Still in the (Red) Cocoon   作:レッド・ライン

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 実馬の立場を借りた子が出てきます(ゲーム本編中に出てきた子と恐らくモチーフが同じです)。
 ただし公式様のキャラを勝手に動かすのは気が引けたので、ほとんどオリキャラという形を取りました。
 また、後ほど考えているエピローグで動かすための設定を盛り込んだ結果、想定していた「実馬をモデルにした存在」から実態が離れてしまいました。
 結果、元ネタの方には立場を間借りしてまったく別のものを作っている形になります。


 結論ありきの拙文ではありますが、よろしくお願いいたします。


Still in the (Red) Cocoon

 

 

 

 

 

 

 

 

「何を見ていらっしゃるのでしょう……?」

「あ、先輩。蛾です、蚕蛾カイコガの飼育日記」

「糸を紡ぐ、あのカイコさんですか?」

「そうそう。なぁんか、好きなんですよね……ってすみません、虫とか、気持ち悪かったですかね」

「大丈夫ですよ。とっても可愛いらしいですね……動画なのが残念なくらい」

「可愛い……そうですねぇ」

 

(一生懸命生きて、別のナニカに変じる殻を纏って……)

 

 そして、最後には他人の手で──。

 そんなことを話したなと、マフラーの糸くずを見て思い出していると、木枯らしが吹きすさぶ。

 

「さぁむっ」

 

 風に乗って、頭上の広葉樹から枯れ葉がいくつか散っていった。

 

「もうすぐ冬かあ……」

 

 それを見送り、ぎこちなく震えながら歩道を歩くのは……鞄、マフラー、耳飾りといった装飾を赤で整えた、青鹿毛のウマ娘。

 名をレッドラインと言った。

 

「レッドさんお疲れ様ーっ」

「お疲れぇ気をつけて」

「次のレース、応援してます!」

「ありがとー、頑張るね!」

 

 帰路へ就く後輩たちへ愛想よく笑顔と手を振り撒き、向かう先はトレーナーの勤務室。

 

「こんにちはぁ」

「あら?」

 

 がらら、とトレーナー室の戸を開けたレッドラインだったが、そこに意外な顔を見つけた。

 

「あ、スティル先輩。お久しぶりでーす」

 

 本を捲る手を止めた彼女は軽く微笑むと、足音を立てないようにこちらに近づいてくる。

 その所作にもしやと思い、ここを訪れた目的の人物を探す、と。

 

「トレーナーさん、は……」

 

 ソファにその姿を認めるが、横になって微動だにしない。

 いや、よく見ると胸が上下していた。聞こえてきた寝息に思わずにやける。

 

「ははぁ」

「お疲れのようです。お話はあちらで……」

 

 ついたての向こう、書類作業を行う事務机に案内され、遠慮なく腰掛けた。

 

「それで……ドラちゃん、どのようなご用向きですか?」

「あ、それそれ。出走登録したくって」

 

 ひらひらと契約用の紙切れを振る。

 どうでもいいことではあるが、このように雑に持ち運んで良い代物ではない。

 

「……ドラちゃん、貴女」

 

 そこに書かれたレース名を見たスティルが、驚きに目を丸くする。

 

「ん? ああ……まぁ、ハイ」

 

 互いに何を察したのか? レッドラインは何やら照れるそぶりを見せ、スティルも微笑ましくそれを了承したようだった。

 

「ふふ、それならハンコと、いくつか書類がいるから……探すので待ってくださいね」

「お願いしまーす」

 

 奥の資料室へ向かう彼女を横目に見遣りながら、物思いに耽る。

 スティルインラブ。

 ちょうどレッドラインが1年の時、トゥインクルシリーズにおいてティアラ路線三冠を達成し、一躍時の人となったこともある元・大スター。

 引退時に"ちょっとした事件"こそ起こしたものの、その後はOGとして平穏無事に過ごしている、頼れる大先輩。

 そして、レッドラインの担当トレーナーが最初に担当契約をしたウマ娘でもある。

 と、その時。

 

「ごめんごめん、寝てたね」

 

 髪をボサボサにして、部屋の主が応接間の方から現れた。

 

「トレーナーさん!」

 

 資料室を物色していたスティルが扉から横向きに顔を出し、ぱあっと顔を輝かせる。

 

「起こしてしまいましたね、ごめんなさい。ハンコってどちらにありますか?」

 

 微笑んだその瞳には他の何も映らないのか、自分とスティル、その間にいる誰かに気付かないままトレーナー。

 

