楽園より、幻想を揺蕩う 作:一般通過被験者
慧音が案内し始めてから数刻。
木々はもうほとんどなく出口が近いことを示している。
そうして———
「ようやく出れましたか…」
やっとのことで森を抜けることが出来たのだ。
月は沈み、太陽が顔を出そうとしている。
その光景はレオスにとって己を祝福しているかのようにさえ見えた。
森を抜けた所には道が続いており、慧音以外にも確かに人が住んでいるであろうことが分かる。
もう一息だ、と最後の力を振り絞り地面を踏み締める。
そうこうしていると次第に何かが見えて来た。
そこにあったものにレオスは瞠目する。
「此処が人里だ。幻想郷において此処ほど安全に暮らせる場所はそうない」
そう、小さな町のようなものがあったのだ。
とは言ってもエデンや日本で見るような高い建造物があるわけではない。
時代でいうならば江戸や明治時代と言ったところだろうか。
昔ながらの木造平屋が軒を連ねており、確かに町や街というよりは「里」というのがしっくりくるかもしれない。
周囲には田畑が見え、人の営みが感じられる。
「取り敢えずは私の家に案内する」
そう言って人里の中を進み始める。
レオスは興味津々といった風にその風景を眺める。まるで初めて修学旅行に行った小学生だ。
やはりというか、里を行く者達は皆、街並みと同じく昔ながらの格好をしている者ばかりだ。
それに対して慧音はどちらかというと現代よりだ。少なくとも慧音以外にワンピースなんてもの着ている者は見ない。
どうもこの世界は文化がチグハグらしい。そんなところもどこかエデンに似ている。
そんなことを考えつつ歩を進めるレオス。
その様子を里の人達は物珍しそうな目で見る。里の者達からすればむしろレオスの方が浮いている。
レオスの格好は彼の言うところの現代寄りである。慧音含め幻想郷には個性豊かな格好をした者達が数多くいるが、レオスのような格好をしたものはいない。白衣などはその最たるものだ。
連れているのが慧音であるというのも理由の一つかもしれない。
一緒に歩いているとわかるのだが、彼女はよく里の者達に挨拶をされている。すれ違う者皆に挨拶するような訳でもないのに慧音には挨拶をするのだ。勿論慧音も挨拶を返す。
彼女がこの里の人間達によく慕われていることが分かる。中には、以前お世話になったとお礼を言っているものも少なくはない。
どうやら彼女の施しを受けたのは自分だけではないようだ。生粋のお人好しらしい。
しばらくすると一軒の平屋が見えてくる。周囲のものとそう変わりはないが、構造としては少し大きいかもしれない。
「ここは寺子屋と言う。子供達が集まって勉学に励む場所だ。ちなみに教えているのは私だ」
どうやら彼女は教師らしい。なるほど、どうりで仕草一つ一つに教養が感じられたわけだ。
彼女は此処で暮らしつつ教師をしているようだ。
「上がれ。そこで色々と話を聞こう」
言われるがままにお邪魔させてもらう。
上がればそこは予想通りというか、一言で表すなら質素だろうか。基本的にものはなく、必要なものだけがあると言った感じだ。現代でいうところのミニマリストというやつだろうか。
ちなみにレオスが暮らしていたのは同じ和室でもボロッボロの六畳一間と下水道である。
彼自身はミニマリストの傾向があり、部屋にほとんど物が無かった。家具と呼べるものもデスク以外には何も無い。そのため、こっそり彼女にシナジーを感じていた。
「おい…あまり人を家の中をジロジロと見るな…」
キョロキョロと遠慮無しに部屋を見渡すレオスに呆れつつそういう慧音。
恩人である以上に何より女性の部屋である。男であるレオスがジロジロと観察するような視線を向けるのはいかがなものか。
礼儀というかデリカシーの問題である。
そんな慧音の言葉が聞こえていないのか否か、レオスは何かを思いついたようにふと部屋の棚に並べられてあった本を手に取り、持ち主の許しもなく勝手に開く。そうして、
しかし、すぐさま取り上げられてしまう。
「こら!勝手に人様の物を物色するんじゃ無い!せめて断りくらい入れろ!」
まるで子供を叱りつけるように言う。寺子屋に通う子供達を相手にする時とそう変わらないかもしれない。
「まぁまぁ、それくらい良いじゃないですかぁ」
そう、まるで反省していないであろうヘラヘラした顔で言う。
聞き分けの良い子供と違ってそこで遠慮しないのがレオスという男である。相手が慧音であり、彼女の性格的にある程度図々しくとも許してもらえるだろうという打算からくるものでもあるが。
尚のこと子供よりもタチが悪い。
しかし、一つ分かったこともある。と言うかそれがレオスが勝手に本を読んだ目的でもあった。
文字の違いだ。この世界で扱われているのはどうやら日本語であることには変わり無いようだが、扱われている文字の書体が違うようだ。
レオスの専門はあくまで薬学であり、そういった分野には明るくはない。これは少々苦労しそうだ。
もし此処に緑のスーツが特徴的な男がいたならばもう少し楽だったかもしれない。彼の専門は文化人類学だ。こういった歴史の中の生活に深く関わるものには詳しかったろうに。
レオスが一人でやって来たことを少しばかり後悔していると、棚に本を戻した慧音が口を開く
「…それで?お前はこれからどうするつもりなんだ?」
まさに本題である。
「…ふむ」
どうする、とは帰る以外にあるのだろうか。などと言うことではないだろう。それを前提として、一体なにをするつもりなのか、ということか。
「お前のように迷い込んできた者の中には、この世界に定住するといったものもいる。勿論帰る者もいたが、それも一つの選択ではある」
説明して持ったところ申し訳ないがレオスに帰らないという選択肢はない。最終的に帰るのは決まっていることだ。元の世界に友人達も残しているし、やり残したこともまぁまぁある。
訳あって、彼には寿命という概念がないため、決して急ぐようなことではないが。
しかし彼はこの世界に来たばかりで未だ右も左もわからない。この里で暮らすことが決定事項であったとしても、住まうところもなければこの里における生活の勝手もわからない。
どうしたものか。
…いや待て。いるではないか、此処に。里の右も左も何でも知っていそうなお人好しが。
それに彼女は教師をしていたんだったか。なるほどなるほど…ふむ…
「まあ、まだ里に来たばかりだ。わからないことの方が多いだろうし、住む場所くらいは———」
そう、慧音が何かを言いかけたところで彼女の目の前から「バンッ!」と力強く何かが叩きつけられる音がした。
「此処で、働かせてくださいっっ!!」
レオス、渾身の土下座であった。
◇
ガラッ、と教室の扉が開かれる。入ってくるのはこの寺子屋における教師、慧音だ。
「あー、今日もちゃんと揃っているな」
教室を見渡し全員の出席を確認し終えた慧音は、
「よし、今日はお前達に新しい先生を紹介する。入ってこい」
そういうと再び扉が開かれる。
「諸君!本日はお集まりいただき誠に感謝する!私こそがレオス・ヴィンセントだ!宜しく!」
そう、声高らかに挨拶をした。