしかして誰かに聞かれてしまったかと少し心配になって事務所の方に戻ってみたが、やはりそこには誰も居なくて電気の消えた部屋を夕暮れ時のオレンジが染めているだけだった。
ふぅ、と息をついた時。
コン、コン。
ノックの音がして、思わずビクッと体が跳ねる。「はいっ」と返事をしながら、事務所の入り口まで向かうと、小さくドアが開いた。
「よっ」
「奈緒……?」
人懐っこい笑顔を浮かべながら、ドアから半身を覗かせる奈緒。
「ちょっと寄ってみたんだけど、もしかして忙しかったか?」
先ほどのことがあったから少々気まずい気持ちもあったけど、かといって奈緒を邪険に扱う理由も無い。
「いや、大丈夫。コーヒーでも淹れるよ」
そう言いながら、私は奈緒を事務所に招き入れた。
◇ ◇ ◇
「えっっ!!!あきらちゃん、トラプリ知らないの!?」
りあむサンが大げさに仰け反って驚いている。正直ちょっとムカつく。
今日のレッスンが一段落付いて、帰り支度を整えながら休憩している時間のことだった。
「別に知らない訳じゃないデスよ。あんまりアイドルに詳しくないだけデス」
有名なアイドルなのだから、顔と名前ぐらいは知ってる。曲とパフォーマンスもネットや街中で嫌でも聞こえてくる。だけど自分に知ってるのはそれくらいなものだ。
あの北条加蓮というアイドルとPサンの間に変な空気を感じたので、あの2人の間に何かあったのかと聞いただけである。それに対してりあむサンのこの反応だ。
Pサンと加蓮サンと奈緒サンの3人が昔ユニットを組んでいたらしいというのは知っているけど、Pサンが現役の頃といえば自分がまだ子どもの頃の話だ。詳しい方がどうかという話だろう。
「でもでもっ!シンデレラプロジェクトとプロジェクトクローネの黄金時代とか、アイドル嗜む者の常識じゃん?ね、あかりちゃん!」
「えっ」
「えっ?」
しばし見合うあかりチャンとりあむサン。
「あっ、え~っと、私もあんまり詳しくないから、りあむさん教えてくれませんか?」
年下のあかりチャンに気を遣われているのに、りあむサンは「えっ……、盛り上がってるのぼくだけ?」みたいな絶望の表情から一転してめっちゃ笑顔になってる。
「えっそう?じゃあちょっと教えちゃおっかなぁ」
そうやって意気揚々と語り出したりあむサンが言うには、
Pサンは、最初は自分が所属している「新・シンデレラプロジェクト」の前進にあたるプロジェクトで別のユニットに所属していたが、あの美城専務が企画したプロジェクトクローネが始動した際に加蓮サン・奈緒サンとトライアドプリムスを結成した。
その後もPサンはシンデレラプロジェクトとプロジェクトクローネを並行して活動し、デビューしてから数年後にその年のNo.1アイドルを決める賞も受賞して、名実ともにアイドルの頂点へと上り詰めた。
しかし、突然Pサンはアイドルを引退し、トライアドプリムスからも脱退した。
その時に、加蓮サンはあるコメントで、
「凛が行くと決めたことを私は否定しないし、いつか凛に見せても恥ずかしくないくらいアイドルを極めてみせる」
と発言していて、その言葉通り、Pサンが受賞したのと同じ賞を取って、今のアイドルのトップに君臨した。
要約すればそういう話なのだが、りあむサンはちょこちょこ余計な話を盛り込むので聞きづらくてしょうがない。これを笑顔で聞けるあかりチャンは凄いと思う。
確かに加蓮サンのパフォーマンスは凄かった。
自分はアイドルのライブっていうものをあまり観たことないけど、あれはいわゆる素人が観てもヤバいやつだ。ノーダメ最短で10キル決めてチャンピオンみたいな感じ?
