あなたが落としたのはきれいな無惨ですか? もっと汚いの   作:三柱 努

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侠客の

縁壱とうたが珠世の家に住み、無惨と共に日々を過ごし始めて50年ほど経った頃。

 

うたが逝った。

 

後を追うように翌年、縁壱も逝った。

 

だが決して不幸な別れではなかった。

子や孫、村の皆に囲まれ、幸せな最期だった。

 

 

「無惨様、珠世様。お先に失礼します」

 

縁壱は生前に言っていた。

自分は絶対に鬼にはならないと。

 

「鬼と人は同じ彼岸には旅立つことは無いでしょう。御二人は意地でも、俺とうたに会いに来てください」

 

縁壱は察していた。

珠世はともかく、無惨は自分が鬼のまま死んだところで本望と考えていると。

だからこそ、あの世で再会することを約束した。鬼から人に戻る方法を見つけてもらうため。

 

 

「ええ。必ず会いに行きます」

「意地でも薬を見つけて、無理矢理にでも飲ませますよ」

 

 

 

縁壱の死後も無惨は薬・青い彼岸花探しの行脚を止めることはなかった。

むしろ熱が入るばかり。

付き添うのは縁壱の孫たち、ひ孫たち、さらに玄孫と。

だが幾年月経っても、一向に無惨が人間に戻る術は見つからなかった。

 

 

それは元和二年に入った頃のことだった。

如月の四日。まだ冬の寒い空が広がる中。

無惨は縁壱の玄孫にあたる縁綱と共に、とある農村で薬を売っていた。

 

この縁綱という男。縁壱の一族の中で特に優秀な薬師だった。

だが誰に似たか。

博打が何より好きだった。

しかし天才的な薬の腕に反して、博打の腕は壊滅的。

 

この日、縁綱は大負けしてしまった。村はずれの賭場で身ぐるみはがされ尽くしていたのだ。

「・・・縁綱さん」

「申し訳ない無惨様。これでは妻にも珠世様にも叱られてしまう。どうか内密に」

明日には珠世のいる村に帰る予定。縁綱はどうにか挽回してくると言って隣の村に走ることにした。

だが尻ぬぐいを無惨にもさせるわけにはいかない。縁綱は村の豪農に頼みこんで、無惨に一宿を面倒見てもらうことにした。

 

「無惨殿、それは何とも災難でしたね」

豪農は気前よく無惨をもてなした。

突然の客だったが、家中の者たちも無惨の人柄を見て誰もが優しく接した。

ちなみに話がどう転んだのか分からないが、家中の人たちは皆、無惨は“旅の博徒に身ぐるみはがされた薬師”と認識していたらしい。

豪農の息子で幼子の弥吉という坊が特に無惨に懐いた。

 

「無惨さん。今日はわちの部屋で一緒に寝ないかい?」

「ありがたいご提案ですが、私は離れの蔵に頂いたお部屋で休ませていただきます」

 

無惨は農家の離れにある立派な蔵の、小さな畳部屋を借りた。豪農の屋敷はどの部屋も日当たりが良すぎたが、蔵ならうっかり朝日が昇る時間になっても安心だったからだ。

 

だがこの蔵は立派が故に防音性も高く。

 

屋敷で何が起きても、気付くのに遅れてしまう場所だった。

 

 

 

それは暮れの五ツ半頃のことだった。

野武士が屋敷を襲ったのだ。

 

 

無惨がそれに気づいたのは、賊が土蔵に押し入ってきた時だった。

 

その時、屋敷の大人たちは悉く斬殺されていた。

ただ一人。幼子の弥吉だけが、無惨の蔵に夜中に忍び込もうとしたことが幸いし助かった。

「そんな・・・」

無惨にできることはなかった。

人と戦うことを嫌い、この数百年、拳を握ったこともない無惨は逃げるしかできなかった。

火の手のかけられた屋敷を背に、弥吉をかかえて走るしかなかった。

 

だが野武士たちは無惨と弥吉を見逃さなかった。

野武士は一軍のような大人数で屋敷を襲っていた。

追手はすぐに無惨たちを囲い、無惨の逃げ場は近くの寺にしか残されていなかった。

 

