夜風の冷たさを肌に受けて、数分前に見た星の光のことを思い出した。
ふと上を見上げると雲一つない夜空が広がっていたけど、残念ながら都会の灯りに照らされて本物の星は一つも見えなかった。
「藤田さん、どうかしましたか?」
「はえっ!? あ、いや、なんでもないですよぉ。ちょっとボーっとしてただけで」
横に立つプロデューサーの視線で我に返って、周りを流れていく人の波に沿うように早足で歩き始める。
「本当に大丈夫ですか? 人混みで気分が悪くなったなら少し休憩しましょうか?」
あたしに合わせて横を歩くプロデューサーの言葉に、あたしは苦笑いしながら手を振って否定した。
「いやいや本当に大丈夫ですって。ただ、なんていうか……」
そこで言葉を切って、人の流れを少し避けて立ち止まり、後ろを振り向いた。
夜闇の中で眩しく光を放つ巨大なドーム状の建造物。その屋根との境目に印字されているTOKYODOMEの文字。
それを見ただけで、自分でも形容できない感情が湧き上がってくる。
「……本当にスゴイライブだったなぁって、そう思っただけです」
そう言うとプロデューサーは、あたしの言葉を咀嚼するように一瞬黙った後、同じ景色を見ながら大きくコクリと頷いた。
「確かに、その通りですね」
◆ ◆ ◆
東京ドームに行きませんか、とプロデューサーに誘われたのは数日前のことだった。
いきなり何言ってんだとその時は思ったけど、よくよく聞くとどうやら東京ドームで大型ライブが行われるらしく、現地研修も兼ねて一緒に行くのはどうかという提案だった。
「え、それってもしかしてあのフェスのことですか?」
「おや、知ってましたか」
「そりゃ流石に知ってますよ。デカいニュースですし、学園内でもいつも話を聞きますもん」
アイドルの養成学校に通ってる身ながら、あたし――藤田ことねは熱狂的なアイドル好きというわけではない。
もちろん子供の頃に憧れていたからこそこの学園に来たわけではあるのだけど、入学してから授業にバイトにレッスンにバイトにと忙しい日々を過ごす中で、ファンとしてアイドルを追うことは少なくなってしまった。だから有名なアイドルはある程度知っていても、最近の新しい子や関連ニュースにはあまり詳しくなかったりする。
だけど、そんなあたしでも流石に知っているくらい、そのライブのニュースは大きかった。
あの765プロを含む複数の人気アイドル事務所だけでなく、全国各地の有名なスクールアイドルも集結して、東京ドームで超大型フェスを行う。もう学園中がその話題で持ちきりだった。
とはいえ、少し気になるけどあたしには関係ない話かなと思っていたのだが。
「どうしていきなり……っていうか、そもそもチケット持ってるんですか? なんか争奪戦エグいって聞きましたけど」
「実は学園長からチケットを頂きまして」
「学園長から?」
「ライブに参加するプロダクションと知り合いなのだとかで、何枚かチケットを頂いたそうです。それで一部の生徒や学園関係者にも配っているのだとか」
「へぇ~太っ腹ですねぇ」
流石は芸能プロダクションを経営しながら学校を運営する我らが学園長。そういう知り合いも居て当然か。
「それで、藤田さんは行きますか?」
「そりゃあまあそういうことなら……? タダより高いものはないですけど、せっかくの好意を無駄にするわけにもいかないですし。それに……」
「それに?」
「……ううん、なんでもないです。それじゃプロデューサー、当日はまたデートってことで、楽しみしてますね★」
◆ ◆ ◆
そんな感じでプロデューサーと東京ドームへ行く約束して、なんだかんだで当日を迎えたわけだけど、正直に言うとデートどころではなかった。
始まってすぐ、いや、始まる前からスゴい熱気に満ちていて、自分たちが来た場所が普通のステージではないことを嫌でも実感させられた。
出てくるアイドル全員がキラキラしてて、最初から最後まで目が離せなくて、いつの間にか一人の観客として夢中になっていた。
アイドルってスゴいなって思わされながら、あたし自身も同じアイドルとして何かを沸き立たせられる。そんなライブだった。
アイドルのライブを観て、こんな感情になったのはいつ以来だろう。星南会長のライブ以来?