「おはようスティル。今日もきれ……って、レッドライン」

「今気付きました? 今、気付きましたよね?」

「あー、はは。今日は、えーと……ハンコ?」

「出走登録です」

「え、たづなさんを通すんじゃ」

「通して、紙、持ってきたの」

 

 ぺし、ぺし、ぺしぺしぺし。

 レッドラインの放つ言葉に合わせて用紙で叩かれる机。

 繰り返すが大変に重要な書類であり、このように雑に扱ってよいものではない。

 

「あ、ああ、わかった待っててくれ」

「怒らないでくださいドラちゃん、私も探してますから」

「別に怒ってないですってば」

 

 なにやら頬を膨らませたレッドライン嬢、明らかに不機嫌であった。

 

(ホント、先輩が絡むとすぐボケるんだから)

 

 そうして改めてソファのある応接間へ通され、2人が書類をひっくり返すこと10分。

 

「あの頃は……どうかしてたね、私は」

「あら。私も、ですよ」

「ふふふ」

「うふふ」

 

 雑談が始まっていた。

 それも2人きりの世界で。

 そして、レッドラインにとって相当に地雷寄りの内容で。

 

「ふふふ」

「うふふ」

「フ……」

 

 5分待たされ、「まあ、たまには良いか」と寛容に待ったまではよかった。

 

「ふふふ」

「うふふ」

「フフ……」

 

 8分待ち、雑談が始まった。それもまあ、手は止まってないし、愛を確かめるためなら、敬愛する2人が幸せならよしとした。

 

「ふふふ」

「うふふ」

「フフフ……」

 

 10分目、何を話しているかと思えば、過ぎ去った災難に対してお互いを褒めちぎりの惚気話。写真アルバムか何かを開いてゆったり過ごしてやがる。

「そうかそうか、あなたたちはそういう人なんだな」とばかりに笑みを貼り付け怒りを立ち昇らせること6秒、7秒……気付いたのはスティルインラブ。

 

「でもあの時があったから……あっ!? ハンコ!」

「えっ? 何が?」

 

 そんな間抜けの後ろから、ゆらりと見下ろす赤い影。

 手には書類を丸めた"得物"。眼光は当然の如く真紅に輝いていた。

 

「遺言、それでいいですか?」

「あっ」

「あなた自分が人間って忘れてませんか? あたしウマ娘、あなたより強いです。わかりますよね、忘れてたとか言いませんよね、言葉はよく考えた方がいいですよ今際の際ですよ先輩もです」

 

 -1分後-

 

「まったく」

「くぅ……うう」

「だ、大丈夫ですよ、私が居ますよ、大丈夫、大丈夫」

 

 何があったのか、額から煙を上げ、怯えた顔をしてうずくまる2人。

 

「だからすぐ惚気ないでくださいってば。今日はもう帰るので、提出の方、お願いしますね」

 

 首を縦に振りまくる2人にため息をつきながら、出走登録用の書類を机に置き、外に出る。

 引き戸を閉め、夕焼けに目を細めながら寒空の下を歩く。

 

(……でも、"あの頃"を笑い飛ばせるくらいになって、よかった)

 

 正しく、憑き物が落ちたのだと思う。

 それほどまでに、当時の2人を取り巻く状況は異常だったのだから。

 スティルインラブがジャパンカップを走った日、シンボリルドルフからの呼び出しがあった。

 

 

 -

 

 

 ──監視、とおっしゃいましたか。

 

『ああ』

 

 しゃちほこばった敬語になったのにも気付かず、怪訝な表情を隠そうともしなかったなと、当時を思い返す。

 

『あの2人を? なぜですか』

 

 生徒会長室、用意された机、そしてこれ見よがしに置かれたファイルの束。

 部屋の隅には我関せずといった体でエアグルーヴが立っていた。それ自体はいつものことなのだが、立つ位置が戸の前で、こちらも立ちっぱなしでは意味合いが大きく異なる。

 

(囚人じゃないんだから)

 

 誰だってこの扱いでは警戒しようというものだ。

 

『今日だって別に、一緒に掃除しただけで、何もしていませんでしたよ』

『すまない、言い方が悪かったな』

『であれば、退室しても? 引っ越し考えてるとかで整理が大変なんです』

 

 訝しむ口調に状況への不信を見てとったのか? 少し考る素振りを見せたのち、苦笑しながらルドルフが続ける。

 

『泰然自若に構えてくれ。スパイ映画の真似事をしろというわけではないよ。ただ……な』

 