だけど、それを自分も出来るかというと、
「あんなのと同じようにやるのは無理でしょ」
「だよねー。願わくば自分がやるんじゃなくて、観客席で見守ってたい、よう!」
「まあ、無理してもしょうがないし、私たちのペースでやるしかないんじゃない?」
2人の言うとおりだと思うけど、どうしても焦りも感じてしまう。まだ何も経験していない中で大きなステージに立てと言われて、正直言って何をして良いかわからない状態なのだ。
特に自分はまだアイドルというものがよく分かっていない。輝く景色を見てみたいとPサンには言ったけれども、そのために自分がこの世界で何をやるかは何も考えてないし、ゆるくやれれば良いかなぐらいしかプランが無い。
だからこそ、さっき別れ際に加蓮サンが言った言葉が妙に残っている。
あのパフォーマンスを観た後のことだった。
「うん、でも流石は凛が選んだアイドルだなあ。みんなならトップアイドルも夢じゃないね」
それが本気だったのかリップサービスだったのかは良く分からない。どちらにせよそれに対して適当に返事することが出来ず、
「いや、まあトップとか特には考えてないんで……。楽しくやれたら良いかなとは思ってますけど」
そんな感じで馬鹿正直に答えてしまった。
それを聞いて加蓮サンは、一瞬ポカンとした後ニヤリと笑った。
「ふうん、なるほどね。いかにも現代っ子って感じ、若いなあ。うん、その考え方も全然ありだと思う。でもね……」
真っ直ぐな目と笑みがこちらを射貫いた。
「ここまで来ればもっと楽しいよ?」
それは、ついさっき観たパフォーマンスと同じような凄みを帯びた視線だった。
正直、深いことを今考えてもしょうがないかもしれない。今は目の前の課題をクリアすることのみを考えよう。
そう思いながら帰り支度を整えていたのだが、
「あれ?」
「あきらちゃん、どうしたの?」
「スマホが無い」
レッスン前に鞄に入れておいたと思ったのだが、中をひっくり返しても見つからない。普段それほど物は持ち歩かないけど、流石にスマホを無くしたらヤバい。最悪泣くかもしれない。
「えっ、それってヤババじゃん!?」
「探すの手伝おうか?」
「いや、大丈夫。多分、事務所に置き忘れてるんだと思う。あかりチャンは先に戻ってて」
「うん、分かった!」
2人と別れて事務所に戻る。予想通りスマホは事務所の机の上に置いてあったので、無事回収して一安心。後は寮に帰るだけなのだが、
(なんだろう、この音……)
事務所に入った時から、どこからか小さく音が聞こえていた。それはどうやら何かの音楽で、よく聞くと歌も一緒に聞こえてくる。
どこから聞こえてくるんだろうと、思わず気になって耳を澄ましてみると、どうやらPサンの部屋から聞こえてきているらしい。
部屋の前に立ってみたが、このドアを開けてみるべきか躊躇してしまう。なんだか見てはいけない物がこの向こうにあるような、そんな気がしてしょうがない。それでも好奇心には勝てず、意を決してドアノブに手をかけ、音を立てないように小さくドアを開けてみる。
開けた先に見えたのは、ライブステージだった。
自分に背を向けて、Pサンが踊っている。
スピーカーから爆音で流れているのは自分が聞いたことがない曲。いや、どこかで聞いたことがあるような気もする。
それに合わせて踊り歌うPサンは、何もかもが全力で、表情は全然見えないのに鬼気迫るような何かが全身から迸っているのが分かる。さっき見た加蓮さんのパフォーマンスとはまた違う類いの凄みだ。
目の前に居るのは、いつも後ろで見守っているPサンじゃなかった。
渋谷凛というアイドルがそこに居た。
自分の体が硬直しているのが分かる。指一本動かせないぐらい、その場に磔にされている。
