ハンナノ三度目ノ正直   作:緋色鈴

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-転- もし次があるならそのときは

 

 

「・・・あ・・・えっ?」

 

 

気がつくと、ハンナはゴンドラの外に投げ出されていた。

本来稼働中は決して開くことのないはずのドアが、今は傾いて軋んでいる。

老朽か、故障か。

ハンナが寄りかかったその時、ドアのロックが外れてしまったのだ。

 

ハンナは今、片腕だけを上に向けたまま、完全に空中にぶら下がっている格好だった。

そしてその腕に痺れを感じて、見れば、その手首をかろうじて握り締めている二本の手があった。

その向こう、ゴンドラの出入口には、両手を伸ばすシェリーがこちらを見下ろしている。

その彼女と目を合わせて数秒も経って、ようやく現状を理解した。

ハンナはシェリーに間一髪で助けられたのだ。

 

「ひっ・・・シェリー、さん・・・!?」

「下を見ないでください!」

「・・・!!」

 

ひゅっ、と息を呑んで、ハンナは硬直した。

恐怖でパニックを起こさないようにしてくれたのだろうが、どれほどの高さなのか、その警告で半ば分かってしまったからだ。

 

ただ、なんとかその動揺をやり過ごして、次にやるべきことに気づいたハンナは咄嗟に叫ぶ。

 

「シェ、シェリーさん、わたくしなら大丈夫です!」

「安心してくださいハンナさん!」

 

 

「「私なら――――」」

 

 

二人同時にそう言いかけて。

そして同時に、あっ、という顔をした。

 

この瞬間、互いに何をしようとして、何ができなかったのかを悟ったのだ。

 

シェリーの【怪力】なら。小柄なハンナ一人ぐらい簡単に引き上げてしまえただろう。

ハンナの【浮遊】なら。その場から上昇して自力でゴンドラに戻ることさえ可能だった。

 

 

しかし今、二人の身に、もうその力は備わっていなかった。

 

 

それは今にも転落しそうだというこの現状を、もうハンナにはどうしようもないことを意味していた。

じわり、と絶望が胸に湧き出すのを、はっきりと感じた。

そしてハンナの目の前で、この時ばかりはシェリーも苦笑いを浮かべたのが見えた。

 

「あは、は・・・今になって、また【魔法】があればなんて、ズルいですかね・・・」

「っ・・・」

 

人間に埋め込まれた魔女因子が生んだ副産物。人ならざる力の一端。

その大きすぎる力に振り回されて、誰もが人生を狂わされてきた。

それはあってはならないものだと、もうあの島にいた誰もが理解していることだ。

・・・けれど同時に、こうして咄嗟に使おうとしてしまうぐらい、あって当たり前のものと認識してしまっていた。

シェリーも、それはきっと同じだろう。

都合が良すぎると言われても、今だけは、と、そう思わずにはいられなかった。

 

 

「く、う・・・」

 

シェリーが小さく声を上げて、ハンナははっとする。

訳あって苦痛を感じないシェリーのその声色、そして変わらず状況にそぐわない笑みを浮かべているその表情からは分かり辛いが、彼女とて無理をしていれば、その反応は身体の方には現れる。

ハンナの手首を掴んでいるシェリーの手には汗が滲み、いまや小刻みに震えていた。

 

「っ・・・手を離してくださいまし!あなたまで落ちてしまいますわ!」

「大丈夫ですよう、今引っ張り上げてあげますから・・・」

「あなた、わたくしよりずっとモヤシなんでしょう!?無理に決まってます!」

「・・・たはは、さっきばらすんじゃありませんでしたね!」

 

悪戯がばれてしまったとでもいうかのように舌を出して笑ってみせるシェリーの、あまりに場違いな仕草にハンナはつい怒ってしまう。

 

「シェリーさん!」

「平気ですって、少なくとも私は落ちません、心配ご無用です!」

 

相も変わらず、へらっとなんということのないように言うシェリー。

しかしハンナには分かった。嘘だと。

シェリーは身を乗り出すようにして両手でハンナを掴んでいて、自分自身はどこにも掴まれていない。

非力な少女の腕では、両手でなければハンナを落としてしまうからだ。

そして咄嗟のことだったために、上半身を投げ出すような形でゴンドラに引っ掛かっているだけの彼女の姿勢はまったく踏ん張りが利いておらず、徐々にハンナの体重に引っ張られている。

彼女に手を離す気がなければ、間違いなくシェリーも一緒にその身を共にすることになる。

 

 

それを証明するかのように、ずる、と服の擦れる音がして、ハンナの位置がさらに拳一つ分下がり、血の気が引いた。

シェリーは顔こそ平気そうな表情をしているが、今やその額にも汗が浮かんでいる。

状況の悪さを本人自身はよく分かっているようで、それを隠し切れてはいなかった。

 

「やめて・・・シェリーさん、お願いだからっ・・・」

「いえいえこれくらいは――――」

 

ハンナは堪らず叫んだ。

 

 

 

「もうあなたを巻き添えにしたくないの!!」

 

 

 