 そう告げて用意されていた資料をめくるよう、仕草で促す。

 レッドラインが恐る恐る捲ると……まず出てきたのは、いくつかの失踪事件の切り抜き記事。

 

『……何、ですか? これ』

 

 散乱した荷物、明らかに尋常ではない家屋や海辺の写真が、時と場所を変えて複数。中でも特に、並べられた靴と炭化した柱が目を引いた。

 次いで現場を調査したものと思しきメモの数々、回収されたと思しき"備品"。

 そしていくつかの、薄汚れたウマ娘の生徒手帳と、似たような状態のトレーナーID。

 

『……? え? ……え?』

『君に告げるかは大いに悩んだが、結論から言わせてもらうと』

 

 飲み込めないレッドラインを置いて、腰掛けたルドルフが続ける。

 

『スティルインラブは、今後半年以内に失踪する確率が、非常に高い』

 

 がらがらと、何か、大切なものが崩れていくような感覚を堪えて、レッドラインが聞き返す。

 

『はんとし、って』

 

 失踪?

 幸せを周囲に浴びせて、胸焼けするくらいに日夜イチャついてる、あの先輩が?

 そんな、まさか。

 そう思う心中のどこかで、何か見過ごしてはいけないものがあると、あったはずだと、レッドラインの胸中で何かが叫ぶ。

 

『そんな素振り』

『あるはずだ。身辺整理のようなことはしていなかったか?』

『そんな、こと……』

 

 していた。

 大掃除。

 引越し。

 断捨離だと笑っていた2人。

 先輩が大切に持っていた、少しぼろぼろのノートも、もう役目を終えたと言われ、ごみとして縛ってしまった記憶があった。

 トレーナーの様子が変なのはいつものことだが、恋に生きるを体現したような先輩が思い出の品を手放すことに、少し違和感を覚えた。

 

『でも』

 

 ぐるぐると視界が回るような錯覚に襲われる。

 

(この人は、何を言ってるの? 先輩が? トレーナーさんを置いて? ……失踪、事件? 引っ越し。いなくなる前に、よく使われる理由。嫌だ、いなくなる? どうして? 嫌、嫌!?)

 

 ぺたんと腰を落とし、思慮する。

 先ほど"引っ越し"という単語を聞き止めたときのルドルフの些細な表情の変化。

 

(そういう、こと?)

 

 レッドラインは、スティルの行き先を知らされてはいなかった。

 ただ、3月頃にいったんお別れとなることだけを告げられていた。

 あれだけ幸福そうな様子だし、同棲するのだろうか、程度に考えていた。

 いつか、もしもG1を勝てたらサプライズで報告してやるぞー、とも。

 だが。

 

『その様子からすると、やはりか。彼女はいつ、引っ越すと?』

 

 だが生徒会は違うのだと感じられた。

 退学、引き払いの準備、身辺の整理……死の気配。

 この、眼前の無数の"経験則"からそれらを鋭敏に察知し、既に裏は取ってあるのだろう。

 あとは公的に動くための口実だけ。

 身近な人物からの証言を待つだけだったのだ。

 たとえば……後輩あたしのような。

 その情報をもって行動に移し、何をするかは知らないが……先輩のしようとしていることを止めようとしているのだと伺い知れた。

 

『はあっ、はっ、はあっ』

 

 あまりに多くのことを考えたからか、息が上がり始める。

 

(言う、言わなきゃ、先輩は! でも、でも)

 

 告げてしまったら、何かが事実となってしまう。

 ──それを認めてしまっては、もう永遠に……。

 そんな気持ちが、降って湧いたような嫌な予感が、口を硬く閉ざしてしまっていた。

 

『会長。あとは私が』

『……ああ。追い詰めてしまったな、すまない。私は少し席を外そう』

 

 思いもよらない宣告に呼吸を乱し、床へ座り込んだレッドラインを慮ってか、部屋の主人が退室する。

 

『まだ大丈夫だ。レッドライン、落ち着け』

 

 息を荒げる、まだ座ったままの彼女の背を撫でながら、おもむろにエアグルーヴが語る。

 

『その資料だがな……ウマ娘、特にトゥインクル・シリーズを走る世代には、稀に科学的に解明できない、説明できない事象が起きる』

『たっ、たとえば……』

『貴様、アストンマーチャンは知っているか?』

 

 まだ息が苦しいのか、頷きで返す。

 

(確か、短距離路線の……もう引退してて、ウオッカさんとか、ダイワスカーレットさんと一緒に、テレビに出てた)