今までに経験したことないくらい早くなっている心臓の鼓動を聞きながら、頭の奥の本能が叫ぶ。
これはきっと、見てはいけなかった。
予感は正しかったんだ。
ドアから離れて、そのまま逃げるように事務所の外に出る。
「うわっ!?」
「おっと」
事務所から駆けだした瞬間、誰かの体にぶつかった。
「ん?誰かと思ったらあきらじゃないか」
「な、奈緒サン……」
「どうした?なんか慌ててるように見えるけど」
「いや、大丈夫デス。それじゃ」
奈緒サンの顔を見ずに走り出す。
ホント、なんなんだコレ。
こんな訳わかんないくらい心臓がドクドク鳴ってるのなんて、経験したことない。
ああもう、意味が分からない。どうすれば良いのかも分からない。
この理解不能な感情の置き場は、何処にあるんだ。
◆ ◆ ◆
「ん、コーヒー。ブラックで良かった?」
「ああ大丈夫、サンキューな」
淹れてきたコーヒーを奈緒に渡す。
「それで、何しに来たの?」
「というと?」
「……ただ遊びに来たわけじゃないでしょ」
「ははっ、流石凛は鋭いなあ」
マグカップを片手に奈緒は朗らかに笑う。
「といっても、別に重要な用事があったわけじゃないさ。ただ、ちょっと凛のことが気になってさ」
「私の?」
「ほら、加蓮が派手に煽ってたし、なんか凛の様子もおかしい気がしたから、ちょっと心配になったんだよ」
それを聞いて、今度は私の方が笑う。やっぱり奈緒は周りをよく見てるし、優しくて心配性だ。そういう所が私たちはとても好きだったし頼りにしていた。
今なら言えなかったことも吐き出せる気がする。
私は少し息を整える。
「……プロデューサーとして、あの子たちに何が出来るのかなってずっと考えてるんだ」
私の言葉を、奈緒は何も言わずに聞いていてくれる。
「もう私たちがアイドルを始めた頃からは時代が変わった。アイドルへ無条件に憧れを抱く時代じゃなくなったし、努力で頂点を目指すのは流行らなくなった。そんな時代にアイドルたちをどう輝かせるかを考えて、できる限りリスクの少ない道を選んでアイドルを好きになってもらおうと思った。
でも、本当は加蓮の言うとおり、怖かったんだと思う。自分のやり方で取り返しの付かないことになるのが。プロデューサーの道を自分で選んだからには、それで迷惑をかけた加蓮や奈緒に恥ずかしい姿は見せたくなかったし、なによりあの子たちに申し訳がなくて、自分で安全な道を選んでた。信頼を勝ち取るよりも、失望されないための選択肢を選んでた。
でも、今はそれが正しかったのかよく分からなくなってる。ダメなプロデューサーだよね」
私が言いたいことを全部吐き出すと、何故か奈緒は微笑みながらこちらを見ていた。
「……なに?」
真剣に悩みを話したのに、そうやって笑われると流石にムカッとする。
「すまんすまん。いや、やっぱ凛は変わらないなって思って。そういう凛の真面目で、いつも真剣に立ち向かってるとこ、好きだよ」
……そう言われると悪い気はしないけど。
「でもさ、そうやって色々と考えちゃって、多くを抱え込みすぎてるんじゃないか?」
「というと?」
「例えば、あたしも最近は後輩達の面倒を見たりしてるけど、そうするとやっぱ時代が変わったってのがよく分かるよ。アイドルとしての価値観も向き合い方も。ま、当然だよな、あたしらがこの業界入ってから7年も経つんだから。
それでも、なんとか先輩として大人として威厳を保とうとしたり、自分自身のアイドルとしての売り込み方も試行錯誤したりしたよ。
でも、なんか違ったんだよ」
「違うって?」
「なんか色々と勘違いしてたんだよ。後輩たちはあたしと違う生き方をしてるように見えたけど、本当は繊細で不器用で一生懸命で、昔のあたしたちと何も変わらなかった。あたしも、今のあたしは昔のあたしの延長線でしかなくて、根っこの所はなにも変わってなかった。
