あなたが落としたのはきれいな無惨ですか? もっと汚いの 作:三柱 努
地から這い出たものの、行く当ても無く根無し草となった無惨。
何の目的も無く呆然と歩き雑木林を抜けると、ようやく人の通る道に出た。
辺りに民家は見当たらない。こんな時間に通る人などいるはずもない。
そう思われた。
「うわぁあああ」
その時、遠くに男の叫び声が聞こえた。
それは野盗に襲われている商人だった。
「荷が欲しいのでしたら差し上げます。どうか命だけはお助けください」
「身ぐるみ頂くのは当たり前だ。だがなぁ、お前の整った顔を見ると俺ぁどうも刻んでやりたくなるなぁ。俺たちのようなあぶれ者のように、醜い傷を残してやりたくなる」
野盗の刀先が商人の顔にピタリと付いた。いたぶるように肌を舐め、ツツツと額から顎にかけて撫でていく。
商人は膝を震わせ、逃げることができなかった。
「私には家で待つ妻と子がおります。どうか、どうか・・・」
「ほぉ、傷の代わりに案内してくれるというのか。それはありがたい」
ニヤリと笑う野盗の脅迫に商人の顔は青ざめた。
「おやめなさい」
2人の間に割って入る無惨の声。
「誰だ!」
野盗は闇の中に浮かぶ顔に刀を向けた。
ザッザッという足音と共に姿を見せる無惨。
「なんだお前は? お前も身ぐるみを・・・はがされ尽くしとるやないかい」
野盗は呆れるあまり目を丸くさせた。
盗むも何もボロ布しか身に着けていない無惨が、やけに凛々しく啖呵を切って現れたものだ。野盗もこれには逆に感心するしかなかった。
「力で脅し、人から奪っていい物など何もありません。死して地獄へと堕ちることとなりますよ。さぁ、刀を収めてその人を解放しなさい」
穏やかに迫る無惨の声に野盗も商人も一瞬聞き惚れた。だが冷静になって考えれば変質者の戯言の垂れ流し。
「野郎、ふざげやがって!」
野盗は刀を振り上げて無惨に襲い掛かった。
迫る刀に無惨は『斬ってくれ』とばかりに何の抵抗もしなかった。
野盗は経験上、この直後に起きる結果を知っていた。皮膚が裂け、肉塊と鮮血が飛び散る。
商人もその光景を容易に想像し、思わず目を伏せた。
だが今宵は違った。
『い、岩!?』
野盗は一瞬、闇夜のせいで目測を誤り見当違いの場所を叩いてしまったのかと思ったくらいだ。
だが返ってきたのは薄く葉の生い茂った大岩を殴ったような感覚だった。
刃が振り下ろされた場所はたしかに無惨の鎖骨あたり。皮膚が破れるようにして無惨の胸に傷がついた。だがその真下、骨には刃は到底届いていない。
「やはり・・・」
無惨は残念がった。野盗の刀を受けたのは、未だに自身が鬼の肉体かどうかを確かめたかったのだ。
結果、鬼の体は健在。平安武士の洗礼された刀術ですら歯が立たない鋼の肉体に、野盗のなまくら刀程度では薄皮一枚が関の山だった。
「きっ、気味が悪ぃ」
野盗は妖怪の類に化かされたような気色悪さを覚えた。
斬ったはずのものが斬られておらず、むしろ傷ついたのは野党の刀の方。刃こぼれして、このまま2撃目など到底かなわない。
「うぅ・・・」
野盗は手にした刀が急に頼りなく小さなものに感じられた。
悪党に必須の危機察知能力が警鐘を鳴らしていた。今すぐ逃げろと、野盗の本能が叫んでいた。
野盗は踵を返すと、必死に力を振り絞りて走り出し、一目散に森の中へと逃げていった。
残されたのは無惨と商人だけ。
目を伏せていた商人は一部始終を目撃していなかった。
目を開けてみれば野党は訳も分からず逃げ去っていた。
理由は分からないが揉み合いの末に2人は助かったのだろう。
「ご、御仁、ご無事でしょうか!?」
商人は腰が抜けてまともに立てず、必死に這って恩人・無惨に寄った。
野盗に付けられた無惨の傷はとうに治りきっており、そのことに商人が気付くことはなかった。
「貴方様のおかげで助かりました。なんとお礼をすれば」
商人は無惨の無事に安堵し、深々と頭を下げた。その安堵のおかげもあり、商人は自身でも気づかぬままに足腰に力が戻っていた。
「いえ、私は何も。それより早くここを離れましょう。先程の野盗がまた戻ってくるやもしれません」
無惨に指摘されハッとなった商人は急いで荷物を解いた。
「御仁、よろしければコチラを」
商人は荷物の中から一着の着物を無惨に渡した。
野盗の脅威よりも、ボロ布だけの無惨への不憫を気遣っての行動だった。
その優しさを察した無惨は急いで着物を纏い、その間に商人は荷物を担いだ。
「私の家はここからそう遠くありません。御仁、是非お越しください」
「いえ、私は・・・そうですね。お邪魔させていただきます」
急ぎ足早にその場を離れたいという焦りを見せる商人。
根無し草の無惨は最初断ろうと思ったが、その理由を説明する時間も惜しいと思い、商人の厚意に応えることにした。
それから半刻歩いただろうか。
森の道を抜けた先にある集落の端にたどり着いた無惨と商人。
藁葺屋根の家から明かりが射しているのが見えた。
「おかえりなさいお父さん」
「おかえりなさい。帰りが遅く心配しましたよ。あら、そちらは?」
商人が戸を開け中に入ると、奥から小さな子供と美しい女性が姿を現した。
2人ともが商人の帰りを待ち侘びた様子で、彼の無事な姿に胸をなでおろしていた。
商人は2人の心配を察して笑顔を見せながら無惨を紹介した。
「野武士に襲われていた。だが、この恩人様に助けていただいてね。夕飯をお出ししたい。急ぎ用意してくれないかい? 珠世」