『彼女も、"失踪現象"の元被害者だ』

 

 トントン、とファイルを指で叩く。

 そこから先の話は、レッドラインにとって完全に想像の埒外の話だった。

 

 - 曰く、一部のウマ娘は時折、"失踪"としかいえない形で、痕跡ごと消え去ってしまう。

 

 - 資料の大部分は彼女たちの遺品や最終目撃現場であり、"失踪"には時折担当トレーナーも巻き込まれてしまう。

 

 - 消え去ったウマ娘は人々の記憶から急速に忘れ去られ、その多くが最終的に命を失う形となると推察されている。

 

 - 彼女たちの事例の多くがトゥインクル・シリーズの中期から後期にかけての発現であり、防ぐ手立ては現状、何らかのきっかけで誰かが思い出し、本人を引き留める以外にない。

 

 - アストンマーチャンの事例はトレーナーの機転で防ぐことが叶ったが、状況から推察するに入水を実行してしまう寸前であった。

 

 - またその際、華々しくG1を勝利したウマ娘という評判が人々の記憶から不自然なほどに抜け落ちた。解決をみたことで徐々に状況が復元し、現在の状況に至る。

 

 - このファイルの中の"被害者"たちは皆既に親しい人からも存在を忘れ去られており、シンボリルドルフはそういった人々を忘れない、ある種特異な能力がある。

 

 - 今回は、彼女の影の薄さが"忘却が始まっている"ことに由来すると判断し、辛うじて先回りできたケースである。

 

『なん、で……』

 

 一通り聞き終えてレッドラインが涙とともにこぼしたのは、困惑だった。

 

『なんで、先輩が』

『レッドライン……』

『確かに影は薄いですけど、そんな、消えるとか』

 

 当惑する少女にどう声をかけたものか、エアグルーヴが思案していると、不意にノックなしで扉が開く。

 

『あら。ルドルフは?』

『会長なら今、ちょうど外に』

『そう。その子は?』

『彼女は……』

『メジロ、ラモーヌさん』

 

 事務的に交わされるやり取りに、背中を向けたまま、震えた声で割り込むレッドライン。

 史上初めて、3種のティアラを勝ち取った女傑。

 トレーナーには言えないことだと前置きしながら、スティルインラブは彼女について、それとなく話をしたことがあった。

 ──負けたく、ないのです……あの方にだけは……絶対に。

 話半分に聞いても、強い憧れと共存する、愛憎に関わる強烈な敵愾心があることは知っていた。

 そして今日、ターフでひとつの決着を付けてきたことも。

 

『あなた、あなたが』

 

 先輩をおかしくしたんですか?

 肩越しに睨み、そんな言葉を飲み込むレッドライン。

 少女の飛躍した論理、謂れのない敵意。それを見透かし、ラモーヌは受け流すように笑った。

 

『初めから、よ』

『元から……』

『ええ』

 

 言葉を切り、自身と同じ青鹿毛の少女を、見定めるように眺めながら。

 

『この手で、差し色を混ぜても良いとは思ったけれど……』

 

 その脳裏で何を思い返しているのか……人差し指で己の頬をなぞる。

 

『今後は、未知数ね』

 

『あたし……あたしが──その色を』

 

 レッドラインが立ち上がり、拳を握って、挑むように向き直る。

 

『かき乱せると、思いますか』

『──』

 

 ラモーヌは何も言わず……ただ目を細めただけだった。

 2人が一体何を話し、どう通じ合ったのか? 理解の追いついてきたエアグルーヴの顔が、次第に驚愕で彩られる。

 

『レッドライン、貴様!?』

『あたしだってトレーナーのこと好きだったんですよ!?』

 

 掴みかからんばかりの勢いで怒鳴りつける。

 

『好きって、貴様』

『でも2人とも大好きだから諦めたんですよ! だってのに先に消えてくたばりますってなんですか!? 納得できません!』

『し、しかし本人に気取られては! 一旦ここは生徒会に』

『気取られなきゃ良いんですね!?』

『あっ、待て!』

 

 駆け出し、扉を叩き開けるレッドライン。

 

『会長!』

 

 駆け出して数秒、廊下から再び叫び声。

 

『あたしわかりました! やります、あたしがやります! でも今じゃないんですよね、わかってますから! ハイ! その時は! あたしが止めますから! どうか! 引っ込んでてください!

