地響きのようなビートが全身を揺らす。
新鮮な感覚だ、とステージの裏で出番を待ちながら私は思った。
今までも大きなライブには出たことがあるし、その度に壁越しに感じるステージの大音響は体験してきた。
でも今回は少し違う。
ドラムのビートとベースの重低音が芯から体を揺らし、ギターとキーボードのメロディーが直接的に耳に届く。
やっぱり生のバンドの音は良い。
会場はドームだけど、感覚はまるでライブハウスのようだ。
観客としては慣れ親しんでいるけれど、演者としては新鮮な感覚。その感覚に心地よさは感じるけれど、それでも今全身に纏わり付いている緊張感を拭い去ることは出来なかった。
「ふぅぅー……」
一旦、大きく深呼吸。
緊張するのはいつものこと。
スイッチさえ入ってしまえば問題ないけど、それでも今日のこの底知れない緊張感はいつも違っていた。
その原因は間違いなく、これから歌う『あの曲』のせいだ。
私にとって特別な曲。
私だけじゃなく、きっと多くの人にとって特別な曲。
『あの曲』をこんな大舞台で歌う資格が私にあるのか。それをずっと考え続けてきた。その答えは、まだ完全には出ていない。体が震えるのはきっとそのせいだ。
「あ、あの時を思い出すな……」
そう、以前も『あの曲』を巡って悩んだ事があった。
あれは、アイドルになって少し経った頃だった。
◆ ◆ ◆
アイドルになりたての頃、私への世間の評判というやつはそれほど良くはなかった。
キノコが好きでメタルが好き。そんなアイドルは業界の中でも他には居ない。良く言えば唯一無二、悪く言えば変わり者だ。
幸いにも、デビュー曲はメタル関係者には結構評価されたようで、音楽雑誌からの取材も受けたし、憧れのメタルミュージシャンからコメントも貰ったりした。
……正直に言って、嬉しかった。
でも、世間ではメタルは全然一般向けの音楽ではなくて、私のデビューもコアな界隈では話題になっても大きな注目を浴びることはなかった。
他のアイドルのような華々しいデビューではなかったけれど、私自身はその状況に少し安心していた。
結局、私はボッチの日陰者だから、眩しい光を浴びるのは得意じゃない。キノコのようにひっそりと暮らしながら、時々世の中の不満を叫ぶ。それぐらいが丁度いいと思っていた。
だが、その現状に納得していなかった人も居た。
私の親友――プロデューサーのことだ。
そんなプロデューサーが新たに持ってきた企画は、事務所のアイドル数人を選抜して作るカバーアルバムの企画だった。そのアルバムに参加するメンバーでユニットも組んで新曲も歌うのだという。
最初の頃はアイドルの仕事に消極的だった私も、この頃には仕事を受ける重要性は分かってきていたし、意欲もかなり出てきていた。
知らないアイドルとユニットを組むということには苦手意識はあったけれど、この企画に自分を推薦してくれたプロデューサーを信じて、私はこの仕事を受けることにした。
この人は私のためにならない仕事は決して取ってこない。私のことを第一に考えていろいろな事を決めてくれているのだという信頼と安心が確かにあったから。
「そ、それで、そのカバー曲っていうのは……? もう、決まっているのか?」
企画の詳細を告げられたミーティングの場で、私はプロデューサーにそう訊いた。
それに対してプロデューサーが告げた曲名に、私は頭の中が真っ白になった。
その曲は、私が大好きなメタルバンドの曲で、日本だけでなく世界中でも聴かれているような名曲だった。メタルに詳しくない人でも知らない人は少ないだろう。
だからこそすぐには認められなかった。
この曲を私が歌う?
とてもではないが想像できない。
「し、親友……それは、ほ、本気で言ってるのか……?」
一切の迷いも無く頷いたプロデューサーに対して、私はふるふると頭を振った。
「む、無理だ……私なんかがこの曲を歌うなんて…………この曲は日本中のみんなが知ってるような曲で、バンドは世界中で活躍してて、それに対して、わ、私は……」
私は、アイドルとしてデビューはしたものの、まだ知名度は無いに等しい。しかもメタルとキノコ好きが高じて活動しているような変わり者だ。そんな私では、とてもではないがこの曲には釣り合わない。
私みたいな変なアイドルが『あの曲』を歌ったら、『あの曲』を好きな人たちに申し訳ない。
私がそう言うと、プロデューサーは毅然とした態度で否定した。
――確かに輝子は世間的には変わったアイドルかもしれない。だけど、輝子の歌には皆に届く力がある。俺は輝子の歌をもっと知ってもらいたい。
そのために『あの曲』を選んだのだとプロデューサーは言った。
確かに、誰もが知っている『あの曲』を歌えば、私の歌はもっと広く届くだろう。プロデューサーが私のこれからのことを考えてその選択をしたことは良く分かった。
だから、私は残る唯一の不安を消すために、プロデューサーに訊いた。
「親友……私は、『あの曲』を歌うことが、出来ると思うか?」
プロデューサーは大きく頷いた。その目には一ミリの迷いも無かった。
その目を信じた私は『あの曲』をカバーすることを決めた。
そうして世に出たカバーアルバムは大きな話題となった。もちろん、一介の新人アイドルが『あの曲』を歌うことへの困惑の声はあったが、今まで私を評価してくれていた人たち以外からも様々な評価の声が上がり、プロデューサーの目論見は大きく当たったことになった。