どちらにせよ、今のあたしにはまだまだ遠い場所の光だった。
「2000万円なんですって」
「はい?」
ドームを見上げながら不意にあたしが言うと、プロデューサーは少し見下ろすようにあたしに視線を向けた。
「東京ドームを1日借りるために必要なお金、およそ2000万円なんだそうです。知ってました?」
「確かに、いろいろな費用も全て含めればそれぐらいかかるでしょうね」
「もしかしてプロデューサー科の授業で習ったり?」
「ライブの会場と費用についても、プロデューサーに必要な知識ですから。藤田さんはどこでその話を知ったんですか?」
「昔、近所のお姉さんに教えてもらったんです」
あれは確か10歳の頃だったか、随分昔のことだからお姉さんの顔はもううろ覚えになってしまったけど、聞かされたその話だけは不思議と覚えていた。
1日借りるだけで2000万。加えて何日もライブをやるとなれば更にウン千万のお金がかかるわけで、庶民からしてみれば途方もない話だ。
だけど――
「その話を聞いて、アイドルってスゴいなあって思ったんです」
あたしの言葉をプロデューサーは隣で静かに聞いていてくれる。なんとなく遊園地の帰り道のことを思い出しながら、あたしは続きを話し始める。
「あんなにみんなから愛されて、めっちゃキラキラしてて、その上ウン千万もお金が稼げるなんて、夢のある仕事だなあって。だから……」
アイドルになったら、家族のためにお金を稼ぐことが出来ると思って。
「あたしは、アイドルになりたいって思ったんです」
今にしてみれば、なんとまぁ単純な子どもらしい発想。でも、その結果あたしは初星学園に入って、そこで何年も藻掻き続けたわけで。
「ここはあたしにとっての夢の始まりなんです。そして、いつかたどり着きたい夢の果て」
少し前のあたしならこんなことを言う勇気は無かっただろう。でも今は違う。
プロデューサーと出会って、いろんなことが変わって、真っ暗だった未来にようやく光が見えてきた。
だから、これくらいの夢を語っても良いと思う。
「だから、一度見に来てみたかったんです。いつかあたしが、大金を稼げるアイドルになって立つ場所を」
「――――」
「……あれ、プロデューサー?」
プロデューサーが相槌すら打たずに黙っているので、どうしたのかと顔を覗いてみる。すると――
「え」
そこにはあたしが見たことない表情のプロデューサーが居た。
口をポカンと開けて驚きの顔。いつも冷静沈着で、スマートが服着て歩いているようなこの人がこんな顔をするのは初めて見た気がする。
だが、あたしと目が合うとすぐに表情を引き締め、気まずそうに目を逸らした。その仕草もこの人らしくなくて、あたしはちょっとからかってみたくなった。
「あれぇ、どうしたんですプロデューサー? そんな顔して」
「…………」
「ねぇねぇ、ほら目ぇそらさないで。教えてくださいよぉ♪」
「……少し驚いただけです」
「驚いたって、何にです?」
「藤田さんも、俺と同じ夢を持っていたことにです」
「…………はぇ?」
告げられた予想外の言葉に思わず変な声が出てしまったあたしの反応をよそに、開き直ったのかプロデューサーはしっかりとあたしと目を合わせ直した。
「自分がプロデュースするアイドルを東京ドームのステージに立たせる。それがプロデューサーとしての俺の夢です」
力強く言い切ったプロデューサーの瞳には一切の迷いが無くて、何故かあたしは目を離すことが出来なかった。
「だから、一度この目で見てみたかったんです。自分の担当アイドルと一緒に、いつか自分たちが立つステージを。それが今日ここに来た本当の理由です」
「……担当アイドルって、あたしのことですか」
「他に誰が居るんです?」
当然すぎる答えを返され、恥ずかしさが込み上げて顔が熱くなる。
「ですが……」
「……?」
「その理由については話すつもりはありませんでしたし、ましてやまさか同じ理由を藤田さんが言うとは思ってもいませんでした」
そう言ってプロデューサーは気まずさを誤魔化すように眼鏡を整え直した。
その様子を見て、あたしはようやくさっきの表情の意味に気付いた。
この人は真面目な人だから、今更大きすぎる夢を語るのが気恥ずかしくて、でも全然諦められなくて、担当アイドルにも言えないまま夢の場所を観に来て、そしたら自分と同じ夢をあたしが言い出したものだからスゴく驚いて、そして、きっと――
「……あたしも、嬉しいですよ」
「藤田さん?」
「プロデューサーと同じ気持ちってことです」
ああ、どうしよう。どうしても顔がニヤけちゃう。
でも、良いや。
このまま言っちゃえ。
「あたしも、プロデューサーが同じ夢を持っていてくれて、同じ夢を目指していてくれて、すっっっごく嬉しいです!」
だってそうでしょ。
ずっと隣で一緒に走ってくれて、ずっと支えてくれてる人が、自分と同じ夢を持って、自分と同じ場所を目指していてくれたなんて、こんなの嬉しいに決まってるじゃん。
もっと早く言ってほしかったし、あたしももっと早く言えばよかった。
でも、こうしてこの場所で聞けて良かった。
「フフッ……アハハッ」
思わず笑いが込み上げてきて、面食らっていたプロデューサーもすぐに顔をほころばせて、しばらくそのまま2人で笑い続けた。
「はぁぁ…………ねぇ、プロデューサー」
笑いが収まって、息を整えながら問いかけると、プロデューサーも少し笑みを残したまま「なんでしょう、藤田さん」と答えた。
「あたし、稼いで稼いで、大金持ちのアイドルになります。それで、いつか必ず東京ドームでライブします」
「はい」
「それまで一緒について来てくれるんですよね?」
「勿論です。2人で夢の果てに辿り着いて、その先まで」
やっぱりプロデューサーの言葉は迷いが無い。
あたしはまた嬉しくなってニヤッと笑った。
「うん。それじゃ、そろそろ帰りましょうか。あたしお腹減っちゃいました」
「では、どこかで食べて帰りましょうか。奢りますよ」
「ホントですか? やったぁ! 何ご馳走してもらおうかなぁ」
「お手柔らかにお願いしますね……」
苦笑いしているプロデューサーを余所に、あたしは何を奢ってもらおうか考えながら、ふともう一度夜空を見上げた。
街の灯りに照らされた空に、キラリと一つ、星が光った。
そんな気がした。