 

 怒髪天を衝く。

 壁に張りついたルドルフを赤べこのように頷かせ続けた少女は、どこから出したやらハリセンを片手に飛び出していった。

 

 

『……ふふっ』

 

 嵐が吹き抜け、誰もが再起動を果たせない中。

 

『鈍色を貫く一筋の赤……それもまた、良いものね?』

 

 妖しげな笑みをたたえる筈のかんばせには、淡い失笑が添えられていた。

 

 

 -

 

 

 そして流れるように時は過ぎ、トゥインクル・シリーズ決勝終了後。

 スティルが栄光の花道を歩き、そして更に時が過ぎて失踪し、その置き手紙を見たトレーナーまでもが失踪し、急げや急げと所変わって、あれよあれよと例の花畑。

 

「私も、ずっと……ずっと、想いは変わっていません」

 

 ボロボロで手を取り、向き合う2人、告げてしまうのか、しまわないのか。

 涙ぐんだ微笑みと共に、少女が口を開く。

 

「今でも──」

 

 例のセリフだ誰か止めてくれ、そんな声を知ってから知らずか。

 

「こぉぉぉおのぉぉぉお」

 

 響き渡るは怒りのソプラノボイス。

 

「色」

「?」

「ボケ」

「??」

 

 今まさに永遠の愛を誓う……そんな空気だった一組のカップルが首を傾げあたりを見回す、と。

 

「どもがぁぁあぁあっ!」

 

 大気圏再突入もかくやという速度で飛来し炸裂するは紅色の彗星、もとい真紅のドロップ・キック。血を吐きながら錐揉みで宙を舞うトレーナー。

 いくらトレセン学園のトレーナーが頑丈で有名とはいえ、何十回と死んで有り余る天晴れな一撃であった。

 

「レ……ドライ……ど、して」

 

 それでもと、震える脚で立ち教え子を案じるあたり、相当にタフな人間である。

 

「いや、ど……どうやって、ここに。ここに、来るに、は」

「どうでも良い! シャラップ!」

「むが」

 

 "こいつが何か言うたびに悪いものが来る"と言わんばかりに、トレーナーの顔をリッキー印の陰陽ハンカチで手際よく包むと。

 

「あと先輩!」

「ひゃい!」

 

 射殺さんばかりに睨みながらスティルを指差した。

 

「入学当時から思ってましたけどね!」

 

 詰め寄られ、立ちすくみ腰を落としてしまうスティル。

 

「あんたたち影薄いからってイチャイチャドロドロドロッドロドロッッッッドロしすぎなんですよあたしには丸見えなんですよ目障りとは言わないけど少しは周り考えろ! せめて場所限定しろ! わ!?、先輩返事!」

「は、はい……そんな……でも私はただ、トレーナーさんとともに」

 

 なおも無自覚に放たれる惚気にピキリと青筋ふたつ。

 

「あたし今日だいぶキちゃってますからねこれ以上なんかゴタゴタ抜かしたら"コレ"で沈めて持ち帰りますからね」

 

 ついでに拳骨ひとつ。

 

「ひっ……で、でも、私たちは!」

 

 それでも譲れないものがあるのか。

 

「ここに居たいのです!」

 

 白目を剥いて気絶していたトレーナーの袖を引き、膝立ちで思いの丈を叫ぶ。

 

「うるさぁい!」

「きゃあっ」

 

 が、そんな悲痛な叫びも、怒り心頭、傍若無人の化身となった少女には通じなかった。

 

「どっ、ドラちゃ」

「もぐほっ」

 

 レッドラインが強引にスティルの手を取り、肩にトレーナーを抱えて駆け出す。

 

「ほら帰る! 先輩も!」

 

 こうなっては、状況の掴めないスティルは並走せざるを得ない。

 そして花畑のようなよくわからない場所から抜け出して、霧を抜け、いつの間にか入り込んでいた夜山を飛び越え、トレーナーを担ぎ、スティルと走り続けること数時間、小川のほとりにて。

 

「休めましたか? じゃあ終わり、さっさと帰りますよ」

 

 遠目に夜景の見える雑木林での小休憩中。

 

「冷蔵庫の野菜、今日までなんですから。あたしだけじゃ食べきれないですからね」

「そ、そんな、理ゆ、ゔっぷ」

「あっ……ぁあっ、ドラちゃんトレーナーさんが虹を、ああっ」

「これでサラダ入りますね」

 

 時は3月。スティルインラブ、引退間際のある満月の夜。

 誰も気に留めない、そんな、ごくごく小さな騒ぎがあったのだ。

 

 

 -

 

 