その結果、それまで以上の仕事がやって来るようになり、新しい曲も歌うことが出来たし、いろいろなライブに出ることも出来た。
まさに『あの曲』は私にとっての転機となった。
それでもまだ、『あの曲』を歌ったことへの重圧は私の中に残っていた。
◆ ◆ ◆
「ふ、フフッ……ほ、本当にいろいろあったな……」
いろいろなことがあった結果、こうして今日、私はライブで『あの曲』を歌うことになった。
この大きなステージで本家のバンド以外が『あの曲』を歌う。それがどれほどの意味を持つか、私にも良く分かっている。
だからこそ尋常ではないプレッシャーを感じている。
「ふぅぅーー……」
何度目かの深呼吸。それでも身体の震えは収まってくれない。今日は既に何曲も同じステージで歌ってきたのに、その時どうやって舞台に立ったのかすら分からなくなってくる。
時間はもう無い。このままステージに立てるのか? 不安がとめどなく押し寄せてきそうになったその時――
「ショーコ!」
「ウヒッ!?」
突然背後から呼びかけられて、心臓が飛び出しそうになった。
「うおぉ、大丈夫か? ごめん、驚かせちゃったか?」
「い、いや、大丈夫。そ、それより……美玲ちゃん、どうしてここに?」
「ショーコが緊張してるんじゃないかと思って、応援しに来たんだよ。ほら、ノノも居るぞ」
そう言ってニカッと笑う美玲ちゃんの後ろから、乃々ちゃんがヒョッコリと顔を出した。
「森久保は、もしかしてお邪魔なんじゃないかって思ってたんですけど、美玲ちゃんがどうしてもって……」
「何言ってんだよノノ。ステージに行くショーコの顔色がなんだか良くないって、ノノが言ったんじゃないか」
「い、言いましたけどぉ……」
「2人とも……わ、私を心配して来てくれたのか?」
そう聞くと、2人は大きく頷いた。
「もちろんそうだぞ! 暗い顔で歌うショーコなんてらしくないからな」
「よ、余計なお世話かもしれないですけど、何か力になりたいと思ったので……」
自信満々の笑みを見せる美玲ちゃんと、まだ少し不安そうに視線を送る乃々ちゃん。対照的な2人の顔を見ていると、少しだけ気持ちが軽くなった気がする。
「あ、ありがとう、2人とも。ちょっとだけ、落ち着いたよ」
そう言うと、2人は顔を見合わせてニコッと笑った。
「おう!」
「あ、実はプロデューサーさんからもメッセージが来てて。輝子さんに伝えてほしいって……」
「親友から?」
そう言って乃々ちゃんが見せてきたスマホには、プロデューサーから送られてきた短い文章が映し出されていた。
「えっと……『不安になったら客席を見ろ。全員お前の味方だ』」
「ファンの皆さんは全員味方だ、っていうことですかね……?」
「なんだかすごく当たり前のことじゃないか?」
確かにプロデューサーがそんな当たり前のことをわざわざ送ってくるのも少し変だけれど、こういう場面ではそういうことを忘れがちだから今一度思い出させようとしてくれているのかもしれない。どちらにしても――
「ステージに立てば、分かる」
私の言葉に2人も頷いた。
「星さん、そろそろスタンバイお願いします」
ちょうどそのタイミングでスタッフさんが声をかけに来て、2人は楽屋の方へ戻っていった。
「ウチらもショーコの味方だからな!」
「が、頑張ってください……!」
出て行く間際の2人の言葉を噛みしめながら、私はステージの方へ向かう。
ステージの真下、奈落の中。イヤモニ越しに『あの曲』のイントロが聞こえてくる。
何度も何度も聴いたメロディー。
何度も私を奮い立たせてくれた旋律が、今日は私を迎え入れる音になって鳴り響く。
グッとマイクを握りしめ、下を向きながら最後の深呼吸。
そのままリフトがゆっくり上がっていって、私の体はすぐにステージの上に持って行かれた。
厳かな音の中で私は歌い始める。
声は思ったよりも震えていない。歌詞ももちろん覚えている。自分の中で1つずつ不安要素を潰していきながら、私は恐る恐る視線を上げた。
「――――っ!」
そこには、真っ赤な景色が広がっていた。
赤の正体はすぐに分かった。客席に居るファンのみんなが灯すペンライトの色。それがこの巨大な会場の隅から隅まで灯っていて、会場全てが真っ赤に染まっていた。
そして、その赤の一つ一つが何を形作っているかのも、ステージの上からでもすぐに分かった。
2本のペンライトを斜めに交差させた形。
その形は、『あの曲』を歌うバンドに捧げられるサインだった。
あのバンドに向けるため以外に見たことなかったそのサインが、今、私に向けられていた。何千、何万という人々が掲げる赤の光が。
それはまるで、炎の中に立っているようで、暖かかった。
――全員お前の味方だ。
プロデューサーの言葉が、頭の中に蘇った。
「……フヒッ」
思わず笑みが浮かぶ。
ああ、私をこのステージに立たせてくれてありがとう。
私に『あの曲』を歌わせてくれてありがとう。
こんな変な私を、好きで居てくれてありがとう。
喉の奥からせり上がってくる衝動を抑えることなく、全力で、私は叫んだ。
「紅だああああああああああああ!!!!!!!!」
呼応するように、万雷の歓声がドームを揺らした。