だから、えっと、何が言いたいかっていうと……」
奈緒が真っ直ぐ私の目を見た。
「無理して大人にならなくて良いんだよ」
「え?」
「あたしたちは大人になって色々変わった気でいたけど、なんも変わってない所もいっぱいあって、そこを無視して背伸びしようとしたら怪我するぞって話。無理して大人らしくするよりも、ありのままでいた方が良いのさ。
だから、凛も凛のままで良いんだよ」
「私の、ままで……」
「ああ」
「本当に、それで良いのかな。それで失敗したら……」
「大丈夫!大丈夫!あたしを信じろって!」
そう言いながら奈緒は私の肩をバシバシと叩いてくる。
「あたしは凛が強いのを知ってる。で、凛は時代が変わっても負けないのも知ってる。だから、大丈夫だ」
奈緒の言葉は若干強引だけど、少し勇気が湧いてきた。
こうやって人に信じてもらうことの力を、私は前から知っている。
「それにさ……」
「ん?」
疑問した私に、奈緒は楽しげにニヤリと笑った。
「凛を待ってるのは、加蓮だけじゃなくてあたしもだから」
その言葉にゾクゾクと鳥肌が立っていくのを感じた。でも、今度は不思議とぎこちない気配はしない。私は奈緒の目を見返して言う。
「うん、待っててよ。加蓮と一緒に」
「へへっ、いい目じゃん。それじゃ、凛の元気そうな顔も見れたし、あたしはそろそろ失礼するよ。コーヒー、ご馳走様な」
そう言って席を立った奈緒は、ドアの前まで行ったところで急にこちらを振り向いて、
「ああ、そうそう。凛、帰る前にレッスンルームの様子見に行った方が良いと思うぞ」
それだけ言って部屋を出て行った。
「……レッスンルーム?」
◆ ◆ ◆
「明かりが点いてる……」
奈緒が去った後、私は言われたとおりレッスンルームにやって来た。
もうだいぶ辺りも暗くなってきている時間である。にもかかわらず、レッスンルームの一室に煌々と明かりが灯っている。
私がアイドルだった頃も、遅くまでレッスンを続けている人は居たし、それほど珍しい話でもない。でも、プロデューサーとしてはあまり無理な練習は許容できないし、様子を見に行くのは当然だろう。
それに、奈緒が言ってたのがこの事なら、なんだかちょっと嫌な予感もする。
私は静かに部屋へ近づいて、そっと中の様子をのぞき見た。
そこには、何度もステップの反復練習を続ける砂塚あきらの姿があった。
(え、あきら……?)
正直に言って、インドア派で努力なんてしなそうなあきらに対して、その光景は不釣り合いに思えた。
一体いつから練習を続けているのか。もともと体力に自信がなさげだった彼女のスタミナは限界が近いように見える。でも、それでもあきらは止めようとはしない。若干ふらついてる足でステップを踏み続け、案の定途中で間違って、苛立たしそうに悔しそうに彼女の足が床を蹴る。扉越しだけど、舌打ちの音が聞こえた気がした。
私は思わず扉を開けていた。
「えっ……、Pサン、なんで……」
呆然とした表情であきらが私を見る。
「レッスンルームの電気が点いてたから様子を見に来たんだよ。あきらはどうしてここに?」
「トレーナーさんの許可はもらってます……」
そう言って、あきらは私から目を逸らしたまま黙りこくってしまった。それに対して私はどう言うべきか考え、口を開いた。
「別に怒ったり止めに来たんじゃないよ。あきらが納得しかない部分があるなら、納得いくまで練習を続けて構わないよ」
「別に、納得いかないとかじゃないんデスけど……」
あきらは一瞬チラリと私の方を見ると、また目を逸らして手を頭に置く。
「確かにダンス上手くいってないのはあるんデスけど、それだけじゃなくて、えっとなんて言えば良いんだろ……。なんか、よく分かんないけどモヤモヤするから……」