 そしてその後、戻った先輩とトレーナーを待っていたのは当然というかやはりというか、指導者と生徒としての責任放棄を建前にした、ほとんど監禁に近い禁錮状態。

 

 まあコレはほっといたら勝手に死にに行くような人たちだから、命を守るためって都合が大きいです。

 あとトレーナーさんに関しては正直禁錮も仕方がないと思う、というかもっと怒られろ。せめて一言言っていなくなれ。

 

 一応、何言ってるかいまいち信用できない先輩と、自分が形を失ってから行けるんだとか世迷言言ってるトレーナー、そして怒りで我を忘れていた私のあやふやすぎる証言を元に、あの花畑を探してもらったけど、見つかりませんでした。

 

 会長にも説明したけど、私もどうやって向かったのか、何も覚えてない。

 ただ、「あ、今日だな」という凄まじい違和感と不安に襲われたかと思えば、不思議ちゃんで通ってるネオユニヴァース先輩に「CMTT、だよ?」とよくわからないお告げを受け、思い付きでフクキタル先輩のところでお祓いを受け、リッキー先輩の占いで吉方位? を教わりその角度を向いて怪しげな霧の中へと背中から飛び込んだ。

 そうして無我夢中で駆けて、何か、紐のようなものに引っ張られる感覚のまま森を走り抜けて、あのふざけた愛の誓いが聴こえてきて。

「どこ逝こうとしてんだバカヤロー!」って怒りのままに突撃したら結果としてトレーナーさんに蹴りを入れていたような、そうでもないような……考えてみると、とても危ないことをした気がする。全治2週間で済んでよかった。

 

 一度尋問の立ち会いを許されたけど、先輩の言うこともトレーナーの言うことも、何かを説明してるらしいんだけど互いへの愛の言葉にしか聞こえなくて胃もたれした。

 あそこまで疲れ切ったルドルフ会長の顔初めて見たな。机に突っ伏して半分溶けてたもん。

 

 それでも先輩を忘れていた人々が次第に思い出してきて、もう問題がないだろうということになって。あたしが見張る条件付きで、2人は半月ほどで日常へと解放された。

 

 そして、あたしに関しては、この現象については当然ながら口外無用とされ、それ以上の処罰は無かった。これは実態を知る協力者が多いほど良いという判断らしい。

 記憶を封じる人体実験でもされるのかなと覚悟してたから拍子抜け。でも会長曰く、タキオン先輩でもまだ失踪については解明が難しいのだとか。

 ところでその文脈で先輩が出てくるってことは記憶消去自体はできるんですか?

 

 復職を許されたトレーナーと、卒業し、OGとして居残るスティル先輩とともに、それからも、笑いあり涙あり? そんな春夏秋冬を過ごして。走って、トレーニングを重ねて、来たる日、地下バ道。

 

「よーし、じゃあ行ってきます!」

 

 腕をぐるぐるっと回し、気合を入れる。

 

「ちゃんと見ててくださいよ。あたしが勝っちゃうとこ」

 

 にかっと笑い、膨らんだようなそうでもないような力こぶを片手で叩いた。

 我ながら頼りないなと思ったが、今はこれがあたしの全力です。

 

「勝てるって、信じていますよ」

 

 そういってはにかんだ、スティル先輩の繋いだ縁。

 

「はい!」

 

 祝賀会、奇妙な縁、ちょっとした偶然から2人と出会い、色々あって入学して……奇跡が積み重なって、あたしはここにいる。

 その連なりの中には血の滲むような努力も当然あって、それを乗り越えてこの大舞台に立てたことに、何より自分が満足していた。

 

「で」

 

 そんなあたしをにこやかに眺めている誰かさんに、口先をとがらせて文句を言ってみる。

 

「応援とか、ないんです?」

「……ない!」

 

 自信満々のサムズアップに、この人は、と笑い、2人へ手を振って駆け出した。

 いつもそうだった。

 練習メニューこそ厳しいけど、他はテキトーに見えて、(先輩が絡まない限りは)いつだって落ち着き払って、私の緊張をほぐしてくれるのだから。

 心がくすぐったくて替えが効かない、先輩がべったりなのも頷ける。

 

(人気順なんか気にしたことなかったのにな)

 