無惨がその気になれば野武士たちの包囲網を飛び越えていけるだろうが、幼い弥吉の涙がそれを躊躇させた。

「無惨さん・・・お父ぅは、お母ぁは・・・」

屋敷の大人たちが既に死んでいることを知らない無惨は、どうにかその無事だけでも確認したかった。

それには野武士たちに問いただすしかない。だが弥吉を一人置き去りにしてそのような行動にでることもできない。

「弥吉さん・・・どうか、この中に」

無惨は必死になって考え、寺の鐘の中に弥吉を隠すことにした。

 

そして寺の鐘を背中に背負い、無惨の体を蓋にして弥吉を守った状態で、野武士たちの前に躍り出た。

 

「お前ぇ、屋敷の人間じゃないな? 旅の客か? ガキをどこにやった。正直に言えば、お前だけは見逃してやる」

野武士たちは弥吉が無惨の背の鐘の中にいることを分かっていた。

狙いは豪農の一族の皆殺し。無惨の命もどのみち奪うつもりだった。

「そんなことより、屋敷の皆さんは。花山の皆さんは無事なんですか!?」

どうみても無惨は窮地にある。それでも口が減らない無惨の姿に、野武士たちは呆れた。

そんな無惨の必死の問いに、野武士たちはヘラヘラと笑って返した。

その返答だけで、弥吉も無惨も全てを察してしまった。

 

そして野武士からの次の返答は、白刃として無惨の体に叩きこまれた。

 

「ぐっ」

無惨の体に痛みが走る。

だがその痛みを脳が察知するよりも早く、無惨は自らが置かれている状況のまずさに気付いた。

 

この程度の刀で斬られることで無惨が死ぬことはない。

だが、返り血が野武士の口や何かに入り込んでしまったら?

おそらくは珠世の二の舞。新たな鬼を生んでしまう結果になるだろう。

『それだけは・・・なんとしても避けなければ!』

そう無惨は思うが限界。打開策があるわけでもなく。

できる抵抗は、血が飛び散らないよう、体に力を込めて血管を締めることだけ。

ただただ野武士に斬られることしか、無惨にはできなかった。

 

百。千を数えるまでには至らないだろうが、数時間の惨劇の跡が無惨の体に刻まれていた。

その間、無惨は動けないまま。

だが野武士たちからすれば、無惨はどれだけ斬られても微動だにせず、弥吉を守り切った男に見えた。

 

絶命を確認はしなかったが、野武士たちは無惨の姿に敬意すら感じ始めていた。

「こんな男が豊臣方にいれば、我々も盗賊に身を落とさなかっただろうに」

壮絶な最期。敵ながら天晴、と。ついに野武士たちは逃走していった。

 

 

「うわぁあああああああ」

地獄の刻を耐え抜き、弥吉は鐘の中で大泣きしていた。

「・・・弥吉さん、大丈夫ですよ」

無惨は野武士の姿が本当に見えないかどうか、慎重に周りを確認しながら弥吉を降ろした。

 

その時、寺に駆けこんでくる人影が見えた。

それは身なりを整え直して戻ってきた縁綱だった。

「縁綱さん!」

「無惨様! 急いで! もうすぐ朝日が!」

山の丘陵が明るみを帯びてきていた。

縁綱は寺にあった大樽の棺桶を抱えて運んだ。

「無惨様! どうかこの中へ!」

無惨を棺桶に押し込んで、縁綱は急いで弥吉に伝えた。

 

「坊。屋敷のことは村で聞いた。村の長たちが坊のことを探しているそうだ。保護してもらいなさい」

縁綱が棺桶を抱えると、無惨は樽の隙間から弥吉に声をかけた。

「弥吉さん、どうか・・・生きてください。そして、何もできず申し訳ありません」

 

弥吉は寺に駆け付けた村人たちと共に縁綱と無惨を見送った。

 

この日、弥吉は決意した。

決死の命の恩人が、残された命の灯の中でも、幼子の生を願った。その勇姿を一生、その体に刻み込んで生きていこうと。

旅の博徒である無惨の生き様を、子々孫々に語り継ごう、と。

 

だが弥吉は知らなかった。無惨は普通に生きているし、そもそも博徒でもなく、博徒に騙されたのは縁綱のほうだということを。

 

無惨は心に深い傷を負った。

命を奪うことは悪だと思うばかりでは。

力を振るうことから逃げてばかりでは。

何も救えない。

 

 

そして縁綱はこの件をきっかけに博打禁止令を出されたのだった。

 

 

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