きょとんとするシェリーの表情は、いっそわざとすっとぼけているのかとさえ思えるほどに、他人事のような顔だった。

 

あの島の惨劇の中で。

ハンナが死ぬ時はいつも、シェリーも一緒だった。

覚悟していたくせに、いざという瞬間には魔女にはなりたくないと駄々をこねて、縋ってしまった。

そして結局、それにシェリーが応えてくれたから、今ハンナはここにいられる。

 

しかし既に【魔法】という反則が失われた今、もう一度同じことをしてしまえば。

取返しはつかない。

そうなればもう、ハンナは何度生まれ変わっても、シェリーに顔向けができないと思った。

 

「ダメなの・・・もうわたくしは・・・()はシェリーさんに迷惑をかけられない、かけちゃダメなの!」

「迷惑だなんてそんな」

「こんな時くらい言うことを聞いて!!」

「・・・」

 

それは結局、わがままだったのかもしれない。

命を懸けてくれているシェリーを黙らせて、自分の意思を通そうとするのは、良くないことだったのかもしれない。

しかしそれでも、ハンナはもう、自分のせいで彼女に死んでほしくはなかった。

そして、彼女は暫くの沈黙の後、小さな声で呟く。

 

「分かりました・・・ハンナさんがそう言うなら・・・」

 

シェリーが目を伏せる。

それは決別だった、とハンナは思う。

そして言っておきながら、ああ、なんだか寂しい、と思ってしまって。

今度こそハンナは自分を嫌悪したが、それと同時に、それでもシェリーがそれで諦めてくれるのなら、と安堵もした。

そしてハンナがほっとして、笑みを浮かべようとした、その直後に。

 

 

 

「ハンナさんがそんなことを言うなら、なおさら絶対に離しませんっ!!」

 

 

 

シェリーが今日一番大きな声でそう宣言した。

 

 

「なっ・・・!?」

 

唖然として、ハンナは一瞬本気で怒りを覚えた。

この分からずや。

しかし言い聞かせようとしたハンナを先んじて制するように、シェリーが叫ぶ。

 

「そもそも私の身にもなってくださいよ!」

「は・・・?!」

「だって・・・だって!今度は救えるかもしれないんですよ!!」

 

今度はハンナの方が状況も忘れて、ぽかんと口を開ける番だった。

見上げて視界に映るシェリーの顔からは、笑みは消えていた。

 

「いつも遅いんです!」

 

彼女は心の内を明かす。

それはさっきとは逆に、シェリーの目線で起きていた、惨劇の裏側。

 

「殺すしかなかった、一緒に死ぬしかなかった・・・そんなんじゃ大して助けになんかなってません!けど私がどうにかしようと思った時にはもう、手遅れで・・・!」

 

雫が、ハンナの頬に一粒落ちる。

シェリーがそんな感情を発露するところを、ハンナが己の目で見たのは初めてだった。

 

「でも今度は・・・私が頑張りさえすれば!ハンナさんは助かるんです!それなら――――諦めるわけないじゃないですか!!」

 

 

そして、にへら、と彼女はいつもの笑顔に戻るのだった。

 

 

もう、ハンナはそれに怒ることは出来なかった。

何度も自分を救ってくれた人を、そして今も救おうとしてくれている人を、どうして詰ることができようか。

ただ、最早どうしようもないという状況が、悲痛な声を絞り出させる。

 

「・・・あなたはいつも・・・どうしてっ」

 

「大体ここに誘ったの私ですから!責任は取ります!」

「っ・・・席を立つマナー違反をしたのはわたくしですわ!」

 

しかしシェリーはもう覚悟を決めたとばかりに捲し立ててくる。

そして、ハンナはどうにか反論を試みる。

 

「気にするべからず!」

「気にしますわ!!」

 

「そもそも前にも言ったじゃないですか、私の選択をハンナさんが気に病む必要はありません!」

「前にも割り切れないと言ったでしょう!」

 

「なんならもう慣れたもんです!いざと言う時はやっぱり一緒に逝きましょう!」

「それが嫌だって言ってるの!!」

 

「私は嫌じゃありません!」

「そんな、勝手な・・・!」

 

「病めるときも!健やかなるときも!ずっと一緒です!」

「っ・・・あなたそれっ、使いどころ・・・間違ってっ・・・」

 

 

もう言い返せない。

シェリーの強さを、ハンナは負かすことができない。

彼女のために、今だけはそうしなければいけないのに。

 

 

けれど。

 

 

「あっ」

 

突然シェリーが間抜けな声を上げた瞬間に、ハンナは悟った。

時間切れなのだと。

支えられていた力が急に失われて、ぞっとするような浮遊感がハンナを襲う。

慣れていたはずの、その身一つで宙に浮くことが、こんなに怖いなんて。

 

ついに、ハンナは落ちていった。

その手を掴み続けていた、シェリーも一緒に。

 

ただその時、ハンナの胸を満たしていたものは、恐怖でも絶望でもなくて。

 

 

 

 

嗚呼。

本当に。

大バカなんですから。

 

 

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