 普段のあたしはすごく呑気だ。

 呑気すぎて、頑張りなさいと、それとなくお叱りを何度か受けている。

 トレセン学園の名のもとに走る以上、一定の結果は出さないといけない。

 いけない……義務、というより、出さないと……思春期の少女たちが世間からのプレッシャーで潰れてしまうから、結果に基づく自信を身につけろ、ということらしい。

 また、出すように頑張らせる、頑張れる実力を身に着けさせる。それがトレーナーたちの仕事でもある。

 それでもあの人は笑って見守ってくれるだけ。

 でもあたしはそれがいい、もとよりそれで潰れるメンタルはしていないし、何より。

 "あたしが頑張る"ところを、貴方が見てくれていることが、一番うれしいから。

 

「あ」

 

 思いふけったあたしの間抜けな声。

 それが響いた地下バ道、声を出す原因となった1番人気のあの子が光の中へ消えていく。

 

「────」

 

 振り返って少しこっちを見たような、気のせいか。様になるなあ。

 他にも続々と、あたしの世代で名を馳せた実力者が立ち止まるあたしを追い越していった。

 彼女たちが現れるたび、割れるような声援と拍手の轟音が鳴り響く。さすがG1レース。

 臆することなく歩み、光の中へ。

 さあ来い大声援、あたしことレッドライン様の登場だ!

 

「ま、こんなもんか」

 

 気取ってみたけど、先程までにくらべるとかなり控えめな声援と拍手。

 それもそのはず、17人中、10番人気。

 それが直近の戦績を踏まえた、世間が下したあたしへの評価だった。

 やる気が見えない、手抜きに見える。そんな批評もあったような。

 普段なら「ふーん、そっか」、それで終わっていた。だって事実だったから。

 でも今は……。

 

(上等)

 

 掲示板入りまくってるあの子とか、G1とったあの子とか。

 らしくもなく、癖とか傾向とか得意距離とか、色々下調べして、敵うわけないやって思い悩んだし、登録も最後まで悩みに悩んだ。

 でも──。

 

『16番、10番人気。レッドライン』

 

 アナウンスに応え、ポーズを取って手を振る。ぱらぱらとまばらな拍手。

 その拍手を送る観客席、関係者席。

 それぞれに、見間違えようのない姿を、先刻ぶりに見つける。

 

「ドラちゃーん!頑張ってくださーい……!」

「良い感じだぞ、頑張れ……!」

 

 思わず、笑みがこぼれた。

 でも──でも、2人が生きて、そこにいてくれるなら。

 

(それだけでいいんだ)

 

 先輩、トレーナーさん。知ってますか? 気付いてますか?

 あたしね。あなたたちのことが、大好きなんですよ。

 だから、あたしの力で獲りたい。先輩にとっても特別な、このタイトルだけは。

 

『さあゲートイン完了!』

 

 気付けばもうそんな段階だった、実況のアナウンスが響き渡る。

 

(あなたたちに報いたい、応えたい)

 

 息が上がってゆく。

 熱狂がレース場に満ちる、皆が見ている。

 逸る鼓動を抑えつけ、勝利のイメージを瞼の裏に思い描く。

 

(負けたくない。走りたい)

 

 何でもいいから、2人に返したい。

 そのためには、勝てばいい。

 そんな想いに呼応して、ちりちりと、視界が赤く染まってゆく。

 緊張から額を汗が垂れる。

 ゲートという閉鎖空間、無いはずの壁を幻視する。

 柱に絡まり、あたしの回りを、糸が囲っていく。

 

(早く、速く飛びたい)

 

 いつか憧れたその後ろ姿を真似る。

 歯を食いしばって、執念を剥き出しにして、勝利へと貪欲にひた駆ける、1匹の獣。

 脳裏に焼き付いて離れない──耽美で淑やかな名スティルインラブとは真逆の、異質の姿。

 彼女が、"アレ"が来る──壁から糸が寄り絡まり、その身を包む、視界が完全な紅へと染まる、そんな錯覚。

 繭を纏って、赤々と、毒々しく、その時を、羽化を待つ。

 

(ゴチソウを食べるのは、味わうのは、走るのは、走る、走る──)

 

 震える手足で息を吸い込み、前傾姿勢へ。

 その滾る情熱を、その身に迎え入れてしまうように。

 まるでかつての"彼女"が、そこに降りたかのように。

 

「ふぅー……」

 

 アタシは蛹だ、今まさに、翼を広げて飛び立つ、捕食者だ。

 そう自覚したとき、あたしは──いつか見た姿と同じように──俯き、赤い眼光を宿していた。

 仄暗い、抑え難い衝動のままに、貪るように勝つのは、喰い散らして最後に立つのは。

 

(走れハシれ走れ、走れ、はしれ、走れ走れ走れ!走れ!)

