あなたが落としたのはきれいな無惨ですか? もっと汚いの   作:三柱 努

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犬のいぬまに

狛治は意気揚々と帰宅の途についていた。

「おっ、あちらに見えるは狛治殿では?」

日も暮れ始めた道中、無惨の付き人として昼間に薬を売り歩いていた継国縁樹と合流。

「墓前の御父上には?」

「ええ、心ゆくまで祝言の報告できました。だが遅くなってしまった。これでは恋雪に叱られるな」

「間違いありませぬ」

笑い合う縁樹と狛治。こうやって同世代の男同士で笑い合うことなど狛治には初めての経験だった。

遅くなって叱られるなら、もう少し遅くなっても変わらないだろう。

縁樹の提案で、狛治は鰻を買っていくことにした。

そうして道場に帰ってきた2人だったが、何やら騒がしかった。

 

 

狛治はその光景に一瞬の恐怖を感じた。

何か悪いことでも起きているのではないか。嫌な気配が一瞬漂った。

 

 

だが取り越し苦労だった。

隣の剣術道場の入り口から無惨が焦々と出てきた姿が見えた。

続いて慶蔵が大荷物を抱え、無惨がそれを手伝って2人で剣術道場に入っていく。仲の悪いはずの剣術道場に?と狛治は首をかしげたが。

そのうち珠世が顔を出して2人の存在に気付いた。

 

「珠世殿? これはどうされたのですか?」

「あら・・・狛治さん、何をどう言ったら・・・とりあえず縁樹さんは無惨さんの手伝いに行ってもらえますか?」

「御意に。御免!」

珠世の依頼に即答した縁樹は走って剣術道場に入っていった。道場の敷居をまたぐ前から挨拶しながら。

 

「では・・・えっと」

珠世は言いにくそうに口を開いた。

とりあえず混乱しない範囲から説明が始まった。

 

まず、無惨と珠世は隣の剣術道場を貰い受けることになった。

「ほぉ?」

剣術道場の跡取り息子や弟子たちは江戸の親分が締め上げて、道場から追い出したそうだ。

「はぁ、親分?」

親分は任侠の世界の住人だが、話の分かる男で、無惨の漢気に惚れ込んでそのような面倒な手続きを一手に引き受けてくれたそうだ。

「そんな奇特な親分さんもいるものなのか。ですが一体全体、そもそもがどうして隣の道場が追い出されるようなことに?」

狛治の疑問こそ一番に珠世の口が濁る点だった。

「それはですね。狛治さんの。いえ、慶蔵さんの家の井戸がありますでしょ?」

「ええ」

「そこに毒を入れられてしまったからです」

「なるほど。井戸に毒を・・・・はぁ!?」

狛治はポカンと開いた口の端が裂けるほどに驚いた。

「な、まさか恋雪が!? その毒を飲んだとかじゃないでしょうね!」

狛治は珠世の肩を掴んだ。普通なら指が食い込むほどの万力がこもっていたが、珠世の肌の方が圧倒的に固かった。そしてそのことに狛治は興奮のあまり全く気付かなかった。

「安心してください。恋雪さんも、慶蔵さんも毒を飲んでいませんよ」

「そ、そうか・・・そうでしたか・・・」

へなへなと腰が抜ける狛治。

だが狛治は気になった。どうして井戸に入れられたのが毒だと分かったのか?

「それは本当に毒だったのですか?」

「ええ。それは間違いなく。一口飲んだだけで命を奪うほどの強い毒でした」

毒に関する知識では珠世の右に出る者はいないだろう。その自負があるからこそ珠世は力強く答えた。

「そんな強い毒を」

「ええ。隣の道場主さんはよほど強い恨みを抱いていたようです。ですがご安心ください。先程言ったように親分さんのおかげもあって憂いは無くなりました。あと無惨さんのおかげでもありますが・・・」

そう珠世が言い淀んだ時、道場の玄関から恋雪が顔を出した。

「狛治さん!」

恋雪は愛する夫の顔を見た瞬間に走り出していた。

「恋雪!」

狛治もまた妻の無事を見た瞬間に腰の力が戻った。走り寄ってくる恋雪を抱擁しようと両手を広げて立ち上がった。

 

だが

「た、珠世様!」

恋雪は狛治の間合いをスルリと避けて、珠世の元に走って駆け寄ったのだ。

スルーされた狛治は目を丸くしながら呆然とする。

「珠世様。休んでいてくださいと言ったじゃありませんか!」

「大丈夫ですよ恋雪さん。私は平気なんですから」

必死に迫る恋雪の迫力に圧されながらも珠世はニコリと笑う。だが恋雪は鬼気迫る様子で言葉を続けた。

「だって球世様は毒を飲んだのですよ!絶対安静に休んでいてください!」

力強く、それでいて力負けしながらも恋雪は珠世の背を押して道場へと連れていった。

 

そして一人取り残された狛治は数秒置いてから気付いた。

「って、井戸の毒飲んだの球世さんだったのか!」

毒を飲んで何故生きているのか。とかそういう次元の話ではないのだが・・・

「俺が油を売っているあいだに。なんとまあ俺は惨めで、滑稽で、つまらぬ男なのだ」

狛治はただただ、自分の居ぬ間に起きていた大事の壮大さに驚き、自分を嘲笑するしかなかった。

 

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