少しずつ言葉を紡いでいくあきら。その様子は、どこか恥ずかしさと困惑が入り交じったような、そんな感情に見えた。
ああ、その感情には覚えがある。
だから、私は……
「じゃあ、私があきらのレッスンに付き合うよ」
「えっ!?Pサンが?」
「大丈夫。この曲の振りは分かるし、あきらたちのレッスンもずっと見てきたから」
「……分かりました」
「OK。まず、あきらはちょっと細かいところまで正確にやろうとしてる感じがするから、いったんそこから離れて大体の感じで踊ってみて。例えば……」
私はその場で、サビの部分を軽く踊ってみる。部分部分の動きを省略したステップだ。
「こんな感じ。これでも結構らしく見えるでしょ?」
「た、確かにそうデスけど。そんなのでも良いんデスか?」
「まずはそこからスタートで良いんだよ。大まかな所から少しずつ掴んでいって、細かいところは後付けしていく。ああ、振りは大まかで良いけど、足や手先の動きは柔らかく動く場所と鋭く動く場所を意識してみて」
「柔らかくと、鋭く、デスか」
「そう。曲の中で、このパートではこういう感覚で動く、みたいなことをイメージしながら動いてみて。そうすれば曲の全体が掴めてくると思うから。……出来る?」
「……やってみます」
あきらが背筋を少し伸ばして、息を整える。そして再びステップを踏み始める。
私はそれを見守りながら、時折実演を挟みながらアドバイスをする。
そんな時間が続いて、どれほど経っただろうか。
「はぁっ…はあっ…、やった……!」
「うん、上出来だ」
ついに、あきらはフルコーラスをこれまでで一番良い出来で踊りきった。とはいってもまだまだ基礎レベルだが、ひとまず今後の指標となる形は掴んで貰えたと思う。
「どう?モヤモヤは少しは晴れた?」
「どう、でしょう。……少しはマシになったかもデス」
あきらは少し恥ずかしそうに、また私から目をそらす。
「まだ、この気持ちがなんなのかよく分からないんデス。モヤモヤして、ドキドキして、でも全然嫌な感じじゃなくて、こんなの意味わかんない」
それは、あきらの正直な本心の告白だったと思う。
この世界に入ってきて、初めてのことだらけの彼女は戸惑っている。
アイドルとは何か。この感情の高まりは何なのか。数多の疑問に対して、やがて経験を積んで、皆がそれぞれに名前を付ける。
だけど、彼女にはまだ正体不明の未知でしかない。
だから、その正体を知ろうとして足掻いている。
「Pサン」
「ん?」
あきらが私の目を見た。
「Pサンには、この答えが分かりますか?」
私はあきらの抱える疑問への理想も現実も知っている。だから、私は正直に答えた。
「それは私には分からない。答えはあきらが自分で見つける物だから」
私の言葉を、あきらは真っ直ぐにこちらを見つめながら聞いている。私も彼女から目を離さないように、言葉を続ける。
「だから、あきらが答えを見つけられるように手伝おう。あきらがそれを願うのなら、私はいくらでも力になる」
私の答えに、あきらの背筋が少し伸びたような気がした。覚悟を決めたように、真剣な表情で私の目を見つめながら彼女は小さく頷いた。
「さて、そろそろ帰ろうか。いつの間にか遅くなっちゃったし」
「あのっ」
「ん?」
「明日も、レッスン見てもらって良いデスか?あかりチャンとりあむサンも、まだ不安なところがあると思うんで」
その言葉に、私は一瞬ハッとして、そして微笑みながらあきらの目を見て言った。
「うん、もちろん!」
自分に嘘をつかない。
私を信じて、彼女たちを信じる。
今は、それを信じて進むことにしよう。
辺りを夜の闇が包む中、光の灯るレッスンルームには私とあきらだけ。
その空気が、その光景が、いつかの記憶と重なった。