 

 根源の、混沌の最初の原初の絶叫の大合唱。

 猛れ、叫べ、……喰らえ!

 獲物は横並び、まさに今、大口を開けて──さあ、さあ!さあ!

 ──カコン!

 

「ごめん、またね」

 

 ターフを見上げ、寂しく微笑んだのと、軽快な音を立ててゲートが開くのは同時だった。

 紅い衝動ではなく、己の意思で。大股に踏み出し、足を地から離し、とくん、と鼓動。

「滾るままに、逸るままに」。そう囁き、視界を染めながら擦り寄っていた真っ赤な本能が、あたしの心から広がる暖かなモノに押し包められて、鎮まった。

 スタートダッシュ、駆け出し、飛び込み、やや遅れた。それでも、確信。

 ──いける。

 

「はぁあっ!」

 

 虫が繭を破き、外の世界を知るその時。

 あたしは……"本物"じゃないから、上手く破けない、きっと誰かが助けてくれないと出られない。

 哀れな家畜化動物。1人では生まれることすらできないナニカ。

 生まれ直し、震える手足で立つあたしをゲートから引っ張り出したのは、暴力的な衝動……ではなく、1本の糸。

 ターフから、ゲートから、その前、通路から、いいえ、そのずっと前。

 偶然出会ったその時、更に遡って"あたしの始まり"。

 愛で手繰り寄せてくれる、その2人の手に繋がる──この心に握った理性の糸は、絶対に離さない!

 

(飛べなくたって良い、這いずったって構わない!)

 

 ふっと、飼育動画の内容が思い浮かんだ。

 ヒトがいないと生きていけない小さな虫。翼を持つのに地に足を付け、無様に這いずってでも、見たいその先を見るために、歩き続けるその姿に。

 

(愛でるのではなく、憧れた!)

 

 あたしは飛べない蚕蛾でいい。何も喰らえない、生き急ぐモノでいい。

 トレーナー。そしてスティルインラブ。

 いっつもぼんやり惚気のろけてばっかのあの2人、でも、きっと壮絶だったその半生、その運命が──。

 

(真っ赤なこの縁を結んでくれたっ、あたしで在れる錨をくれたから!)

 

 ライバルたちに負けじと踏み込み、悲鳴をあげる脚に涙ぐむ。

 軋む骨、湧き立つ血潮!

 歯を食いしばり、沈む視界に揺れる耳飾り。

 紅、あか! おそろいの、可愛くて素敵な赤のリボン!

 血の色、情熱の色──愛の色!

 

(出会ってくれてありがとう)

 

 その色を宿し、心の臓を経由し、身体中、色鮮やかに広がるのは、想いの、感情の大合唱。

 精彩を欠きかけた脚が動く、体が自然と前に出る。爆発的な感情が、この身を軽くしてくれている。

 

(傍に居てくれて、ありがとう。愛してくれて──、ありがとう!)

 

 涙越しの掲示板、レース場の景色に乗って、走マ灯のように過ぎ去ってゆく想い出たち。

 ともに泣き、笑い、苦しみ、悔やみ、鍛え、夕日の中いつまでも駆けた。

 所構わず愛し合う2人、呆れながらも揶揄うお邪魔虫。

 そこにはいつだって、いつまでだって笑顔があって。

 

(──そ■デいイ、■タシ・・・■、そレだけで良カっ■の!)

 

 暖かくて優しくて痛い、そんな想いが溢れて荒れ狂う心の中、核の何かから仮面が剝げ落ち、があっと吼えた。

 それに同調するように、負けじとあたしの心は叫ぶ。

 

(だって、あなたたちを、愛しているから!)

 

 友達、同級生、学園のみんな、ファンのみんな。

 その真ん中、「あたしの中心」には、いつだって"あなたたち"がいた。

 

(駆けろよ、レッドライン!)

 

 だから、"■タシ"じゃない、あなたたちがくれた愛の糸で、その愛がくれた、あたし自身の力で。

 

(今度こそ、2人に返すんだ──)

「──あたしが!」

 

 あっという間の4コーナー。後方、大外、こんな距離なのに、ああ、2人が見える──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 大歓声の中力強く踏み込んだ、11月の空の下。

 

 10番人気で迎えた、エリザベス女王杯。

 

 本能をねじ伏せ、繭を蹴破り、糸を手繰って、さあ────繋げ。




 レッドラインの略称は例の青いお方です。なんでも解決してくれそうな名前です。
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